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2017年8月27日 (日)
Koltlo-Rivera, M.E. (2006) Rediscovering the later version of Maslow's Hierarchy of Needs: Self-Transcendence and Opportunities for Theory, Research, and Unification. Review of General Psychology, 10(4), 302-307.
調べ物のついでにざっと読んだ奴。掲載誌については全く知らないのだが、いちおうAPAの出版物でもあるし、そんなに変なものではないはずだ、と思って。(ciniiによれば所蔵館3館...)
かの有名なマズローの欲求階層説は世間でなにかと誤解されておるので、マズローの晩年の著作に基づいて無知迷妄を正します、という論文である。なお、マズロー理論の実証性とかその批判的評価とか他理論との比較とか改訂とか、そういうのはこの論文の目的じゃないのでよろしくね、とのこと。
時系列で辿ると、マズロー先生の1943年, 1954年の著作では、よく知られているように欲求階層は5階層だった(生理学的, 安全, 所属と愛, 自尊, 自己実現)。50年代末からマズローはpeak experiencesに関心を持つようになり(美的経験とか神秘的経験とか)、そこに関わる認知的活動を"Being-cognition"と呼んだ。ただし、これと自己実現との関係についてはよくわからんと述べていた。で、いろいろ考えた末 [ここ、逸話的な話が続くので中略]、マズローは階層の最上位に自己超越 self-transcendenceというのを付け加えるようになった。
なお、自己実現と自己超越は異なるもので、どっちかだけを経験することがありうる。また、自己超越を経験するということと、人生において自己超越の欲求が優越的になるということとはまた別の問題。
これまでのマズロー理解において自己超越という概念が無視されてきたのはなぜか。マズローがメジャーな著作できちんと説明する前に死んじゃったから、自己超越という概念が当時の心理学にとって受け入れがたいものだったから、そもそもマズローの動機づけ理論自体に問題があったから(それは厳密な意味での階層モデルではない)... といった理由が考えられる由。
では、自己超越が追加された欲求階層説にはどういういいことがあるのか。
- 人生の目的という概念についての研究に貢献する。人生の意味とか目的というのは我々の世界観の一部を構成しているわけだけど、マズローの欲求階層はそれらの概念を組織化する枠組みを提供してくれる。自己超越という階層が追加されたことで枠組みがよりリッチになった。
- 利他的行動と社会的進歩とか知恵とかについての動機づけ上の基盤を提供する。社会学者Starkいわく、一神教は社会的進歩や科学の進歩の駆動力となった。これは自己超越に重心を置く動機づけ的立場と関係があるかも... さらにStanbergいうところの知能のバランス理論は自己超越という概念を含んでいて.. [申し訳ないけど関心なくなってきたので中略]
- 自爆テロみたいな宗教的暴力を理解するために自己超越という概念が有用。
- マズローの階層に自己超越という段階を含めることで、宗教・スピリチュアリティとパーソナリティ心理学・社会心理学との橋渡しができる。
- 自己超越は文化を構成する共通要素のひとつだ。伝統的ヒンズー文化とかを見よ。また、個人主義-集団主義という次元は自己実現と自己超越を動機づけ理論に含めることで概念化しやすくなる。
云々。
うーん...
あらゆる理論的枠組みが直接に実証可能であるべきだとは思わない。だけど、2つの理論的枠組みを比べたとき、「こっちのほうが枠組みがリッチだから、きっと現象理解もリッチになるにちがいない」と主張するのは、果たしてアリなのだろうか? 仮にそうならば、理論は際限なくリッチになっていきませんか? どうもよくわからない。
まあいいや、次にいこう、次に!
論文:心理 - 読了:Koltlo-Rivera(2006) マズローの欲求階層説の6個目の階層、それは自己超越だ