読了: De Witt Huberts, Evers, & De Ridder (2014) 節約したいのについぜいたくしたり痩せたいのについ食べちゃうのは、熟慮が衝動に負けたのではなくむしろ熟慮的な正当化の結果かも

De Witt Huberts, J.C., Evers, C., De Ridder, D.T.D. (2014) “Because I am worth it”: A theoretical framework and empirical review of a justification-based account of self-regulation failure. Personality and Social Psychology Review. 18(2), 119-138.

 ちょっと都合があって読んだもの。セルフ・コントロールの失敗(つまり、長期的な自己制御目標と短期的な誘惑目標が対立したときに後者を追及してしまうこと)を、自己制御資源の枯渇とかネガティブ感情下の衝動的行動とかで説明するのではなく、むしろ熟慮的システムによる正当化プロセスの結果として説明することができるのではないでしょうか。という、ガチに心理学な理論論文。
 メモは他の形でとったので省略。いやあ、疲れた… 勉強になったけど、そして面白かったけど(2014年の時点でバウマイスターさんたちに正面から喧嘩を売っている)、でもほんとに疲れた…

 話はちがうけど、先日から関連の論文を読んでいて、「正当化」という言葉のニュアンスがいろいろあるように思えて混乱している。
 Mukhopadhyay & Johar (2009)のような逐次選択研究とか、Okada (1995)のような選択の状況要因についての研究では、正当化というのは決定に多かれ少なかれ関わるもので、「先行する選択で節制すると無節制の正当化が高まる」とか「快楽財の購買は正当化の必要性が高い」というふうに、誰もそれを観察していないけれど理論的に仮定される媒介変数のようなものだと思う。なんかこう、正当性スコアとその閾値、みたいな感じね。
 いっぽうこの論文でいうところの正当化とは、陥ってしまったセルフ・コントロール葛藤を事後的に解決すべく誘惑目標を追求する理由を作り出すという熟慮的な心的プロセスを指している。で、その生成物である心的表象としての正当化にはいくつかの類型がある(たとえば「先行する自制」。この論文では6個挙げられている)。
 これらをひとくくりに「正当化」と呼ぶので混乱しちゃうんだと思う。少なくとも私は混乱してます。