elsur.jpn.org >

« 読了:水野(2003) 心理学における「信頼」概念レビュー | メイン | 読了:Dotson, et al. (2018) 選択肢の全体効用が似ているときに選択肢間の誤差相関を高くする階層プロビット選択モデルを使ったコンジョイント分析でSOVを推定しよう (feat. 武侠) »

2018年5月25日 (金)

 こないだ学会(消費者行動研究学会)のワークショップを拝聴していて気が付いたんだけど、反応時間についての私の知識は古い。全然勉強してないんだから当然である。
 まあいまさら私が勉強してもしょうがないのかもしれないが、いずれ反応時間を使ってやってみたいこともあるし、少しでも勉強しておくか... と思って、適当そうな論文を読んでみた。当座の仕事とは関係ないわけで、まあ半分趣味みたいなもんである。

Krajbich, I., Bartling, B., Hare, T., Fehr, E. (2015) Rethinking fast and slow based on a critique of reaction-time reverse inference. Nature Communications, 6, 7455.
 第一著者はオハイオ州立大の心理学者。ワークショップで某先生が口走っていた名前をカタカナでメモし、しばしの試行錯誤の末に突き止めた。反応時間の研究で有名な研究者らしいのに、恥ずかしながら初耳だ...と思ったが、調べたところ2011年に学位取得とのこと。そりゃあ知らないわ。

 いわく。
 意思決定プロセスの研究は、二重過程説の観点に立ち[直観的・自動的過程と熟慮的過程、Type IとType IIってやつですね]、ある行動はどっちの過程の結果か、と問う。それを区別する手段のひとつが反応時間(RT)の検討である。直観的過程は熟慮的過程より速かろうという理屈である。
 というわけで、意思決定の研究ではRTに基づく主張が溢れている。しかし、ある自動的過程が熟慮的過程よりも速いだろうと予測するということと、ある選択についてこれは速いから自動的だと分類するということとは、別の問題である。
 RTに寄与する認知過程にはいろいろあることがわかっている。RTに基づく推論はそれらの認知過程についても説明しないといけない。たとえば、RTは弁別性と関連する。これは記憶・知覚から経済的選択にいたる広い範囲で示されている。90年代、視覚探索過程が系列的か並列的かを区別するためにRTが使えるかという点についての論争があったが、そのとき批判者は、RTの主要な規定因がむしろ弁別性であることを示したものである。また経済的選択の分野では、選択肢が類似している決定課題は遅いことが示されている。
 つまりこういうことだ。選択は実は単一の熟慮的過程によってなされていて、RTの変動は複数種類の過程の競合のせいで生じているのではなく、むしろ選択肢の類似性知覚のせいで生じている... こういう可能性について、ちゃんと検討しないといけない。
 本論文は社会的選好と対人的選択の文脈において、上記の点を詳細に示す。選択肢をうまいこと作り込めばお望みのRTが得られる、その様子をとくとご覧いただきたい。RTは二重過程理論の証拠にはならないのである。

 まず、RT逆向き推論問題(RT reverse-inference problem)について紹介しよう。
 「人が直観的に好むのはエールかバーボンか」を調べる実験について考える。エールの選択肢セットからひとつ、バーボンの選択肢セットからひとつを提示し、どちらかを選ばせる。これを繰り返し、選択とその反応時間を調べる。
 当然ながら、選択の結果は選択肢セット次第である。いま、実験者1がつくった選択肢セットではエールの勝率が高く、実験者2がつくった選択肢セットではバーボンの勝率が高かったとしよう。
 選択課題のRTはどうなるか。RTは選択肢間の差異の知覚に依存する。いま選択肢AとBの間で選択するとき、横軸に選好の差(A-B)、縦軸にRTをとると、0を中心にした山形になると期待できる。実験者1の場合、選択肢のなかに良いバーボンが少なかった、つまり左裾に位置する選択肢ペアが少なかったわけだ。だから、Bが選ばれる試行(真中から左側)のRTの平均は、Aが選ばれる試行(右側)のRTの平均より高くなる。こうして、実験者1は「人はエールを直観的に選ぶ」とうっかり結論してしまうことになる。実験者2はその逆になる。
 [こういう順序で説明されると、いやあそんな勘違いはしませんよ...とつい思ってしまうけど、実際にはこういうの結構多いですよね。「XXの選択率は高くRTは短かった、つまりXXは消費者に直観的に選ばれているのだ」的なの]

 ここからは実際の研究に即して説明しよう。3つ例を挙げる。

 その1、社会的選好。
 独裁者ゲームというのがある。独裁者役の被験者が、独裁者と受け手に金をどう配分するかについて、自己中心的選択肢と向社会的選択肢のどちらかを選ぶ。
 実験やりました。独裁者役は25名、ひとり70試行。
 まずは選択タイプとRTの関係をみてみよう。自己中心的選択のほうがRTが短かかった。ってことは、自己中心的意思決定は直観的で、向社会的意思決定は熟慮的だ...と思っちゃいますよね?
 こんどは各被験者について、自己中心的選択肢の選択率、自己中心的選択のRT、向社会的選択のRTを調べる。すると、自己中心的な選択をしやすい被験者は自己中心的決定が速く、向社会的な選択をしやすい被験者は向社会的選択が速かった。また、自己中心的選択肢の選択率が5割近辺の人は、RTの差も0に近かった。
 さらに、全体を通して、自己中心的選択肢の選択率が高かった。これは選択肢の作り方の問題であって、各試行において「向社会的選択肢を選ぶことで独裁者が損する金額」がもっと低くなるようにしておけば、向社会的選択肢の選択率はもう少し上がったはずである。
 というわけで、選択肢の作り方のせいで自己中心的選択肢の選択率が高く、よって自己中心的選択をしやすい被験者が多く、よって自己中心的選択のほうがRTが短くなった、と解釈できる。
 分析してみよう。自己中心的選択肢$i$と向社会的選択肢$j$のペイオフを$x_i, x_j$とする。選択肢ペアの効用関数を次のようにあらわす。
 $U(x_i, x_j) = (1-\beta r - \alpha s)x_i + (\beta r + \alpha s) x_j$
$r, s$は独裁者のペイオフが受け手のペイオフより高い/低いことを示すダミー。$\beta,\alpha$は個人パラメータ。
 それぞれの試行について、推定した効用を横軸、RTを縦軸にとると、どちらを選んだ場合でもRTの分布は変わらない。混合効果回帰でも確認できる。このように、「自己中心的選択は速い」というのは実験パラメータのアーティファクトである。

 その2、時間選好。
 被験者41名が選択課題216試行を行った。選択肢は「25ドルをいまもらう」「xドルをt日後にもらう」の2択(xは25より大)。全試行の約半分(53%)で即時選択肢(25ドル)が選ばれた。RTに有意差はなかった。
 以下では、一部の選択肢ペアだけを取り出し、即時選択肢のほうが魅力的であるデータを作って分析する。するとRTは即時選択のほうで速くなる。即時ペイオフの選択は直観的だと結論しかねない。
 遅延ペイオフについて次の時間割引関数を考える。
 $U(x, t) = x / (1+ kt)$
$k$は個人パラメータ。このモデルで推定した効用差を横軸、RTを縦軸にとると、どちらを選んだ場合でもRTの分布は変わらない。混合効果回帰でも確認できる。

 その3、Rand, Greene, & Nowak (2012 Nature)。[←読んでてだんだん眠くなってきてうとうとしはじめてたんですが、急にシャキッとしました! 性格の悪い論文大好き!!]
 彼らは人間の利他的協同が二重過程に支配されていると主張している。彼らによれば、直感的システムは協同を支持し、熟慮的システムは自己中心性を支持する。
 彼らが行った公共財ゲームについてみてみよう。被験者を4人ずつのグループにする。各被験者に40単位の金銭を与え、いくらを手元に残し、いくらを公共財のために寄付するかを決めさせる。実験者は寄付金を倍にしてメンバーに均等に配る(1単位の寄付につき0.5単位が戻ってくる)。
 彼らの結果では、は多く寄付するという選択でRTが短かった。なお、彼らはほかにもいろんな手続きをやっているんだけど、ここでは脇においておく。
 この実験を次のように改変した場合について考えよう。
 A1. 1単位の寄付につき0.9単位が戻ってくる(全額寄付すると36単位戻ってくる)。
 A2. 1単位の寄付につき0.3単位が戻ってくる(全額寄付すると12単位戻ってくる)。
 A1において向社会的な被験者はRTが短くなり、A2において自己中心的な被験者はRTが短くなるだろう。
 再現実験やりました。{オリジナルと同じ設定, A1, A2}のそれぞれについて被験者175名。二重過程説の説明によれば、どのバージョンでも、寄付金額とRTは負の相関を持つはずである。
 結果。A1では正の相関、オリジナルでは0に近く、A2では負の相関になった。オリジナル条件での元論文とのずれは被験者の寄付額のちがいのせいだろう。

 このように、RTの解釈に際しては選好の強度を考慮しなければならない。RTによる二重過程理論の支持には落とし穴がある。証拠蓄積モデルやベイジアン更新メカニズムのような単一過程モデルだって、選択バイアスとRTを同時にうまく説明できる。
 要約しよう。ある行動が二重過程理論でいう直観的コンポーネントによって支配されているかどうかを推論する際に、決定タイミングを根拠とするのは問題がある。選択タイプによるRTのちがいは、背後にある過程のちがいのせいではなくて、選好強度や弁別性のちがいのせいかもしれない。意思決定のモデルを比較しようとするみなさん、反応時間データはもっと注意して扱いなさい。

 ... いやー、面白かった!
 メモを読み返しながらあれこれ考えるわけだけど、この論文はあれだろうか、反応時間にはいろんな要因があるから、そこからあるモデル(例, 二重過程モデル)に基づく示唆(例, 向社会的行動は直観的だ)を引き出すのはそもそも難しい、という悲観的な教訓として捉えるべきであろうか。それとも、ちょうど著者らが個人ごとの主観効用の差を推定して回帰に放り込んでいるように、うまい実験計画なりうまい分析計画なりを組む必要があるのだ、という楽観的な教訓として捉えるべきだろうか。
 早い話、もしRand, Greene, & Nowakがいろんなインセンティブ設計を通じて寄付金額とRTとの負の相関を示していたとしたら、選好強度説は排除され、二重過程説に基づく「向社会的行動は直観的だ」という示唆が得られていたのではないかしらん? それとも、排除しきれない第三の説がありえたかしらん?

 これは私のような立場の素人にとってもちょっと切実な話で...
 マーケティングのための消費者調査で回答の反応時間を分析するとしたら、それは判断の背後にある認知過程のタイプを知るためではないだろう。おそらく、(1)回答態度が反応時間と関連するというモデル(「長すぎる/短すぎる回答は真剣でない」)に基づき回答態度について推論しようとするか、(2)態度の強度が反応時間と関連するというモデル(「選好判断が速いブランドは選好強度が強い」)に基づき態度の強度について推論しようとするか、のいずれかであろう。でもよく考えてみると、反応時間に影響するであろう要因は他にいっぱいあり(「自動的認知過程に支配されていると速い」「知覚的流暢性が高い刺激に対する判断は速い」)、いつだって代替的説明が可能なのである。
 そういうのを潰すうまい手続きはありうるのか? それとも、反応時間というのは結局はよくわからんもんだと割り切り、あるドメインにおけるある事柄に対して反応時間が予測的妥当性を示すという知見を、そのドメインのなかで地道に積み上げていくべきなのか? ...という問題である。

論文:心理 - 読了:Krajbich et al.(2015) 直観的判断は速く熟慮的判断は遅いと考えられているが、では速い判断は直観的で遅い判断は熟慮的だといえるか

rebuilt: 2020年11月16日 22:54
validate this page