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2006年3月30日 (木)

Bookcover 倒産社長の告白 [a]
三浦 紀夫 / 草思社 / 2003-12-15

ノンフィクション(-2010) - 読了:03/30まで (NF)

Bookcover 怪力の母 3 (SPコミックス) [a]
平田 弘史 / リイド社 / 2006-02-17

コミックス(-2010) - 読了:03/30まで (C)

2006年3月27日 (月)

Bookcover あほらし屋の鐘が鳴る (文春文庫) [a]
斎藤 美奈子 / 文藝春秋 / 2006-03-10
昔の軽めの時評集(「uno!」連載。やれやれ)。なんだか馬鹿馬鹿しくて流し読み。10年近く前の世相を斬るエッセイを今になって読むというのも,まあ乙なものだといえなくもないけど。

ノンフィクション(-2010) - 読了:03/27まで (NF)

Bookcover 大統領の陰謀―ニクソンを追いつめた300日 (文春文庫) [a]
ボブ ウッドワード,カール バーンスタイン / 文藝春秋 / 2005-09
風呂の中でちびちび読んでいたら,途中で登場人物の名前がごっちゃになってしまい,よくわからなくなってしまった。

ノンフィクション(-2010) - 読了:03/27まで2 (NF)

Bookcover 暴れん坊本屋さん(2) (ウンポコ・エッセイ・コミックス) [a]
久世 番子 / 新書館 / 2006-03-25
週刊誌の発行日日付は実売日の15日先まで,月刊誌は45日先まで,という雑協の自主基準があるのだそうだ。へええ。

コミックス(-2010) - 読了:03/27まで (C)

そんなこんなで今週は暇なのだが(有給消化中),一日うちでごろごろしていても,なんだか落ち着かないものだ。どこにも帰属感がないこの感覚は,日曜日を寝潰すのとはわけがちがう。
しばらく無職でもいいかなあ,とちょっと思っていたのだが,もしほんとにそんなことをしていたら,オカシクなっていたかもしれん。切れ目なしの転職でよかった。
。。。そんなことないかな。慣れちゃえばそれはそれで幸せだったかな。

雑記 - 有給消化

2006年3月25日 (土)

お読みのみなさま:
挨拶状を配るほど胸を張れた話ではないので,ここでのご挨拶にさせていただきますが,このたび現勤務先を退職することになりました。今度は市場調査の会社に勤めます。
退職するのは大学の仕事を続けたいからで,他意はないです。

現勤務先のみなさま(読んでるのか?):
本当にありがとうございました。暖かく迎え入れて頂き,とても面白い仕事をさせて頂いたのに,私のわがままでたった一年で失礼することになり,誠に申し訳なく思っております。
みなさまのご活躍を心よりお祈りします。またどこかでお会いできるのを楽しみにしてます。

知人・友人のみなさま(誰が読んでるのかわからんが...):
こんどは虎ノ門(神谷町)です。近所に来たらメールくださいまし。

雑記 - ごあいさつ

Bookcover 戦後短篇小説再発見10 表現の冒険 (講談社文芸文庫) [a]
/ 講談社 / 2002-03-04
小島信夫「馬」がとても面白かった。稲垣足穂「澄江堂河童談義」は飛ばした(あんな話,よう読みません)。

フィクション - 読了:03/25まで (F)

Bookcover 東京トイボックス 1 (モーニングKC) [a]
うめ / 講談社 / 2006-03-23
弱小ゲーム会社を舞台にした青春ストーリー。ありがちな設定だし,ゲームにはまったく関心がないのだが,このマンガはとても面白い。連載時に全部読んでいるのだが,再読に耐える。きっと見せ方がうまいからだろう。
もっとも,舞台(秋葉原)や主人公の絵柄(ショートカット)に惹かれている面もある。中央通りの日通の前をカツカツ渡っていたり,昌平橋の鉄橋下にある雑居ビルの屋上で夜空を眺めたりしているところで,ちょっと胸が熱くなってしまうのである。
Bookcover ラブやん(6) (アフタヌーンKC) [a]
田丸 浩史 / 講談社 / 2006-03-23

Bookcover 鬼堂龍太郎・その生き様 3 (ヤングジャンプコミックス BJ) [a]
田中 圭一 / 集英社 / 2006-03-17
もう涙が出るくらいに下品だ。。。
Bookcover 魁!!クロマティ高校(16) (講談社コミックス) [a]
野中 英次 / 講談社 / 2006-03-17

Bookcover EDEN(14) (アフタヌーンKC) [a]
遠藤 浩輝 / 講談社 / 2006-03-23

コミックス(-2010) - 読了:03/25まで (C)

2006年3月19日 (日)

Bookcover さんさん録 (1) (ACTION COMICS) [a]
こうの 史代 / 双葉社 / 2006-03-11
雨の学校や,迷子になった孫娘が歩く見知らぬ街角など,何気ない描写がとても美しい。この人,また腕を上げているよ。。。
Bookcover BLACK LAGOON 5 (サンデーGXコミックス) [a]
広江 礼威 / 小学館 / 2006-03-17

Bookcover おいピータン!!(8) (ワイドKC Kiss) [a]
伊藤 理佐 / 講談社 / 2006-03-13

コミックス(-2010) - 読了:03/19まで (C)

Bookcover 鏡川 (新潮文庫) [a]
安岡 章太郎 / 新潮社 / 2004-04-24
四冊目。あまり集中して読んでなかったせいで,うまく入り込めないまま終わってしまった。平成12年の作品。
Bookcover プールサイド小景・静物 (新潮文庫) [a]
庄野 潤三 / 新潮社 / 1965-03-01
五冊目。昭和35年までに発表された短編。
 「静物」を読んでようやくわかったのだけれど,この人の小説は気味が悪い。
 「夕べの雲」からもごくかすかな気持ち悪さを感じたのだが,それは物語に対する書き手の時間的・空間的な立場がわからないからで,俺が日本の私小説の仕組みに慣れていないためだろう,などと考えた。しかしここではもはや,全編を不吉さが色濃く覆っている。どこがどう不吉とはいえないが,無害で穏やかな家族の生活が描かれているにも関わらず,なんでもない些末な事柄が強い死の匂いを発しているような気がする。いつか金魚鉢は割れて金魚は死に,子どもは釣り堀でおぼれ死に,全員が悲惨な死を遂げるのではないか,という不安が消えない。うーん,俺がどうかしているのだろうか? うまく言葉に出来ないのがもどかしい。
Bookcover 須賀敦子全集〈第4巻〉遠い朝の本たち、本に読まれて、書評・映画評ほか [a]
須賀 敦子 / 河出書房新社 / 2000-07-10

フィクション - 読了:03/19まで (F)

2006年3月12日 (日)

Bookcover 掘るひと [a]
岩阪 恵子 / 講談社 / 2006-01
たまに本屋で純文学誌を立ち読みして,その独特の匂いに辟易することがあるのだけれど,それにはきっと容れ物の匂いも含まれているのだろう。この本は「新潮」「群像」に発表された短編を集めたものだが,読んでいて「ああ純文学誌に載っていそうだなあ」と思った部分と,素直に面白く感じた部分があった。表題作,「マーマレード作り」,「流しの穴」が良いと思った。

フィクション - 読了:03/12 (F)

Bookcover 麻原彰晃の誕生 (文春新書) [a]
高山 文彦 / 文藝春秋 / 2006-02-20

ノンフィクション(-2010) - 読了:03/12まで (NF)

Bookcover 黒田・三十六計 (6) (SPコミックス―時代劇シリーズ) [a]
平田 弘史 / リイド社 / 2006-03-09
黒田官兵衛が荒木村重に監禁される話。
この一年で学んだことは数多いが,そのひとつは,人には趣味が必要だ,という点である。趣味がそのまま仕事だなんていうのは,よほど幸せなケースなのである。
歴史なんていいかもな。休みの日にはどこぞの寺だかに行って写真とって能書き垂れるわけだ。やれやれ。

コミックス(-2010) - 読了:03/12まで (C)

2006年3月 5日 (日)

Bookcover 雲の墓標 (新潮文庫) [a]
阿川 弘之 / 新潮社 / 1958-07-22
昭和30年代小説シリーズの三冊目。昭和31年の作品。

フィクション - 読了:03/05 (F)

2006年3月 2日 (木)

Bookcover 夕べの雲 (講談社文芸文庫) [a]
庄野 潤三 / 講談社 / 1988-04-04
諸般の事情により,実生活にとって有益なものを読むのはやめにして,これからは小説だけを読むことにしたいと思う。とりあえず,昭和30年代デビューのいわゆる"第三の新人"あたりの作家の本を集中的に読んでみたい。というわけで,その第一弾。
 大変にのんびりした身辺雑記小説。なあんにも起こらない。息子の夏休みの宿題の話だけで数頁使う勢いである。
 今回の発見は,読む場所を選ぶ本というものがあるのだなあ,という点である。帰りの電車でシートに腰を下ろして読んでいる分には大変素晴らしい小説で,なんだか身体の芯から温められるような豊かさ(そして,時制がいまいちはっきりしないというかすかな気味の悪さ)に身を浸すことができる。しかし,つり革にぶら下がって揺れながら読んでいると,もう大変にイライラさせられるのである。あなた要点はなんですか,さっさと述べてください,と。
 周りを見回すと,電車の中で人々が読んでいる本は,司馬遼太郎,池波正太郎,宮部みゆきがベストスリーである。うーん,確かに。満員電車でも楽しく読めそうだ。
 しかし考えてみると,ある物語がちょっとした状況の違いで楽しめたり楽しめなかったりする,というのは妙なものだ。どっちみち電車の中なんだがら,認知的資源に大きな違いがあるわけではない。どういうことだろうか。

Bookcover 笹まくら (新潮文庫) [a]
丸谷 才一 / 新潮社 / 1974-08-01
第二弾,のつもりで買ったのだが,結局は並行して読んでしまった。
 きっと衒学的で長々しくて辛気くさくて旧かなづかいの長編小説だろう,と息を詰めるようにして読み始めたのだが,清新で鮮烈な,超一級のエンターティメントであった。いやあ,本は読んでみないとわからない。
 感心してばかりでも癪に障るのであれこれ考えるわけだが,昭和41年に書かれたこの小説を現代にずらすとすると,主人公にとっての徴兵忌避はなにに置き換えることが出来るだろうか。なにかきっとうまいアイデアがあると思うのだが(そういう普遍的な問題だと思うのだが),思いつかない。

フィクション - 読了:03/02まで (F)

2006年3月 1日 (水)

Bookcover 蟲師 (7) アフタヌーンKC (404) [a]
漆原 友紀 / 講談社 / 2006-02-23

Bookcover インド夫婦茶碗 (7) (ぶんか社コミックス) [a]
流水 りんこ / ぶんか社 / 2006-02-28

コミックス(-2010) - 読了:03/01まで (C)

Bookcover あなたに不利な証拠として (ハヤカワ・ポケット・ミステリ) [a]
ローリー・リン ドラモンド / 早川書房 / 2006-02-08
海外ミステリはしばらく止めておこうと思っていたのだが,帯にエルモア・レナードの推薦文がついているのをみつけたら,やっぱり読まざるを得ない。昨日・今日の行き帰りで読了。
 ルイジアナの市警を舞台にした短編集。とても良い小説だったが,女性警官が主人公だとどうしても「ヒル・ストリート・ブルース」のルーシーを思い浮かべてしまう。声優の声つきで。

フィクション - 読了:03/01まで (F)

 銀河のかなたのナントカ星に住むナントカ星人は,時間をあたかも空間のように捉えている。地球人が山に登って頂上から山脈を見渡すのと同じように,ナントカ星人は好きな時点から時間軸を見渡すことができるのである。このことはナントカ星人が永遠に生きることを意味しているのではない。ナントカ星人の寿命は有限だし,ナントカ星人は平和を愛する種族ではあるものの,悲惨な戦争をいくつも経験している。ナントカ星歴何年になれば,宇宙船のエンジン開発中の事故によって星ごと爆発し滅亡してしまうこともわかっている。しかしナントカ星人は時間を見渡すことができるので,各々が好きな時間を愛し,その時間を味わい続ける。戦乱の時期には互いを殺し続け,滅亡の折りには爆発ボタンを押し続け死に続けるが,彼らはそれには目を向けず,平和で穏やかな時間を楽しみ続ける。
 この話はカート・ヴォネガットの,たしか「スローターハウス5」で登場した物語だと思う。ヴォネガットの小説にはこの種の寓話が唐突にたくさん出現し,正直にいってそのすべてがうまく機能しているとは思えないのだが,このナントカ星(トラルファマドール星だっけ?)のエピソードは,不思議に心に残っている。
 はじめてこの話に接したとき,これは物語の隠喩だ,と思った。物語の読み手は,物語の時間軸を空間のように見渡すことができる。もちろん,物語の一部分を全体から切り離して捉えることはナンセンスだけれども(歴史から特定の事件を切り取ることがナンセンスなのと同じだ),しかしある物語を愛する人は,たいていはそのどこか一部分に特に心惹かれているものであって,物語の構造に対してではない。ちょうどトラルファマドール星人のような立場だ。
 そんな解ったようなことを考えたのはいつ頃だっただろうか? とにかくずいぶん昔の話だ。ものの見方というのは変わるもので,今考えるに,この話は寓話でもなんでもない。

 主観的な時間は客観的な時間と一致しない。たとえば,広くいわれているように,年を取れば一年はより速く過ぎ去るようになる。時間は伸び縮みしさえする。天井を眺めてあっという間に終わる一日もあれば,ほんの数秒がとてつもなく長く引き延ばされることもある。高い橋から転落した青年が,岩に激突するまでの間これまでの人生を振り返るが,死を前にしたその数瞬は限りなく長く感じられ,流れが次第に遅くなってついには止まってしまい,青年は主観的には永遠に空中に浮かび続ける,というような物語を読んだことがある。なるほど,原理的にはあり得ることだと思う。少なくとも,そんなことが起こらないと主張するのは困難だ。
 さらに,我々は常に現実の時間を生きているとは限らない。日常生活は支障なく送りながら,本質的な関心や切迫した感情をどこか過去に置いてきてしまい,今この時を生きることなく死んでいく,ということもあり得る。
 あれこれ考えるに,我々もまた,ある種のトラルファマドール星人にちがいない。
 自分の経験を引き合いに出しても仕方がないが,俺に即していえば,何年か前から突然に,日々が急速に過ぎ去るようになった。顧みるに,何をどうすればいいのかさっぱり解らなくなった頃,「もし早送りボタンがあるのなら押してしまいたい」と痛切に思うようになった頃から,その願い通り,本当に時間が速く流れはじめたように思う。たぶんなにかをどこかに置いてきてしまったのだろう。もはやその速度は,流れる・流されるというより,落ちるという言い方がふさわしい。

 夏の早朝に若い友人が死んだので,その建物を訪ねたら,最上階の腰の高さのガラス窓から身を乗り出した真下に見えるのは,彼女が叩きつけられたコンクリートではなく,その横に立つ木の生い茂る枝々で,それはまるで緑の雲のように見えた。
 もちろんそれはその日の話で,それから枝は何度も葉を落としまた生い茂っただろうが,しかしそれはこちら側の時間のことで,主観的な時間のなかで当人は夏の朝を落下し続け,あの緑の雲に浮かび続けているのではないか,と俺は時々想像する。そのような感傷に意味など無いことは承知の上で,俺は声に出さずにつぶやく。そっちの具合はどう? 大勢の人の心の一部を引きちぎって,ゆっくりと落ちていく気分はどう? もし仰向けに落ちているのなら,そこからあの年の夏の薄青い空が見えるだろうか?
 こっちはもう散々だ。率直に言えば,君のやっていることと大差がない。ここからはなにも見えない。落ちていく,落ちていく,落ちていく,ものすごい速さで。

雑記 - 時間

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