2012年2月29日 (水)
失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)
[a]
戸部 良一,寺本 義也,鎌田 伸一,杉之尾 孝生,村井 友秀,野中 郁次郎 / 中央公論社 / 1991-08
なんだか再読のような気がして仕方がないのだが... 日本軍の5つの失敗(ノモンハン、ミッドウェー、ガダルカナル、インパール、レイテ、沖縄戦)についての分析を通じ、組織の失敗について検討する、とても有名な本。
著者の先生方(組織論や外交史の研究者)の意図とは違うのだが、ひとことで失敗といっても、そこには膨大な死者たちがいるわけで、とてもつらい読書であった。
自由と社会的抑圧 (岩波文庫)
[a]
シモーヌ・ヴェイユ / 岩波書店 / 2005-03-16
最初はマジメに読んでいたのだけれど、これを書いたのはシモーヌ・ヴェイユが25歳のときなんだよな... などと考え始めたら、なんだか集中できなくなってしまった。器が小さい。残念だが、いつかまた読み直す機会もあるだろう。
慈悲 (講談社学術文庫)
[a]
中村 元 / 講談社 / 2010-11-11
哲学・思想(2011-) - 読了:「慈悲」「自由と社会的抑圧」
日本中世の民衆像―平民と職人 (岩波新書)
[a]
網野 善彦 / 岩波書店 / 1980-10-20
釜ケ崎有情 すべてのものが流れ着く海のような街で
[a]
神田 誠司 / 講談社 / 2012-02-17
大阪・釜ヶ崎に関わるさまざまな人々を描く。読んでいて、自分はなんてつまらないことに汲々として暮らしているのだろうかと、恥ずかしくなった。
ノンフィクション(2011-) - 読了:「釜ヶ崎有情」「日本中世の民衆像」
僕の小規模な生活(6) (KCデラックス モーニング)
[a]
福満 しげゆき / 講談社 / 2012-02-23
とても面白いし,素晴らしい内容だし,他人にもお勧めできるが,しかし自分で読むのにはあまりにつらすぎて,読もうと試みても途中で「うあああっ」と叫んで放り出してしまうので,未読のまま机の脇に積んである... というマンガが,何冊かある。現状では,伊図透「おんさのひびき」の2巻以降,久保ミツロウ「モテキ」の3巻以降,そして福満しげゆき「僕の小規模な生活」の5巻,が積んである。
「僕の小規模な生活」を楽しく読んでいる人に伺いたいのだけれども、よくも楽しむことができますね? 俺は気楽には読めません。5巻において、かさぶたを引っぺがして塩をすり込むような思春期回想編に突入してからは特に。もう、つらくてつらくて。痛くて痛くて。恥ずかしくて恥ずかしくて。
そうこうしているうちに出てしまった6巻は、著者が思春期回想編を描くことによってどれだけ身をすり減らしたか、という楽屋話が半分くらいを占めている。しまいにはあの奥さんが出てきて、「妻得意の憂いと慈愛とイヤミを込めた表情」でいわく「青春時代にはもう戻れんとよ」。
うあああ。。。
百姓貴族 (2) (ウィングス・コミックス)
[a]
荒川 弘 / 新書館 / 2012-02-25
「鋼の錬金術師」で売れっ子となった漫画家が、出身である十勝の農家を題材にして描くエッセイマンガ。面白い。お子さんいらっしゃるんですね、知らなかった。
イムリ 11 (ビームコミックス)
[a]
三宅乱丈 / エンターブレイン / 2012-02-25
レッド(6) (KCデラックス イブニング )
[a]
山本 直樹 / 講談社 / 2012-02-23
連合赤軍事件のプロセスを丁寧に描くマンガ。6巻にしてついに、山岳ベースでのリンチ事件のはじまりに到達した。
コミックス(2011-) - 読了:「僕の小規模な生活」「百姓貴族」「イムリ」「レッド」
2012年2月28日 (火)
プロモーション効果分析 (シリーズ・マーケティング・エンジニアリング)
[a]
守口 剛 / 朝倉書店 / 2002-12
仕事の都合で読んだ。著者はこの分野のすごく有名な先生。読む前はちょっと憂鬱だったのだが,とても勉強になりました。
1章~4章はプロモーション(販促)効果研究の概説。5章からは分析事例で、順に、
- ブランド選択の多項ロジットモデルの個人パラメータを潜在クラスで説明するモデル(5章)
- あるブランドに対する個人の内的参照価格を項目反応理論で説明して縦断で追うモデル(6章)
- 小売店のPOSデータに売上モデル(積乗モデル)を当てはめ所与の粗利率とプロモーションコストの下での最適価格を出す話(7章)
- ID-POSデータを使い各種プロモーションの有無で購買生起を予測する決定木(C5.0)をつくる話(8章)
9章は、価格プロモーションの弊害と、FSPなどをつかったダイレクト・プロモーションの考え方の紹介。
いくつかメモ:
- 横軸に価格プロモーション、縦軸に売上数量をとった反応曲線は、ロジスティック関数みたいなS字型になりそなものだが、「一般的な結論を得るには至ってない」由。へえー。Blattberg et al.(1995, Marketing Sci.)というのが引用されている。
- ブランドのマーケット・シェアを従属変数にしたモデルは、ブランドの魅力度を指数関数で表現すると多項ロジット型のモデルになる。いっぽう個人の選択確率のモデルでも多項ロジット型の定式化がされる。でもこの2つは導出過程が全然ちがうので注意するように、とのこと。なるほど、前者には誤差項が第1種極値分布に従うというような仮定がないですね。なんとなくごっちゃにしてました。
- 購買履歴の分析なんかで、ブランド・ロイヤルティ変数というのを使うことがあるけれど(ブランド論やCSの本に出てくるような心的概念ではなくて、単に選択モデル内で状態依存性を表すための変数のこと)、「それが一種の自己回帰過程であるにもかかわらずその点が推定上考慮されていないという指摘(片平・杉田, 1994)や習慣形成と選好とを混同しているという指摘(Blattberg&Neslin,1990)などがされている」のだそうである。へえー。勉強しておこう。
- 6章で紹介されているのはこんな話。あるブランドに対して消費者 $k$ が 時期 $t$ において持つ参照価格 $W^t_k$ が $N(\theta^t_k, \sigma^2)$ に従う確率変数で、購買機会において実売価格が参照価格を超えていたら購買が生起すると仮定する。$\theta^t_k$というのは製品の知覚価値みたいなものだろうけど、これを個人の潜在特性と捉えたら、これはもう項目反応理論の世界である。なるほどー。分析例についてよく考えてみると、2パラメータIRTでいうところの識別力が固定されていたり($\sigma^2$が集団レベルのパラメータだから。所与の$\theta$のもとで価格感受性に個人差がないということになる)、また$\theta^t_k$の分布は考えず、ある回数以上買っている人のデータだけで分析してたりで、あれ? と思ったのだけれど、分析の関心は継続顧客における参照価格の時間変動にあるので(実は価格プロモーションの研究なのだ)、これで全然良いのである。そうかー、こうやって使えばいいのか。とても勉強になった。
各章に実習課題がついていて、実に親切である。Excelのソルバーをつかって多項ロジットモデルの推定をしてみましょう、とか。きっと講義の教材だったのだろう。いいなあ、楽しそうだなあ、リア充っぽい感じの大学のおしゃれなキャンパスのパソコン教室で、女の子たちと一緒にわいわい実習してみたかったなあ。などと思ったのだが、自分の20代を振り返ると、このようなカネに絡む話はもうてんでバカにして小説と哲学書ばかり読んでいたから、そんな講義には出席してみようとさえ思わなかっただろう。どうもすみませんでした。そもそも、通った大学もあまりリア充っぽくなかったし。いやそもそも、大学にろくに行ってなかったし。重ねてすみませんでした。
2012年2月22日 (水)
初級の教科書に書いてある簡単な話であって、よく知っているつもりで暮らしているのだが、よくよく考えてみると全然簡単な話ではない... という事柄が、世の中には多々ある。統計学の教科書もまた,そうした話題にあふれていると思う。もっとも、それをうかつに口にすると、思ってもみない人に予想もできない形でバカにされることがあるので、ほんとうは黙っていたほうが面倒がないのだけれど。
統計的多重比較法というのもそういう話題の一つであって(少なくとも私にとっては)、教科書を勉強しているぶんには平和なのだけれど,現実のデータ解析の文脈に当てはめて考えると、これが非常に難しい(少なくとも私にとっては)。先日もそう思い知らされる出来事があった。仕事の関係で、「いったい多重比較はどんなときに行うべきなんですか?」と真正面から問われ、言葉に詰まってしまったのである。「なぜ」とか「どうやって」ではなくて、いつ、と問われているところが厄介である。
もし木で鼻を括ったようなお返事でよろしければ、とりあえずは「(maximum) Type I familywise error rateをコントロールすべきとき」と答え、戸惑う相手にType I FWEとはなにかをくどくどと説明して,相手がうんざりするのを待てばよい。しかし、相手が本当に知りたいこと、私たち統計手法ユーザが本当に知りたいことは、「私たちが (maximum) Type I FWEをコントロールすべきなのはいかなる状況においてか」なのである。これはものすごく難しい... 少なくとも私にとっては。
Bender, R. & Lange, S. (2001) Adjusting for multiple testing - When and how? Journal of Clinical Epidemiology, 54, 343-349.
多重比較全般に関する臨床疫学者向けの啓蒙論文。類似の文献は山ほどあるのだが、とりあえずタイトルが魅力的なものから読んでみた。先生方、タイトルは大事ですよ。
「多重比較はいつ必要か」という問いに対して、著者らは比較的に穏健な、悪く言えば煮え切らない立場をとっていて、「そもそも多重比較に調整なんて要らねえよ」というロスマン流の極左的(?)批判は採らないが、多重性の調整は常にいつでもぜったい必要だという極右的(?)主張にも組しない。検証研究の場合は必要だけど、探索研究の場合にはそうでもない、とのこと。なぜなら、探索研究では仮説がデータ依存的で、仮説検定は意思決定ではなく記述のための道具にすぎないだろうから、との仰せである。ううむ...
そもそも記述のために検定なんか使うなという反論がありそうだが、それはまた別の話になるので置いておくとしても、検証と探索というのは理念型であって、たいていのデータ解析はその両極の間をうろうろしているのだから、そうやって彷徨っている哀れなユーザ向けに、課題状況と多重性調整との関係をどう捉えればよいのか、もう少しアドバイスを頂けるとうれしかったです。適応分野をある程度狭めたうえで、きちんと理詰めで考えていけば、検証-探索というラフな場合分けではなく、もう少し踏み込んだ処方箋がありうるのではないかしらん。ま、自分で考えろってことですね。
ちらっと紹介されていた、長期臨床試験の中間解析の話題が興味深かった。P値がどうだったら試験を中断するか、という話。なるほどー、そういう話題があるんですね。
Perneger, T.V. (1998) What's wrong with Bonferroni adjustments. British Medical Journal, 316, 1236-1238.
多重比較についての議論の際によく引用されているようなので、ついでにざっと目を通してみた。Bonferroni調整はよくない、なぜなら(1)ユニバーサルな帰無仮説にはふつう関心がないから、(2)Type II エラーが増えるから、(3)ファミリーに含めるべき比較の定義が恣意的だから。そもそも多重比較法のロジックはNeyman-Pearson的意思決定支援の枠組みのなかで考案されたものであって、エビデンス評価のためには推定とか尤度比とかベイズ流の手法とかを使うべきだ。云々。
Bonferroni調整の話がまっすぐ多重比較全般の話につながっちゃうので、アレレ? という感じだが、やはり後の号でそういうコメントが載った模様。
この記事,google scholarでは1939件引用されていることになっている。BMJであることを考慮しても,これはかなり多いほうだと思う。ソーシャルメディアでは短くて乱暴な発言のほうが拡散されやすかったりするけど、学術論文にもちょっとそういう面があるかもしれない。
Goodman, S. N. (1998) Multiple comparisons, explained. American Journal of Epidemiology, 147(9), 807-812.
この雑誌上で多重比較の意義について論争があったようで(Savitz & Olshan,1995, Thumpson, 1997)、その2論文に対するコメント。元論文を読んでいないので文脈がわからない箇所があるし,書き方がちょっとくどすぎるようにも思うのだが,それでも大変面白かった。
著者いわく、多重比較をめぐる論争は、科学的方法とはなにかという大問題に関わっている(おっと,大きく出ましたね)。Fisherにとってp値とは、観察データと単一の帰無仮説との間の統計的な距離であり、統計的な証拠の強さの指標であった。いっぽうNeyman-Pearsonにとっては、p値は単なるerror rateである。彼らにいわせれば、科学が演繹的・客観的確率のみに基づく推論システムに基づく限り、証拠の強さを測る方法はないし、特定の仮説の真偽の判定は許されない。純粋に演繹的な推論システムはデータから仮説へという帰納的なはたらきを持たないからである。しかし、科学を推論の営みではなく、固定されたルール群に従う「帰納的行動」の営みとして扱うことならできる。このように科学のスコープを狭く限定する見方は、ポパー、カルナップ、ヘンペルといった同時代の科学哲学者たちと通じるものであった。
Neyman-Pearsonの枠組みのなかでは、仮説検定が現在のように普及する理由はない。にもかかわらずp値がこんなに広まってしまったのは、それがあたかも証拠の強さを測っているような顔をしているから、証拠によって事後的に測られたType I error rateであるようにみえるからである。p値は証拠とエラーのふたまたをかけている。そのごまかしを露呈させるのが、たとえば多重比較の状況なのである。
ある研究の中で500個の比較について検定したとしよう。有意水準5%なら、ほんとはどこにも差がなくたって、平均25個の有意差が得られる。いま20個得られたとしよう。これは偶然によるものだと「説明」できる。500個の比較のいずこにも差がないという帰無仮説をANOVAで検定すれば、総体としての結果はこの帰無仮説から離れていないということになろう。これに対して、いやいや、ひとつひとつの比較は認識論的にみて質的に違うものなのだから、依然として個別の比較のp値なり尤度比なりを求めることには意義がある、という見方もできる。この2つの立場の対立の根底にある本当の問題は、証拠の強さの評価の方法としてp値が良いかどうかとか、いや尤度比やベイズファクターを使ったほうがいいんだとか、そうということではない。むしろ、我々がいろいろな比較を認識論的に区別できると信じるかどうか、すなわち、ある差についての科学的説明の良さを判断する能力が我々にあると信じるかどうか、がキーポイントなのである。
な・る・ほ・ど... 探索か検証かという区別よりも、こっちのほうがはるかに腑に落ちる。大変勉強になった。
論文:データ解析(-2014) - 読了: Bender, R. & Lange, S. (2001) いつどうやって多重比較するか; Perneger (1998) Bonferroni法は使うな; Goodman (1998) 多重比較論争の真の対立点
信徒 内村鑑三 (河出ブックス)
[a]
前田 英樹 / 河出書房新社 / 2011-02-11
「純信仰の人」内村鑑三の,ちょっとクセのある評伝。偉大な人だったのだなあ。身近にいたら,ちょっと煙たい人だったかもしれないなあ。
2012年2月21日 (火)
ハイデガー『存在と時間』の構築 (岩波現代文庫―学術)
[a]
/ 岩波書店 / 2000-01-14
主に講義録「現象学の根本問題」を手がかりに,「存在と時間」の書かれなかった後半部分を再現してみましょう,という主旨の本。
読みながら風呂場でうとうとしていて,ついに本を湯の中にざぶんと落としてしまい,ゴワゴワになってしまった。木田先生,すみません。
哲学・思想(2011-) - 「ハイデガー『存在と時間』の構築」
バッハ=魂のエヴァンゲリスト (講談社学術文庫)
[a]
礒山 雅 / 講談社 / 2010-04-12
バッハは教会やお城勤めの人生を送った人のはずなのに,なぜ「コーヒー・カンタータ」のような作品があるのか(そしてなぜそれがまた魅力的だったりするのか),と不思議に思っていたのだが,この本のおかげで事情がわかりました。バッハご本人は教会音楽も世俗音楽も区別していなかった由。
ノンフィクション(2011-) - 読了:「バッハ,魂のエヴァンゲリスト」
森薫拾遺集 (ビームコミックス)
[a]
森 薫 / エンターブレイン / 2012-02-15
題名の通り,単行本未収録の短編から書店用のPOPまで,あらゆる作品の詰め合わせ。ビクトリア調のコルセットについて,実に6頁にわたって狂ったように熱く描き倒していたりなんかして,いやあ,素晴らしいなあ...
おかあさんの扉 (オレンジページムック)
[a]
伊藤理佐 / オレンジページ / 2012-02-17
オレンジページで連載していた育児エッセイ四コマと,旦那さん(吉田戦車)によるコラムを収録。
昨年の花見を題材にしたごく気楽な四コマについて,吉田戦車さんはこう書いている。「この時期,私も伊藤も自分たちの不安や悲しみや憤りを作品に出さないように懸命だった。明るくさらりと描けているところがプロの仕事である,と伊藤理佐を誉めたい。家の中では『どこかに逃げるべきでは』『何を信じていいのか』等々,日々口論に近い会話をかわしていたのだった」
コミックス(2011-) - 読了:「森薫拾遺集」「おかあさんの扉」
2012年2月13日 (月)
行動計量学への招待 (シリーズ〈行動計量の科学〉)
[a]
/ 朝倉書店 / 2011-09-15
仕事の足しになるかと思って読んだ本。行動計量学会編でただいま刊行中の10巻シリーズの第1巻。錚々たる大家による分担執筆。実務家では,ビデオ・リサーチの森本栄一さんも執筆しておられる。
こういう本には社史ならぬ学会史編纂という側面があるから,実質的な勉強のためには他の本をあたった方がよいと思うのだが,読み物として面白かった。いくつかメモ:
- 行動計量学会といえば林知己夫,というわけで,林の数量化理論についてはもちろん一章が割かれている(執筆は飽戸弘)。先生の回想によれば,かつて「マーケティングの分野や,社会心理学,社会学などの分野では,数量化理論は一世を風靡し,調査結果は数量化またはせめて多変量解析を施さないと報告書として通用しない,という状況に達していた」のだそうだ(この辺の感覚は,私の世代にはもう十分に理解できなくなっていると思う)。ところが,かの「数量化理論第 I 類」「第 II 類」... という分類名は,林自身ではなく飽戸(1964)によるものであって,「原作者である林はたいへん不本意であった」由。でも普及しちゃったものは仕方がなく,「林から夜中に電話があり,『飽戸君か,II類ってどれのことかね』 などと問い合わせがあった」りしたのだそうだ。ははは。
- 意思決定についての章(松原望) の,効用理論について説明するくだりによれば,ベルヌーイの対数効用関数は「心理学の『ウェーバー-フェヒナーの刺激-反応法則』あるいは別領域ではあるが『限界効用逓減の法則』へ継承されたとみてよいが,学説史的には明白なつながりはない」由。えー,ないんだ...すいません,私よく知らずにウソついてました。
- 計量政治学の章(猪口孝)によれば,著者は日本とソ連のサケ・マス漁業交渉について状態空間や重回帰を使ったモデルを作ったことがあって,交渉妥結量をすごく正確に予測できたのだそうだ。へえー。
- 医療統計の章(宮原英夫)によれば,「筆者の周囲では,増山元三郎,高橋晄正らが,1960年代から,今でいうEBMとほぼ同じ主張を繰り返していた」が,受け入れられなかった由。とはいえ読み進めていくと,医療費削減という要請からくるものではなかったようだし,診断・治療を超えて医療行政に至るもっと大きな主張だったようだし,当時といまとではデータベースの整備の程度がちがうだろうと思う。この辺,なにをもって「ほぼ同じ主張」とみなすか,というところが問われるなあと思った。
- 正直いってこの本は最終章(木下富雄)が目当てで買ったのだが(すいません),この章はやはりとても面白く,啓発的であった。データ解析のアルゴリズムに対する解析ユーザの立場について触れた部分で,因子分析の主流が直交解から斜交解に移行しているという話に触れたついでに,じゃあかつて因子の直交性を前提としてつくられた類型論はどうなっちゃうのかしらね,とコメントしておられる。三隅のPM理論とか。そ,そうか...!
マンガけもの道 まんだらけ中野店副店長の珍作発掘探訪
[a]
岩井 道 / 扶桑社 / 2010-08-11
昨年3月11日午後,都心のビルの上層階にいた私は,ざわめく人ごみの中で身動きもとれず、窓の下をぼんやり見下ろしていた。揺れが収まった直後からスマートフォンは無用の長物となっていたが、しばらく経って最初に接続が回復したのはなぜかtwitterで,震災直後の第一報として目に飛び込んできたのは,たまたまフォローしていたマンガ専門古書店のスタッフの方によるこんなふうな呟きだった。「きっと明日からスキャナがよく売れる」 崩れ落ちたマンガのなかで呆然と佇むマンガマニアはこれを機にスキャナを買いに走る,という意味であろう。あきらかな緊急時にも関わらずこの呑気なツイート,ちょっと可笑しくなった。
この本はそのスジガネ入りの古書店員の方(まんだらけ中野店副店長)が書いた,貸本マンガやB級劇画などの奇作・珍作を紹介する本。週刊SPA!で連載していたのだそうだ。私などが知っている作品はほんの数作だけ,残りはこの本で読まなかったら一生知らずに済んだ本ばかり。風呂のなかでクツクツと笑いながら目を通した。格闘マンガの敵役として登場した、どうみても身長5mはある大男が,脇役に「彼は体格に恵まれている」と紹介されるくだりとか、しみじみと可笑しい。
いやしかし,この本もなかなか面白いですが,この岩井さんという方がwebで書いているマンガ紹介コラムはその数倍の面白さです。「美味しんぼ」海原雄山の横暴さについて熱く語る文章など,悶絶ものである。
日本のデザイン――美意識がつくる未来 (岩波新書)
[a]
原 研哉 / 岩波書店 / 2011-10-21
あんぽん 孫正義伝
[a]
佐野 眞一 / 小学館 / 2012-01-10
週刊ポスト連載の単行本化。現象の理解にはいろいろな切り口がありうるから,孫さんの血族の歴史を丁寧に追跡するというのも、ひとつの価値ある仕事であろうと思う。でもこの本,事業家としての孫さんなり,ソフトバンクなり通信の未来なりについての本ではないから,それを知らずに買った人は,ちょっと失望するかも。
ノンフィクション(2011-) - 読了:「マンガけもの道」「日本のデザイン」「あんぽん」
柴犬さんのツボ (タツミムック)
[a]
影山 直美,(著) / 辰巳出版 / 2006-09-29
知らなかったのだが,かつてはアダルト誌の版元という印象が強かった辰巳出版は,いまや趣味関係誌の出版にシフトしているのだそうだ。その一誌である日本犬専門誌「シーバ」(ずいぶん特化した雑誌だなあ) に連載されていたというコミック・エッセイ。イヌ好きでなくても十分楽しめる。
アゲイン!!(3) (KCデラックス 週刊少年マガジン)
[a]
久保 ミツロウ / 講談社 / 2012-01-17
どげせん 3 (ニチブンコミックス)
[a]
RIN,板垣 恵介 / 日本文芸社 / 2011-11-28
惡の華(1) (少年マガジンKC)
[a]
押見 修造 / 講談社 / 2010-03-17
コミックス(2011-) - 読了:「柴犬さんのツボ」「アゲイン!!」「悪の華」「どげせん」
2012年2月 5日 (日)
Chintagunta, P.K. & Dong, X. (2006) "Hazard/survival models in marketing". in Grover, R. & Vriens (eds), The Handbook of Marketing Research: Uses, Misuses, and Future Advances, Sage.
マーケティング分野における生存時間分析についての入門的紹介。仕事の都合で目を通した。
こういう初学者向けの解説を探す際は,多少無理してでも英語の文章を探した方が効率が良いことが多いと思うのだが(日本人の先生が書いたものだと,ものすごく易しい文章や,ご自分の研究紹介になってしまいがちだから),この章はまさに良い解説の見本みたいなもので,感銘した。比例ハザードモデルと加法リスクモデルと加速故障モデルの含意の違いについて,数式いっさいなしで簡潔に説明するくだり,ほんとに勉強になりました。そういうことだったのか。
論文:データ解析(-2014) - 読了:Chintagunta & Dong (2006) マーケティングにおける生存モデル
子どもをめぐるデザインと近代―拡大する商品世界
[a]
神野 由紀 / 世界思想社 / 2011-04-02
日本近代における「子ども向け」商品の成立と展開を辿る内容。子どもに向ける社会の視線と,それを支え先導する商品ネットワークが,絡み合うようにして変容していく。
あまりの面白さに,せき立てられるようにして読み終えた。ここんところ随一の面白本。
ノンフィクション(2011-) - 読了:「子どもをめぐるデザインと近代」
2012年2月 3日 (金)
記憶の歴史学 史料に見る戦国 (講談社選書メチエ)
[a]
金子 拓 / 講談社 / 2011-12-10
日本史研究者が,記憶の観点から歴史史料について論じた本であった。
Mevik, B., & Wehrens, R. (2007) The pls Package: Principal Component and Partial Least Squares Regression in R. Journal of Statistical Software, 18(2).
仕事の都合で読んだ。R の pls パッケージの紹介。SASのproc plsに相当する。
PLS回帰は,途中でどの行列を圧縮するか,どのタイミングで標準化するか,といった細かいやりかたの揺れのせいで,ちがう実装のあいだで結果を比較するのが難しいんだそうだ。勘弁してよ...
論文:データ解析(-2014) - 読了:Mevik & Wehrens (2007) pls パッケージ
2012年2月 1日 (水)
Palmer, S.E. & Schloss, K.B. (2010) An ecological valence theory of human color preference. Proceedings of the National Academy of Sciences, 107(19), 8877-8882.
第一著者はUCBの知覚心理の先生。いま研究室のwebページを見たら、日本の超有名な知覚の先生と同じ顔をしてたのでビックリした。もちろん別人で、単に一緒にスナップ写真に写っていただけでした。
32枚の色チップを用意し、(1)被験者に各チップを提示、その色をしているモノの名前を挙げさせる。赤なら「いちご」とか。(2)別の被験者に、集めたモノの名前を提示し、感情価(ネガティブかポジティブか)を評定させて集計する。「いちご」はポジティブだそうです。(3)また別の被験者に、モノの名前と色を提示し、類似性を評定させて集計する。赤はいちごとそこそこ近い。(4)各色チップについて、モノの感情価を類似性で重みづけ平均した値を求める。これを著者らは重みづけ感情価推定値(WAVE)と呼んでいる。赤のWAVEは結構高めになる。で、このWAVEと、別の被験者で調べた色チップそのものに対する好意度評定の間には、すごく高い相関がありました。という論文。
なんでこんな不思議な実験をやっているのかというと、もともと色の選好は進化的選択で決まっているという壮大な説明があって(女性が赤を好むのは果実を採集してたからだ、というような奴)、それに対して著者らは、まあそういう基盤もあるかもしんないですが、色の選好は学習によっても決まるでしょう、一言でいえばその色を持っているモノに対するvalenceで決まるのです、と主張しているのである(ecological valence theory)。ここでいうvalenceをなんて訳せばいいのかわからないけど、適応上の価値とでも訳すのが近いだろうか。実験手続き上は、まあ要するに好き嫌いのことである。
集計値レベルの分析しかせず、かつモノの名前を被験者から集めているところにトリックがあるなあ、と思いながら読んでいたのだが(人は好きな色に対して好きなモノを挙げる傾向があるのかもしれないから)、そんな突っ込みは先刻御見通しのようで、さらに別の被験者を用い、WAVEと色選好を同一の被験者から採っておき、WAVEのパターンで被験者を2群にクラスタリングする、というのもやっている。モノのセットは群間でほぼ同じ、WAVEと色選好の相関は同一群内のほうが高い。巧いなあ。
さらにecological valence theoryの補強証拠として、学生の愛校心の高さと自校のスクールカラーへの選好に相関があったという話と、モノの写真を事前提示して直後の色選好をプライミングできたという話も報告している。ふうん。
ナイーブな疑問で恥ずかしいのだが、読んでて不思議だったのは、「色チップへの評定」という課題がなにを測定している(と考えられている)のか、という点である。色チップへの好意度評定がその色と結びついたモノへの好意度と関係している、というのは、人の色選好を規定する一般的メカニズムについての大きな主張なのか? それとも、「人は色チップへの好意度評定という奇妙な課題を与えられたとき、どう答えたらいいのか困っちゃうので、仕方がなくその色と結びついたモノへの好き嫌いで判断してしまう」という小さめの主張なのか? どちらにしても価値ある知見だと思うけど、理論的含意の及ぶ範囲が全然異なる。著者らの意図は前者だろうが、後者の説明のほうがparsimoniousだという気がする。
この疑問がほんのわずかでも当たっているとして、ここからの個人的教訓は、測定の妥当性はholisticに捉えないといけないなあ、という点である。ある指標が測りたい概念をうまく測れているかと考えるとき、我々はついその指標と概念の関係だけに目を向けてしまうけれど(「色チップへの好意度評定は色選好の指標として妥当か」というように)、実はその周りの理論ネットワーク全体に目を向けないといけないなあ... なんて考えたのだが、自分でもなんだかよくわかんなくなってきたので、このへんでストップ。
などとつらつら書きつつ、実はご研究そのものには全然関心がなくて(すいません)、単に色の選好実験で色をどう定量化し色刺激をどう設計しているかに関心があって読んだ論文であった。CIELAB色空間を使っている。こういうときにマンセル色空間を使うのはまずいのかしらん。