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2005年12月30日 (金)

 企業がブログで情報発信する例はもうごまんとあるけれど(ビジネスブログっていうんですか? うわあ,生きているうちにこんなトレンディな言葉を使うことになるとは思わなんだ),その内容の質を確保するためには,ふつうどういう工夫がされているのだろうか?
 誤字脱字もチェックしないといけないだろうし,あまりにくだらない内容だったら誰かがストップしないといけないだろう。場合によってはほかの部署との摺り合わせだって必要になるかもしれない。個人のブログのように,ちょっと携帯で書き込んじゃおう,というわけにはいかないはずだ。
 かといって,すべからく上司のチェックを通すべし,会議に掛けるべし,なんてシステムをつくってしまうと,たちまち内容がつまらなくなることは目に見えている。このあいだノートPCを新調したのだが,そのメーカのブログといったら,いったい誰が読むんだか見当もつかないくらいにつまらない。

 などと柄にもない疑問を抱いたのは,仕事納めの日,時間のかかる計算を走らせていて(大きなポリコリック相関行列を速く算出する方法はないものだろうか),ぼんやり某社のwebページを眺めていたら,そこに掲載されている「当社研究員のブログ」というような意味合いの頁が,もうほんとに,泣きたくなるほどひどい代物であったからである。誤字脱字が多い,テニオハがおかしいどころの騒ぎではない。その内容たるや,(1)意味不明,(2)当たり前,(3)愚にもつかない,(4)雑談,の4種類しかない。仮にも研究所と名乗る部署が,2ちゃんねる用語を乱発するのもどうかと思う。要するに,目を覆う惨状である。賭けてもいい,あれでは商売にマイナスだ。
 個人経営の小企業ではない。おそらく社内的なチェックが効かない状況にあるのだろう。いったいどう間違えればああいう事態になるのか。

 こうやって考えていくと,結局は組織論に行き着いてしまうのだけれど,「Q. ビジネスブログの質を保つには?」という疑問に対して「A. 風通しの良い組織とまともな書き手が必要です」という答えでは身も蓋もない。なにか小手先の解決技術がありそうなものだ。

雑記 - ビジネスブログの悲劇

Bookcover ヨーロッパ中世の宇宙観 (講談社学術文庫 (999)) [a]
阿部 謹也 / 講談社 / 1991-11
論文・講演集。軽めの内容なんだけど,数頁めくるたびにあれこれ考えてしまって,なかなか前に進めなかった。

ノンフィクション(-2010) - 読了:12/30まで (NF)

Bookcover 無頼の掟 (文春文庫) [a]
ジェイムズ・カルロス・ブレイク / 文藝春秋 / 2005-01
仕事納めの帰りの電車で一気読み。20年代のルイジアナを舞台にした犯罪活劇。敵役の鬼刑事は片手がペンチだったりして(どうやって動かしておるのかね),なかなか面白い。

フィクション - 読了:12/30まで (F)

2005年12月26日 (月)

Bookcover ラッセルのパラドクス―世界を読み換える哲学 (岩波新書 新赤版 (975)) [a]
三浦 俊彦 / 岩波書店 / 2005-10-20
昨夜の風呂でほぼ読了。そうやって気楽に読んでる分には楽しいが(なんというか,分析哲学の本には巧まざるユーモアのようなものを感じることが多い),頁を閉じて真面目に考えてみると,なんだかよくわからなくなる。
 特に,センスデータをめぐる議論にはもう全くついて行けない。心理学出身の人は皆そうなるんじゃないかと思うのだが,うーん,どうなんだろう。

ノンフィクション(-2010) - 読了:12/26 (NF)

Bookcover 失踪当時の服装は (創元推理文庫 152-1) [a]
ヒラリー・ウォー / 東京創元社 / 1960-11
帰りの電車で読むはずの論文を早く読み終えてしまったので,かわりに読んだ。警察小説。とても古くさい内容で拍子抜けしたが,前に読んで感心した「この町の誰かが」は82年発表,こっちは52年発表だから,比べるのには無理がある。

フィクション - 読了:12/26 (F)

Curran, P.J., and Bollen, K.A. The best of both worlds: Combining autoregressive and latent curve models. in Collins, L.M. and Sayer, A. (eds.) New methods for the analysis of change (pp.107-135). APA.
 「Collins&Sayerひとり読書会」第三弾。
 LGMに一次の自己回帰を組み込むという話。二変量LGMで成長因子間に相関があることがわかっても、どっちの変量が原因側かはわからないが、クロスラグ(なんて訳すのだろうか)を調べればそれがわかる。云々。
 成長因子間の相関とクロスラグの両方をモデルに入れても、識別可能なモデルは組めるらしい。ふうん、そういうものか。
 NLSYデータで実演してくれているのがありがたい(綺麗な分析例とはお世辞にもいえないんだけど、そこがまた良い)。これは役に立ちそうだ。プログラム例があればもっと助かるんだけどな。

論文:データ解析(-2014) - 読了:12/26 (A)

2005年12月25日 (日)

 夢のなかで誰かと会話しているとき,相手が云おうとしている事柄を,相手の言葉なしに直接に理解しているように感じることがある。「今日は寒いね」という台詞があったとして,相手のその台詞を聞き取ったわけでもないのに,相手が口を開いて俺に<今日は寒いね>と話しかけたのだとわかる,というような感覚である。脚本のあらすじだけを読んでいるような感覚だといってもいい。
 知覚経験が明確さを欠いているというのは夢の一般的な特徴かもしれない。夢の中で起きる奇妙な出来事はすぐに思い出せなくなってしまうのに,それによって引き起こされた感情は,異常なまでに深く純粋で,目覚めてからも長く胸に残るような気がする。

 このあいだみた夢の中で,俺は巨大なプレス機に挟まれ,ゆっくりと潰されて死ななければならなかった。
 俺は両手を水平にした姿勢で,鉄パイプを結んで作った十字架に括り付けられている。身体の正面,足を蹴り出せば届きそうなところに,黒い金属の長方形の平面があり,後方にも同様の金属面がある。まもなくそれらはゆっくりゆっくりと間隔を狭め,俺の身体の首から腰までを挟み込み,骨を砕いて内臓を押しつぶす予定である。それはなにかの刑罰か,ないし運命のようなもので,とにかく俺はそこから逃れることができない。死を目の前にして,俺は不思議に冷静で,むしろ一種の安堵さえ感じている。
 俺の横には男がいて,俺を殺すその装置について俺に説明している。<この装置は2号機だ>という意味のことを男が俺に云ったのがわかる。<先に開発された1号機は,頭から足先までの全身を挟み込むものだった。押しつぶされる人々が大変な恐怖を訴えるので,人道的な観点から改良されたものがこの2号機だ>なるほどなあ,と俺は感心する。ゆっくりと視野が闇に覆われ,ぎりぎりと頭の骨が締め付けられついには砕き潰されるという恐怖に比べたら,折れた肋骨が肺に刺さる苦痛くらい,どうということはないかもしれない。
 さらに男は,プレス機に挟まれる際に守るべき事柄について俺に説明する。長年の経験の蓄積により,死に至るまで一切の苦痛を感じずに済む方法が見つかっているのである。男はそれを「呪文」と呼んでいたが,それは文字通りに呪文だったような気もするし,なにかの特別な呼吸法と自己暗示を組み合わせたような方法を,その簡単さ故に呪文と呼んでいるだけだったような気もする。
 男は俺に簡単な訓練を施し,その方法を身につけさせる。なるほど,この方法に従えば,全身の骨をゆっくりと砕かれている間も痛みを感じることはないだろう,と俺は納得する。
 男は去り,プレス機がゆっくりと動き始める。俺は全身を温水に浸しているような安堵感を感じている。もう悩んだり,苦しんだりすることはない。ありとあらゆる問題がいま解決するのだ。ようやくこの時が来た。
 徐々に近づいてくる黒い金属面をなかば恍惚と見つめながら,しかし俺は,いま自分は十字架に括り付けられているのではなく,仰向けに横たわっているのだということに気付きはじめている。もう視線をそらすことはできない。ふとした動作のせいでこの夢が覚めてしまうのがたまらなく怖いのだ。
 最後の瞬間,男が俺に<忘れるな>と云う。<その呪文を忘れるな。それが必要となる時が必ず来る。苦痛から逃れることだけが望みとなる時が来る。忘れるな>
 しかし目覚めてすぐに,その呪文は思い出せなくなってしまった。

雑記 - 呪文

2005年12月24日 (土)

McArdle, J.J. and Hamagami, F. (2001) Latent difference score structural models for linear dynamic analyses with imcomplete longitudinal data. in Collins, L.M. and Sayer, A. (eds.) New methods for the analysis of change (pp.139-175). APA.
 「Collins&Sayerひとり読書会」第一弾。通勤電車と昼休みと勤務時間だけで一冊読み終えようというのがポイントである。
 latent difference score analysisの紹介。基本的なアイデアは: T時点の個人成長曲線 Y_0, Y_1, ..., Y_Tについて、それはその裏にある潜在曲線 y_0, y_1, ..., y_Tにホワイトノイズが乗ったものだ、と考える。で、このy_tについてのモデルを考えるんじゃなくて、さらに「隣り合う2時点間の差」を表す潜在変数Δy_1, Δy_2, ..., Δy_Tを考える。y_tにはy_{t-1}からのパスとΔy_tからのパスが刺さるわけだ。このΔy_tについてモデルを組む。要するに、普通のLGMより層がひとつ増えているような感じだ。ふうん。
NLSYデータを使った分析例が載っていたが(プログラム例はなし)、そこは飛ばして読了。そのせいか、この手法のメリットがまだよく理解できていないのだが、まあいいや、あとで考えよう。

Graham, J.W., Taylor, B.J., and Cumsille, P.E. (2001) Planned missing-data designs in analysis of change. in Collins, L.M. and Sayer, A. (eds.) New methods for the analysis of change (pp.335-353). APA.
 「Collins&Sayerひとり読書会」第二弾。
 不完全データの話ってどうにも関心が持てない(新手法のおかげで新発見できるわけじゃないからだろうな)。この章は優先順位が低かったのだが、missing by designつきの時系列データをどう扱うのか調べる必要があって、急遽繰り上げて読んだ。
 想像とは異なり、どういうデザインならパワーが落ちないかをシミュレーションしましたという話であった。分析手法はAllison(1987)とMuthen et al.(1987,Psychometrika)に従った由。Psychometrikaの論文なんて読みたくないよ。。。

論文:データ解析(-2014) - 読了:12/24まで (A)

Bookcover ビー・クール (小学館文庫) [a]
エルモア・レナード / 小学館 / 2005-08-05

Bookcover 11の物語 (ハヤカワ・ミステリ文庫) [a]
パトリシア ハイスミス / 早川書房 / 2005-12-08

フィクション - 読了:12/24まで (F)

Bookcover 西武事件 「堤家」支配と日本社会 [a]
吉野 源太郎 / 日本経済新聞社 / 2005-05-22
とても強い既読感があるのだが,なぜだろう。雑誌連載時に読んでいたのだろうか?
Bookcover 定刻発車―日本の鉄道はなぜ世界で最も正確なのか? (新潮文庫) [a]
三戸 祐子 / 新潮社 / 2005-04-24
「フジタ未来経営賞受賞」。そんな時代もあったなあ,とためしに検索してみたら,この賞自体はまだ続いているらしい。へー。
Bookcover 丸山眞男の時代―大学・知識人・ジャーナリズム (中公新書) [a]
竹内 洋 / 中央公論新社 / 2005-11
丸山真男についての知識社会学的検討。面白くないわけがない,という内容である。この著者の前書(「日本の近代 vol.12」)に,丸山と吉本隆明の話がいささか不自然なくらいに長く取り上げられていて,不思議に思っていたのだが,こういう本を書くつもりだったのか。

ノンフィクション(-2010) - 読了:12/24まで (NF)

Bookcover GUNSLINGER GIRL 6 [a]
相田 裕 / 角川HD(アスキー・メディアワークス) / 2005-12-17

Bookcover OL進化論(24) (ワイドKC モーニング) [a]
秋月 りす / 講談社 / 2005-12-21

Bookcover 漫画家超残酷物語 (ビッグコミックススペシャル) [a]
唐沢 なをき / 小学館 / 2005-11

Bookcover 新吼えろペン 3 (サンデーGXコミックス) [a]
島本 和彦 / 小学館 / 2005-12-19

Bookcover 怪力の母 1 (SPコミックス) [a]
平田 弘史 / リイド社 / 2005-12-16

Bookcover 無名の人々異色列伝 [a]
平田 弘史 / 青林工芸舎 / 2005-12

Bookcover コーヒーもう一杯(1) (ビームコミックス) [a]
山川 直人 / エンターブレイン / 2005-05-25
予想外に面白かった。

コミックス(-2010) - 読了:12/24まで (C)

2005年12月12日 (月)

 周知の通り,現実はきわめて散文的である。そこには落ちもクライマックスもカタルシスもない。現実はドラマツルギーの基本を徹底的に無視している。葛藤はいつのまにかなし崩しになってしまうし,矛盾は止揚されないままどこかに消えてしまう。純粋な怒りも純粋な悲しみも存在しない。プラットホームで目を見つめ手を取り合って別れを惜しみ,発車のベルが鳴るなか悲しみをこらえて車窓越しに精一杯の笑顔を見せていると,「列車の不調により発車が5分遅れます」とアナウンスが流れる,とか。いまどうしているだろうかと懐かしく思い出す人に,いざばったりと会ってみると特に話すことがない,とか。

 しばらく前の中国の映画に「青春祭」というのがあった。あれを観たのは建て替え前の池袋文芸座だっただろうか。
 舞台は文革期の中国,下放青年を題材にした映画だ。都会の女子学生が高い理想を胸に農村へと向かうのだが,列車とバスと荷車に何日も揺られた末にたどり着いたその行き先が,雲南の少数民族の村だ,というのが面白い設定だった。これが極貧の寒村だと「子どもたちの王様」になるし,牧畜で暮らす未開の荒野なら「シュウシュウの季節」になるところで,どちらにしてもあまり救いがないが,この映画の場合,なにしろ気候は亜熱帯なので,なんだかのどかなのである。食べ物はあるし,郵便も届くし。
 主人公の娘は次第に村の生活にも慣れ,秋祭りでは地元の若者とちょっといい感じになったりするんだけど,唐突に文革は終わり,下放青年たちは都会に戻り始める。
 ラストシーン,いきなり時間が数年後に飛ぶ。原色のスーツを着た,もう別人のように都会的な装いの主人公が,黒い泥におおわれた広大な斜面を前に立ちつくし,涙を滂沱と流している。かつて青春の一時期を過ごしたその村を訪ねてみたら,村と村人たちは超巨大な地滑りに飲み込まれ,きれいさっぱり無くなってしまっていたのだ。
 もう涙無くしては観られない,素晴らしい名場面だ。ここで,地滑りが起こらなかった場合について想像してみよう。村はそのときこそ消滅する。さわやかな好青年は不幸な結婚によって意地汚くなっているかもしれない。友人たちに再会しても話すことが見つからないかもしれない。村の老人たちもいま接してみると案外冷たいものかもしれない。当時を思い出すよすがを探し,記憶と現実とを重ね合わせてみたりした末,やや気まずい思いを抱きつつ帰路につくのが関の山だ。その点,地滑りは素晴らしい。あの村も,あの青春の日々も,泥の中にまるごと永久保存されたのである。もう届かないところにあって,それはいつまでも輝きを失わない。こんな甘い涙があるだろうか。
 これが映画だ。現実に一番欠けている要素がここにある。

 朝の通勤電車の窓から大学の建物がみえる。その大学は俺がずいぶん長いこと通った場所だ。ふつう大学というものは4年で卒業するものだが,諸般の事情により俺はその何倍ものあいだその大学に籍を置いた。諸般の事情とはすなわち,職業的な研究者になるつもりだったということなのだが,別の諸般の事情により,その期間を寝て過ごしたのとあまり変わらないような結果となった。とはいえ,野心・努力・希望・絶望などなど,俺の人生のハイライトシーンがその期間にすっぽりと収まっている。どんなつまらない人生にもハイライトシーンがもれなく存在するとすればの話だが。
 ニュータウンのはずれを走る列車がスピードをあげ,短いトンネルを抜けると,窓の向こうにゆるやかな丘が広がる。木々に覆われた丘の上に茶色の建物群があって,緑に半ば埋もれているように見える。徐々に近づいてくると,高い階の青い窓ガラスが朝日を反射して白く光る。
 列車は丘を回り込むようにして減速する。アスファルトが斜面に灰色の曲線を描いている。その横には小さな神社があった。その裏に小さな池があって,その脇の細い坂道が図書館に通じていた。
 図書館の灰色の壁面が,木々のあいまにちらりと見える。それに連なる校舎群の濃い茶色い屋根が見える。駅に滑り込む直前,キャンパスの端にある塔がみえる。その下には銀杏の並木があり,秋には一面の落ち葉を踏んで歩いた。その向こう側の建物には実験室があった。実験室の窓からは薄い色の広い空だけが見えた。
 ドアが開いて閉じる。列車が再び動き出すと,立体駐車場の側面が視界を覆う。しばらくして再び視界が開けると,列車は高架を走っており,眼下にはベージュ色の小さな住宅がひしめくようにして並んでいる。丘はもう見えない。
 俺はシートに身体を預け,口を半開きにしてぼんやりと眺めている。痛みはない。全くない。目を閉じて思うのは,一面に広がる黒い泥の斜面のことだ。あの丘のなだらかさから考えて,地滑りは起こりそうにない。
 このように,現実とはきわめて散文的なものだ。

雑記 - 現実について話をしよう

2005年12月 6日 (火)

Nagin, D.S. (2002) Overview of a semi-parametric, group-based approach for analyzing trajectories of development. Proceedings of Statistics Canada Symposium 2002: Modelling survey data for social and economic research.
Webで拾った。論文でさえないのだけれど,せっかく目を通したので。

Ferrer, E. and Nesselroade, J.R. (2003) Modeling Affective Processes in Dyadic Relations via Dynamic Factor Analysis. Emotion, 3(4), 344-360.
 ネットで拾った。動的因子分析を使いましたという主旨の論文。ということは,感情研究方面でもそんなにポピュラーな手法じゃないってことだろうか。
 対象は夫婦1組,データは二人が半年にわたって毎晩回答した気分評定。ポジ感情とネガ感情の因子がある(2人×2因子で4本の時系列曲線があるようなものだ)。ラグ付きの構造があると考えて,(1)ラグ2まで考えれば十分ということを示す。(2)モデルを比較したところ,前日までの旦那の気分が女房に影響するというモデルの適合度が良い。(3)交差妥当化の真似事のようなことをして確認。
 SEMのモデル比較が決め手になっている研究を見ると,なんだかキツネにつままれたような気がしてしまう。どうせ俺が不勉強なだけなんだろうけどさ。
 時系列変化が非定常な場合には別の手法を使えとのこと。ちょっとがっくりだけど,読むべき文献がわかったので良しとしよう。

 block-toeplitz行列をつくる方法がわからなくて困る。豊田本(「応用編」)はSAS/IMLをつかっているので駄目。未確認だがWood&Brown(1994PB)もそうらしい(semnetのログに、Woodさんの「欲しけりゃやるよ」という投稿があった)。MATLABにもtoeplitzという関数があるようだが、やはり処理系がない。こないだ読んだHershbergerはFortranのプログラムを書いた由であった。このFerrerさんもavailable upon requestだと書いている。

論文:データ解析(-2014) - 読了:12/6まで

2005年12月 5日 (月)

 先日,中山素平が亡くなった。99歳。世情にからきし疎いもので,ああ昔の銀行の偉い人ね,という程度の知識しかないのだが,いくつか目にした追悼記事のなかで,今週号の日経ビジネス誌に載ったものが出色の内容だった。書いたのは日経BPのスター記者で,いま外務副報道官の谷口智彦という人。
 たった3頁だが,いくつかの生々しいエピソードで人物像をさっと浮き彫りにした上で,故人が果たした役割とその時代のありかたを簡潔に示している。ネガティブな部分に触れるくだりでは筆を抑えている様子があるけれど,主旨はよく伝わってくる。追悼記事というよりも短い評伝と呼びたくなるような文章で,へーこうやって書くんだなあ,と感心した。

 うーん,立派な人の仕事に感心してばかり,気楽な人生だ。

雑記 - 追悼文の書き方

2005年12月 4日 (日)

Bookcover まほおつかいミミッチ 2 (IKKI COMICS) [a]
松田 洋子 / 小学館 / 2005-09-30

コミックス(-2010) - 読了:12/04まで (C)

Bookcover 人格障害をめぐる冒険 [a]
大泉 実成 / 草思社 / 2005-11
エッセイ。別に読まなくてもよかった。
Bookcover 新しき日本のかたち [a]
加藤 紘一 / ダイヤモンド社 / 2005-11-18
鬼面人を驚かすような主張もなく,平凡なくらいにまともな内容で,今やかえって価値があると思った。
Bookcover 津山三十人殺し―日本犯罪史上空前の惨劇 (新潮文庫) [a]
筑波 昭 / 新潮社 / 2005-10

ノンフィクション(-2010) - 読了:12/04まで (NF)

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