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2014年12月16日 (火)
朝、本棚を眺めていてしみじみと思うに、私は私が買った本を読み終えることなく死ぬことになるだろう。本を読むより早いペースで本を買っているんだから、そうなって当然である。
残り時間は少ないものと考えるべきだ。「いずれ時間ができたら読もう」なんて言い訳はもうおしまいにして、本当に読みたい本から先に読もう。それが仕事かなにかの役に立つか立たないかなんて、もはやどうでもよいではないか。
というわけで、ながらく本棚に飾ってあった分厚い本に手を付けることにした。いまさら勉強してもしかたがないけど、それを別にしても、純粋な趣味としてでも読んでみたいと思っていた、思い出深い本である。思えば、2000年に出版されたときは高くて手が出せず、経済状態が好転して自分の本棚に置けるようになった頃には、今度は時間がなくなっていたのである。皮肉なものだ。
A.Tverskyの遺した業績と関連研究からなる論文集。全42章、ほとんどの章は公刊済論文の再録という、聳え立つ山脈のようにヘビーな内容である。全部読み通せるとも思えないのだけれど...
Kahneman, D. & Tversky (1984) Choices, values, frames. Kahneman & Tversky (eds) "Choices, values, frames". Chapter 1. Cambridge University Press.
American Psychologistの論文の再録。元論文を読んだはずだが、もちろん覚えていないので、手始めにはちょうど良い。
前半は、リスク下選択における主観価値の話。
意思決定の精神物理学的分析は18cのベルヌーイに遡る。ベルヌーイはすでに、富の増加に際してのリスク回避傾向を主観価値の凹型関数で説明していた[わかりにくいけど、上に凸な関数ってことね]。800ドルの主観価値は1000ドルの主観価値の8割を超えている、だから確実な800ドルは確率80%での1000ドルよりも主観価値が大きい... という説明である。
決定の伝統的な分析では決定の帰結を富の全体の観点から考えるが、実際には人は富の変化に注目する。というわけで我々はプロスペクト理論を提案しました(1979)。ポイントは、(1)富の全体ではなく利得と損失を考えること、(2)利得については凹型、損失においては凸型の関数であること、(3)利得のほうで傾きが大きいこと(損失回避)、である。これまでに指摘されてきた、損失におけるリスク志向性もこの理論で説明できる。
決定の規範的理論の分野ではノイマン-モルゲンシュタインの公理というのがある。たとえば遷移公理とか、代替公理とか[もしAよりBが選好されていたら、「5割の確率でAかC」より「5割の確率でBかC」が選好される]。ただし代替公理は規範理論のなかでも批判が多い。しかし、優越性(dominance)の原理と不変性(invariance)の原理は合理的選択のあらゆる分析の前提となっている。オーケー、ここからは、実際の決定が優越性の原理や不変性の原理を充たしていないことを示しましょう。
その1、フレーミング。
わしらの1981年の研究では[...アジア病問題の紹介...]。ごらんのように、記述のしかたによって選好順序が変わってしまう。不変性の原理が満たされていない。
さらに[... くじ課題の紹介。利得だか損失だかの状況下で不確実選択肢と確実選択肢を示す奴ね ...]。ごらんのように、優越性の原理も満たされていない。
選択が不変性を充たすようにするための方法は二つある。(1)どんな問題でも同じカノニカルな表現に変換してしまう。でもそんなの無理でしょう? (2)どんな選択肢でもその結果を心理的な結果じゃなくて保険統計的(actuarial)な結果に変換してしまう。これも生命の話でないかぎり難しい。
その2、確率の精神物理学的特性。直感的にいって、主観確率pが0の近辺では、その決定上のウェイト \pi(p) は大きめになり、ほかの範囲では小さめになると思われる。この結果、次の問題ではAの選択率は74%だが:
「2ステージのゲームです。最初のステージで75%の確率で終了、25%の確率で次に進めます。第2ステージでどちらを選びますか: (A)確実に30ドルもらえる (B)80%の確率で45ドルもらえる」
次の問題では42%になる:
「どちらを選びますか: (A)25%の確率で30ドルもらえる (B)20%の確率で45ドルもらえる」
これは確率のフレーミング、そしてウェイトの非線形性のせいである。我々はこれを疑似確実性効果と呼んでいる(前者の選択肢Aが確実であるかのように捉えられているから)。
別の例。「保険料は半額、そのかわり奇数日の地震のみ補償」というような確率的保険は好まれない。この例は次の点で重要である。(1)期待効用理論では説明できない。(2)多くの防止的な行為は確率的保険の形をとっている(泥棒の警報システムとか)。(3)保険の受容可能性をcontingenciesのフレーミングで操作できる。たとえば「病人の半分に効くワクチン」より「ウィルスの半分に効くワクチン」のほうが好まれる。
視点を変えて、フレーミングをどうコントロールするかを考えよう。アジア病問題では「助かる」や「亡くなる」というワーディングでフレームが形成された。別の研究では、手術と放射線治療との選択が治療の結果を生存率で占めすか死亡率で示すかで変わってくることが示されている。ほかに、「クレジットカード割増」じゃなくて「現金割引」っていうとか。こういうコントロールは現実場面で広く行われている。
選択肢の評価という文脈だと、人は異なる形式の等価なメッセージを自動的に同一の表象へと変換することができないわけだ。他の文脈なら簡単なのにね[←Clark&Clarkの言語理解の教科書が挙げられている。現在の研究者はこの点についてももっと悲観的でしょうね]。
後半は取引(transactions and trades)の話。選択肢の属性が複数になる。
心的会計についての我々の研究はThalerに多くを負っている[リチャード・セイラー、いまじゃ行動経済学のえらい人だ]。次に挙げるのはSavege(1954)やThalerが取り上げた問題。
「あなたは125ドルのジャケットと15ドルの計算機を買おうとしています。計算機の販売員いわく、20分走ったところにある別の支店でこの計算機が10ドルで売ってますよ。さて、その支店に行きますか?」
フレーミングの仕方が3つある。(1)minimal account: 別の支店に行けば5ドルの利得だ。(2)topical account: 別の支店に行けば計算機が15ドルから10ドルに下がる。(3)comprehensive account: 別の支店に行けば(たとえば)月の支出額が節約できる。
さてここで、topical accountが、知覚でいうところの「良い形」、認知でいうところの基礎レベルカテゴリのように、決定をフレーミングする役割を果たす。つまり、5ドルの節約はジャケットとは無関係に計算機の価格との関連で捉えられる。その証拠に、この問題では68%が支店に行くと答えるが、価格を入れ替えて計算機の価格を125ドルにすると、5ドルのために支店に行く人は29%になる。
他の例を挙げると[... 劇場で購入済みのチケットを失くしたことに気が付いた場合と、チケット購入前に金を落としたことに気が付いた場合の比較...]。
[このくだり、ちょっと面白いので逐語訳]
規範理論において心的会計の効果が占める地位についてははっきりしない(questionable)。公衆衛生問題のようなこれまでの例では、問題のバージョンの間の違いはその形式のみであった。それらとは異なり、計算機問題やチケット問題のバージョンの違いは内容に及んでいる。特に、15ドルの買い物における5ドルの節約はもっと大きな買い物における5ドルの節約より喜ばしいだろうし、[10ドルの]同じチケットを2度買うのは10ドルなくすよりも嫌なものだろう。後悔、フラストレーション、自己満足もまたフレーミングに影響しうる。もしこうした二次的結果を正当なものとみなすならば、ここで観察されている選好は不変性の規準を破っていないことになり、不整合や誤りとして簡単に排除するわけにはいかなくなる。[なるほどね...]
いっぽう、二次的な結果はよく考えれば変化するかもしれない。15ドルの品物で5ドル節約できたという満足は、200ドルの買い物で10ドル節約するために自分は同じ努力はしないだろうなあと気づけば弱められてしまうかもしれない。
我々は、一次的結果が同じである2つの決定問題は常に同一のやり方で解決されるべきだと推奨するつもりはない。しかし我々は、異なるフレーミングについての体系的な検討によって有益な内省装置が得られるということ、それを用いて意思決定者は自分の決定の一次的・二次的結果の価値を適切に評価できる、と提案したい。
次に、Thaler(1980)の「授かり効果」(endowment effect)の話[...略]。一般に損失回避は安定を支持し、後悔・妬みに対する防衛を提供する(他の人の授かりものや過ぎ去った選択肢の魅力は減衰するから)。
通常の経済交換では、出ていくお金は損失ではなくコスト、入ってくるお金は利得ではなく収入とみなされるから、損失回避や授かり効果は生じにくい。しかし出ていくお金がコストとしても損失としてもフレーミングされうる状況がある。
例, 「確実に50ドル失うのと25%の確率で200ドル失うのとを選べ」。ギャンブルだとみなすと80%が後者を選ぶが、前者を保険だと捉えると35%に減る[Slovic, Fishhoff, Lichtenstein, 1982 in Hogarth(ed.)]。
このように、ネガティブな結果は損失ではなくコストだと捉えると主観的状態が改善される。dead lossの現象もこれで説明できる。
おわりに。
効用・価値という概念は2つの意味で用いられている: (1)経験された価値, (2)決定における価値。この2つは決定理論では区別されない。理想化された決定者は将来の経験を完璧に予測できるからだ。
これに対し、ヘドニックな経験と客観状態との精神物理学的関連性についての体系的検討は少ない。参照点はふつう現状維持だが、期待や社会的比較に影響されることもあるので、客観的改善が損失として経験されたりすることさえ起きる。云々。さらに、決定と経験におけるフレーミング効果と不変性の違反が事態をややこしくする。云々。
私の思い込みかもしれないけど、この頃のTversky-Kahnemanの論文は、同時代の認知科学と比べてもどことなくオールドファッションな雰囲気が漂っていて、ちょっと楽しい。たとえばプロスペクト理論にしても、主観確率の非線形性にしても、「なぜそうなっているのか」は問われず、「心理量と物理量はきっとこういう関係にあるにちがいない」というところからスタートする。著者らが実際に頻繁に使っている言葉だが、精神物理学(psychophysics)と呼ぶにふさわしいアプローチである。そういうところが、なんというか、風雅な味わいがあるなあと思う次第である。おそらく、意思決定の分野には強力な規範理論が先行して存在し、認知プロセスの探求それ自体よりもまずは規範理論との対決のほうに意識が向いていたから、こういうことになるのであろう。
論文:心理 - 読了:Kahheman & Tversky (1984) 選択、価値、フレーム