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2018年5月 3日 (木)
ε-δ論法とその形成
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中根 美知代 / 共立出版 / 2010-07-23
たまにふらふらと、絶対に理解できそうにない本を買ってしまうことがある。これもその一つで、微分・積分の歴史についての本。そもそも「ε-δ論法」というのがなんなのかもよくわかっていないのに、なぜこんな本を買おうと思ったのか、自分でもさっぱりわからない。家に帰って袋から出して、ちょっとあっけにとられた。
というわけで、もちろん9割9分9厘までちんぷんかんぷんなのだが、せっかくなので最後のページまでめくった。いくつか印象に残ったところをメモしておく。
- ε-δ論法というのを感情を込めて説明するとこういうことなのだそうだ。「好きなεを持っていらしてください。どんなに小さくても結構ですよ。持っていらしたεに応じて適当なδを出し、所定の不等式が成り立つようにできるだけの準備がこちらにはございます」。へー。
- 著者の先生曰く:「天才数学者ならば、グラフをみて、直ちに一様連続と単なる連続の違いに気がつくのだろうか。ε-δ論法を使いこなしてそのような概念を明確に捉えたのだろうか。数学はそのような天才たちのものなのだろうか。もしそう考えていたら、それは誤りだ。一様収束や一様連続、多変数関数の連続性を把握できなかった偉大な数学者は何人もいた。講義では5分くらいで語られる概念でさえ、それが認識されるためには、大物といわれる数学者複数名の研究が必要だった。直感で捉えにくい概念や定理は、決して天才のとっぴな思い付きやひらめきから着想されたものではない。なんらかの必然性があって、数学者がそのようなことを考えなくてはならないところに追い込まれ、その結果生み出されたのである」。なるほどねえ。そういう風に言っていただけると、それじゃあ勉強しようかという気にもなりますね。
- 18世紀の数学者たちは、$1+x+x^2+x^3+\cdots=1/(1-x)$という公式を受け入れていた。実際には、たとえば$x=2$のときこの公式は成り立たない。そのことに数学者たちはとっくに気が付いていた。それでもこの公式を受け入れていたのである。なぜか。18世紀の数学者たちは、数学の命題は一種の規則であり、規則だから例外もある、という風に考えていた。「ある定理に対して反例が挙がったらその定理は再検討しなければならない」という考え方は19世紀になって生まれたものものなのだそうである。へえええええ!!!
データ解析 - 読了:「ε-δ論法とその形成」