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2015年6月16日 (火)

 先日たまたま内村鑑三についての本を読んでいて、不敬事件(明治23年)の際に内村宅に押し掛け玄関に小便して帰った一高生の一人はのちの国語学者・保科孝一だという話を目にし、義憤に駆られた。この人の自叙伝を探して該当箇所を読んでまた立腹。 若い日の過ちを反省するというニュアンスではなく、自慢げに書いておるところが気にくわない。国家主義者だかなんだか知らないが、畳に小便はないでしょう。内村さんちのお手伝いさんか誰かが拭いたんだぞ。

浮田真弓(2015) 保科孝一の国語教育研究における国家主義と「国語」の民主化. 岡山大学大学院教育学研究科研究集録, 158, 63-70.
 というわけで、ついでにみつけて読んだもの(物好きにもほどがある...)。国語教育史からみた保科孝一論レビュー、という感じの内容であった。イ・ヨンスク「『国語』という思想」という本、面白そうだ。

論文:その他 - 読了:浮田(2015) 国語学者・保科孝一についての論文レビュー

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