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2019年8月 3日 (土)

近藤博之(2011) 社会空間の構造と相同性仮説-日本のデータによるブルデュー理論の検証-. 理論と方法. 26(1), 161-177.
 これも仕事の都合で読んだ奴。あとで気が付いたけど、著者は前に読んだ近藤(2014)というのと同じ人だ。
 えーと、本論文の目的は、ブルデュー「ディスタンクシオン」のモデルが現在の日本社会にどこまで通用するかを検討することなのだそうであります。なお相同性仮説というのは、経済・社会関係・文化資本の総量と構成でもって世帯(?)をわけたとき、その分化が日用生活における慣習行動のちがいと対応していることをいうらしい。それって「ハビトゥスというものがあるんだよ」仮説と同じことだという理解でよろしいんでしょうか?

 SSM2005データを分析する。ざっと目を通しただけだけど、分析の方法としては、文化資本・経済資本を表す項目群についてMCAの布置をクラスタ分析し、結構強気に読み込んでいくのでありました。へええ。

読了:近藤(2011) 「ディスタンクシオン」でやってた分析を日本でもやってみた

古田和久(2018) 出身階層の資本構造と高校生の進路選択. 社会学評論, 69(1), 21-36.
 仕事の都合で読んだ。
 進路選択の実証研究なんだけど、効いてる変数がなにか重回帰に叩き込んで調べましょうというタイプの論文とはちょっと違っていて、経済資本・文化資本・社会関係資本からなる多次元的社会階層を想定する。そうですブルデューです。ひいいい...

 データは2012年のネット調査で、対照は全国の高2とその母親、801ペア。ひとり親家庭は除外。[へえ、ネットパネルってありなんだ。こういう方面の方々は標本にこだわるもんかと思ってた...]
 社会階層の変数は、両親の職業・学歴、世帯年収、預貯金、文化的所有財。[あれれ?社会関係資本はどこに行っちゃったの?]
 共変量は、生徒の性別、母親年齢[あれ?父親は?]、学校タイプ(普通科かどうかと偏差値の高低)。
 目的変数は高校生と母親それぞれの進路希望(多項選択)。
 
 ブルデューだからMCAをやるのがお約束だろうと思ってたのだが、この論文では社会階層の変数でLCAをかける。これには先行研究があるんだそうで、Savege, Martinという人が挙げられている。へー。
 BICであたりをつけて、クラスのサイズと解釈をみて5クラス解を選択。市場調査会社のリサーチャーなみに結構強気な深読みをしてて、ちょっと心配になっちゃったけど、(1)経済・文化資本の両方が豊富なクラス、(2)文化資本が優勢なクラス、(3)中間、(4)経済資本が優勢なクラス、(5)両方が少ないクラス、となった由。

 で、潜在クラスと進路希望のクロスをとったところ、(1)(2)のあいだで進路希望は似ていて、(2)と(3)の間で(2)の大学進学率が高かった。つまり文化資本があれば経済資本はあんまし効かない。云々。
 共変量をいれる。目的変数として進路希望を追加教育年数に変換した値を使い、子供の希望と親の希望それぞれについて重回帰[まじか? なぜ多項選択モデルを使わない...なぜ目的変数を多変量にして一発でモデリングしない...]。子供の性別、母親年齢はもちろん、学校タイプをコントロールしても社会階層はなお効いた由。[面白いっすね。でもそれって、単に学校タイプのカテゴリが粗いからじゃないの?]

 というわけで、家族の階層は多次元的だった[いわく「資本構成によっても分化している」。この分野に独特な言い回しだ]。進路希望は資本総量だけでなく資本構成によっても差があった。大学進学希望においては文化資本のほうが相対的に効く。云々。

 正直、分析アプローチはかなり不思議な感じだったけど、それは私がこの分野に疎いからでありましょう... 勉強になりましたですー。

読了:古田(2018) 高2の進路希望に社会階層はどう効くか

2018年9月18日 (火)

近藤博之 (2014) ハビトゥス概念を用いた因果の探求. 理論と方法, 29(1), 1-15.
 たまたま見つけて、タイトルがかっこいいので保存してたやつ。整理の都合上目を通した。えーっと、数理社会学会の会長講演だそうです。全くの門外漢なので、ちゃんと読めてないと思うんだけど...

 教育と階層の関連についての研究は、大きく教育達成研究(従属変数は最終学歴や進学確率)と学業成績研究(従属変数は成績)に分かれるが、どちらの系列も「現代社会は完全な機会平等やメリトクラシーにどこまで近づいたか」という関心に基づいており、どちらにおいても答えは「意外にそうでもない」であった。
 いっぽうブルデューさんたちは、大事なのは構造であって、要因の効果なんてえものは切り出しようがねえんだよ、と主張する。これを「構造的因果性」という。
 これと似た考え方に、医療社会学でいう「根本的原因」というのがあって、知識が増えてもリスク統制能力が向上しても、結局健康はSESと関連したままだということが問題になっている。ある要因の効果は多数の要因群の集積であり、時と場所を超えてそれを安定させているメタメカニズムがあるのだ、と考えている人もいる。ブルデューが示したのは、ハビトゥスをこのメタメカニズムとして捉えるアプローチであったといえる。[←へー]
 [「ディスタンクシオン」での分析方法の説明がひとしきりあって...]
 しかし教育と階層についての量的研究の世界では、ハビトゥスについてはほとんど無視されている。主流はBreen & Goldthrope (1997 Rationality&Society)のモデル。彼らにいわせると、階級分化による説明は一時点の階層差は説明できるけど、教育改革とかが展開してるのに階層差がなぜ安定しているかを説明できない。
 でもこの評価はフェアじゃない。[...]たとえば、労働者階級は所得が不安定なので明確な時間展望を持ちにくく、近視眼的な選択に陥りやすいという見方がある。Goldthropeらにいわせればこういう説明は残差を事後的に解釈しているだけである[←よくわかんないけど、きっと合理的選択を仮定したモデルなんだろうな]。でも実際問題として過去経験って選択を左右するじゃないですか。結局これは、ミクロ行為理論として合理的選択をとるかハビトゥスによる選択をとるかのちがいなのだ。つまりサイモンいうところの「経済合理性」と「経営合理性」のちがいなのだ。[←おおお、意外なところにサイモンが。勉強しよう]
 [...] というわけで、ブルデュー理論は計量研究と十分に対話できるのだよ。云々。
 
 最後のところに出てきたんだけど、サンクコストの心理学的研究で、合理的選択という思考それ自体における社会的条件付けの影響を示した研究というのがあるのだそうだ。Arkes & Ayton (1999, Psych.Bull.)。面白そう。

読了:近藤(2014) 教育と階層についての因果的探求にハビトゥス概念が役に立つ

2015年6月 3日 (水)

三菱総合研究所(2015) 平成26年度『教育改革の総合的推進に関する調査研究 〜教育の総合的効果に関する定量的分析〜』報告書. 三菱総合研究所, 2015.3.
 文科省の委託研究。仕事のあいまに読んだ。自分の仕事とはぜっんぜん関係ないわけで、ま、趣味としかいいようがない。
 前半は先行研究レビューというか、いくつかの先行研究についての詳細な要約。後半は定量調査。国の受託だから住基台帳ベースの郵送調査かなんかやるのかと思いきや、ネット調査を一発掛けて、中三のときの成績とか現職業とかを訊く。SEMをやるのかと思いきや、重回帰やロジスティック回帰を山ほど走らせステップワイズ変数選択...なんというかその、オーソドックスっていうんですか? そういう分析であった。
 そんなこんなで、文科系科目の成績が1ポイント上昇すると、年あたり約2000円の税収増加が期待できます、非認知能力(部活やってましたか、とかいうの)が1段階上昇すると子どもが0.02人増えます、とか、なんとか。

 なにごとか偉そうなことを申し上げるつもりはさらさらないですし、すぐに納税者づらするのも好きじゃないんだけど、国はこの委託においくら万円をお支払いになられたのかしら、というところにちょっと関心を惹かれました。(→せっかくなので調達情報を調べてみたら、934万円であった)

 前半の文献紹介からメモ:

読了:三菱総研 (2015) 教育の投資効果

2005年11月11日 (金)

Bielefeldt, T. Computers and Student Learning: Interpreting the Multivariate Analysis Of PISA 2000. Journal of Research on Technology in Education, 37(4), 2005.
Google Scholar経由で入手。勤め先の用事で読んだ。
PISA2000のデータで,コンピュータ利用を尋ねる質問項目と学力との関係を調べたところ,利用している子のほうが学力が高いんだけど,家庭環境の変数を投入すると差がなくなる(下手すると逆転する)。という経済学者の報告があって(Fuchs & Woessmann, 2004),マスコミでも評判になりました(俺もBBCで読んだ覚えがある。これかな)。そこでその内容を簡単にご紹介しましょう。という論文。
助かりました。元の論文は長いんだもん。

読了:11/11 (A)

2005年7月14日 (木)

Goldstein, H. (1994) Recontextualizing mental measurement. Educational Measurement: Issues and Practice.13, 16-43.
 古典的テスト理論だろうが項目反応モデルだろうが,およそ教育評価というものは一次元性と局所独立性を前提としており,文脈との相互作用を考えていない。それはそれでひとつのイデオロギーなんであって,政治的正しさへの配慮がテスト作成に影響することを拒否したりするだけの科学的中立性があるわけではないんだぜ。というような内容だったかな。
 著者のページから(この人は階層モデルの分析ソフトMLwinをつくった人)。どういう雑誌なんだろうか,なんとなく読み物風なレイアウトで,論文の内容も軽めの論評といったところ。掲載頁が飛んでいて,中身は5頁しかない。
 今日の昼休みにぱらぱらとめくった。どうにも疲れがとれなくて,まともな論文を読む気になれなかったのである。先週は口内炎で死ぬ思いをしたし,今週は階段を上るのにも一苦労だ。

Goldstein, H.(2004) International comparisons of student attainment: some issues arising from the PISA study. Assessment in Education: Principles, Policy & Practice. 11(3), 319-330.
 こっちは帰りに大戸屋で読了。内容のメモはあとで。

読了:07/14 (A)

2005年6月23日 (木)

Prais, S.J. (2003) Cautions on OECD's recent educational survey (PISA): rejoinder to OECD's response.
Oxford Review of Education, 29(3), 569-573.
 PISAを批判したPrais(2003),返答したAdams(2003)に引き続く再反論。これはPISAのサイトに載ってなかったので(ははは),非常勤先で取り寄せてもらった。
 (1) PISAが「生きる力」に焦点を当てるのは結構だが,それにしか焦点を当てないのはひどい。(2)教育の改善のためには対象を年齢ではなく学年で区切るべきだ。(1)(2)のせいで,ほかの調査と比較できないじゃないですか。(3)参加率が低いことによるバイアスがないとはいえまい。(4)項目反応理論だかなんだか知らんが,生徒の成績じゃなくて各項目の通過率を国際比較すべきだ。(5)90年に我々が調査したときは英国よりスイスのほうが上だったのに,なぜPISAでは逆なのだ。
 (1)(2)の論点は本質的批判ではないと思う。金が掛かる割には役に立たんというご批判ならば,「こんなに金がかかっているのよ」「なのに全然役に立ってないのよ」という二点について証拠を出すべきところだ。(3)は議論をちゃんと追いかけてないからわからないが,データがない分弱そうだ。PISA側がバイアスがないというデータを出してきてるんだから,いやありますよというデータで対抗するのが筋だろう。(4)はなんだかレベルが低い。著者はえらい経済学者らしいが,経済学者がデータ解析に強いとは限らないようだ。(5)にいたっては,なんと言うか...既存の調査と違う結果を出したというだけで叱られたのではたまらない。
 というわけで,せっかく取り寄せたのに,かなりがっくりとさせられる内容であった。えらそうだね,おい。
 Goldsteinという人がPISA調査の解析上の問題点を指摘している,ということがわかったので,まあよしとしよう。この人はMLwinをつくった人らしいし,期待できそうだ。

大した仕事もせず,こんな論文を読んだりしている今日この頃である。せっかく一会社員として更生しようと思ったのに,世の中なにがなんだかわからない。クビになっても不思議じゃないねえ。

読了:06/23

2005年5月 8日 (日)

Adams, R.J. (2003) Response to 'Cautions on OECD's Recent Educational Survey (PISA).' Oxford Review of Education, 29(3), 377-389.
 Praisへの反論。(1)PISAが測っている数学的リテラシーはただの日常的問題解決能力ではない。従来の学力検査とは目的がちがうので,どっちが良いとはいえない。それに,ドイツでは同じ生徒がTIMSSの項目もやってるけど相関が高い。(2)調査目的からいって対象は年齢で区切るべきだ。(3)参加率が低いのは認めるけど,低位の学校・生徒が抜けてる訳じゃない。
 反論のほうが分が良い感じだが,それはともかく,個人的に関心があるのは(1)のところで,PISAとTIMSSの相関が高いという話にはちょっとがっくりきてしまった。つまんないの。教育政策の検討のために3つのリテラシー概念が生まれてきたいきさつが知りたいところだけど(つまり,たとえば「近代社会が15歳に求めているものはこの三つなのよ」といえる理由が欲しい),どこをみれば書いてあるのかしらん。
 Praisの再反論があるらしいのだが,入手困難だ。どうしよう。

 しかし,こうやって論文なんか読んでても,仕事の役に立つのかどうか皆目わからん。おとなしくじっとしてたほうが気が利いてるかもしれん。

読了: 05/08 (A)

2005年5月 6日 (金)

Prais,S.J. (2003). Cautions on OECD's Recent Educational Survey (PISA). Oxford Review of Education, 29(2), 139-163.
 PISA2000の英国の成績はやたらに良かったが,PISAは信用できない。なぜなら,(1)知能検査みたいな設問で,学校教育とは関係ない。(2)調査対象は年齢ではなく学年で区切るべき。(3)学校の参加率,生徒の参加率が低い。きっと低位の学校・生徒が抜けている。という主旨。
 PISAのサイトで見つけた。不参加者の扱いについて批判するくだりなんか,実に嫌味ったらしい書き方で,とても楽しく読了。やっぱり悪口は面白いわ。イギリスではこういうのありなのかと感心したが,思えば日本の教育学者もエモーショナルな書き方をすることがある(特に政治が絡むともう大変だ)。もしかするとこの論文の背景にも,政治的な対立があったりするのかもしれない(金のかかるPISA調査なんかもうやめちゃえ,なんて書いてあるぞ)。
 肝心の論点のほうは,素人目にもちょっと言いがかりっぽい感じがある。読了後すぐに返答論文を読み始めちゃったので色眼鏡で見てしまいかねないが,(1)はそんなに簡単には答えの出ない問題だし(学力概念をどうとらえるか,ということにつながっているだろう),(2)はどうみても的はずれだと思う(学校制度のちがいによる影響をコミにした国際比較のほうが大事だろう)。

 ここしばらくの昼飯の友だったのだが,一日数十分ではなかなか読み終わらない。ろくに仕事などしていないのだが,やっぱり会社勤めというのは不自由なものだ。

読了:05/06

rebuilt: 2020年11月16日 22:27
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