2013年7月29日 (月)
Hsee, C.K., Yang, Y., Li, N., Shen, L. (2009) Wealth, warmth, and well-being: Whether happiness is relative or absolute depends on whether it is about money, acquisition, or consumption. Journal of Marketing Research, 46(3), 396-409.
人の幸せは、絶対的に決まるものでありましょうや、それとも他人との比較を通じて相対的に決まるものでありましょうや? それは幸せの種類によるのです。お金を手に入れた幸せやモノを手に入れた幸せは、他人との比較で決まるもの。いっぽう消費することの幸せは、他人との比較で決まったり絶対的に決まったりするのです。という研究。この雑誌に載っているのには、ちょっぴり違和感があるんだけど...
実験は4つ。
実験1はこんな感じ。被験者は中国の学生さん。2群に分ける(poor群とrich群)。各群のメンバーにランダムにミルク飲料のクーポンを渡す。クーポンの額面のポイント数だけミルクを増量してもらえる(どうやらこの飲み物、そのままではまずく、ミルクを入れれば入れるほどおいしくなるらしい)。額面は、poor群は1ポイントか2ポイント、rich群は5ポイントか10ポイント。群内では他人のクーポンの額面も見ることができる。
クーポンを受け取った直後に幸福度を18件尺度で評定。で、実際に飲んでもらって、また幸福度を評定。要するに、2x2=4セルの被験者間デザインで、評定を2回求めるだけ。拍子抜けするくらい簡単な実験だ。著者らの意図としては、一回目の評定が金銭上の幸福度、二回目の評定が消費経験上の幸福度である。
結果は... 2x2のANOVAで、一回目の評定には群の主効果なし、額面の主効果あり。二回目の評定には両方の主効果あり。poor群のrichメンバー(2ポイント)とrich群のpoorメンバー(5ポイント)を比べると、一回目の評定では前者が高く(群内で勝ち組だから)、二回目の評定では後者が高い(ミルクが多いから)。つまり、金銭上の幸福は相対的だが、消費経験上の幸福は絶対的である、とのこと。
実験2は、実験1と同じデザインで、クーポンでなく飲み物をいきなり渡す。一回目の評定は飲む前、二回目の評定は飲んだ後。著者らの意図としては、一回目の評定は獲得経験上の幸福度である。結果は実験1と同様。つまり、獲得による幸福もまた相対的である。
で、著者らいわく、消費経験のなかにも、生得的な基盤に基づいて評価可能な変数と、そうでない変数があるだろう。どちらにしたって社会的比較や外的参照枠の影響を受けるだろうけど、たとえば暑いの寒いのってのは生得的な基盤があるが、ダイヤモンドが大きいの小さいのってのにはそんな基盤はないでしょう? という議論である。前者による幸せは絶対的に決まりやすく、後者による幸せは相対的に決まりやすいはずだ。
というわけで実験3。デザインはさっきと一緒で(2x2の被験者間デザイン)、課題は2つ。
- ダイヤモンド課題。被験者をペアにして座らせ、先頭のペアに、一方には小さめ、他方には大きめのダイヤモンドを渡し、幸福度を評定させる。で、次のペアにダイヤを渡す。ダイヤの大きさは、poor群では3.0mmと4.4mm, rich群では5.8mmと7.2mm。教室で座ったままできる、実にのどかな実験だ。
- ボトル課題。ダイヤじゃなくて水の入ったボトルを渡す。被験者はボトルを握って、幸福度を評定し、次のペアに渡す。ボトルの水の温度は、poor群では摂氏12度と22度、rich群では32度と42度。きっと寒い教室なのだろう。
結果は... ダイヤ課題では、群の主効果と群内の差の主効果の両方が有意。大きいダイヤを渡されたほうが幸せだが、rich群のpoorさん(5.8mm)よりもpoor群のrichさん(4.4mm)のほうが幸せ。いっぽうボトル課題では、群内の差の主効果のみ有意。4セルを通してみると、水温が高くなるほど幸福度が高い。
実験4はフィールド実験。中国の31都市、計6591名に電話調査。季節は冬。設問は:
- ご自分の部屋の温度について考えてください。どのくらい幸せですか。
- ご自分のジュエリーについて考えてください (持っていない人は分析から除外)。どのくらい幸せですか。
- お部屋の温度は?
- あなたのジュエリーはおいくら?(すごい質問だなあ...)
結果は... 横軸に室温平均、縦軸に幸福度平均をとって都市の散布図を書くと正の相関がみられる。Haikou(海南島の都市・海口)、Hearbin(ハルビン)あたりは室温が高くて幸福度も高く、Nanchang(南昌)、Chongqing(重慶)あたりは室温が低くて幸福度も低い。都市内で見てもやはり正の相関がある。いっぽう、横軸をジュエリーの値段にすると(ちなみに値段の平均が一番高いのは上海)、都市の散布図では無相関で、都市内でみると正の相関がある。この知見を、性別・年齢・居住変数をコントロールした回帰分析で確認。
「読者のみなさんは、この研究は21世紀と関係あるのかね、と思うことでしょう。今世紀のたいていの人々は、食べ物や部屋の温度といったAタイプの[=生得的な評価基盤を持つ]出来事について、もはや心を煩わせてなどいないのではないか、と。いいえ、私達は関係あると思ってます。[...] 発展した国々においてもAタイプの領域における欠乏がいまだ続いています。多くのアメリカ人が、必要な暖房設備を持たずに冬をすごし、偏頭痛や社会的孤立や不眠や性的不能やうつに苦しんでいるのです」... と著者は力説しておられる。大きく出たね。
なお、著者らのいう「生得的な評価基盤があるかないか」と、「いったん出来事を経験しちゃったらそのことについて情緒的に鈍感になるかどうか」(「快楽の適応」。Diener et al, 2006 Am. Psych.; Frederick & Loewenstein, 1999, Chap.) とは、理論的にはちがう問題である。しかし著者らは、ある程度は相関があるんじゃないか (Aタイプの幸福には慣れが生じにくいんじゃないか) と思っている由。
というわけで、個別にみれば突っ込みどころ満載の小さな実験を、うまくつなぎ合わせて大きなストーリーに仕立てあげ、結論だけ聞けばアタリマエだと思われるような主張を堂々と実証してみせ、それがあまりに堂々としているのでもはや頭を下げるしかない... という、実験研究のお手本のような論文であった。
論文:心理 - 読了: Hsee, Yang, Li, & Shen (2009) お金がもたらす幸せは他人との比較で決まるが、消費がもたらす幸せは絶対的に決まることもある
ハイエク - 「保守」との訣別 (中公選書)
[a]
楠 茂樹,楠 美佐子 / 中央公論新社 / 2013-04-09
先日、集合知についてのお話を伺う機会があった際に、この分野ではハイエクの業績が重要だ... という話をちらりと伺い、頭のなかが疑問符でいっぱいになった。えーっと、たしかハイエクって、リバタリアンの神様、サッチャリズムの権化、金持ちのアイドルみたいな経済学者じゃなかったっけ? それでもって、南米で秘密警察が無辜の市民を拉致虐殺しているときに、その独裁政権を支持した人じゃなかったっけ?
と不思議に思って、試しに読んでみた本の一冊。経済学の話はからきし苦手なので(「自然利子率」などといわれただけで頭が真っ白になってしまう)、冒頭の景気循環論のところで音をあげそうになったが、わからないところはとばして読了。
ハイエク先生は経済学から社会哲学にシフトした人で、自生的秩序というとても面白い概念を唱えた人だということがわかった。ついでにいえば、なんでもかんでも自由競争に任せればいいと主張したわけではないし、理性を信じず伝統を重んじたという点で保守的ではあったが、保守主義とは鋭く対立した人であったということも分かった。逆にいうと、そんだけ偉い人であっても、うっかりピノチェト政権を支持しちゃったりするもんなんだな、ということもわかった。
哲学・思想(2011-) - 読了:「ハイエク 『保守』との訣別」
スペイン内戦―包囲された共和国1936‐1939 (世界歴史叢書)
[a]
ポール プレストン / 明石書店 / 2009-09
イギリスの研究者によるスペイン内戦史。重厚な本でくたびれたけど、興味深い内容であった。
スペイン内戦中、反乱軍支配地域は表面的には平穏で、市民生活は快適であった。ナチス・ドイツからもイギリスからもバチカンからも支持され、食料は豊富で、共和制支持者の大量虐殺は組織的かつ隠密裏になされた。いっぽう共和国側では、ナショナリスト支持者の虐殺が非組織的に散発し、治安は悪化し、共産主義者とアナキストの内部対立はますます激化し、食料は不足し、生活はますます苦しくなり... ううむ。民主主義を維持するってのはほんとに大変なのだなあ。
スバらしきバス
[a]
平田俊子 / 幻戯書房 / 2013-06-26
現代詩人による、路線バス搭乗記エッセイ。バスのファン雑誌かなにかの連載かと思ったら、書下ろしだそうだ。うーん、変わっている...
日本型雇用の真実 (ちくま新書)
[a]
石水 喜夫 / 筑摩書房 / 2013-06-05
消されたマンガ
[a]
赤田 祐一,ばるぼら / 鉄人社 / 2013-07-22
ノンフィクション(2011-) - 読了:「スバらしきバス」「スペイン内戦」「消されたマンガ」「日本型雇用の真実」
ぼおるぺん古事記 三: 海の巻
[a]
こうの 史代 / 平凡社 / 2013-02-26
発売日に買ったのだけれど、一ページ一ページゆっくり読みたかったので、本棚に眠ったままになっていた。この週末で読了。古事記の世界を魅力的な線画で描く、ちょっと息苦しくなるような傑作である。
東京喰種トーキョーグール 8 (ヤングジャンプコミックス)
[a]
石田 スイ / 集英社 / 2013-07-19
鉄楽レトラ 2 (ゲッサン少年サンデーコミックススペシャル)
[a]
佐原 ミズ / 小学館 / 2012-04-12
鉄楽レトラ 3 (ゲッサン少年サンデーコミックススペシャル)
[a]
佐原 ミズ / 小学館 / 2012-11-12
恋スル古事記
[a]
近藤 ようこ / 角川書店(角川グループパブリッシング) / 2012-10-26
こうの史代さんの作品とはちがうけれど、これはこれで味わい深い。
絶品! らーめん娘(2) (ヤンマガKCスペシャル)
[a]
友木 一良 / 講談社 / 2012-05-07
青年がラーメン屋に行くと裸エプロンの娘たちがいて... という設定のギャグマンガ。徹底的に、どうしようもなく、死ぬほどくだらない。おそらくは綿密な計算の上でのことだろう。これもまた、マンガの一つの形だ。。。
コミックス(2011-) - 読了:「ぼおるぺん古事記」「鉄楽レトラ」「東京喰種」「絶品!ラーメン娘」「恋する古事記」
宝石の国(1) (アフタヌーンKC)
[a]
市川 春子 / 講談社 / 2013-07-23
身体と無機物が融合するイメージを執拗に描くアーティスティックな新人マンガ家による、はじめての長編。構図が凝りすぎていて、スッと読めないことが多いのだけれど(高野文子さんに似ている)、とても面白い。
ヴィンランド・サガ(13) (アフタヌーンKC)
[a]
幸村 誠 / 講談社 / 2013-07-23
なりひらばし電器商店(2) (イブニングKC)
[a]
岩岡 ヒサエ / 講談社 / 2013-07-23
アシ妻物語(1) (エデンコミックス)
[a]
岡本 ジュリー / マッグガーデン / 2013-07-13
教えてっ!真夢子おね~さん
[a]
田中 圭一 / サイゾー / 2013-02-26
「サイゾー」で連載していたという情報ギャグ漫画。例によって、手塚キャラのヒロインがとてつもなくお下劣な振る舞いに及ぶのだけれど、手塚眞 (手塚治虫の長男) をゲストに迎える回だけはヒロインがむやみに上品になる、というところで笑ってしまった。
コミックス(2011-) - 読了:「ヴィンランド・サーガ」「宝石の国」「アシ妻物語」「なりひらばし電気商店」「教えて!真夢子おねーさん」
2013年7月27日 (土)
「幸せ」の経済学 (岩波現代全書)
[a]
橘木 俊詔 / 岩波書店 / 2013-06-19
ざっと目を通しただけだけど、読了にしておく。市民セミナーの講義録が元になっているのだそうで、大変読みやすい内容であった。
ノンフィクション(2011-) - 読了:「『幸せ』の経済学」
メノン (岩波文庫)
[a]
プラトン / 岩波書店 / 1994-10-17
久々にプラトンを読んだ。数年前に中公クラシクスで読んで以来だ。ソクラテス先生の空気読まないっぷりは相変わらずで、そりゃあこの人嫌われるよなあ、と改めて感心。
それにしても、この「メノン」という短編は美しい詩のような一面を持っていると思う。なにかを「学ぶ」とはそれを想起するということなのだ、という捉え方が、きっと美しいからだろう。
2013年7月26日 (金)
Krueger, A.B. & Schkade, D.A. (2008) The reliability of subjective well-being measure. Journal of Public Economics, 92(8-9), 1833-1845.
先日読んだ論文で幸福度尺度のレビューとして引用されていたので、探してみたのだけれど、期待に反してレビュー論文ではなかった。
主観的幸福度の測定手法のうち、一般的質問(人生への満足度とか)、ならびにKahneman らの Day Reconstruction Method (DRM) から得られる諸指標について、2週間あけて再検査信頼性を調べました、という研究。信頼性は意外に低いんじゃないか、だから主観的幸福度を従属変数にした研究では独立変数との関連性が希釈されているんじゃないか... という問題意識がある。
細かい議論は読み飛ばしたのだけど、信頼性はだいたい r = .50 から .70 というところ。一般的質問も DRM もたいして変わらない (DRMは「昨日のあなた」についてしか訊かない手法なのに)。この結果を標本サイズの決定に使ってください。とのこと。
主観的幸福度についてのレビューはKahnemanらの本を見ろとのことだが("Well Being")、それって1999年の本である。新しいのはないのだろうか。
それにしても、幸福度についてこんなに山ほど研究があるとは知らなかった。参るね、どうも。
論文:心理 - 読了:Krueger & Schkade (2008) 主観的幸福度は信頼できるか
2013年7月24日 (水)
幸せを科学する―心理学からわかったこと
[a]
大石 繁宏 / 新曜社 / 2009-06
著者は幸福についての研究で有名な心理学者 (PSPBの副編集長だそうだ)。どうやら、まだ若い方らしいのだが...。なんで今頃になって心理学の本読んでんのかわかんないけど、諸般の事情のせいで、大慌てでメモを取りながら読んだ。
前半は心理学分野の幸福感研究の概観といったところ。いくつかメモ:
- アメリカ文化では自分自身の選択が重要視され、アメリカ人は選択を通じて自分の独自性を確認することを好むといわれているが(MarkusとかIyengar & Lepperとか)、それは社会階層とも関係があって、労働者階級ではそうでもない、という報告もある由(Snibbe & Murkus, 2005, JPSP)。へー。
- 著者の研究(2002, PSPB)によれば、7日間毎日「今日の満足度」を評定させた後で、8日目に「過去一週間の満足度」を評定させると、アジア系では前者と後者はおなじだが、欧州系アメリカ人では後者のほうが全然高くなる由。全く、なんて人たちだ。
- 主観的幸福度研究に対するアンチテーゼとして、 まずRyffという人 (さっき読んだ論文で eudimoniac well-beingと呼ばれていたアプローチだ)、それからDeci らの自己決定理論の立場があるんだそうだ。(デシってまだ生きているんだ...)
- 幸福感の心理学尺度で一番使われているのは DienerらのSWLSである由。著者はそのお弟子さん筋にあたるらしい。日本での信頼性・妥当性研究もやっておられる由。SEMやIRTを使って。(やってんじゃん!!)
- 人生の満足度評価には検査再検査信頼性がないという批判も強いそうだが、著者は結構強気。妥当性もいちおうある由。回顧的自己報告に対するカーネマン流の批判は、この分野ではどうやら左派という感じらしい。
- 幸福度評定の認知過程についての実験研究もたくさんあるのだそうだ。へええ。紹介されていたのは、幸福度評定を事前課題でプライムするタイプの研究(長期記憶のアクセサビリティで説明する)。評定の速度の研究。カーネマンのピーク・エンドの話とそれへの批判。満足度の評定のプロセスは性格特性からのトップダウンか、経験からのボトムアップか (この話、めちゃくちゃ面白い... 顧客満足の問題と密接な関係があるのではなかろうか。Shimmackという人の論文を探せばいいらしい)。
後半は幸福感の規定因の話。
- 幸福感に対する具体的な出来事の影響はたいてい短期間にとどまる。極端な悲劇を別にすれば、大きな出来事でもせいぜい三か月、スポーツの試合に負けたくらいなら数日で元通り。
- 結婚生活への満足度と人生全般の満足度との関係についてはメタ分析があって(Heller, et al., 2004, PB), 潜在相関は0.51, 健康や仕事より高い。うーむ、これはさもありなんという気がする... 子どもの有無や数と結婚満足との関係についてのメタ分析もある由 (Twenge, et al., 2003, J. Marriage and Family)。いやはや、恐ろしい分野だ。
- 「感謝」概念をプライムすると、直後の人生の満足度評定の値が高くなるそうだ。過酷な労働現場の壁に「あらゆる人々に感謝せよ」というような張り紙が貼ってあるのを、つい思い浮かべてしまった。
- 幸福感の規定因じゃなくて、幸福感が影響を与える変数についての研究もあって、若いころの幸福感が寿命に与える影響を調べた研究もあるのだそうだ。さあ、いったいどうやって調べたのか? 修道女になる人は自伝を書くのだそうで、その中に出てくるポジティブな言葉の数と、その修道女の死亡年齢との関係を調べた由。あったまいいなあああ。Danner et al. (2001, JPSP)という研究だそうだ。
いやー、面白かった。大変勉強になりました。
ついつい、自分の仕事に引きつけて考えてしまうのだけれど。。。知能の研究では、知能そのものじゃなくて知能の素朴概念、つまり「世間の人々が知能についてどう考えているか」を調べるという分野があるけれど、幸福の素朴概念についての研究はないのだろうか。応用領域がすごく広いと思うのだが。
別役実 (1) 壊れた風景/象 (ハヤカワ演劇文庫 10)
[a]
別役 実 / 早川書房 / 2007-07-25
62年の作品「象」と、76年「壊れた風景」を収録。
「象」は意外なほどに写実的な戯曲で、びっくりした。「壊れた風景」のほうは... これ、舞台で観てみないとわからないような気がする...
以下は、前に読んで記録を忘れていた本:
狭小邸宅
[a]
新庄 耕 / 集英社 / 2013-02-05
暗ーい暗ーい現代日本小説であった。
なぜ、ぼくのパソコンは壊れたのか?
[a]
マイナク・ダル / 日本経済新聞出版社 / 2013-05-23
30分あれば読めるビジネス童話。その30分を費やす必要があるのかどうかわからないけど。
フィクション - 読了:「壊れた風景/象」「狭小住宅」「な、ぼくのパソコンは壊れたのか」
いつかティファニーで朝食を 2 (BUNCH COMICS)
[a]
マキ ヒロチ / 新潮社 / 2013-03-09
実在する外食店での朝食を紹介しながら、アラサーの女性たちの生活を描くマンガ。この作品についてとにかく不思議に思うのは、いったい誰が想定読者なのか、ということだ。。。
ちゃんと描いてますからっ! 4 (リュウコミックス)
[a]
星里 もちる / 徳間書店 / 2013-06-13
著者お得意のライト・コメディ、完結巻。
グッドアフタヌーン・ティータイム 上巻 (ビームコミックス)
[a]
新居美智代 / エンターブレイン / 2013-07-13
エンターブレインの新人マンガ家らしい。いまのところ、森薫さんのエピゴーネンとしか思えないのだけれど。。。絵柄が似ている点で損をしているのではないかと思う。
南国トムソーヤ 2 (BUNCH COMICS)
[a]
うめ / 新潮社 / 2013-07-09
アノネ、(下)巻 (書籍扱いコミックス)
[a]
今日マチ子 / 秋田書店 / 2013-07-16
コミックス(2011-) - 読了:「いつかティファニーで朝食を」「ちゃんと描いてますから!」「グッド・アフタヌーン・ティータイム」「南国トムソーヤ」「アノネ、」
Hervas, G., Vazquez, C. (2013) Construction and validation of a measure integrative well-being in seven languages: The Pemberton Happiness Index. Health and Quality of Life Outcomes. 11.
多言語かつ簡略な主観的幸福度尺度をつくりました、という論文。著者らはスペインの心理学者。尺度研究であるからして、読んでて楽しいものではない。
著者らいわく、幸福度を測る質問紙尺度は多々あるが、この尺度の売りは:(1)生活への一般的満足も、情緒的な幸福も、eudaimonicな幸福も(心理的機能が最適に働いているというような意味での幸福のこと)、社会的な幸福も、全部含みます。(2)過去についての回想的な幸福と、現在経験されているところの幸福の、両方を測ります。(3)はなっから多言語で作ります。
日本を含む9カ国でネット調査。ちなみに実査はMillward-Brownさんがやっておられます。
こういう尺度構成の際には、大きな項目プールをつくっておいて、そこから性質の良い項目を拾うのが普通だと思うのだが、この調査ではいきなり37項目からはじめて、それを21項目に減らすだけ。最初から多言語でつくったので... というのが言い訳である。当然ながら、アルファや項目間相関や国間の差を調べるだけで、CFAやIRTの出番はないし、(今後の課題に挙げられてはいるが) 測定不変性の検証はない。コトの良し悪しはよくわからないが、ちょっと拍子抜け。
妥当性は別の指標を基準にして検証する。基準に使うのは:
- Satisfaction With Life Scale (SWLS; Diener, et al., 1985, J. Pers. Assess.).
- Subjective Happiness Scale (SHS; Lyubomirsky & Lepper, 1999, Soc. Indic. Res.).
- Satisfaction with Domains of Life (SWDL. SWLSの下位指標なのかしらん). 以上が一般的幸福。
- Scales of Psychological Well-Being (SPWB. Ryff, 1989, JPSP). これはeudimoniacな幸福の尺度。自律性とか個人的成長とか自己受容とか、そういう項目群らしい。
- PANAS (Watson, Clark, & Tellegen, 1988, JPSP). 情緒的な幸福の尺度。
- 昨日の一日についての満足度。
なお、メモしておくと、主観的幸福の尺度としては他にこんなのがあるんだそうだ:
- Flourishing Scale (FS; Diener, et al. 2009. Soc. Indic. Res.)
- the Mental Health Continuum - Short Form (MHC-SF; Keyes, 2005, Adlesc. Fam. Health). この著者は社会的幸福の研究で有名らしい。
- Warwick-Edinburgh Mental Well-Being Scale(WEMWBS; Tennent, et al., 2007, Health and Quality of Life Outcomes)
レビューはないのかと思ったら、Krueger & Shkade(2008, J. Public. Econ.) というのが引用されているのをみつけた。
話の本筋ではないんだけど、リッカート尺度で11件法ってのは悪くないんだよ、むしろいいんだよ、という言い訳がぐだぐだと載っていて面白かった。あんまり段階数を増やしてもしょうがないという実証研究は少なくないと思うのだが、著者らはその逆張りで、Alwin (1997, Social Method Res.) というのを引き合いに出している。段階数が多いほうがいいという研究らしい。へー。
というわけで出来上がりは、回想的な11件法項目が11項目、昨日の経験についての2件項目が10項目、計21項目。著者らのwebページに日本語訳があった。
それにしても、本文中には一切説明がないが、尺度の名前 (Pemberton Happiness Index) はあきらかにスポンサー様の意向であろう。す、すごいなあ。パナソニックが助成した研究でつくった心理尺度に「幸之助指標」とつけるようなものではないか。
論文:心理 - 読了: Hervas & Vazquez (2013) スカッとさわやか幸福度指標
2013年7月18日 (木)
世田谷代官が見た幕末の江戸 日記が語るもう一つの維新 角川SSC新書
[a]
安藤 優一郎 / 角川マガジンズ / 2013-05-10
先日たまたま世田谷線世田谷駅の近辺を散歩していたら、世田谷代官屋敷という立派な史跡があった。なんでもあのへんは彦根藩(井伊家)の領地で、地元の豪農である大場家が代官として支配していたのだそうである。
へええ、とにわかに興味を惹かれて、本屋で探して読んでみた本。幕末の大場家の当主夫妻がこまめにつけていたという日記に基づいた、軽めの歴史読み物。代官というのも、いろいろと大変だったんだそうです。
若年者就業の経済学
[a]
太田 聰一 / 日本経済新聞出版社 / 2010-11-19
第一線の労働経済学者による、自分の実証研究の紹介を含めた専門書。大変に読み応えがある内容で、発刊時に読みかけて途中で挫折していた。このたび無理矢理読了。
主な内容は章の順に、若年雇用問題の定義と失業率の世代差(コホート・クラウディング)、学卒時の労働市場が与える長期的影響(世代効果)、企業が新卒を一括採用する理由、世代間・男女間の雇用の代替関係、若年労働市場の地域差、企業の若年者育成、若年雇用対策。
内容もさることながら、実証的分析の方法もとても勉強になった。正確にいうと、もっと丁寧に読めばもっと勉強になっただろうに、という後ろめたさがあるのだけれど。こういうのは、必要になったときに慌てて勉強したのでは間に合わないのである。
20世紀をつくった経済学―シュンペーター、ハイエク、ケインズ (ちくまプリマー新書)
[a]
根井 雅弘 / 筑摩書房 / 2011-12
ちょっと出来心で、ハイエク関連の本をどっさり買ってしまったので、まずは一番簡単そうな、高校生向けの新書から...
地方の王国 (講談社学術文庫)
[a]
高畠 通敏 / 講談社 / 2013-04-11
すでに亡くなった高名な政治学者による、80年代の地方政治のルポルタージュ。田中角栄のロッキード裁判一審判決後の魚沼に取材した文章が大変面白かった。
敗者の条件 (中公文庫)
[a]
会田 雄次 / 中央公論新社 / 2007-02
日本の戦国時代とヨーロッパを縦横に駆け巡る歴史講談、という感じの本であった...
ノンフィクション(2011-) - 読了:「若年者就業の経済学」「20世紀をつくった経済学」「地方の王国」「敗者の条件」
おかめ日和(17)<完> (KCデラックス BE LOVE)
[a]
入江 喜和 / 講談社 / 2013-07-12
7年半の長期連載、ついに完結。派手な話題にはならない作品だが、良いマンガであった。おつかれさまでした。
この最終巻では、はじめての出産を迎えるまでの若い二人の日々が描かれるのだけれど、これに平行して、元気だった父親が徐々に死に近づいていく様子が、頁は少ないけれど冷徹に描写される。この作者はこういうところが怖い。
重版出来! 1 (ビッグコミックス)
[a]
松田 奈緒子 / 小学館 / 2013-03-29
れんげヌードルライフ (バンブーコミックス)
[a]
小坂 俊史 / 竹書房 / 2013-06-17
銀のニーナ(1) (アクションコミックス)
[a]
イトカツ / 双葉社 / 2012-10-27
しろくまカフェ くるみ味! (フラワーコミックススペシャル)
[a]
ヒガ アロハ / 小学館 / 2013-07-10
コミックス(2011-) - 読了:「重版出来」「れんげヌードルライフ」「銀のニーナ」「おかめ日和」「しろくまカフェ」
トラップホール 2 (Feelコミックス)
[a]
ねむ ようこ / 祥伝社 / 2013-07-08
29歳独身女性を主人公にしたコミカルな恋愛ドラマ。祥伝社フィールヤング連載。
個人的な意見を言わせて頂くならば、主人公ハル子はほんっとに嫌な奴である。そこそこ美しく、人当たりが良くて妙に勘が良くて、しかし信念というものがなく、くにゃくにゃと男と寝てしまう。本質的に筋道というものがない。もしこういう女が身近にいたら、と想像するだけで腹が立ってくる。物語中に、主人公を嫌って不倫相手の妻に告げ口する不細工な女が出てくるが、私は断然彼女の味方である。ああいうハタ迷惑な女たちを片っ端から拘束し、若さをすっかり失うまで離れ小島の強制収容所に閉じ込めておくことはできないものか。
と思う一方で、あのハル子たち... 20代に何度か目にした、あのハル子的な娘たちにも、彼女たちなりの涙があり悲しみがあったのだな、という奇妙な感慨がある。結局のところ、私には青春期がもたらす哀歓のうちある部分のみに耽溺し、ほかの部分を理解することがなかった。これからも、本当のところは理解できないだろう。いまこうしてマンガを読みながら、皆さんいろいろ大変だったんだろうな、と、ちょっと寂しいような、でもちょっとホッとするような、そういう不思議な思いにとらわれるのである。
くらすはこ (ヤングジャンプコミックス)
[a]
ねむ ようこ / 集英社 / 2013-07-08
銀の匙 Silver Spoon 8 (少年サンデーコミックス)
[a]
荒川 弘 / 小学館 / 2013-07-11
木曜日のフルット 3 (少年チャンピオン・コミックス)
[a]
石黒 正数 / 秋田書店 / 2013-07-08
暗殺教室 5 (ジャンプコミックス)
[a]
松井 優征 / 集英社 / 2013-07-04
飯田橋のふたばちゃん(1) (アクションコミックス)
[a]
横山 了一 / 双葉社 / 2013-06-28
擬人化萌えマンガは多々あるが、本作はマンガ出版社を擬人化した4コマ。主人公は飯田橋の双葉ちゃん、困ったときにも神風を待つ楽天家(「双葉社には神風が吹く」を踏まえている)。友達はスポ根少女の講談ちゃん、束縛の強い集英ちゃん、ヤンキーの秋田ちゃん、その妹の「常に体張ってる」いちごちゃん(秋田書店は萌え系漫画誌も出していて、成年マークがついていないせいもあって規制論者に目をつけられやすい)、プリントを受け取って友達に渡すだけでなぜかそのプリントの枚数が減っている小学ちゃん(もちろん原稿紛失訴訟を指している)、勢力を拡大しようとする角川ちゃん、生き別れの妹たちがいるスクエミちゃん(スクエア・エニックスのコミック部門はかつて分裂騒動があった)、などなど...
半分くらいしか理解できないんだけど、それでも何カ所も爆笑した箇所があった。講談ちゃんが手下の銀杏ちゃんを置いて自分だけタクシーで去っていく場面、涙が出ました(神保町の編プロ・銀杏社のことであろう)。私にわかるだけでも、これだけ面白いネタが揃っているとは。他の業種ではちょっと考えにくい。出版にはそれだけの歴史の蓄積があるということだなあ、と感心した。
コミックス(2011-) - 読了:「トラップホール」「銀の匙」「木曜日のフルット」「くらすはこ」「飯田橋のふたばちゃん」「暗殺教室」
Simonson, I., Carmon, Z., O'Curry, S. (1994) Experimental evidence on the negative effect of product features and sales promotions on brand choice. Marketing Science, 13(1), 23-40.
製品になにか新しい特徴を付け加えれば(販促を含む)、その特徴がネガティブなものでない限り、売上は伸びこそすれ落ちはしないだろう。という常識に反論し、無害な特徴でさえ、それを追加したせいで売上が下がってしまうことがある、と主張する論文。著者らが持ち出す理屈は、晩年のTversky先生が唱えた reason-based choice 説である。
「無害だが不要な製品特徴の追加が売上を低下させる」現象に対する説明として、著者らは以下の6つを挙げる。
- 消費者推論説。「わざわざこんな特徴を付け加えないといけないからには、製品の質はきっと低かろう」と消費者が推論するから。
- Reason-based choice に基づく説明。購買者は、自分の選好について確実な知識を持っていない場合、自分が選んだ選択肢を自分が選んだ理由を探そうとする。そのため、
- 第一に、「不要な特徴は魅力の低い選択肢の目印になっていることが多いので、良く考えてみると価値の目印にはなっていないような特徴であっても、不要な特徴はその選択肢を選ばない筋の通った理由を提供するだろう」(because an unneeded feature is often an indicator of a less attractive alternative, it may provide a legitimate reason for rejection even when a closer examination could reveal that the particular feature is not a valid indicator of value.) (ううむ。こういう説明のしかただと、ライバルである消費者推論説とのちがいがあいまいになってしまうと思うのだが... reason-basedの本来の発想からいえば、unneeded featureとattractivenessとの経験的連関とは無関係に、ある属性が自分にとってirrelevantであることそれ自体がa legitimate reason for rejectionを提供するのではないかしらん...)
- 第二に、もし不要な特徴が追加された製品を買っちゃうと、「私はこのどうでもいい製品特徴のせいでこれを買っちゃったんじゃないかしら」という知覚が生じ、自己概念との不一致が生じる。
- 希釈化。不要な情報が製品評価において重要な情報を希釈化するから。なおこの希釈化効果については、かつてNisbett et al.(1981, Cog.Psy.)が代表性ヒューリスティクスの観点から説明していたのだが、その後の研究ではむしろ不要な属性情報からの推論によって生じる現象として説明されているのだそうだ(Tetlock&Boettger, 1989JPSP; Hilton&Fein,1989JPSP というのが挙げられている。語用論的推論ということかしらん?) そのため、この説明は消費者推論説に接近している。
- 平均化。製品のさまざまな特徴の値の平均がその製品の印象を形成するから。これ、記述的にはそうなのだが、説明としてはかなり弱い (詳細略)。
- 注意。不要な特徴が注意を惹いてしまい、他の特徴への注意が減るから。
- リアクタンス。不要な特徴の追加が消費者を操る戦術とみなされ反発を生むから。
実験は3つ。
実験1。被験者はサンフランシスコの科学ミュージアムにやってきた老若男女のお客さん。選択課題を4つ用意する。
- うち3問は、それぞれケーキミクス(Pillsbury, Lady Lee)、35mmフィルム(Agfa, Kodak)、CDプレイヤー(JVC, SounDesign)の2ブランドから欲しいほうを選ぶ課題。以下の2要因を被験者間操作する。
- 各ブランドへの不要なプレミアムの追加: {Aに不要なプレミアムを追加/Bに不要なプレミアムを追加/なし} の3水準。不要なプレミアムとは、たとえば「いまPillsburyのケーキミクスをお買い上げの方に限り、Pillsburyのコレクターズ・プレートを$6.19でご購入いただけます!」といったもの。なるほど、それは要らんわ。
- 各ブランドの品質表示: Consumer Reports誌の品質評価(100点満点)を全ブランドについて表示{する/しない}の2水準。著者らの意図としては、これで自分の選好についての被験者の確信の程度を操作しているわけである(別の実験で確認している)。それにしても、Consumer Reportsって信用されているんだなあ...
- 残りの1問は、「Emersonの新品のTV, $229」と「Emersonの新品のTV、たぶんワケあり、$129」からの強制選択。操作する要因は、{前者のサイドパネルにひっかき傷がある/後者のサイドパネルにひっかき傷がある/情報なし}の1要因3水準、被験者間操作。
結果は...
- 不要なプレミアムを追加すると選択率は低下する。→ 注目している現象を観察できたわけで、よかったよかった。
- 品質評価を提示すると低下の幅が小さくなる。→ reason-based choice説と一致している。
- TVのサイドパネルのキズは、通常品の選択率を下げ、ワケあり品の選択率を上げる。→ 平均化説への反証となっている。
- そのほか、選択理由の自由記述もちょっと調べている(略)。
実験2。被験者は実験1と同様。下記の2群に分ける。
- 評定群。「店舗AはPhillsburyのケーキミクスを$2.59で売ってます。となりの店舗Bでは、Phillsburyのケーキミクスをお皿付きで売ってます(価格提示なし)」と教示。価格を無視して、どちらの店が魅力的かを11件法評定。さらに、どちらで買っても差がないと思えるように、店舗Bでの価格を決めさせる。以上を、実験1で使った3カテゴリ(ケーキミクス、35mmフィルム、CDプレイヤー)についてそれぞれ行う。操作する要因は、ブランド(2水準)、価格提示がないのは店舗AかBか(2水準)。被験者間操作。
- 正当化群。実験1で使った3問の選択課題を提示し、「Aを選ぶことを自分なり他人なりに対して正当化するのはどのくらい難しいですか」「Aを選ぶことを他の人に批判されることはどのくらいありそうですか」と質問する。操作する要因は、プレミアム(3水準)、どちらを選択することについて評価させるか(2水準)。被験者間操作。
結果は...
- 評定群: プレミアムの有無で魅力も価格も変わらない人が多い。→ 全体として、平均化説・リアクタンス説と不一致。
- 正当化群: プレミアムがつくと正当化が困難になり、批判を受けやすそうになる。→ reason-based choice説と一致。
実験3。「要らない販促」じゃなくて「要らない製品特徴」を追加する。被験者は学生。課題は計5問。まず、{腕時計、計算機、CDプレイヤー}について各1問。2つのブランドを価格と説明つきで提示し、選択させる。さらに、{歯の保険、ビデオカセットレコーダー}について各1問。ブランド名はないが、2つの選択肢を提示し、特徴を細かく説明する。2つの選択肢のうち片方に、おそらくはたいていの人にとって不要であろう特徴が付与されている(「2つの時間帯を同時に表示できる腕時計」とか)。で、正当化の必要性(2水準)を被験者間で操作する。低群では、「回答は秘密にされます」と教示し無記名で回答させる。高群では、「あなたたちの消費者としての効率性を調べる調査です」「あとで選択の理由について質問するかもしれませんのでよろしく」などと散々脅したうえで記名回答。
結果は実験1を再現。不要な特徴の追加は選択率を下げる。正当化の必要性が高いと低下の幅は大きくなる(→reason-based choice説を支持、注意説への反証となっている)。自由記述も調べてるけど、省略。
関連した話題について:
- この論文の問題と良く似た話として、製品の過度の複雑さがもたらす悪影響という問題があるが、著者いわく、この実験で追加した「不要な特徴」は製品を複雑にはしていない(ただし実験3はちょっと怪しいが)、とのこと。
- Hoch & Deighton (1989, J. Mktg)は、消費者にとってどうでもいい特徴を追加することでブランドの魅力が増す、と指摘している。でもそれは、たとえば「本物のアメリカビール」とか「森で育ったコーヒー豆」といった、差別的ではあるがあいまいで反証不能な特徴の話である。いっぽう本研究は、あきらかに不要である特徴を追加した場合の話である。なるほど。とはいえ著者らは、この違いは特徴の信頼性が低いときには明確でなくなる、と指摘し、Finesseというシャンプーのこんなコピーを例に挙げている: "self-adjusts to the changing needs of your hair." うまく訳せないけど、なるほど、不要であいまいで信頼のおけない訴求だ...
振り返ると、「不要な製品特徴の追加による売上低下」という現象に対する多様な対抗説明のうち、この研究で上手く叩けているのは、注意説、平均化説、リアクタンス説という小者たちであり、最大の強敵・消費者推論説に対する直接的な反証は提供できていないように思う。その点がこの論文のひとつの焦点になると思うのだが、著者らの説明は、「消費者推論が働く場面があることも否定しないが、それだけでは説明できない現象がある。現にこの実験の課題は、もともと消費者推論説ではうまく説明できないよね」というものである。たとえば「Pillsbury社はお皿を提供しているぞ、きっとそのためにケーキミクスの品質を下げたり価格を上げたりしているにちがいない」と勘繰る消費者はそうそういそうにないでしょう? という理屈である。うーん、そうかなあ。「Pillsbury社がお皿を提供しているのは、きっとそうでもしないと売れないからで、利益を削ってでも在庫を処分しようとしているのだろう」といった推論は、十分にありうると思うのだが。
考えるに、ある現象を支えるメカニズムが複数個あってもちっとも不思議じゃないわけで、reason-base choiceというヒューリスティック的な処理が走ることもあれば、消費者推論というもっと認知資源を食う処理が走ることもあるだろう。こういう実験研究ではどっちかを推さなくてはいけないわけだけど、読み手の側としては、どっちが正しいかと問うよりも、どんなときにどっちがどうなるか、と問うほうが生産的だという気がする。
というわけで、面白い論文でした。マーケターへの実務的な示唆がシンプルかつ強力であるところも面白い。セグメントAに刺さる訴求は、それが刺さらないセグメントBの消費者にとっては、合理的に考えれば自分にとってどうでもいい訴求なのに、なぜかネガティブになるかもしれないのだ。
論文:マーケティング - Simonson, Carmon, O'Curry (1994) どうでもいいプロモーションや製品属性が害をなすとき
2013年7月12日 (金)
Vaupel, J.W., Yashin, A.I. (1985) Heterogeneity's ruses: Some surprising effects of selection on population dynamics. The American Statistician, 39(3), 176-185
生存時間分析において、集団レベルのハザード曲線は、それを構成するどの個人のハザード関数とも全く異なる可能性がある。ハザード関数に個人差があると、集団の中でセレクションが起きてしまうからである。一番単純な例を挙げれば、全員のハザードが時間独立な定数だとしても、その値が高い群と低い群が混在していると、前者の割合はどんどん減るから、集団のハザードは時間とともに低下することになる。ましてや、各群のハザード関数の形状が違ってたりなんかした日には、とんでもない複雑な曲線が出現するわけで...
という話を、手を変え品を変え縷々説明した論文。先日読んだSinger & Willett 本で紹介されていたのがきっかけで探してみたら、冒頭の事例が面白く、これは読まねばならん、と印刷した。以来、ずっとカバンに入っていたのだが、読み進めども読み進めども似たような例が立ちはだかり、だんだん頭に入らなくなってしまった。数行進むだけで猛烈な睡魔が。
というわけで、後半は全然頭にはいっていないけど、整理の都合上読了にしておく。ゴメンナサイ。
このトシに至って、なおこうやって勉強してるのって、無理があるのかしらん。。。ううむ。
論文:データ解析(-2014) - 読了:Vaupel & Yashin (1995) ハザードの個人差が我々をたぶらかす(というような話)
2013年7月 8日 (月)
股間若衆―男の裸は芸術か
[a]
木下 直之 / 新潮社 / 2012-03
日本近代の彫刻と写真における男性ヌードの歴史を、特に股間の表現に注目して辿った本。タイトルは「古今和歌集」のもじりだそうである。
めくったとたんに、赤羽駅前の男性裸体ブロンズ像の股間をアップにした写真がどどーんと。性器の部分が非常にあいまいである。井の頭公園にあるという北村西望という彫刻家の一連のブロンズ像に至っては、股間は「溶けている」としかいいようのない不思議な形で表現されている。なるほど。。。
ヘンな日本美術史
[a]
山口 晃 / 祥伝社 / 2012-11-01
正厳寺というお寺にあるという「光明本尊」、著者は「鶯谷のグランドキャバレーを思い出す」と評していて、またまた大げさな表現を。。。と思いながら頁をめくって図版をみたら、想像を遙かに超えるデザインで仰天した。今調べたら、滋賀県の東近江市というところにある寺らしい。
ノンフィクション(2011-) - 読了:「股間若衆」「ヘンな日本美術史」
鬱ごはん(1) (ヤングチャンピオン烈コミックス)
[a]
施川ユウキ / 秋田書店 / 2013-04-19
安アパートで鬱々とした日々を送る自意識過剰な青年を主人公にした、いわばアンチ・グルメマンガ。
最近読んだ中で一番の大ヒット。声に出して笑った場面が何カ所もあった。誰もにお勧めできるマンガではないけれど、私は好きだ、としかいいようがない。なんというか、私自身の気持ちをここまで代弁してくれるマンガも珍しい。
雨の日のマクドナルドで、トレイを捧げ持った姿勢で濡れた階段を上がり損ねてよろけ、コーラを倒してポテトがぐしょぐしょになってしまう。その瞬間にも、彼はすれ違う同年代のアベックにその姿を見られまいとし、そのせいで余計に悲惨な目に遭ってしまう。そうした状況に陥る心情が、理解できない人もきっと多いだろう。でも私にはわかる。もしかすると、それが理解できるのは作者と私だけかもしれない。そう思わせるだけの力があるマンガである。
第一話「豚焼肉定食」では、松屋を思わせるファスト・フード店での食事が実にまずそうに描かれ、最後に主人公は呟く。「いつか死ぬその日まで/飯を食べ続けなくてはいけないと思うと/少しうんざりした」 そう、その気持ちはよくわかる。そもそも本質的に、彼は食事という行為そのものがあまり好きでないのである。にもかかわらず、彼は年越しカップそばの具材を探してコンビニに行くし、ひとりでおそるおそる焼き肉屋に入るし、アルミホイルでつくった小鍋で揚げ物を作ろうとする。要するに、彼は果てしなくヒマなのであり、そのヒマな日常を彼はどこかでこっそりと楽しんでいる。そこが可笑しい。
ゼクレアトル~神マンガ戦記~ 3 (裏少年サンデーコミックス)
[a]
/ 小学館 / 2013-06-18
あわひめ先生の教イク的指導♥ (ぶんか社コミックス)
[a]
田中 圭一 / ぶんか社 / 2013-07-05
闇金ウシジマくん 28 (ビッグコミックス)
[a]
真鍋 昌平 / 小学館 / 2013-06-28
コミックス(2011-) - 読了:「鬱ごはん」「ゼクレアトル」「闇金ウシジマくん」「あわひめ先生の教イク的指導」
2013年7月 3日 (水)
丸山眞男――理念への信 (再発見 日本の哲学)
[a]
遠山 敦 / 講談社 / 2010-06-30
こんな評伝を読んでいるくらいなら、本人の書いた本を読めよ、と思いつつ...
丸山真男は福沢諭吉に深く私淑していたが、そのいっぽうで、ある論文で福沢を「ヒューマニズムの論理をぎりぎりの限界にまで押し詰めた」と評したのは、福沢の人間主義に対する批判なのだ、と話していたそうだ。福沢は「典型的なtough-minded型の思想家」であり、「具体的人間以上の超越的価値を認めない立場」に立っている。いっぽう著者によれば、丸山は人間の主体性を超越的価値に直面した精神によってのみ基礎づけられるものと捉えていた。だから福沢のヒューマニズムそれ自体は丸山の批判の対象となる。
しかし、丸山が人間の主体性のために、具体的にどのような普遍的理念や超越的絶対者へのコミットメントを求めていたかは、ついに明かされることがなかった。著者いわく、「それはあるいは研究者としての丸山の、自己抑制だったのだろうか」。へー。
哲学・思想(2011-) - 読了:「丸山真男:理念への信」
2013年7月 2日 (火)
Shafir, E., Simonson, I., Tversky, A. (1993) Reason-based choice. Cognition, 49, 11-36.
Tversky先生晩年の論文。選択の文脈効果に関連してよく引用される、かなり有名な論文だと思う。仕事の都合でめくった。まっさか、いまになってCognitionの論文を読む羽目になるとは。。。
あらすじはこんな感じ。
選択の際、葛藤の解決のために人は「自分の選択を正当化する理由」を求める。この観点からいろんなことが説明できる。
- 等価値な選択肢のあいだの選択。被験者自身が等価値だと答えた2つの選択肢を示し、どちらかを無理やり選ばせると、被験者は自分が重要だと答えた属性において価値が高い選択肢を選ぶ。理由の正当化に役立つから。(Slovic, 1975, JEP:HPP)
- 選択とリジェクトのちがい。被験者に「どちらかを選ぶ」課題を与えると、被験者は自分が選択する選択肢を選択する理由を得るべく、ポジティブな属性を重視する。いっぽう、同じ課題が「どちらかをリジェクトする」課題として提示されると、被験者は自分がリジェクトする選択肢をリジェクトする理由を得るべく、ネガティブな属性を重視する。たとえば、離婚後の養育権を巡るふた親の間の裁判を想定させ、「収入も健康も労働時間も子どもとの関係も社会的安定性も平均レベル」の親と、「収入は平均以上、子どもとの関係は密接、社会的にはすごくアクティブ、出張多し、健康に難あり」の親と、どっちに勝たせるべきでしょうか? と尋ねると、後者の選択率が高い。しかし、どっちを負けさせるべきでしょうか? と尋ねても、やっぱり後者の選択率が高い。(Shafir, 1993, Cog. Psy.)
- 選択肢の探索を打ち切るかどうか。たとえば、ある対象者群(葛藤条件)には「月額290ドル、キャンパスから25分」のアパートと「月額250ドル、キャンパスから7分」のアパートを提示し、どちらか選びなさい、あるいは別の選択肢を出してやってもいいけどこの二つのアパートはなくなっちゃうかもよ、と教示する。別の対象者群(優越条件)にも同じように教示するんだけど、選択肢は「月額290ドル、キャンパスから25分」と「月額330ドル、キャンパスから25分」のふたつ。主観効用の最大化という観点からいえば、手元の選択肢の効用が期待を上回ったときにのみ探索が打ち切られるわけだから、葛藤条件のほうが探索が打ち切られやすいはずだ。しかし実際には、優越条件のほうが探索が打ち切られやすい。選択の理由を提供しているからである。(Tversky & Shafir, 1995, Psy. Sci.)
- 非対称支配効果(いわゆる魅力効果のことだろう)。「CDプレイヤーを買いにお店に行ったら本日限りのセール中。以下の選択肢のどれを選ぶ?」という課題で、「ソニーを割引価格で」「別のを探す」から選択させると、66%, 34%。「ソニーを割引価格で」「アイワの最高級品を割引価格で」「別のを探す」から選択させると、27%, 27%, 46%。「ソニーを割引価格で」「アイワのぱっとしないのを通常価格で」「別のを探す」から選択させると、73%, 3%, 24%。理屈からいえば、ソニーを買うか別のを探すかはアイワと関係なく決まるはずなのに(IIA仮定)、ここでは劣ったアイワがソニーの魅力を増大させている。著者ら曰く、これも選択の正当化の理由探しのせいである。なお、アイワの提示が「別のを探す」が成功する見込みについての情報を与えているんだ、という反論もありうるが、反証がある(パイロットのペンかゼブラのペンか金か選べ、ってやつ。以上、Tversky & Shafir, 1995, Psy. Sci. )。
- よく似た例で、"tradeoff contrast"と"extremeness aversion"。前者の例としては、電気製品のカタログにすごく高いのを載せたら既存の選択肢が売れるようになって... という例が挙げられている(妥協効果と呼ばれることが多いと思うんだけど。Simonson & Tversky, 1992. J. Marketing Res.)。後者の例は省略するけど、出典はSimonson(1989, J. Consumer Res.)。
- 分離効果(disjunction effect)。「あなたは試験が終わってくたびれています。試験の結果、{あなたは受かってました/落ちてました/まだわかりません}。落ちてる人はクリスマス休暇後に再試験です。さて、クリスマス休暇に格安のハワイ旅行パッケージがあります。申し込みは明日まで」 選択肢は、買う、買わない、5ドル払ってちょっと待ってもらう、の三択。選択率は、合否を伝える条件では買う人が50%強。ところが「合否はまだわかりません」条件だと32%に減る。合否がわかっていればなんであれ理由付けしやすいからである。(この課題、知らなかった。他にも事例がいくつか紹介されている。出典はTversky & Shafir, 1995, Psych. Sci.; Shafir & Tversky, 1992, Cog.Psy.)
- 無価値な属性の効果。UCBの学生に質問紙調査するんだけど、「予算削減の都合で、二人で一部の回答用紙を共有してもらいます」と教示し(よくもまあヌケヌケとそういう嘘八百を...)、見知らぬ他の学生の回答が手書きで書き込まれた用紙を渡す。設問は「MBAコースはノースウェスタンとUCLAのどちらにしますか?」 書いてあった回答が「ノースウェスタンにします、シカゴに親戚がいっぱいいるので」だと、理由なしに「ノースウェスタン」と書いてあった場合と比べてノースウェスタンの選択率が落ちる。(これも知らなかった。面白い! Simonson, Nowlis, & Simonson, 1993, J. Consumer Psy. よく似た実験として、Simonson, Carmon, O'Curry, 1994, Marketing Sci. 「私にとってはどうでもいいわ」という販促は逆効果なわけだ)。
最後の考察で面白かった話。実験から得た知見を説明する際に「理由」に頼る、というのは社会心理学者の十八番だ。不協和理論をみよ、自己知覚理論をみよ、帰属理論をみよ。でもそれらが注目しているのは決定のあとの合理化であり、彼らは決定が思考に及ぼす影響を調べているのである。いっぽう我々は、決定の前の葛藤に注目し、思考に登場する理由づけが決定に及ぼす影響について考えている。こういうアプローチもこれまでなかったわけじゃなくて、社会心理学ではBilligという人、決定研究ではPennington & Hastie、そして哲学では倫理推論における論拠についてのトゥールミンの研究が挙げられる... とのこと。
時間をかけて熟考して選択しているにもかかわらず、自分の選択理由や選択時重視点について消費者がうまく回答できないという現象は珍しくないと思う。あれはいったいなんだろうか、というのが、わざわざこんな論文を読んだいきさつであった。この論文の線でいくと、理由について語る人と語れない人では選択のメカニズムが異なるということになるかしらん(どちらの選択が合理的かは別にして)。でも、選択時の葛藤解決のために選択を正当化する理由を探すということと、その理由を言語化できるということは、またちょっとちがう問題かもしれない...
5年ほど前に講義の準備で調べたときにも思ったんだけど、選択の文脈効果をめぐる議論には似た概念を指すことばがいっばい出てきて困る。たぶん、現象のカテゴリの名前(「妥協効果」とか)と説明原理の名前(「極端の回避」とか)がごっちゃになってしまっているからだろう。不幸なことだ。
この論文のようにあれもこれも全部 reason-based choiceで説明しちゃうという考え方は、どのくらい支持されているんだろうか。うろ覚えだけど、たしか妥協効果をめぐっては対抗する説明がいくつもあったと思う。
ネットのあっちこっちに落ちているPDFのひとつで読んでたんだけど、OCRでつくったものらしく、文字や図があちこち化けていて参った。いくら探してもそういうPDFしか見当たらない。なんでこんなファイルが流通しちゃうんだろうか。
論文:心理 - 読了: Shafir, Simonson, & Tversky (1993) 理由に基づく選択
2013年7月 1日 (月)
天使エスメラルダ: 9つの物語
[a]
ドン デリーロ / 新潮社 / 2013-05-31
しばらく前から、小説など文学作品を読むことになにかちょっと抵抗のようなものがあって... 読まなければならないものがいっぱいあるのに、小説なんて読んでていいのか、という負い目のような感覚のせいで、気軽に手に取りにくくなっていたのである。
でも、先日ふと思ったのだけれど、たとえばなにかの事故でホームから線路に落ちてしまったとして、這いつくばった状態で頭を上げると、目の前に特急列車が迫ってくる、もう逃れようもない、数秒後に確実に死ぬ... という状況で、なにが頭をよぎるか。皆目見当がつかないが、少なくともマーケティングやデータ解析の未読の本について考えることは絶対にない。でも、もしかすると、前から読みたいと思いつつ果たしていないいくつかの小説については、ああ惜しいことをしたな、結局読めずじまいだった、と思いつつ全身を切り刻まれることが、全くないとはいいきれない。
というわけで、未読の本の山から一冊手に取る際には小説を優先しようと思い、手始めに読み始めた短編集。著者の名前に惹かれて買っちゃったんだけど(一部に熱狂的なファンを抱えるアメリカの大作家として記憶していた)、なんだか面倒くさそうだなあと思っていた本である。
案の定、現代文学好き向けのいささか読みにくい小説であったが、短編集なのでさほど敷居は高くない。スラム街の修道女を主人公にした表題作と、監視のごく緩い刑務所で暮らす男の内省を描く「槌と鎌」が面白かった。
テルマエ・ロマエVI (ビームコミックス)
[a]
ヤマザキマリ / エンターブレイン / 2013-06-25
先日たまたま一緒にエレベータに乗った見知らぬ30代男性二人が、最近ビデオで観た映画について話していた。「テルマエ・ロマエ、観ましたよ。超つまんねえ」「だろ? 俺も5分で寝たよ」 へええ、と感銘を受けた。前にファストフード店で「ニュー・シネマ・パラダイスっていう映画みたんだけど、全然意味がわかんない。なんか最後は男の人が古い映画みて笑ってんの、もうわけわかんなかった。時間返せって感じ」と真剣に語っている女子高生をみかけたとき以来の感銘である。世の中にはほんとにいろんな人がいるのだ。
というわけで、誰も予想しなかったであろう一大ヒット作となった本作の最終巻も、人によってはごくつまらないと感じられるであろう。でも私は大好きです。ご都合主義はこのように極めなければならないのだ。
アイアムアヒーロー 12 (ビッグコミックス)
[a]
花沢 健吾 / 小学館 / 2013-06-28
ゾンビの出現により崩壊した社会のなかでかろうじて生き続ける若者たちを描いた、とても面白いマンガ。2回読み直した。
でも、やっぱりなんらかの形でこうして「超人的な力」のようなものを導入しないと、マンガは成立しないのだろうか... ちょっと残念な気もする。
ドロヘドロ 18 (BIC COMICS IKKI)
[a]
林田 球 / 小学館 / 2013-06-28
東京喰種 7 (ヤングジャンプコミックス)
[a]
石田 スイ / 集英社 / 2013-04-19
コミックス(2011-) - 読了:「東京喰種」「ドロヘドロ」「アイアムアヒーロー」「テルマエ・ロマエ」
田中吉史・松本彩希(2013) 絵画鑑賞における認知的制約とその緩和. 認知科学, 20(1).
洞察的問題解決の文脈では、問題空間に対する心的な制約が緩和されるプロセスとして洞察を捉えるアプローチがあるけれど(それ自体は大昔からあるような気がする。「機能的固着」という概念はたしか1940年代だ)、これを絵画の鑑賞に適用した心理実験。
美術の専門教育を受けていない人は絵の写実性にこだわる傾向があるのだそうで(なるほど、私もそうかも)、これを創造的な鑑賞に対する制約とみなし、その緩和のための要因を操作して、自由記述や印象評定への効果を調べる。何枚かの絵について、(そこに描かれているモノについてではなく)構図や色使いについての解説文を読みながら絵をみた人は、そのあとにたとえばゴッホの「夜のカフェテラス」をみたとき、自由記述が多様になり、あまり指摘されない事柄への言及が増え、主観的印象についての記述も増えた。これは自由記述そのものへの影響というより、絵画鑑賞における認知の変化だと考えられる由。つまり、絵の解説文が、そのあとでみる別の絵に対する鑑賞のありかたを変え、(ある意味で)創造的な鑑賞を引き起こしたわけだ。
とても興味深く拝読いたしました(急に丁寧な口調に)。このたび機会を得て、著者をお招きし勤務先の同僚たちとともに研究のお話を伺ったのだが、その際にとても面白かったのは、いっけんビジネスとは縁遠い研究なのに、制約緩和とその支援という一点を突破口にして、消費者イノベーションというホットな話題と密接に結びつく、という点であった。市場調査という比較的に受け身な観点からいっても、創発的な製品使用はどのような消費者をどうやって調べれば観察できるか、という問題とつながっていると思う。これが基礎研究の強み、理論の強みというものだろう。
多くの人々を導き縛っている認知制約から、個々の消費者がなぜか解き放たれる状況、あるいは消費者がそこから脱出せざるを得ない状況とは、どんな状況だろうか...制約が緩和されることと類推のあいだにはどういう関係があるのか...認知制約にはそれなりの適応的価値があるだろう、では絵画の写実性制約の適応的価値とはなんだろうか...絵画への鑑賞が多様になるのは素晴らしいことだろうけど、創造的な消費者を量産しちゃうような環境は消費者自身にとって幸せか...などなど、あれこれ思い巡らせた次第であった。とても勉強になりました。
論文:心理 - 読了: 田中・松本 (2013) 絵画鑑賞における制約とその緩和
Arce-Ferrer, A. (2006) An investigation into the factors influencing extreme-response style. Educatonial and Psychological Measurement, 66, 374-392.
質問紙調査における回答スタイルについての実験研究。問題意識は文化差にあるようだが、研究自体は国際比較ではない。先日用事があって回答スタイルの論文を読みまくった際、途中までめくって放置していた。気持ち悪いので読み直した。
X件法尺度項目において項目内容と無関係に両端につけてしまう傾向(extreme response style, ERS)の文化差に注目。先行研究はいっぱいあるけど、著者いわく、それらには3つの問題点がある。
- ERSの測定が、研究者が勝手に聴取した調査項目への回答の二次分析によってなされている事が多い。「ERSを測るための尺度」を使え。
- そもそも項目が翻訳されている段階で等価でない。
- なぜある文化においてERSが高いのか、という説明が足りない。
というわけで、次のような調査票をつくる。
- Greenleaf(1992, POQ)のERS尺度(16項目)。2バージョンつくる。
- one-stage version。オリジナル(6件法)とは異なり、両端に"totally agree", "totally disagree"と書いてある目盛のない直線上に、自分の態度の位置をマークさせる。
- two-stage version。項目ごとに次の2つを聴く。(1)agreeかdisagreeか。(2)それはどのくらいの強さか。両端に"totally agree", "totally disagree"と書いてある目盛のない直線を、中心でちょっと折り曲げてV字型にしたような図形をみせて、その上にマークさせる。なんでこんな変なことを思いついたんだろうか。
- "totally agree"- "totally disagree"の直線上に5個の点を打っておき、そこのラベルを自由記述。評定カテゴリの主観的な位置を調べることができるという趣旨である。ほんまかいな。Smith, et al., 2003(Edu.Psy.Measurement)の手法である由。
調査対象者はメキシコの都市部と農村部の高校生。農村の高校生は調査に慣れていない由。要因は地域(都市/農村)とバージョン、ともに被験者間要因である。
直線の両端あたりにマークした回答をextreme responseと定義し、その割合をERS傾向とする。自由記述は、学生さんが必死に作業し、"moderately agree", "slightly agree", "neither agree nor disagree", "slightly disagree", "moderately disagree"の5カテゴリに分類する。対象者が書いたラベルが上記5カテゴリにぴったり一致したら5点、全然ずれてたら0点になる。
で、結果は:
- 農村部のほうがERS傾向が高い。バージョン間の差や、地域とバージョンの交互作用はない。(この知見の意義がわからず困惑したのだが、Albaum & Murphy (1988, Psych. Report)への反証になっているのだそうだ)
- 16項目に対する回答行列をMDSにかけて項目を3分類する。各クラスタの項目は、acceptanceとsuccess(「大学教育は現代社会での成功においてとても大事だ」とか)、face threatening sounds(「広告は私の知性を侮辱している」)、face building sounds(「わたしはたいていいつでもよく働いている」)をあらわしている由。で、ERSはひとつめのクラスタで特に高く、かつどのクラスタでも農村部で高かった由。(話の先が読めない... 著者は読み手をどこに連れて行こうとしているのか...)
- 自由記述の採点が高いと(つまり、直線に対する回答者の主観的カテゴリが分析者が想定しているカテゴリに近いと)、ERSは低くなる。
考察: スペイン語圏でERSが高いといわれているが、それは集団主義的な文化のせいでコミュニケーションの文脈依存性が高いからではないか、だからface threatening sounds, face building soundsクラスタの項目では対象者はノンバーバルな手掛かりをふくめた文脈再現を行う必要があったのではないか。(そのせいでERSが低めだった、という理屈だろうか? よくわからない)
一字一句きちんと読んだわけではないので、あまり大声で言うことじゃないと思うけど、ぜ・ん・ぜ・ん納得できない論文であった。この実験からわかることは、要するに、調査慣れしてない人は両端につけやすいみたいね、ということに尽きるのではないか。なんでスペイン語圏のERSの高さの話や、集団主義的/個人主義的文化とか文脈依存性とかの話につなげることができるのか、さっぱり理解できない。
既存の回答スタイル尺度を事後的に分析し、項目内容と回答スタイルの関係について考察するロジックもよくわからない。そもそもERSはその定義からいって「項目内容と無関係に極端な反応をするスタイル」のことではないのか。
調べてみると、著者は現 Pearson Education におつとめの測定の専門家らしいから、何か私の側に問題があるのかもしれないけど... まあどうでもいいや、次にいこう、次に!