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2019年7月31日 (水)
仕事の関連の資料を読んでいるとき、「アリストテレスいわく」なんていう風に、教養に属するであろう人名がぽろっと出現されたりすると、うんうん知っているよアリストテレスね、と知ったかぶりしながら読み進めつつ、心の奥では泣いていたりするのです。どうせ俺には教養がないよ、と。
特に嫌なのは経済学者の名前が出てくるときである。なんというか、当該分野の方々は、経済学における古典的業績を現代人が持つべき一般常識と捉える傾向がありませんか? 「ケインズいわく」とか「シュンペーターによれば」とか、気軽に云い過ぎじゃありません?
聞くところによれば、著名作家の北方謙三さんは人間ができていて、インタビューを受ける際、多くの小説家はインタビュアーが自分の作品をすでに読んでいることを当然の礼儀と捉えるのに対し、北方さんはむしろ知らないことを前提として丁寧に説明して下さるのだそうだ。人間こうでなくてはいけない。いきなり「ケインズいわく」と書かず、「えー、もしかするとご存知かも、あるいはそうでないかもしれませんが、私が研究しております経済学の分野に、かつてケインズと申しますつまらない者がおりまして」と丁寧に前置きしてほしいものだ。謙虚なのがいちばんです。心理学者をごらんなさい、「ウィリアム・ジェームスいわく」と大上段に述べる際には、脚注に「すいません私は読んでませんけど」って付け加えますよ? (そんなことはない)
...それはともかく、このたびちょっといきさつがあって読んでみた論文。
どういう雑誌なのかわからないけど(CiNiiによれば大学図書館の所蔵館は10)、Google Scholar様的には引用頻度69、そんなに変なのではなかろう。
Pech, W., Milan, M. (2009) Behavioral economics and the economics of Keynes. The Journal of Socio-Economics. 38, 891-902.
いわく、
ケインズは、意思決定において心理的要因が重要であること、彼の経済学的分析には心理的要因が埋め込まれていることを常に強調していた。「確率論」をみよ、「一般理論」をみよ。
このことは前から有名で、アカロフいわく、行動マクロ経済学のルーツはケインズにある。しかし、ケインズの著作と心理学との関係に焦点を当てた論文はみあたらない。その理由はいろいろありそうだが、ケインズの書き方があいまいだったという点もそのひとつだろう。
まず、ケインズの考え方についての解釈と論争について簡単に述べよう。
そもそもケインズの業績をどう解釈するかは常に論争の的である。ケインズ理論を個人の心理学的次元を強調したものとして解釈することにも、当然ながら反論がある。
- ケインズ理論が個人に立脚しているという読み方はなるほど可能である(ケインズの著作には細かい方法論的議論がない)。Carabelli(2003)いわく、ケインズにとって経済学の対象とはエージェントの信念・意見であった。しかし、経済という累積的な行動についての問いの中には、個人の行動の総和へと還元できないものもあるでしょう? ... ごもっともだが、本論文はケインズの業績のなかに個人の行動についての重要な洞察があるのだという分析の第一歩なので、以下ではCarabelliらの立場をとる。
- ケインズによれば、不確実性下のもとでエージェントは行為のガイドとして慣習(convention) を用いる。慣習は不確実性に対する個人の対処をうまく助ける限りにおいて合理的であるとみなされる。ここでいう慣習には、個人の期待を構造化するなにかから、個人のrules of the thumb、信念の収束へと導く集合的rule of the thumbに至るまで、さまざまなものが含まれてしまっている。だから、慣習行動の合理性を擁護するにはさまざまな議論が必要である。[←これが反論になっている理由がいまいちつかめない... 知識不足で文意をとれていないのだと思う]
これも大事な指摘ではあるのだけれど、本論文では個人の行為の記述に焦点を当て、合理性とはなにかという議論には深入りしない。そもそも合理性という概念は経済学においてもいろいろな意味で用いられている。Baddeleyいわく[←心理学のAlan Baddeleyとは別人]、合理性には新古典派経済学でいう合理性(実質的合理性)と実世界で個人が用いる合理性(手続き的合理性)がある。オーソドックスな立場では、合理性という仮定のもとで経済学は心理学から独立すると考えられているけれど、そこでいう合理性とは前者。いっぽう、ケインズが投資における主観的要因を強調したり慣習行動の役割を論じたりするときの合理性は後者だ。この論文では、以下で「合理性」といったら実質的合理性のことである。 - 個人の行動についてのケインズの業績において、心理学が重要であることがあきらかだとは言えないのではないか? ... この反論に対して、以下では次の方法で応えたい。(A)ケインズの著作における心理・行動の問題についてケインズ派の人々がどのようにコメントしているかをみていく。(B)ケインズの著作における心理学的主張について注釈する。(C)ケインズの業績と行動経済学・実験経済学の知見を比べる。
(A) ケインズ派の人々のコメント。[...誰それがどういっているという話。パス]
(B) ケインズの著作について。[... ケインズの本に心理的要因についてのこういうくだりがあるという話。パス]
さて、ここからが本題。(C) 行動経済学における重要概念とケインズとの対応について述べる。
重要概念その1、ヒューリスティクス。
主流派経済学は方法論的な個人主義を採用し、効用関数最大化という観点からの合理的選択を仮定する。そこには認知的制約や自己制御問題や社会的選好が含まれない。その意味で経済学は心理学と独立している。いっぽう、
- 個人の行動のもっと現実的なモデルが必要だという異教徒もいた。
- 50-60年代には合理性の厳密な定義に対する挑戦が現れた。Ellsbergのパラドクスとか[えーと、期待効用理論でいう独立性公理からの逸脱ね]、Allaisのパラドクスとか[確率加重関数が必要だという話だっけ?]。H. Simonの限定合理性というのはこの流れ。
- そしてご存知、Tversky-Kahnemanに代表される「ヒューリスティクスとバイアス」アプローチが登場した。
有名なヒューリスティクスとして以下がある。[00年代のKahnemanさんはヒューリスティクスの列挙をやめて、属性代用による統一的説明を行うんだけど、その話はなしっすか、先生]
- 代表性。つまり、事象の尤度をその事象の(あるクラスの事象における)代表性で判断してしまうこと。その結果、ベースレート無視、サンプルサイズ無視、ランダム性についての誤解、平均への回帰への誤解などのバイアスが生まれる。
- 利用可能性。事象の確率を事例の思い浮かべやすさで判断してしまうこと。
- アンカリングと調整。[メモ省略するけど、アリエリーの社会保障番号をアンカーに使った実験が紹介されている]
さて。ケインズは「一般理論」の中で、人々は問題を解決するために「有用な心的習慣」を使うと述べている。ケインズが挙げている事例は利用可能性やアンカリング・ヒューリスティクスとして解釈できる。また晩年の著作には、進化心理学でいう再認ヒューリスティクスにあたる指摘もある。
重要概念その2、慣習。
ケインズは彼の言う慣習的行動をある種のヒューリスティクスとして捉えていた。すなわち、「未来は現在に似ている」「未来についての予測は現在の価格と数量を反映する」「他者が慣習に従うならば個々人はこうした判断・予測に頼ることができる」というヒューリスティクスである。
行動経済学・心理学はこういう慣習の形成について個人の意思決定と戦略的相互作用の両面から研究していた。
- フォーカル・ポイント。プレイヤーのinterestが一致しているせいでプレイヤーから見てどの均衡に到達しようが到達しさえすれば無差別になっているようなゲームのことを純粋協調ゲームという。この場合、古典的ゲーム理論ではどの均衡に到達するかを予測できない。シェリングは、人々の他者についてのなんらかの期待のせいで、均衡のうちあるひとつに到達しやすくなる(よって協調の失敗が起きにくくなる)と考えた。これをフォーカルポイントという。ケインズにおいては、現在の市場の価格と数量によって表現された平均的な意見・判断が、投資決定という協調問題の解を導くフォーカル・ポイントとなっている。
- 順応性。他者の意見のコピーによる慣習形成という問題は古くから社会心理学のテーマだった。心理学では順応性を情報的順応性(知識が欠けているときに他者を模倣すること)と規範的順応性にわけて考える。ケインズは不確実な状況下での慣習形成のひとつとして他者への順応を挙げているが、これは情報的順応性についての指摘であると解釈できる。[...中略...]
- 美人投票。[ここ、関心があるので細かくメモ]
ケインズは、株式市場におけるプロの投資家の行動について記述する際、美人投票というたとえを使った。[...「一般理論」からの引用...] このくだりでケインズは、人々が3水準以上の推論に到達することもなくはないと、おそらくは皮肉を交えて述べている[誰が美人だと思うかが水準1, みんなは誰が美人だと思うかが水準2, 「みんなは誰が美人だと思うか」という問いに対してみんなはどう思うかが水準3... ということであろう]。人々は実際にこうした多数のレベルの反復を行うか? [...] 実証研究によれば答えはノーだ。[...p-美人投票ゲームの説明...] この実験によって、被験者がいくつのレベルの反復を行っているかを調べることができる。[...理屈の説明...] p-美人投票ゲームの実験結果によれば、被験者の多くは1から3ステップの反復を体系的に用いている。 [ナッシュ均衡解である] 0 を選ぶ人は非常に少ない。第一ラウンドにおいては、pがなんであれ50%がフォーカル・ポイントになるようである。繰り返すと平均は下がっていくが、0にはならない。
他の参加者も限定的推論しかしないという仮定の下では、「0」はむしろ悪い回答になる。Camererいわく「秘訣は平均的なプレイヤーよりも1ステップだけ多く推論すること」である。これぞケインズの言う「合理的な投機」、つまり、他者の非合理な行動を合理的に予測することである。しかし、合理的投機者が多数存在するとはいえないようだ。p-美人投票ゲームの成績は、CEO, 経済学のPh.D, ポートフォリオ・マネージャーであっても、普通の学生と変わらない。このことは、いわゆる「専門家」であっても必ずしも「合理的投機者」ではないということを示唆している。美人投票に類比できるような状況で、誰が勝つかは推論ではなく、むしろ偶然によって決まっているようだ。
重要概念その3、アニマル・スピリット。すなわち、「行動しないことよりも行動することを選ぶ自発的衝動」。ケインズによれば、投資行動を理解するために決定的に重要な概念である。
ケインズ自身はアニマル・スピリットをもたらす要因について分析していないが... [以下、overconfidence, 非現実的楽観性、現状維持バイアス、曖昧性回避について、心理学・行動経済学からのの知見を紹介。メモ省略]
重要概念その4、価格硬直性。[名目賃金の下方硬直性については貨幣錯覚による説明と社会的選好による説明があって...云々。これもめんどくさいからメモは省略するけど、意外に面白そうな話だなあ]
重要概念その5、期待。
ケインズは期待の役割についてきちんとした枠組みを提供していない。ケインズ含め、経済学者はふつう期待をスタティックに捉えてきた。例外はカトーナで... [消費者態度指数に至る研究の紹介。とはいえうまくいったのはマクロ経済的な予測で、個人の行動の予測はうまくいっていない]。
従来の経済学的期待のダイナミクスの説明において心理学のインパクトはきわめて小さい(行動経済学を含めて)。楽観・悲観の波についてのケインズ的見解を完全に理解するには、感情状態と期待形成の関係についてのより完全な研究が必要となろう。
重要概念その5、限界消費性向。
ケインズは、現在の行動研究で幅広く取り上げられており、限界消費性向に重要な影響を与えているはずの2つの要因を考慮していない。すなわち、顕示的消費と双曲割引である[...以下略]。
というわけで、個人の行動についてのケインズの理論は、大筋で行動経済学・実験経済学と整合している。云々。
... 大変つまらない感想で誠に恐縮ですが、この論文の後半のようなスタイル(ケインズの著書をひっくり返して行動経済学に通じる主張を見つけていくスタイル)であれば、行動経済学者アダム・スミスはもとより、行動経済学者マルクス、行動経済学者トマス・アクィナス、行動経済学者ブッダ、なんていうのも書けちゃったりしないんでしょうか... そんなことありませんよね、すいませんすいません。
まあとにかく勉強になりましたです。p-美人投票ゲームの実験研究、きちんと勉強しよう。(Lacombらのアイデア市場のように)ペイオフが外的に決定されていないタイプの予測市場がどういうときにワークするのかという問題を考える際に役立ちそうだし、いま取り組んでいるcitizen/consumer forecastingの個人差とも関係しているかもしれない。ううむ、勉強しないといけないことが多すぎる。
経済学の素養はからきしないけど、ケインズ君にはなんとなく親しみが湧くようになった。もはやマブダチといってもよかろう。これからはジョンと呼ぼう。ようジョン、美人の奥さんを大事にしなよ。
論文:その他 - 読了:Peck & Milan (2009) 行動経済学者ケインズ