緒方康(2021) 馬新貽総督の暗殺とその共犯者を追う. 神戸大学文学部紀要, 48, 1-73.
メモを整理していたら出てきた、ちょうど一年前くらいにとったメモ。(ヒマだったのかなあ…)
かつて香港で活躍した武侠映画の巨匠チャン・チェ監督が、ティ・ロンとデヴィット・チャンを主演として撮った「刺馬」(1973)という素晴らしい作品があるんだけど、この物語の基になっているのは清朝末の実話なのだそうだ。その事件である馬総督暗殺について、なんとなく検索して見つけ、なんとなく読み進めてたら、なんだか面白くて止まらなくなってしまった。中国近代史の先生による73頁の紀要論文だが、歴史ミステリの趣がある。
馬新貽は1821年生まれ。1855年、廬州(現在の安徽省のあたり)の知州(知事)となる。太平天国と捻軍の連合軍と戦い、1858年に敗れて一旦降格されるも、その後の数々の功績によって復権し要職を歴任。ついには両江総督となるも、1870年、衆人環視の中で張汶章に刺殺される。
さて、馬の死後に弟が作成した年譜によれば、かつて敵軍に城を占拠された際、馬は城内に突入するも孤立し、たった三名の部下と抱き合って大声で泣いた後に逃走した、となっている。しかし著者の見立てでは、三人はすでに太平天国・捻軍に通じていた。部下に身柄を拘束された馬は太平天国・捻軍に投降し、スパイとして釈放されたのである。
弟はこの三人のうち二名の名を挙げている。なぜ残る一名の名を伏せたのか。この男こそ、兄の命の恩人でありつつ、かつ兄の生涯の記憶のなかで最もおぞましい存在、すなわち、暗殺者・張汶章なのだ! 彼は馬と義兄弟の契りを結び、そして馬に妻を奪われたのである!
だが話はここでは終わらない。張を現行犯で逮捕した警備担当者・方は、なぜ馬が刺されてから張を捕らえたか。馬はなぜ即死せず翌日に死んだのか。方の証言とは異なり、刀に毒が塗られていたに違いない。つまり方こそは馬暗殺の共犯者。糸を引いていたのは塩の密売組織を支配する李世忠。彼は湘軍・曾国藩に庇護される立場にあり、湘軍の勢力削減を企む馬が目障りだった。馬の後任となった曾国藩は、背後にあった陰謀に気づきつつ、あえて真相をもみ消し、実行犯・張のみを処刑し幕を引いたのである…!
… というわけで、著者の先生の推理がどこまでオリジナルなのか、そしてどこまで説得的なのか、私には全くわかんないんですけど(なにしろ予備知識がなさすぎる)、面白かったです。