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2013年2月 9日 (土)

最近読んで、記録してなかったマンガのなかから:

Bookcover ぢべたぐらし あひるの生活 〔春夏編〕 [a]
マツダユカ / リブレ出版 / 2012-06-20
Bookcover 【Amazon.co.jp限定】 ぢべたぐらし あひるの生活 〔秋冬編〕 イラストカード付き [a]
マツダ ユカ / リブレ出版 / 2012-11-20
鳥を擬人化したコメディ。すでに「とりぱん」という大ヒット先行作があるが、これはこれで面白い。

Bookcover 戦争と一人の女 [a]
坂口 安吾,近藤 ようこ / 青林工藝舎 / 2012-12-10
坂口安吾のいくつかの短編のマンガ化。女の人は怖い...

Bookcover 銀の匙 6―Silver Spoon (少年サンデーコミックス) [a]
荒川 弘 / 小学館 / 2013-01-18

Bookcover 予告犯 2 (ヤングジャンプコミックス) [a]
筒井 哲也 / 集英社 / 2012-12-10

Bookcover 乙嫁語り 5巻 (ビームコミックス) [a]
森 薫 / エンターブレイン / 2013-01-15

Bookcover ヒナまつり 4 (ビームコミックス) [a]
大武政夫 / エンターブレイン / 2012-12-15

コミックス(2011-) - 読了:「ぢべたぐらし」「戦争と一人の女」「乙嫁語り」「銀の匙」「予告犯」「ヒナまつり」

2013年2月 8日 (金)

読んだきりメモしてない本が溜まってしまっているんだけど、とりあえず手元にある本から...

Bookcover うちの妻ってどうでしょう?(5) (アクションコミックス) [a]
福満 しげゆき / 双葉社 / 2012-12-27
Bookcover 福満しげゆきのほのぼのゲームエッセイマンガ (ファミ通クリアコミックス) [a]
福満しげゆき / エンターブレイン / 2012-12-27
前者は著者の代表作ともいうべきコミック・エッセイ。可笑しくて仕方がない。あまりに面白いので、ついつい後者のような、よく考えてみたら買わなくても良いマンガも、ついでに買っちゃったりして...

Bookcover 青沼さん、BL漫画家をこっそりめざす。 [a]
青沼貴子 / イースト・プレス / 2013-01-18
青沼貴子さんは20年ほど前に「ママはぽよぽよザウルスがお好き」で大ブレイクした人だ。いまでこそ育児エッセイマンガは巷に溢れているけれど,「ママぽよ」はその先鞭をつけたとても魅力的なマンガで,私は本屋で掲載誌「プチタンファン」を必死に立ち読みしたものである。
このキラータイトルを得てから,このマンガ家は子育てマンガを描き続けているけど,私が読んだ範囲の印象でいえば,後続の作品は正直なところ,マンガとしての魅力を少しずつ失っていったと思う。郵便局かなにかの広告イラストで「ママぽよ」そっくりのキャラクターを描いているのをみかけて,ああこの人はこうやってかつての財産で食べていくんだなあ,と思っていた。
意外にもこの作品は,子育てというテーマから離れ,「マンガ家生活30年のベテランがBLコミックに初挑戦し,素人のふりをして出版社に持ち込む」という実録エッセイ。とはいえ家族には内緒であって,高校生の息子が仕事部屋に入ってこようとすると,あわててどぎつい資料を隠したり... 実に面白い。あの青沼貴子が帰ってきた,という感じだ。
芳文社「まんがホーム」連載(作中で最初に原稿を持ち込む出版社も芳文社であろう)。残念ながら一巻分で終了。もったいない,もっと続ければいいのに。

Bookcover ママはテンパリスト 1 [a]
東村 アキコ / 集英社 / 2008-10
2008年刊、育児マンガのヒット作。さすがに面白い。

Bookcover おかあさんの扉2 (オレンジページムック) [a]
伊藤 理佐 / オレンジページ / 2013-02-01
こちらは現役の育児マンガ。「オレンジページ」連載。

Bookcover インド夫婦茶碗 (18) (ぶんか社コミックス) [a]
流水 りんこ / ぶんか社 / 2013-01-10
こちらももともとは育児マンガだったのだが、歳月を経て、なんだか知り合いのおうちの季節のお便りという感じになってきた。お子さんも大きくなったので、子育てのネタは本巻をもって打ち切りにするそうだ。これからは高齢者マンガとなっていくのかしらん...

コミックス(2011-) - 読了:「うちの妻ってどうでしょう」「福満しげゆきのほのぼのゲームエッセイマンガ」「青沼さん、BL漫画家をこっそりめざす」「おかあさんの扉」「インド夫婦茶碗」

Chen, C., Lee, S., Stevenson, H.W. (1995) Response style and cross-cultural comparisons of rating scales among East Asian and North American student. Psychological Science, 6(3), 170-175.
 たまたま市場調査の関連の仕事をさせていただいていると、まあ経済のグローバル化にあわせて消費者調査もそれなりにグローバル化してるわけで、国際比較の話になることも少なくない。調査結果を比較する際の難題のひとつは、いわゆる回答スタイルの問題である。たとえば、リッカート風のX件法尺度項目に対して「中国の人ってなんでも両端につけちゃうのよ」というのはよく聞く話で、私も何回かそういう調査をみたことがあるから、あながちウソじゃないような気がする。
 そういう文化差って、アカデミックな研究はないんですか、と聞かれたことも数回あって、そのたびに紹介していたのがこの論文であった。前に読んでたけど、このたび都合により再読。
 仙台、台北、エドモントン、カルガリ、ミネアポリス、フェアファクス(バージニア州)の高校生に、39項目の7件法尺度項目について回答してもらう。で、各回答者が中央につけた項目数、両端につけた項目数をカウントする。日本と台湾の回答者は、項目の内容にかかわらず、中央につける傾向がありました。云々。

 前に読んだ時もちょっと面食らったのだが、この論文、終盤でちょっと不思議な展開を辿るのである。いわく... 回答スタイルの文化差のせいで、リッカート尺度項目の文化間比較はできなくなってしまうのか? そこで、7件法の1,2,3段階目と5,6,7段階目をまとめて3件法につぶし、さらに4段階目を抜いて2件法につぶしてみたところ、7件法のときと比べて、国の間で有意差がある項目の数はほとんど減らなかった(US-カナダ間では減るが、北米-東アジア間では減らない)。つまり、回答スタイルに文化間の差はあるが、北米と東アジアの間の調査結果のちがいは、回答スタイルのせいだけで生じているのではない。云々。
 要するに、回答スタイルの文化差ってあるね、という論文が、終盤に至って、でも東アジアと北米の間の文化差は回答スタイルのせいじゃないよ、という話になるのだ。なんだか奇妙な展開だ。回答スタイルの文化差を定量化するという話は、少なくとも原理的には、調査項目の内容とは無関係な議論だ(この調査で使ったのと全然ちがう項目を使って調べていてもよかったはずの話題だ)。いっぽう、回答スタイルを除去したあとでなお文化差が残るかという話は、調査項目の内容に依存する実質的な議論だ(この調査で使った項目が聴取している、まさにその領域についての議論だ)。なぜ急に話がそれるのか?
 おそらく、これは私がこの研究がおかれた文脈をよく理解できていないからだと思う。よく知らないけど、現時点では、東洋と西洋のあいだでの認識の違いを実証的に主張しようとしたら、Holyoak流の実験研究がもはや必須であり、横断調査に頼っているようでは相手にしてもらえないのではないかと思う。しかし、想像するにこの論文の時点では、「認識の文化差が質問紙調査でわかるか」という問題設定がまだ生きていたのではなかろうか。その土俵のうえで「文化差はありますよ、調査でわかりますよ」と主張する立場の人にとっては、回答スタイルの文化差が調査結果にもたらす影響を認めつつも、なお実質的な文化差の存在を示すことが、きっと必要だったのだろう... などと、勝手に納得したりして...

論文:調査方法論 - 読了:Chen, et al. (1995) 回答スタイルの文化差(北米 vs 東アジア)

 ここんところ、問題Aについての資料を手当たり次第に集め、読み切らないうちに全く無関係な問題Bについての資料を手当たり次第に集め、読み切らないうちに... というドタバタの繰り返しであった。我ながら、なにやってんだろうかという感じだ。

Frank, D., Riedl, P. (2004) Theoretical fundation of contemporary qualitative market research. Forum Qualitative Sozialforschung. 5(2).
 著者はドイツの市場調査会社の経営者で、大学でも教えている、という人。掲載誌はオンライン・ジャーナルで、どういう性質のものなのかわからない。ちょっと調べたいことがあって目を通した。その役には立たなかったけど、次に読むべきものがわかったので、良しとしよう。

 著者いわく... 市場調査における定性調査には、ヨーロッパの人文主義的な分析を受け継ぐ人々と、観察と証拠に重きをおき心理学的専門性と技能に欠けるように思われるアメリカン・スタイルの人々が混在しており(←著者はドイツ人)、そのために、

定性調査の玉石混交なプロバイダーを見渡し提案の質を判断するのが難しくなっている。クライアントは、マーケット・リサーチの国内・国際組織の企業住所録をめくり、CLT会場を持っていますとか、伝統的なフル・サービスをご提供しておりますとか、定性調査に特化している会社ですとか、その他無数の『ワンマン・ショー(ないしワン・ウーマン・ショー)』をみつける羽目になる。どれもこれも、提供しているサービスは基本的にみな同じだというふりをしている。

だってさ。はっはっはー。
 というわけで、各社のPR上の差別化の向こう側にある、定性調査におけるいくつかの"schools of thinking"とそのちがいについて解説しましょう、という論文。態度がでかくて楽しいぞ。

 現代の定性調査の理論的基盤として、著者は5つ挙げている。

 というわけで、いろんな立場があるが、広い視野でみれば共通点もある。

 で、ここから著者らの統合的アプローチの説明になるのだが、雲をつかむような壮大な話なので、パス。なんでも、外的刺激に対してmeaning checkをし、それを通過した刺激に対してprobability checkをし、その結果として生じる行為がmeaning checkにフィードバックされるようなサイバネティック・モデルなのだそうだ。斜め読みだけど、まあとにかく一種の二重過程論なのであろう。最後に、著者らがお使いの独自手法の紹介。デプス・インタビューやFGIで、ブランドのマッピングをしてもらう際の手続きの話。この分野に疎いもので、どこが新しいのかちょっとわからなかった。

 最後の独自手法の話、著者らの会社の日本法人で開発したとのこと。Global Dynamics Japanという社名だが、webで探しても見当たらない。畳んじゃったんでしょうか。

論文:マーケティング - 読了:Frank & Riedl (2004) 定性的マーケティング・リサーチの理論的基盤

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