« 読了: Parkin (2004) セックスと食べ物とアーネスト・ディヒター | メイン | 読了: Hahsler & Chelluboina (2011) arulesVizパッケージ »
2013年6月19日 (水)
Sperber, D., & Mercier, H. (2012) Reasoning as a social competence. in Landemore, H., & Elster, J. "Collective wisdom". Cambridge Univ. Press.
集合知についての論文集の一章。こんどの読書会で取り上げられる章なんだけど、予習のつもりでぱらぱらめくり始めたら、変に面白くって最後まで読んでしまった。
えーっと、主旨としては... いわゆるdual process理論を踏襲するんだけど、System1は多様な領域固有メカニズムによって実現され、いっぽうSystem2は単一のモジュールによって実現されていて、それは個人的推論のためっていうより、はなっからコミュニケーションのための機能なのである。というわけで、関連性理論のあとのSperberたちが唱えているargumentative theoryの紹介になる。いわく、reasoningってのはreasonを産出・評価する能力だ。ヒトがそれを獲得したのは、コミュニケーション効率を高めるため、すなわち騙されなかったり騙したりするためだ。という、進化心理学的な、サツバツとしたご意見である。
argumentative theoryを支持する証拠として以下を挙げている。
- 人はargueするのがうまい。説得研究をみよ、被験者はちゃんと論拠の強さに反応するじゃんか。議論の欠陥にはちゃんと気づくじゃんか。深いアナロジーもお手のものじゃんか(Dunbarらを引用)。他の推論課題に比べて発達も早いじゃんか(そうなんですか? へえー)。
- 人はarumentativeな文脈になると推論がうまくなる。ふだん使いづらい三段論法の形式が、議論の文脈では使いこなせる、という研究がある由(Pennington & Hastie, 1993, Cog.)。
- 確証バイアスをみよ、ありゃ要するに議論に勝ちやすくなるバイアスだ。偽だと思っている命題に対してはひとは反例を探すのがうまい(三段論法についてそういうレビューがあるそうだ。Klauer, et al., 2000, Psych. Rev. )。
- ついでにいえば、サンク・コストとか選好逆転といった決定における不合理性も、正当化のための推論によって生じているのだ。
云々、云々。
途中でちょっと混乱したが、それはスペルベル先生のせいではなく私が適応論的な話が苦手だからで、全体には面白かった。かつて著作を必死になって勉強したので、懐かしかったという面もある。(いまブログを調べたら、前に論文を読んだのは2005年、会社勤めを始めたけど仕事がなくて暇つぶしに、だ。川のように時は流れる。ハイホー)
心の理論の話が出てくるかと期待して読み進めていたのだが、結局出てこなかったように思う。どういう関係があるのか知りたかったので、ちょっと残念。先日BBSに論文が出ていたから、あれを読めば早いのかしらん...絶対読まないけど。(いま調べたらそれだって2011年だ。ハイホー)
argumentative theoryという言い回しからは、アリストテレスの「弁論術」とか、西洋修辞学のかびくさい印象を受けてしまうのだけれど、わざわざこういう命名をするのは、なにかの冗談だろうか、それとも(P. リクールのような)レトリック再興という意味合いがあるのだろうか。この論文では、先行する論者として科学哲学のトゥールミンの名前を挙げている。
それにしても、集合知はなぜ生じるか、という問いに対して、そもそも推論というものは社会的能力だ、と答えるのは、答えになっているような、なっていないような。。。お前らの問いの立て方が悪いんだってことなんでしょうね。
論文:心理 - 読了:Sperber & Mercier (2012) そもそもヒトの推論能力は議論に勝つためにあるものなのよ