elsur.jpn.org >

« 読了:中田(2016) バーバリーにみる価値共創 | メイン | 読了:「Rによる実証分析」 »

2019年7月 9日 (火)

渡辺勲・伊藤彌彦(2011) 矢野鶴子さんに聞く-蘆花夫妻の思い出. 同志社談叢, 31, 30-140.
 明治大正期の作家・徳冨蘆花について読んでいると、兄・蘇峰から幼い娘を養子として貰い受けるものの、兄との絶縁に伴い娘も返してしまう、というなんだかよくわからないエピソードが出てくる。あのねえ蘆花先生、犬や猫じゃないんだから...
 その娘さん(鶴子さん)ってその後どうされたんだろうか、とふと検索しみたら、なんと2007年までご存命だった由(101歳にて没)。しかも、1999年から2003年にかけての24回にわたるインタビュー記録というのが、同志社大の紀要に載っていた。びっくり。

 晩年の鶴子さんは南青山第一マンションにお住まいで(ありますね、表参道駅の上に。最近は建替で揉めていると週刊誌で読んだ)、聞き書きを読む限り、非常にしっかりとした受け答えをしておられる。そもそもあのマンションは蘇峰の自宅があった場所なのだそうだ。へえええ!
 徳冨蘆花についてはほとんど何も知らないんだけど、世田谷・芦花恒春園の展示からは想像できない蘆花夫妻の姿が語られていて、非常に面白かった。鶴子さんいわく、夫妻は「子育てごっこ」をしていたのだ、とのこと。「貴方は『愛子夫人は良妻賢母である』と書いておりますが、愛子叔母は、良妻でも賢母でもなんでもありません。私の記憶では、毎日毎日、朝から晩まで喧嘩、夫婦喧嘩の明け暮れでしたね」へへぇーー(平伏)。

 聞き手の渡辺勲さんという方、蘆花の研究家だそうで、「恒春園離騒―蘆花と蘇峰の相克」「二人の父・蘆花と蘇峰」という著書がある模様。ちょっと検索してみたところ、世田谷の小学校で校長をされていた方のようだ。この方の本も読んでみたいけど、部屋に積んである蘆花の「みみずのたはこと」を先にしたようがよさそうだな...

論文:その他 - 読了:渡辺・伊藤(2011) 徳冨蘆花に養子に貰われたけどまた返された徳富蘇峰の娘さんが語る追憶の世田谷ライフ

rebuilt: 2020年11月16日 22:53
validate this page