2012年8月24日 (金)
Boettcher, S.G., Dethlefsen, C. (2003) deal: A package for Learning Bayesian Networks. Journal of Statistical Software, 8(20).
Rのベイジアン・ネットワーク用パッケージ deal の紹介。構造学習はスコア法。離散変量と連続変量の混在を許す。
散在する数式をみて、こりゃ読んでもわけわからんだろうと予期していたのだが、やっぱりわけわかんなかった。Master Prior ってなによ...泣いちゃうぞ...
それにしても、Rのパッケージはなにかしらの紹介論文をめくった後でないと本気で使う気になれない、というのは、ちょっと頭が固すぎるんだろうなあ。
論文:データ解析(-2014) - 読了:Boettcher & Dethlefsen (2003) dealパッケージ
2012年8月21日 (火)
Shadish, W.R. & Sullivan, K.J. (2012) Theories of causation in psychological science. Cooper, H., et al. (eds.), "APA Handbook of Research Methods in Psychology," Volume 1, Chapter 2. American Psychological Association.
心理学の研究者向けに(つまりは非専門家向けに)、Campbell, Rubin, Pearlらの因果推論の考え方を比較して紹介する論文。Pearlさんご自身がblogで紹介しているのを見つけて読んだ。
データ解析の文脈で因果推論について考えるとき、最近はRubinやPearlの道具立てについて理解することが必須となっているようである。とはいえ、素人向けの解説は多くないし、RubinのアプローチとPearlのアプローチを比較してくれる解説はさらに少ない。また、もともと心理学ではCampbellが提案した概念が有名で(内的妥当性と外的妥当性とか)、考えてみればこういうのも因果推論のための一種のガイドラインなのだが、正面からの解説はやはり多くない。というわけで、これはとても貴重なレビューだと思う。勉強になりましたです。
前半は3つのアプローチの紹介。書き方からして、Pearl流のアプローチが一番理解しにくいとお感じになられているようで、ご親切に重要キーワード・リストまでつくってくださっている(ちょっと笑ってしまった)。なお選定された重要キーワードは、ノード、エッジ、有向エッジ、双方向エッジ、DAG、親・子・先祖・子孫、合流点、d分離、バックドアパス、バックドア基準、fork of mutual dependence, inverted fork of mutual causation, そしてdo(x)オペレータである。
後半は、いくつかの側面について3つのアプローチを比較する。理解できなかった箇所も多いのだが、いちおうメモしておく。なお、著者らはCampbell流、Rubin流、Pearl流の因果モデルをそれぞれCCM, RCM, PCMと略記している。
- 哲学的側面...
- CCMは概念的・哲学的スコープがもっとも広い。CCMはミルの因果の哲学、ならびに実験研究の方法論と結びついている。またポパーに従い、仮説の反証という考え方を重視し、対立的説明を常に歓迎する。CCMは人間の可謬性を強調する。
- RCMは哲学とあまり結びついていない。RCMを反事実的な因果理論として捉える人は多いが、Rubin自身は自分のモデルをpotential outcomeという概念を用いた形式的な統計モデルと捉えている(potential outcomeは原理的には観察可能であり、実験において観察されないときに反事実になるのであって、それ自体は反事実ではない)。また反証という考え方もあまり重視されない。
- PCMは因果の記述ではなく説明を重視する。たしかにd分離やdo(x)オペレータは因果の記述のためのルールだが、PCMはむしろDAGの構築に焦点を当てている(ある意味でCCMやRCMより野心的である)。PCMはランダム化実験をなんら特別視しない。
- 効果の定義...
- CCMではもともと効果の定義があいまいだった。たいていの場合、効果は2つの事実のあいだの差(ランダム化試験における処理群と統制群の差)として捉えられていた。
- RCMは効果の定義がすごく明確。
- PCMにおける効果の定義は、DAGを構成する方程式を解き、do(x)オペレータを用いてX=xがYの確率分布の空間に与える効果を推定することに依存している。その意味ではCCMと似ている。しかし、PCMでは効果をX=x_0とX=x_1の間の効果の差として定義することもできる。
- CCMとRCMは、問題を統計で解決することよりもデザインで解決することを好むが、PCMは両方を同じくらい重視する。また、CCMとRCMは、選択バイアスが未知である状況で分析者が正しいDAGをつくれるかという点について懐疑的である。
- 原因の理論...
- CCMは原因についての理論に注目する。いっぽうRCMやPCMは原因にあまり注意を向けない。RCMは効果推定に焦点を絞っているし、PCMの文脈では原因は単なる記号ないし仮説例である。
- CCMは、原因の構成概念的妥当性を確立するために、単なる実験的操作についての知識以上のものを求める。Campbellにいわせれば、実験的操作なんていうのは処理という概念のごく一部にすぎない。実験における処理とは、さまざまな要素からなる多次元的なパッケージなのだ。原因とは、研究者が注目している特徴を含むさまざま特徴の集合体である(なにしろCampbellは社会心理学者なのである。社会心理学では、その実験的操作は理論的関心の対象である構成概念をほんとに反映しているのか、というところで揉めることが多い)。
- CCMとPCMは、操作不能なものも原因になりうると考える(ナントカ遺伝子とか)。RCMはこの点についてあいまいで、そこが論争の種になっている。
- 因果の一般化 (外的妥当性と構成概念妥当性) ...
- CCMは、構成概念妥当性と外的妥当性というかたちで、一般化可能性に強い関心を持つ。もともとCampbellは、一般化可能性は大事ですというだけで、それを研究する方法はMTMM行列くらいしか持ち合わせていなかった。Cook&Campbell(1979)になると構成概念妥当性の理論が拡張され、知見の一般化の方法はランダムサンプリング以外にもあるということになり、Shadish et al.(2002), Cook(2004)に至る。いまではメタ分析やメディエータの分析が重要になっている。
- RCMはメタ分析やメディエータの分析に貢献してきたが、因果の一般化という問題に直接かかわることはめったにない。数少ない例外として、メタ分析における応答曲面分析についてのRubinの研究(Rubin, 1990, 1992)がある (←ナンダソレハ...)
- PCMは因果の一般化という問題に直接かかわらない。ただし、因果的説明が一般化の鍵になるという意味で、DAGが一般化のための道具になることはありうる。
- 定量化...
- 定量化についてはPCMとRCMのほうがCCMより先を行っている(Rubinは統計学者、Pearlはコンピュータ科学者だから、当然である)。だがしかあし、CCMの影響下で開発されたMTMM行列の分析や回帰分断デザインを忘れてはいかん。云々。
- デザインと分析...
- CCMとRCMはどちらもデザインの良さを重視するが、CCMはデザイン、RCMは分析により焦点を当てる(例外は傾向スコアによるマッチング)。この二つは補完的である。
- PCMはデザイン(ランダム化実験かどうかとか)に関心を持たない。CCMやRCMとはちがい、非ランダム化実験でもランダム化デザインと同じ結果を得たい... というような発想はない。PCMは分析、ないしDAGを構築するための概念的作業に焦点を当てる。ただし、ここでいう概念的作業は、RCMがテストをバランス化させる際と同じく、結果についての知識なしに行われる作業であり、その意味ではデザインの問題である。
- まとめ...
- 3つのアプローチはあまりに言葉がちがいすぎるので、どんな研究者でも、3つのアプローチすべてを十分に理解した上で比較評価することはできないだろう(←えーっ)。
- CCMの中心的概念は妥当性への脅威を評価することだが、定量的評価の方法は提供してくれない。
- RCMでは「強い無視可能性」という想定が重要だが、RCMの内部ではそれを検証できない。また、良い観察研究のデザインとはどんなデザインかという点について十分な注意を払っていない。
- PCMでは、正しいDAGをどうやってつくるのかがわからない。また実践での成功事例が少ない。
...とかなんとか。途中で力尽きて、流し読みになってしまった。
哲学的側面のところでのコメントが面白かった:
皮肉なことに、この「我々は常に誤りうる」という感覚こそが、おそらくもっとも理論から実践へと移しにくい特徴なのである。いま準実験デザインの活用を声高に宣言している研究者の多くに、Campbellは欠陥を見出したであろう。傾向スコア分析を用いている研究者の多くは、「強い無視可能性」などの諸想定があてはまっているかどうかにあまり注意を向けない。因果推論を正当化する根拠としてPCMを引き合いに出しながら、モデルがもっともらしいことが大事だという点には触れない、という人はさらに多いだろう。かつてCampbell(1994)はこう言った:「私の方法論的勧告は、それを引用する人はあまりに多く、それに従う人はあまりに少なかった」
うわあ、あっちこっち痛い...耳とか胸とか...
論文:データ解析(-2014) - 読了:Shadish & Sullivan (2012) Cambell vs. Rubin vs. Pearl, 統計的因果推論の頂上決戦
2012年8月20日 (月)
中国共産党 支配者たちの秘密の世界
[a]
リチャード・マクレガー / 草思社 / 2011-05-25
フィナンシャルタイムズの記者による,現代中国の政治についてのノンフィクション。原著は2010年で,だから薄熙来といった名前はまったく出てこないが,上海の汚職事件は登場する。
2004年時点で,都市の規模と世帯数に比べて民間企業の数が少ないのは,北京,チベット,上海だったのだそうだ。北京とチベットは政府や軍関連産業があるから。上海は,意外にも民間部門が小さく国有企業が多いのだそうだ。へー。
デリバリーシンデレラ 1 (ヤングジャンプコミックス)
[a]
NON / 集英社 / 2010-05-19
かなりの巻数が出ているので試しに買ってみたら,地味だが心美しい女子大生が人気デリヘル嬢として自己実現,デリヘルって素敵なお仕事,さあ今夜もガンバロウ,などという... 昔の「ソープのモコちゃん」みたいなものだが,真面目なところが何ともはや。
あらゆるマンガにはなにかしら美点があると思うので,決して悪くいうつもりはないが,俺にはちょっと耐えられず,ずっと放り出していた。本棚の整理のためむりやり読了。ヤングジャンプ連載だったらしい。
コミックス(2011-) - 読了:「デリバリーシンデレラ」
2012年8月18日 (土)
Kahneman, D., & Frederick, S. (2005) A model of heuristic judgement. Holyoak, K. J. & Morrison, R.G. (eds.) "The Cambridge Handbook of Thinking and Reasoning," Chapter 12. Cambridge University Press.
70年代初頭のTversky&Kahnemanにはじまる、ヒューリスティックスとバイアスの研究を振り返り、著者らの最新の道具立て(2システム・モデル)によって整理する内容。有名な代表性ヒューリスティクスや利用可能性ヒューリスティクスは、ここでは属性代用 (attribute substitution) のプロセスとして説明される。
いくつかメモ:
- 著者らいわく(2節)、属性代用を示す直接的証拠は、規範解からの逸脱(バイアス)ではなく、「ヒューリスティック誘発」デザインによる証拠である。なにを云うておられるのかというと...
たとえば有名なリンダ問題(連言錯誤課題)の場合、次のようなデザインがそれである。被験者に説明文を読ませたのち(「リンダは31歳の独身女性で哲学専攻で反核運動やってて...」)、ある群には8つの文の確率を順位づけさせ、別の群には同じ8つの文の代表性を順位づけさせる。8つの文のうち6つはフィラー、残り2つがかの有名な「彼女は銀行員だ」と「彼女は銀行員で女性運動家だ」である。よく知られているように、後者のほうが確率評定が高くなっちゃうのだが(連言錯誤)、属性代用の直接的証拠は、各群における8文の順位の平均が群間でばっちり相関することだ、とのこと。 - 上の話は確率評定群と代表性評定群の集計値を比べているわけで、そんなんが直接的証拠なんですか、むしろ確率評定と代表性評定の個人内の関連性を調べたほうがよろしいんとちがいますか... と思うところだが、著者らに言わせればそれはアサハカな考え方である(3節後半)。
いわく、ことヒューリスティクス研究に関する限り、被験者内デザインはよろしくない。なぜならば、被験者はなにを操作されてるか気が付いちゃうし、どうしても課題が型にはまったものになっちゃうし、判断は操作変数のきれいな線形結合になりがちだから(Andersonの情報統合理論を見ろよ、とのこと)。要するに、被験者内デザインは生態学的妥当性が低い、という御批判である。手厳しいなあ。 - 上の実験の確率評定群では、「彼女は銀行員だ」と「彼女は銀行員で女性運動家だ」の両方がリストに入っているが、あいだにフィラー文が入っており、2つの文を比較するようには教示していない。こういう風に、エラー回避に十分な情報が与えているがその情報に注意を喚起していないタイプの実験のことを、Tversky&Kahneman(1983, Psych. Rev.)は"subtle"と呼んでいるのだそうだ(3節前半)。今風にいうと、システム2のために十分な情報は並べるが、寝てるところを起こしはしない、といったところ。
さて著者らいわく、いまにして思えば、連言錯誤やベースレート無視の論文ではsubtleな課題に話をとどめておけば混乱がなかったかも、とのこと。実際には著者らは、たとえばリンダ問題では本命の2文を直接比較させてもなお頑健なエラーが生じることを示してきたのだが(そして先生、そこが面白かったんですが)、実のところあれは自分たちの中心的な主張じゃなかった由。著者らが言いたかったのは、直観的判断が(いまの言葉でいえば)システム1でなされ、そこから連言錯誤やベースレート無視がもたらされるということであり、システム2がそれを修正する可能性は認めていた。だから、仮に2文の直接比較において連言錯誤が消失しても、自分たちの主張は変わらなかった、とのこと。ふうん。 - 連言錯誤やベースレート無視の実験はさまざまな批判を巻き起こした。被験者は教示があいまいだからエラーを起こしたんだとか、慣習的規範のせいでエラーを起こしたんだとか(著者らはここでHiltonの語用論的批判を例に挙げている)。
著者らいわく、この批判について考えるためには、人間の合理性をcoherence rationalityとreasoning rationalityとに分けて考える必要がある(3節前半)。前者は信念・選好の体系の内部的整合性のことで、リンダ問題のsubtleな実験は、人にこの意味での合理性が欠けていることを示している。いっぽう後者は、手元の情報に照らしてとにかく正しい推論ができることを指す。リンダ問題の実験はこの意味での合理性の否定であると解され批判された。それらの批判には当たっているところもあったが、「どの批判もある重要な弱点を抱えていた。連言ルールについての直接的テストにおいて観察された判断は、他の3つのタイプの実験において観察された判断と完全に整合していたのに、彼らはその理由を説明できなかったのである。3つのタイプの実験とは、subtleな比較、被験者間の比較、そしてこれが一番大事なのだが、代表性判断である。連言錯誤がアーティファクトだと抜かしたアホどもは、確率評定と代表性評定がばっちり相関するというワシらの結果を無視しよったのじゃ」(途中から意訳) - 話変わって...
- カテゴリ的予測ではベースレートが無視されがちである。「ここに法律家が30人、エンジニアが70人います。そのなかのある人は、魅力的で賢くて話し上手で皮肉屋です。この人が法律家である確率は?」 30人というところが無視されがち。
- 過去の出来事の要約的評価では,持続時間が無視されがちである。「お隣のうちの車のアラームが30分間鳴りつづけたら、どのくらい嫌ですか?」 30分と言うところが無視されがち。
- 公共財の経済的評価では,スコープが無視されがちである。「20万羽の渡り鳥が油田に落ちて死ぬのを防ぐためにあなたが払える金額は?」 20万羽というところが無視されがち。
問題の人物が法律家である確率、鳴りつづけるアラームを聞くことの嫌さ加減、渡り鳥を救う金額的価値といった属性はextentionalであり、その判断は規範的には加算的に決まる(単純な足し算ではないにせよ)。たとえば渡り鳥を救うことの金額的価値は、救える鳥が1000羽増えれば増大するはずである(どのくらい増大するかは別にして)。ところが実際には、人は(1)カテゴリをプロトタイプ事例で代用し、(2)カテゴリのextentionalなターゲット属性を、プロトタイプ事例のnonextensionalなヒューリスティック属性によって評価する。だから、法律家の割合や、アラームの持続時間や、救われる鳥の頭数は無視されるのである(システム2が起動したら修正されるけど)。それぞれのエラーについて他のタイプの説明はあるけれど(順に,Cosmidesら、Arielyら、Kopp(1992, J. Policy Anal. & Mgmt.)というのが挙げられている)、このように統一的に説明できているのは我々だけだ、とのこと。 - 本筋とは違うけれど... Bodenhausen(1990,Psycho.Sci) という人が判断とサーカディアン・リズム(日内変動)の研究をしていて、朝型の人は夜のほうが、夜型の人は朝のほうが、連言錯誤を起こしやすいことを示しているのだそうだ。へええ。
この論文は、ちょっといきさつがあって以前著者にご恵送いただいたのだが(ありがとうございました...)、そのときはどうしても読めなかった。このたび仕事の都合で淡々と目を通したのだけれど、自分が心理学の理論論文を再び読もうと思うことがあるとは全く思わなかったし、こうして穏やかに読めるようになる日が来るとも思わなかった。ずいぶん節操のないことだとも思うし、時間とともに変わらないものなどなにもないのだなあ、という感慨もある。
論文:心理 - 読了:Kahneman & Frederick (2005) ヒューリスティック的判断のモデル
宇宙怪人しまりす 医療統計を学ぶ 検定の巻 (岩波科学ライブラリー)
[a]
佐藤 俊哉 / 岩波書店 / 2012-06-06
さきほど帰路に本屋に寄って,面陳されているこの本に気づき,しまったまだ読んでなかった,と慌てて購入。6月には並んでいたはずなのに,うかつであった。
で,さきほどパラパラめくり始めたが最後,一気に引き込まれてしまい,吹き出したり痺れたり感動したりしながら読了。
高名な医学統計家がなぜか物語形式でお送りする,ユーモラスかつ斬新な医療統計入門,その第二弾。前著にも大変感銘を受けたのだが,この続編も負けずに素晴らしい。
この本がいかに奇妙なユーモアと斬新なアイデアに満ちているかを,なにかの拍子にこのブログをお読みの奇特な方にご理解頂くために(そしてあわよくばクリックしてご購入いただくために),冒頭の「これまでのあらすじ」を一ページまるごと引用する。先生,お許し下さい。
平和を愛するりすりすは [←みよ,この想像を絶する書き出しを],戦争ばかりしている星々を征服し,平和化するために統治していた。進んだ科学力をバックに地球を平和にするため,りすりす星から地球征服にやってきた宇宙怪人しまりす。地球を征服した後には人類を健康に保たなければならない。しかし,かぜや腹痛以外病気らしい病気のないりすりす星では,疫学,医療統計学といった病気の原因を追究して予防に役立てたり,新しいくすりや治療法の効果を調べるための学問だけは遅れていたのだった。このため宇宙怪人しまりすは,地球を征服する前にまず医療統計を勉強するという使命を負っていた。
このときひとりの医療統計家が地球征服に対し敢然と立ち上がった。医療統計家の先生は,よなよな研究室を訪れる宇宙怪人しまりすに対し医療統計の限りをつくして壮絶な戦いを演じた。タイムマシン,イエッサーと科学の粋を尽くしたしまりすの攻撃を,「割合」と「率」の違いにはじまり,「ランダム化」「交絡」といった大技をくりだし,さらには教育的配慮でかわす先生。[←未読の方は信じがたいだろうが,これは前作についての適切な要約なのである] 両者死力を尽くした戦いののち,自らの卒業発表に征服相手の先生を招くという失策を犯して敗北を喫したしまりすは,りすりす大学みけりす学長の命を受け京都大学に医療統計留学することになり,専門職学位課程の学生として日夜医療統計を学んでいる。
宇宙怪人しまりすは医療統計専門家になれるのか,はたして地球は征服されてしまうのか。それとも...。ここに再び宇宙怪人と先生の死闘が幕を開ける。
というわけで,今回のテーマはなんと,いっけん簡単にみえてよく考えるととてつもなくややこしいテーマ,統計的仮説検定である。著者は死力を尽くし,検定とその周辺の諸問題をバランス良く,かつこれでもかとわかりやすく説明してくれる。なんともぜいたくな一冊である。仕事の都合上,統計学のわかりやすい参考書を紹介するよう求められることが時々あって,検定に関してはこれまで吉田寿夫「本当にわかりやすいすごく大切なことが書いてあるごく初歩の統計の本」を紹介していたのだが,これからは一緒にこの本を紹介しようと思う。どんな極端な統計嫌いでも,これなら喜んで読んでくれるだろう。
個人的に勉強になった点をいくつかメモしておくと...
- 研究計画書を添削するくだり,これはホントに勉強になった。題材は医療統計だが,実証を伴うどんな分野にも通じる教訓が含まれていると思う。
- 第一種の過誤と検出力についての説明は案外あっさりしている。そうか,この分量での説明だったら,そこは割り切っちゃっていいのか...
- 信頼区間について他人に説明する際は,いつもちょっと緊張するのだが(正しく説明するのは案外大変である),この本ではスタンダードな解釈を後回しにして,所与のデータについてもし帰無仮説を動かしながら検定を繰り返したら...という風に説明している。意外な順序での説明で,ちょっとびっくりした。こういうやりかたがあるのか。
- RCTにおけるintention-to-treatの原則について説明するくだり,実に実に丁寧である。こうやって順を追って説明すれば,どんな人でも納得してしまうだろう。さすがにプロフェッショナルは違う。
- 恥ずかしながら,CONSORT声明についてよく知らなかった。勉強しなければ。
- 臨床試験の脱落者を追跡するためにわざわざタイムマシンを使っちゃうところ,そうくるだろうと思ってはいたのだが,やっぱり爆笑!
その学問的誠実さゆえにいつも胃に穴を開けそうな「先生」が,エピローグでは意外な決断をする。地球の運命はどうなっちゃうんでしょうか。どうやら第三弾も期待して良さそうだ。
データ解析 - 読了:「宇宙怪人しまりす 医療統計を学ぶ 検定の巻」
2012年8月17日 (金)
コミックいわて2
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さいとう・たかを,麻宮騎亜,月子,池田文春,小坂俊史,田中美菜子,池野恋,三田紀房,吉田戦車,とりのなん子,飛鳥あると,地下沢中也,佐佐木勝彦,そのだつくし / メディア・パル / 2012-03-30
岩手県知事責任編集!というキャッチコピーで,岩手県と地元紙が企画した,地元ゆかりのマンガ家を中心にしたコミックアンソロジー。とてもユニークな試みだが,二巻が出たと言うことはさぞや好評だったのであろう。震災で刊行が遅れた由で,内容も震災を強く反映したものになっている。
通常なら一冊にまとまらないような,全く傾向の異なるマンガが一緒になっているので,パラパラめくってみると,マンガ表現というのは幅の広いものだ,と感銘を受ける。
現代中国の政治――「開発独裁」とそのゆくえ (岩波新書)
[a]
唐 亮 / 岩波書店 / 2012-06-21
経済発展による中間層の増大は民主化を引き起こすのだという意見と,じゃあなにかい,スタバでコーヒーを飲めば気分もアメリカナイズされるってのかい,という意見とがあると思うが,著者の意見は,これからの経済発展次第じゃないですか,とのことであった。
ノンフィクション(2011-) - 読了:「現代中国の政治」
2012年8月15日 (水)
足利義政と銀閣寺 (中公文庫)
[a]
ドナルド キーン / 中央公論新社 / 2008-11
2003年刊の本の文庫化。
室町幕府の八代目にして,美に耽溺し応仁の乱を傍観した史上最低の将軍・足利義政を,文化への貢献という面から再評価する内容であった。
銀閣寺は見学しておいたほうがいいかもしれないな。本ばっかし読んでないで。
サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3
[a]
村上 春樹 / マガジンハウス / 2012-07-09
アンアン連載の軽いエッセイ。
ひさし伝
[a]
笹沢 信 / 新潮社 / 2012-04-18
ここんところ井上ひさしさんの戯曲を立て続けに読んでいて,勢い余って読んだ本。著者は山形新聞に勤めた人。
恐山: 死者のいる場所 (新潮新書)
[a]
南 直哉 / 新潮社 / 2012-04-17
軽い気持ちで手に取ったのだが,これが意外に興味深い本であった。
著者は58年生まれ,脱サラして永平寺で約二十年修行したのち(これは例外的な長さだそうで,しまいには「永平寺のダースベーダー」と呼ばれたそうだ),いろいろあって恐山のお寺の住職代理になったという人。
お坊さんというより,哲学科を出て社会運動している人のような案配で,特に巻末の長いあとがきは,リミッターを外したかのように真摯な,読み手を選ぶ文章である。略歴をみると,永平寺時代からすでに何冊も本を書いているそうで,きっと知る人ぞ知る書き手なのだろう。
一見,死というものは死者に埋め込まれている,張り付いていると思われがちです。しかし[...] むしろそれは死者を思う生者の側に張り付いているのです。/なぜなら,死こそが,生者の抱える欠落をあらわすものだからです。その欠落があるからこそ,生者は死者を想う。[...] 私が恐山に来てつくづく思ったのは,「なぜみんな霊の話がこんなに好きなのだろうか」ということです。それは人間の中に根源的な欲望があるからです。そしてその欲望は不安からやってきます。/つまり,霊魂や死者に対する激しい興味なり欲望の根本には,「自分はどこから来てどこにいくのかわからない」という抜きがたい不安があるわけです。この不安こそがまさに,人間の抱える欠落であり,生者に見える死の顔であり,「死者」へのやむにやまれぬ欲望なのです。
死者の前に立つとき,自分の中の何かを死者に預けている,という感覚がある。亡くなって時間が経てば経つほど,そのような感覚が強くなっていきます。/一体,私たちは死者になにを預けているのか---。/それは,欠落したものを埋める何かだと私は考えています。[...] 私たちは生きている他者の前に立つとき,彼らからなるべく多くのものを得たいと思うでしょう。このとき,死活的なそれは,物などではありません。それは好意であり,愛情であり,優しさであり,共感であり,尊敬であり,結局のところは,他者から自己の存在を認められることです。欠落を埋めるものはそれなのです。[...] 相手が生者ならば,私たちはさらに働きかけて,得たいものを得ようとするでしょう。ですが,死者に対しては想起することしかできません。この上得られるものがなにもないままで,他者を想うとき,その思いは,当の他者,死者に預かってもらうほかありますまい。[...] もし,このような死者がリアルな存在でないというならば,生者もまたリアルな存在ではありません。
近代システムがどれほど拡大し深化しても,いや,すればするほど,死も死者も管理の及ばない場所を求めて移動していく。/突拍子もない新宗教や,「迷信」と呼ばれるような民間信仰へ,そして得体の知れない霊場へ。そのような場所で,我々が死者を欲望することで,死者は存在を回復し,我々は自らの死,根元における欠落を解き放つ。その欠落は欠落のまま許される。そこでは,死者も自らの死も悪ではなく,忌むべきものでもないのだ。/恐山に初めて来たという人が,異口同音に言うセリフがある。/「恐いところだろうと思って来たんですが,全然違いました。なにか,懐かしくなるようなところでした」/彼らは何が懐かしいのだろうか。それは,死である。
ノンフィクション(2011-) - 読了:「恐山」「ひさし伝」「足利義政と銀閣寺」「サラダ好きのライオン」
2012年8月14日 (火)
ブランド別購買確率が消費者間で異なるとき,その分布にディリクレ分布を当てはめることがあるけど、あれってなぜなんだろう、と前々から疑問に思っていた。と、こういうことをおおっぴらに書くのは、こっぱずかしいことなのかもしれないんだけど... わたくし、もともと根っからの文系なんです、勘弁してください。
ディリクレ分布を使うのは「ベイズ統計の観点から見てディリクレ分布は多項分布パラメータの事前共役分布になっているからです」... というようなテクニカルな理由であれば、それはそれで納得する。でも、ブランド購買のモデル化にディリクレ分布を使うというのは、二昔ほど前,購買行動の分析が集計値レベルでのモデル化に焦点を当てていた頃のアイデアではないだろうか。もっと実質的な理由があるのではないかしらん?
Goodhardt, G.J., Ehrenberg, A.S.C., & Chatfield, C. (1984) The Dirichlet: A comprehensive model of buying behaviour. Journal of the Royal Statistical Society. Series A (General) , 147(5), 621-655.
というわけで、当時の研究で,いまでもよく引用されているらしい論文を読んでみた。主に好奇心からなのだが、この分野についてきちんと勉強しないとなあ... という焦りも、少し働いている。マーケティング・サイエンスの新しい本だと、個人レベルの分析の話が中心で、集計レベルの分析の話がなかなか出てこないように思う。でも,地を這う虫のように零細なデータ解析で糊口を凌いでいる立場から見ると,集計値のモデリングにはいまでもニーズがある。
そもそもディリクレ分布というのは多変量化されたベータ分布のこと。著者らが提案するモデルは,ひとことでいえば,ブランドの売上頻度にディリクレ分布を,カテゴリの売上頻度に負の二項分布を当てはめるものである。
以下の5つの仮定からなるモデルを構築する。
ブランド選択についての仮定:A1とA2が述べているのは、全消費者による様々なブランドの購買の同時分布が、多項分布の,ディリクレ分布に従う混合分布によって与えられるということである。g=2の場合、この式は良く知られているベータ二項分布に還元される。
- (A1) i番目の個人のブランド選択は、購買の繰り返しを通じてあたかもランダムであるかのようにふるまう。g 個のブランドから j 番目のブランドを選ぶ確率を (p_j)_i とする。これらの確率は時間を通じて固定されており、繰り返される購買においてブランド選択は独立である。したがって、個人 i が n_i 回の購入においてそれぞれのブランドを購入する回数は、パラメータ n_i, (p_1)_i, ..., (p_g)_i の多項分布によってモデル化できる。
- (A2) 確率 (p_j)_i は個人によって異なり、次の同時密度関数を持つ多変量ベータ分布(ディリクレ分布)に従う:
C p_1^{\alpha_1-1} ... p_g^{\alpha_g-1}
ただし、p_j ≧ 0, \sum \p_j = 1, C=\Gamma(S) / \prod (\Gamma \alpha_j), S=\sum \alpha_j, \alpha_j > 0 である。ブランド j を選択する確率は、 j 番目の周辺分布、すなわち単純なベータ分布
C p_j^{\alpha_j-1} (1-p_j)^{S-\alpha_j-1}
となる。この分布の平均は \alpha_j / S 、すなわちこのブランドの市場シェアである。伝統的な書き方でいえば、ベータ分布のパラメータを\alpha, \betaとして、S=(\alpha+\beta)である。
製品クラスにおける購買生起についての仮定:B1とB2が述べているのは、全消費者によるある製品の長さTの期間内の購入数が、平均MT, 指数K の負の二項分布(NBD)に従うということである。
- (B1) 個人 i の購買の繰り返しはあたかもランダムであるかのようにふるまい、独立である。ある「単位」期間 (購買間時間の最小値よりも長いある期間。通常は週) における率の平均は定数 \mu_i である。従って、長さTの期間内の購買数 n_i は、平均 \mu_i T のポアソン分布に従う。
- (B2) 購入率の平均 \mu は個人によって異なり、次の密度関数を持つガンマ分布にしたがう:
\frac{ e^{-u K / M} \mu^{K-1}}{(M/K)^K \Gamma(K)}
(A)と(B)の関係についての仮定:仮定(A),(B),(C)に基づき、あるひとつのモデルを導くことができる。これをNBD-ディリクレ分布、あるいは単にディリクレと呼ぶことにする。
- (C) ブランド選択確率の分布と購入頻度平均の分布は、独立である。
で,各仮定の論拠は以下の通り。
- (A1) ... 経験的に、個人レベルの購買行動は不規則だが定常であることが多いから。
- (A2) ... 各ブランドの購買確率がブランド間で独立で(著者らはこれを「市場にセグメントがない」と表現している)、かつ各ブランドの購買確率の個人内の和が1ならば、ブランド選択確率の混合分布はディリクレ分布に従うことが示せる由。へええー、数理的な話なのか。Mosimann(1962, Biometrika)というのが挙げられている。なお、ブランド間の独立性という仮定は非現実的だという批判もあるそうだが(Aitchison, 1982)、著者らはこの批判に対して否定的。
- (B1) ... 経験的に、個人の購買生起はランダムとみなせることが多いから。だからといって必ずやポアソン分布だということにはならないのだが、有用な近似である、とのこと。
- (B2) ... なんだか面倒な話だったから読み飛ばしたが、あまり強い論拠ではなさそう。
- (C) ... 経験的にそうだから。
... なんだか疑問が解決しちゃったので,あとは流し読み。集計データに当てはめる例が紹介されているが,パラメータ推定は簡単には解けず,近似計算が必要になるような気配だ。たいそう面倒そうな話なのでパス。
モデルの使い道としては次の4つが挙げられている。(1)市場が定常だと仮定しノームを設定する。(2)変化を解釈するためのベースラインを設定する。(3)診断的につかう(実例を読んでいないのでぴんと来ない)。(4)モデルに基づき市場の一般的性質を理解する。
末尾に識者との質疑応答がついているんだけど,そっちもパス。結局,数割しか読んでないけど,まあいいや,整理の都合上読了にしておく。
論文:マーケティング - 読了:Goodhardt, et al.(1984) 購買のディリクレ・モデル
2012年8月13日 (月)
井上ひさし全芝居 (その3)
[a]
井上 ひさし / 新潮社 / 1984-07
しばらく前から,一編づつ読み進めていた本。文庫本10冊にもなろうかという分量で,読み終えていささかほっとしている。
井上ひさしさんが残した膨大な戯曲作品のうち,79年から84年までの10本を収録。すなわち,著者の最高傑作「イーハトーボの劇列車」(これが最高傑作でないと困る。こんなのを一人の人が何本も書くのは人倫に反する) だけではなく,その前後に相次いで発表されたいずれも傑作の誉れ高い評伝劇「しみじみ日本・乃木大将」「小林一茶」「芭蕉通夜船」「頭痛肩こり樋口一葉」,そしてロングラン作品「化粧」が収録されている。ついでにいえば,この時期に著者はベストセラー小説「吉里吉里人」を発表し,劇団こまつ座を結成している。化け物である。
「しみじみ日本・乃木大将」は,乃木とその妻の自決の日,乃木の愛馬たちの前足たちと後足たちが演じる劇中劇のかたちをとっているのだが(やっぱり化け物だ。なんでそんなことを思いつくか),乃木に対する明治天皇の台詞に,こんな印象的なくだりがある。
これからも武人の型を演じつづけてほしい。天皇に対して軍人たるものはどのような感情を持つべきであるか,その型を演じつづけてほしい。乃木,われわれの,この明治という時代は,さまざまな場所で,さまざまな人々が,忠臣や,篤農や,節婦や,孝子などの型を演じ,その型を完成させ,周囲の手本たらんとつとめる時代なのだ。国民に型を示し,そのうちのひとつを選ばせる。これが国家というものの仕事なのだ
というわけで,乃木とその妻は,自らが演じはじめた型を演じ続けるために命を絶つ。
明治大帝のこの台詞は,明治日本に対する井上ひさしさんのひとつの洞察を示していると思うのだけれど,それは日本の近代に固有の現象なのかしらん,それとも,さまざまな社会が普遍的に通過する経験なのかしらん。
いやいや,私たちは決して通過などしていないのかもしれない。先日も誰かがどこかで,自己決定権を持つ知的労働者ならば24時間働いて当然である,やれブラック企業だなんだと労働環境にケチをつける奴は所詮は定型的労働者だ。。。というようなことを誇り高く宣言していて,興味深かった。なるほど。この平成という時代だって,さまざまな場所でさまざまな人々が,誰かが用意した型のひとつを選び,それを演じ,その型を磨き上げている。
パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い
[a]
黒岩 比佐子 / 講談社 / 2010-10-08
今年読んだ本のなかでベスト・ワン,文句なしの大傑作であった。
初期社会主義者・堺利彦と,彼が弾圧の時代を生き抜くために興した一種の編集プロダクション・売文社を中心に,明治大正の知識人の群像を描く。堺利彦という人は信念の活動家であるだけではなく,組織づくりの達人,一流のユーモリストでもあった。心の奥に暖かい灯がともるような名評伝。
著者は一昨年,この本の上梓直後にガンで亡くなっていて,だから刊行後にこの本が得た大評判にも,少し追悼の意味が含まれているのではないか,と疑っていたのである。下衆な勘ぐりであった。
日本近現代史 - 読了:「パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い」
おひとり様物語(4) (ワイドKC Kiss)
[a]
谷川 史子 / 講談社 / 2012-08-10
いやあ,巧いなあ... 至宝の職人芸だ。
山賊ダイアリー(1) (イブニングKC)
[a]
岡本 健太郎 / 講談社 / 2011-12-22
山賊ダイアリー(2) (イブニングKC)
[a]
岡本 健太郎 / 講談社 / 2012-07-23
著者はマンション暮らしの若者だが,銃と罠を手に山々を廻り鳥獣を狩ってはおいしく頂いているのだそうで,その生活を描いたコミックエッセイ。興味深い。どうやって生計立てているだろうか...
34歳無職さん 1 (MFコミックス フラッパーシリーズ)
[a]
いけだ たかし / メディアファクトリー / 2012-02-23
34歳一人暮らし女性が,会社を辞めたのを期に木造アパートで100%無職生活を送る,その日常を淡々と描いた作品。昼寝しちゃったせいで夜中に散歩したりなんかして。まぁありそうな設定のマンガだが,実は別れた夫との間に娘がいる,でも仕事やめてから会ってない,「なんか... カッコ悪くてさ」というくだりで,俄然深みを増すのであった。いやいや,お会いなさいな。
ラブやん(17) (アフタヌーンKC)
[a]
田丸 浩史 / 講談社 / 2012-07-23
繕い裁つ人(3) (KCデラックス Kiss)
[a]
池辺 葵 / 講談社 / 2012-08-10
進撃の巨人(8) (講談社コミックス)
[a]
諫山 創 / 講談社 / 2012-08-09
コミックス(2011-) - 読了:「山賊ダイアリー」「34歳無職さん」「進撃の巨人」「ラブやん」「おひとり様物語」「繕い裁つ人」
2012年8月10日 (金)
Scrutari, M. (2010) Learning Bayesian Network with the bnlearn R Package. Journal of Statistical Software, 35(3).
Hojsgaard, S. (2012) Graphical Independence Networks with the gRain Package for R. Journal of Statistical Software, 46(10).
Rのベイジアン・ネットワーク用パッケージの解説。仕事の都合でめくった。
前者はbnlearn, 後者はgRainの解説。ほかにdealというのも有名らしいが、良い解説がみあたらなかった。どちらもきちんと読んでないけど、整理の都合上、読了にしておく。
ぱらぱらめくった感じでは、構造学習の局面ではbnlearnのほうが便利そうだし、手法をいっぱい搭載してて、楽しそうだ。Pearl流のICアルゴリズムしかないのかと思ったら、スコア法もできるらしい(山登り法)。いっぽう、できあがったモデルを使って確率推論する局面では、gRainのほうが便利そう。bnlearnのほうは、ネットワークの一部のノードに証拠をセットして他のノードの確率を推論する方法がよくわからなかった。ひょっとして、条件つき確率表から手計算で出せってことかしらん?
たまたまHorjgaard, Edwards, Lauritzen "Graphical Models with R"という本を買ったばかりだったのだが、第一著者は上記論文の著者でgRainの開発者であった。本のほうを読めばよかったかも。さらに第二著者は、私が気に入っている MIM というソフトの開発者であった。バージョンアップがストップしていると思ったら...
論文:データ解析(-2014) - 読了:Scrutari(2010) bnlearnパッケージ; Hojsgaard(2012) gRainパッケージ
2012年8月 6日 (月)
駿河城御前試合 (徳間文庫)
[a]
南條 範夫 / 徳間書店 / 2005-10
戦後の剣豪小説ブームを担った作家・南條範夫の,64年の連作小説の復刊。何度も映画化・マンガ化された有名な作品だと思うけど,そもそも南條範夫の小説をいま読む人はどのくらいいるんだろうか? この本も,所収の短編「無明逆流れ」を元にしたマンガ「シグルイ」の大ヒットにあやかって復刊されたものだと思う。
「がま剣法」という短編が群を抜いて面白いと思った。平田弘史さんによるマンガ化が印象に残っているんだけど,いかにも平田弘史ごのみの,劣れる者のルサンチマンあふれるストーリーである。
治安維持法 - なぜ政党政治は「悪法」を生んだか (中公新書)
[a]
中澤 俊輔 / 中央公論新社 / 2012-06-22
著者は79年生まれの学振の人。自分より若い人の本はあまり読まないことにしているのだけれど(心が狭い...),つい読んじゃいました。
法律ってのは,いったん出来ちゃうとひとりでに膨張していくんだなあ... と,変なところで感心した。
新しい左翼入門―相克の運動史は超えられるか (講談社現代新書)
[a]
松尾 匡 / 講談社 / 2012-07-18
明治期から戦後にかけての日本の社会主義運動を紹介。意図してのことと思うが,文章がくだけすぎていて,好みが別れるところだと思う。
競争の作法 いかに働き、投資するか (ちくま新書)
[a]
齊藤 誠 / 筑摩書房 / 2010-06-09
数年前に大変評判になった本。意外に寄り道の多い,くだけた内容であった。
別海から来た女――木嶋佳苗 悪魔祓いの百日裁判
[a]
佐野 眞一 / 講談社 / 2012-05-25
ノンフィクション(2011-) - 読了:「別海から来た女」「競争の作法」
猫なんかよんでもこない。 (コンペイトウ書房)
[a]
杉作 / 実業之日本社 / 2012-05-17
十年ほど前に,講談社モーニング誌で「クロ號」というネコ漫画が連載されていた。あまりきちんと読んでいなかったが,ほのぼのとした絵柄の割に,野良猫の厳しい生死が描かれていたのが印象に残っている。
この作品はその著者が,連載開始に至るまでの若く貧しい日々を綴った私エッセイマンガ。著者はもともとプロボクサーで,目を痛めて引退,食うや食わずのままマンガ家を目指し,「クロ號」は苦節の末のデビュー作だったのだそうだ。
謎のあの店 1 (眠れぬ夜の奇妙な話コミックス)
[a]
松本英子 / 朝日新聞出版 / 2012-08-07
めしばな刑事タチバナ 6 [ポテトチップス紛争] (トクマコミックス)
[a]
坂戸佐兵衛,旅井とり / 徳間書店 / 2012-08-04
海獣の子供 5 (IKKI COMIX)
[a]
五十嵐 大介 / 小学館 / 2012-07-30
コミックス(2011-) - 読了:「めしばな刑事タチバナ」「謎のあの店」「海獣の子供」「猫なんかよんでもこない。」
2012年8月 4日 (土)
Rubinson, J. & Pfeiffer, M. (2005) Brand key performance indicators as a force for brand equity management. Journal of Advertising Research, 45, 187-197.
消費者・顧客ベースのブランドエクイティ調査をどのように活用していくか、という実践的手引き。著者らは実務家で、第一著者は調査会社NPD Group出身。目新しい話はないが、調査担当者の自己研修資料としては最良の部類であろうと思う。(←おお、偉い人みたいな言い回しだ)
論文後半では、携帯電話会社のブランドエクイティ管理について実例を挙げていて、目標売上をリテンション・新規・アップセルに分解し、そこからトップダウンで、KPIと目標設定へと落とし込んでいく。自社ブランドのイメージ「顧客に気配りしている」のtop2box%がいま45%なのを、来期は65%に向上させる、「金額ぶんの価値がある」を52%から67%に向上させる... 以上5つが目標だ、全部達成したら市場シェアは8%伸びるぞ。というところまで、CS調査データと統計モデルに基づいて追い込んでいくのである。うーむ... ひとつのケース・スタディなんだろうけど、ここだけ読むと、「そこまでやりますか」というか、奇妙な殺伐さと非現実的雰囲気を感じる。フィジビリティとかサステナビリティという視点はどこで入ってくるのか? 組織ってのはそんな風に動かせるものか? ここに欠けているリングはなんだろう?。。。などと、あれこれ思い惑いつつ読了。ともあれ、勉強になりましたです。
論文:マーケティング - 読了: Rubinson & Pfeiffer (2005) ブランド調査はこう使え
2012年8月 3日 (金)
奥村学(2012) マイクロブログマイニングの現在, 第3回集合知シンポジウム, 電子情報通信学会・言語理解とコミュニケーション研究会.
twitterを中心にしたマイクロブログの分析についてのレビュー。今年2月に新潟で開かれたカンファレンスでの招待講演の資料らしい。勉強になりました。
論文:マーケティング - 読了: 奥村(2012) つぶやき分析レビュー
先週の「ブランドエクイティ測定祭り」(なんだそれは) で手に取った論文の記録。
Shocker, A.D., Srivastava, R.K., & Ruekert, R.W. (1994) Challenges and opportunities facing brand management: An introduction to the special issue. Journal of Marketing Research, 31(2), 149-158.
94年,JMRのブランド管理特集号の巻頭論文。ブランド管理をとりまく環境要因を5つ挙げ(グローバル化とオープン化、技術の進歩、流通の支配力の増大、投資家からの圧力、消費者の変化)、それぞれについて近年の状況と影響を概観。
もう眠くて眠くて眠くて... 数行ごとに意識がどこかに飛んでしまっていた。これは私の側の問題で、論文のせいじゃないです。
論文:マーケティング - 読了: Shocker, Srivastava, & Ruekert (1994) ブランド管理の現状と課題
2012年8月 2日 (木)
兄帰る
[a]
永井 愛 / 而立書房 / 2000-04
永井愛さんの作品は頑張って読むように心がけているんだけど,読むたびに背筋が凍るような気がする。この作品も,子どもの野球チームの合宿に手伝いにいくかどうかとか,面倒な叔母さんとどう接するかとか,そういうごく平凡なエピソードを通じて,私たちの生活のなかの偽りや空虚を容赦なく暴き出す。怖い。。。
北朝鮮で考えたこと (集英社新書)
[a]
テッサ・モーリス-スズキ,田代 泰子 / 集英社 / 2012-05-17
「北朝鮮へのエクソダス」を書いた,オーストラリアの日本近代史研究者による,北朝鮮・韓国の旅行記。20世紀初頭の,ケンプという西洋人女性による紀行文をなぞる度をする。
中世ヨーロッパ生活誌〈1〉
[a]
オットー ボルスト / 白水社 / 1998-10
目黒駅前の本屋さんでうっかり買い込み(たしか非常勤が終わってハイになっていたのだ),そのままずっと本棚に眠っていた本。全二巻なのだが,二巻目のほうはもう品切れになっている...参ったなあ。
実のところ,やはり同じように本棚の奥深くに積まれたままになっていたアリエス「子どもの誕生」と,どっちを先に読もうかとちょっと迷ったのである。この本によれば,西洋中世に子どもという概念がなかったというのは言い過ぎであり,「中世が『子供とは何の関係もなかった』(Ph. アリエス) などとはとんでもない話である」のだそうである。えーっ。
亡命 遥かなり天安門
[a]
翰 光 / 岩波書店 / 2011-06-16
中国からの亡命知識人インタビュー。著者は映画作家で,「亡命」というドキュメンタリー映画を撮っているそうだ。
ノンフィクション(2011-) - 読了:「亡命」「中世ヨーロッパ生活誌」「北朝鮮で考えたこと」
闇金ウシジマくん 25 (ビッグコミックス)
[a]
真鍋 昌平 / 小学館 / 2012-07-30
岳 17 (ビッグコミックス)
[a]
石塚 真一 / 小学館 / 2012-07-30
そろそろ完結。主人公の山男・三歩のキャラクターが確立しすぎて,だんだん伝説の超人のようになってきちゃって... 話を続けるというのは難しいもんだなあと思う。
それでも町は廻っている 10 (ヤングキングコミックス)
[a]
石黒 正数 / 少年画報社 / 2012-07-30
鏡花あやかし秘帖 (ノーラコミックス)
[a]
今 市子 / 学研マーケティング / 2012-06-28
とりぱん(13) (ワイドKC モーニング)
[a]
とりの なん子 / 講談社 / 2012-07-23
ヨメキン[ヨメとド近眼](3) <完> (イブニングKC)
[a]
葛西 りいち / 講談社 / 2012-07-23
売れないマンガ家であった旦那さんが,駆け出しマンガ家の著者である嫁さんの必死の後ろ姿を見て,マンガを断念し転職する。こういうシリアスな話を,逃げずに正面から描くところが良い。
アゲイン!!(5) (KCデラックス 週刊少年マガジン)
[a]
久保 ミツロウ / 講談社 / 2012-07-17
ちょっと不思議な小宇宙 (アクションコミックス)
[a]
小田 扉 / 双葉社 / 2012-07-12
おかめ日和(14) (KCデラックス BE LOVE)
[a]
入江 喜和 / 講談社 / 2012-07-13
銀の匙 4―Silver Spoon (少年サンデーコミックス)
[a]
荒川 弘 / 小学館 / 2012-07-18
OL進化論(33) (ワイドKC モーニング)
[a]
秋月 りす / 講談社 / 2012-07-23
I 2 (IKKI COMIX)
[a]
いがらし みきお / 小学館 / 2012-06-29
コミックス(2011-) - 読了:「闇金ウシジマくん」「岳」「それでも町は廻っている」「鏡花あやかし秘帖 」「とりぱん」「ヨメキン」「アゲイン!!」「ちょっと不思議な小宇宙」「おかめ日和」「銀の匙」「OL進化論」「アイ」
Erdem, T. & Swait, J. (1998) Brand equity as a signaling phenomenon. Journal of Consumer Psychology, 7(2), 131-157.
現在のブランド論の主流であるところの認知心理学的観点ではなく、情報の経済学におけるシグナリング理論の観点からブランド・エクイティを捉えます、という論文。
先日読んだレビュー論文で紹介されていて、興味を引かれて読んでみたのだが、これが面白くて、取り急ぎ読む必要はないのに読みふける羽目になった。
著者らいわく、市場には情報の非対称性がある。たとえば、企業側が「うちの製品って実はいまいちなんだよねー」と知っていても、消費者側は必ずしもそれを知らない。この非対称性はマーケティングミクス戦略と相互作用する。たとえば、消費者にとって不確実性が高いカテゴリでは品質の保証が促進されるし、品質の保証は非対称性を縮小させる。
ブランドは企業の過去・現在のマーケティング戦略を体現・象徴しており、それゆえに、情報の非対称性を縮小させるためのシグナルとして働く。たとえば、ブランドは製品空間における当該製品のポジションのシグナルとなる。ブランドというシグナルが消費者に伝える情報は、そのブランドのマーケティングミクス要素の特徴によって決まったり(例, 高価格→高品質)、過去・現在のコミュニケーション内容によって決まったりする。
シグナルにはclarityという側面とcredibilityという側面がある。clarityとは、ブランドが伝える情報が曖昧でないことで、マーケティングミクス要素間の整合性や、メッセージの経時的な一貫性によって決まる。credibilityは、ブランドが伝える情報が本当らしくあてになるということで(その情報の中身は問わない。つまり、ブランドが信頼できるという意味ではない。「確実性」とでも訳すのがよさそうだ)、clarityと同じく整合性・一貫性によっても影響されるし、またclarityによっても影響される。さらに、ブランド・ロゴやらスポンサーシップやらブランド広告やらに企業が投資している(と感じられる)と、その投資を回収するために企業は約束を守ろうとするだろう、また守られない約束のせいで自分の評判を傷つけるのは避けようとするだろうと感じられるから、credibilityは高くなる。
さて、消費者は不完全な情報しか持たず、知覚リスクを抱えている。知覚リスクを低減するためには情報コストがかかる。ブランドというシグナルは、消費者の知覚リスクと情報コストの両方を低減させる。さらに知覚品質も向上させる。よって期待効用が向上する。このようにして上積みされた価値がブランド・エクイティだ。従って、ブランド・エクイティを決めるのは、ブランドというシグナルのclarityとcredibility、特にcredibilityである。
...この考え方のどこが新しいかというと、アーカー先生に代表されるブランド論のように、消費者の長期記憶に貯蔵された多面的なブランド知識から話を始めるのではなく、ブランドというシグナルの情報的な特性からスタートするという点である。そのせいで、いくつか新しい含意が生まれてくる:
- 第一に、ふつうは高品質の製品が髙いブランド・エクイティを獲得できると考えるが、著者らにいわせれば、ブランドが品質の高さを訴求しようが、いまいちであることを訴求しようが、その主張にcredibilityがあれば高いエクイティを得ることができる。
- 第二に、ふつうはブランド・エクイティのせいで知覚リスクが下がると考えるが、著者らにいわせればその逆で、知覚リスクが下がるからブランド・エクイティが生じる。
- 第三に、ふつうはブランド・ロイヤルティはブランド・エクイティの一側面だと考えるが、著者らは単に期待効用が上がったせいで反復購買しているだけだと考える。
実証研究は... クロスセクショナルな調査を一発掛けて、SEMのモデルを構築する。ジュース5ブランド(ドール、ミニッツメイド、etc.)とジーンズ5ブランド(カルヴァンクライン、ギャップ、etc.) についての質問紙調査。学生を対象に、ブランドあたり92票ないし86票を集め、縦積みにして分析する(調査研究としては意外にしょぼい...)。
調査項目は25項目(主に9件法)で、{知覚されたブランド投資、整合性、clarity, credibility, 知覚リスク、知覚品質、情報コストの節減、期待効用}の8つの潜在変数に割り当てられている(測定モデルとしても案外しょぼい...)。
潜在変数間のパスは、上の理屈に従い、{整合性, 投資}→{clarity, credibility}→{知覚リスク, 情報コスト節減, 知覚品質}→期待効用、という感じの逐次モデル。ブランドはダミー変数にしていれている(ブランドごとに潜在変数の平均を推定しているということであろう)。係数のブランド間異質性は気にせんでええんかいなと思うが、SASのPROC CALISでやったというし、まあサンプルサイズがこんなんですし。
推定結果は上記理屈のとおりで、期待効用にはcredibilityが強く影響する。カテゴリ別に推定すると、ジーンズではcredibilityは情報コストの節減を通って期待効用に効くが、ジュースでは知覚品質を通って期待効用に効く。飲めばすぐわかるので、情報コストがもともと低いからだろうとのこと。また、ジュースではブランド投資がcredibilityに効くがジーンズでは効かない。飲料ではばんばんブランド投資しているが、ジーンズではそうでもないんでしょう。云々。
いやあ、この論文は面白かった。実証の部分はともかく、考え方が。知識不足のせいでナイーブな反応をしているのかもしれないけど、とにかく私にとっては大変に面白く、途中でちょっと鳥肌が立ったほどである。
ブランドの研究者の方が書いたものを読んでここまで面白いと思ったのは、書籍を含めれば石井淳蔵という先生の本を読んで以来、論文に限ればこれがはじめてだ。ブランドの研究というのは、アーカーとかケラーというようなビッグ・ネームが経験的知識を美しく体系化し、他の研究者はみなそれを現場にあてはめて一生を終えるのかと思っていた(そういう知的営みにももちろん価値があると思う)。私が悪うございました。イノベーティブな視点、オリジナルな理論展開というのがありうる分野なんですね。感動。
特に感銘を受けた理由がふたつある。ひとつには、以前「アメリカのプライベート・ブランドのブランド・エクイティが低いのは、消費者に品質が低そうだと思われているからではなく、品質が髙いか低いかよくわからないと思われているからだ」という実証研究を読んだことがあり(あ、同じ著者だ!!)、それって腑に落ちる説明ではあるけど、(よくそのへんの本に書いてあるように)ブランド・エクイティが消費者の知識そのものなのだとしたら、あるブランドについてよく知らないことがエクイティの低さにつながるという理屈はなんだか変だなあ、と思ったことがあったからである。なるほど、シグナリングという考え方に立てば筋が通る。
もうひとつには、週に一度くらい、ブランドは私たちを幸せにするのだろうか、と考えるからである。マーケティングの基礎知識が社会人の常識となり(そうあるべきだと主張する人は少なくないですね)、ブランド構築という考え方が広まり、身の回りの商品やサービスがことごとく髙いブランド・エクイティを誇るものばかりになったとして、それは社会にとっては良いことだろうか? 直観的には、それって壮大な無駄遣いじゃないかと感じるのだが、そう思う理由がうまく整理できず、もやもやとしていた。この論文を読んで思うに、高等教育についての議論にはよくスペンスのシグナリング仮説というのが出てきて、この仮説に従えば、大学教育が個人の能力を全く高めなくても学歴は価値を持ち続けるし、その意味で、高等教育は社会的浪費になりかねない。そうだ、あの話と同じように考えればいいのだ。急に霧が晴れたような気分である。
この論文では、主張のユニークさを示すために従来の"認知心理学的"ブランド観との違いを強調しているけれど、どちらにしても長期記憶におけるブランド関連知識がブランド・エクイティを支えているわけで、その意味ではどちらの立場も、ブランドという社会現象を心的メカニズムで基礎づけようとしているのだと思う。この論文の特徴は、ブランド知識がエクイティを生み出すプロセスについての説明にあるが、さらに、ブランディングが成立する条件や、ブランドの社会的インパクトについて情報経済学の概念を引き込めるところが面白いと思う。著者らも論文の最後に書いているように、従来のブランド観と対立する視点というより、相補的な視点だと考えたほうがよいのだろう。
論文:マーケティング - 読了:Erdem & Swait (1998) シグナリング現象としてのブランド・エクイティ
先週、仕事の都合で、ブランドエクイティ測定に関する資料をオフィスの机の上に山積みにし、朝までひとりで読みまくるという、奇妙な一夜を過ごすことになった。いったいなにをやっているのか。×十年前の修士課程時代からまったく進歩していない。
めくった資料のうち、論文で覚えているものをいくつかメモ。他にもあったのだが、忘れてしまった。途中からすさまじい眠気に襲われ、さっぱり頭に入っていない。
Keller, K.L. (2006) Measuring brand equity. in Grover & Vriens (eds.), "The Handbook of Marketing Research." Sage.
ケラーの分厚い教科書の、8,9,10章の簡略版だと思う。なのでちゃんと読んでないけど、どこを眺めても、論旨が明晰で助かる。この章に限らず、このハンドブックはいざというときにとても便利だ。
えーっと、ブランド価値のソースの測定方法として、質的方法として自由連想法、投影法、ブランド・パーソナリティ評価、エスノとか観察とかを紹介。定量的手法として、ブランド認知の測定(再認とか再生とか)、ブランドイメージの測定(連想とかパフォーマンス評価とかブランドに付随するイメージとかなんとか)を紹介。ブランド価値の結果指標として、比較法(ブランドベース比較、マーケティングベース比較、コンジョイント分析)、全体的方法(残差アプローチ、価値評価アプローチ)を紹介。で、ブランド・バリュー・チェーン(マーケ投資→ブランド知識→市場でのパフォーマンス→投資価値ってやつ)の紹介。ブランド価値管理システム(監査とトラッキング)の紹介。
Leiser, M. (2004) Understanding brand's value: Advancing brand equity tracking to brand equity management. Handbook of Business Strategy, 5(1), 217-221.
所収のHandbook of ...というのは書籍というより年鑑のようなものらしい。著者は実務家。ブランド・エクイティの諸次元をただトラッキングするのではなく、そのブランドにとってなにが大事なのかをプロファイリングしなさい,というような主旨。
それからErdemという人の論文。これがやたらに面白かったせいで、ずいぶん時間を無駄にしてしまった。メモは別のエントリで...
論文:マーケティング - 読了:Leiser (2004) ブランドエクイティ管理; Keller(2006) ブランドエクイティ測定