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2017年9月21日 (木)

Axley, S.R. (1984) Managerial and Organizational Communication in Terms of the Conduit Metaphor. The Academy of Management Review, 9(3), 428-437.
 経営・組織研究におけるReddyの導管メタファ説の意義を語る、意見論文というかエッセイというか。
 良く引用されているので気になっていた文献。このたび発表準備のついでに読んでみた(現実逃避ともいう)。あいにくPDFが手に入らなかったので、JSTORの無料レンタルで、ディスプレイ上で...

 まず、人間とはシンボルを使う動物だ、というような能書きがあって...それこそアリストテレスから始まって、古今東西の学者の名前がてんこ盛り。こういう書き出しがお好きな方って、いらっしゃいますよね...

 人間の行動と思考はメタファによって組織化されている... [という説明が半頁]
 Reddy(1979)いわく、こうしたメタファの分析は言語そのものに適用できる。コミュニケーションについての英語の表現の多くは、(1)言語は人から人へと思考・感覚を運搬するものだ、(2)話し手・書き手は語に思考・感覚を挿入する、(3)語は思考・感覚を含む、(4)聞き手読み手は思考・感覚を語から抽出する、という想定を比喩的に表現している。Reddyはこれを導管メタファ(conduit metaphor)と呼んだ。[英語表現の例を使った説明が1頁]

 いっぽうコミュニケーション研究者はコミュニケーションについて異なる見方をしている。たとえばRedding(1972, 書籍)をみよ。
 コミュニケーションにおいて生じるのは意味の運搬ではなく意味の創造だ。[ここでまたぐだぐだと...] 聞き手がどんなメッセージを見出すかはわからない。そして問題となるのは聞き手が見出したメッセージだ。[ここでまた延々と...] コミュニケーションにはある程度の冗長性が必要だ。伝言を繰り返すとメッセージはどんどん変わる(serial communication effect)。

 多くの教科書における組織的・経営的コミュニケーションについての説明は導管メタファと整合している。このように、組織において、導管メタファに由来する「コミュニケーションなんて努力しなくても大丈夫」仮定が広がっている。
 その結果、以下の事態が生じるのではないか。(1)組織内のコミュニケータが自分のコミュニケーション効率性を過大視してしまう。(2)マネージャーがコミュニケーションの冗長性を嫌い、努力を怠る。(3)ミスコミュニケーションの危険が見過ごされる。(4)組織内教育においてコミュニケーションのスキルと行動が軽視される。 

 今後の研究の方向:(1)上で指摘した可能性の実証。(2)ある人が導管メタファにどのくらいコミットしているかを評価する手段の開発。(3)導管メタファへのコミット度と他の変数との関連性についての検討。他の変数としては、コミュニケーションの効率性, 努力の程度, 冗長性が必要だという要求, フィードバックへの努力, 冗長性の程度, 組織内の諸問題がコミュニケーションの問題だと捉えられる程度、が挙げられるだろう。
 云々。

 ... いやはや、文章が大変くどく、言い回しが妙に文学的で辟易した。昔の学者さんだなあという感じ。ディスプレイ上で読んでいたせいもあって(言い訳)、あんまりきちんと読んでない。
 いい点を探すと、「ある人が導管メタファに毒されている程度を測定しようぜ」というのは面白いなあと思った。もともと導管メタファというのは社会文化のレベルの話であって、個人差があるというような話ではないと思うのだけれど、さすが、視点が組織研究っぽい。

論文:心理 - 読了:Axley (1984) 経営・組織研究者よ、導管メタファに注目せよ

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