Taylor, C., Webb, T.L., Sheeran, P. (2013) ‘I deserve a treat!’: Justifications for indulgence undermine the translation of intentions into action. British Journal of Social Psychology, 53(3), 501-520.
都合により読んだもの。google様曰く、被引用件数72。
(イントロダクション)
[話の導入のロジックに関心があるので、本節は細かくメモする]
行為の長期的帰結と短期的帰結が葛藤するときセルフ・コントロールのニーズが生じる。Sheeran (2002 Euro.Rev.Soc.Psych.) によれば、行動意図が実現するのは50%程度だ。意図-行動ギャップを説明する要因についてはたくさん研究がある(Webb & Sheeran, 2006 Psych.Bull.もみてね)。それらの研究は行動意図の諸特性とか文脈的特徴とかに関心を向けてきた。その背後には、良い意図と良い意図とよい文脈があればセルフ・コントロールが働き意図-行動の翻訳が成功するという考えがある。意図が良くても悪徳的行動(短期的にベネフィットがあるが長期的には害をなす行動)に至るかもしれないのだが、その点についての研究は少ない。
[ここは話の枕なんであんまり細かい議論をしてもしょうがないんだけど、意図-行動ギャップというのはセルフ・コントロール失敗よりももっと広い現象なのではないだろうか? 話がちょっと飛躍してません?]
人はしばしば無節制を働く。Baumeister & Heatherton (1996 Psych.Inq.)は自己制御失敗の研究をレビューし、無節制な行為は避けうる自発的行為であると述べている。つまり人は自分の無節制と協同している。しかし、悪徳的行動は長期目標の達成を損なうので、それをしようと考えると嫌悪感情(罪悪感、後悔、恥)も生じる。
本研究では次のように論じる。行為の瞬間において、人は無節制の正当化によって予期される望ましくない状態を解決ないし消去しようとする。本研究は、意図-行動ギャップが意図の弱さや文脈の悪さだけでなく、正当化による無節制の許可によっても生じるという考えについて検討する。
正当化・自己許可・自己免除self-forgivenessについての先行研究
無節制の自己許可:
- Wohl & Thompson (2011 Brit.J.Soc.Psych.): 自己免除が禁煙の見込みを下げる
- Fishbach & Dhar (2005 JCR): 目標への進展の知覚が無節制の正当化になる
- Mukhopadhyay & Johar (2009): 先行する節制が無節制の正当化になる
- Kivetz & Simonson (2002): ロイヤルティプログラムで必要な努力が大きいほど報酬として悪徳を選びやすくなる
- De Witt Huberts, Evers, & De Ridder (2012 Euro.J.Soc.Psych.): 先行する努力がスナックをたくさん食べることの正当化になる
- セルフ・ギフト研究。成功と努力への帰属がセルフ・ギフトを生じさせる(Mick & Demoss, 1990 JCR; Mick & Faure, 1998 IJRM)
- Wahlich, Gardner, & McGown (2013) ネガティブ経験が無節制の正当化になる
道徳的自己許可:
- Merritt, Effrom, & Monin (2010): レビュー
- Chance & Norton (2009 Chap.): 人は正当・合理的だとみられたいとい思っており、基準を犯す行動を合理化するために正当化を用いる
- Monin & Miller (2001), Merritt et al.(2012): 先行する反差別的言明が差別的態度の表現を正当化する
- Mazar & Zhong (2010): 先行する環境にやさしい行動が自己中心的決定を正当化する
- Khan & Dhar (2006): 有徳な行動が無節制を正当化する
[だいたいチェック済みの奴だった。そこそろ文献集めも飽和に近づいてきたかな…]
本研究
次の2点がいまだ答えられていない。
- 無節制を合理化する際に使う正当化の範囲。従来の研究は、1~2個のタイプの正当化を事前に決めて、それに焦点を当ててきた。探索的研究が必要。
- 先行研究は、正当化のせいで自己制御が失敗して無節制が生じると仮定している。無節制が意図に反している程度を実証的に測っていない。でも正当化を意図-行動ギャップの理由として位置づけるためにはそれが必要だ。[なるほど。無節制を100としたときに、それが自己制御の失敗である割合はどのくらいよ、ってことか。こういう問いが出てくるのは、著者らの研究の出発点が意図-行動ギャップだからだろう。先行研究は自己制御失敗の研究として出発しているから、こういう問いは出てこない]
本研究は不健康な食品に焦点を当てる。
研究1. 無節制の正当化の性質についての検討
方法
まずはパイロット調査。フォーカスグループを2グループ(10人, 6人)。前月に不健康なものを熟慮的に食べた経験を思い出し、そのとき考えていたことを報告してもらう。「あとでエクササイズしよう」といった短い文章に切り出して、別のグループ(15人)にありそうかどうか5件法評定してもらい、中央値が”sometimes”より上の奴を抜き出して、無節制を許す際に使われる正当化を54項目つくった。
本調査いきます。メールで調査。BMIが低すぎる・高すぎる人を除いて371人。54項目についてありそうか評定、ケーキなど12種類の食品について過去7日間の摂食個数を聴取、脂肪の総摂取を聴取。
結果
PCAやって6主成分を得た。直接オブリミン回転。名前をつけると、「利用可能性」、「代償的行動」、「規範の例外」、「そうして当然」(deservingness)、「好奇心」、「抵抗不能」。「抵抗不能」の平均が高く、「好奇心」の平均が低い。どの主成分間にも正の相関がある[そりゃそうでしょうね、scale usege因子があるから]。
脂肪の総摂取量と「利用可能性」「好奇心」「抵抗不能」は正の相関。不健康食品消費と「利用可能性」「そうして当然」「好奇心」「抵抗不能」は正の相関。
考察
6つの主成分のうち、「利用可能性」「規範の例外」「好奇心」「抵抗不能」はこれまで指摘されてこなかったのではないか。云々。
研究2. 正当化の予測的妥当性を縦断デザインで検証する
売りは2点。(1)研究1では、不健康食品の摂取は自己制御の失敗だと勝手に決めつけていた。今度は不健康食品消費を減らそうという意図もちゃんと測ります。(2)今度は縦断デザインでやります。
方法
学部生243人。うち、BMIが低すぎ・高すぎの人、フォローアップで脱落した人を除き、99人を分析する。
本調査では、あなたが食べ過ぎちゃう不健康なスナックをひとつ訊き、それを週に何個食べちゃうかを訊いた。で、食べる前にこういう正当化を使いますか?と54項目を見せて5件法評定。で、不健康スナックの消費を半減させたいという項目を3項目みせて7段階評定。
4週後にフォローアップ調査。過去7日間で実際に何個食べたかを訊いた。
結果
6つの正当化の使用はフォローアップでの消費量と正の相関。
[いやいやいや… 本調査の摂取量と一緒ににして回帰やんなきゃだめでしょ、と思いながら読むのを中断。再開したら、次の行からそれやってました]
消費を減らそうという意図が正当化のせいで弱められているという仮説を検証するために、階層的回帰をやった[いわゆる階層回帰のことじゃなくて、変数を出し入れするということを意味しているのであろう]。目的変数はフォローアップにおける消費量。説明変数は、本調査での消費量、意図の強さ、正当化の使用。
Step 1では3変数入れて、正当化だけが有意。Step 2で意図-正当化の交互作用もいれたら、分散を6.6%多く説明できた。意図が強い群では正当化によって消費量が増えた。意図が弱い群では変わらなかった。
考察
仮説は支持された。正当化の使用は意図-行動関係の調整変数となっている。[原文: This finding suggests that justification use moderate the intention-behavior relations. ほんとにmoderateといっている]
研究3. 正当化の使用をプライミングすると無節制が促進されるか?
本研究では、正当化の使用が無節制を引き起こすと仮定しているのだが、そうではなくて、無節制が正当化を引き起こしているのかもしれない。そこで、正当化をプライミングで操作する。さらに、正当化が無節制に与える効果が摂食を減らそうという意図によって影響されているという知見を再現する。
方法
女性の学部生87人。BMIが高すぎる・低すぎる人を抜いて83人について分析する。実験群(プライムあり)と統制群(なし)に無作為割付する。
実験群では、休日に友達(ボーイフレンド以外)と会う場面を想像し、彼への正当化理由をできるだけ多く書き出させ、ランキングさせる。統制群では、休日に友達に会いに行くかどうか決める場面を想像し、行先を書き出してランキング。
次に、感情評定とか空腹度評定とかさせる。で、M&Mを試食して味を評定させる。最後にいくつか尺度への回答を求め、そのなかに、「体に悪いものを口にするのを避けたい」項目がある(これで被験者を意図強群/弱群に分ける)。
結果
M&Mを食べた量を目的変数、プライム(あり/なし)と意図(強/弱)を要因にしたANOVAで、主効果はどちらも有意じゃないけど交互作用が有意。意図が強いと、プライムによって摂食量が増えるけど、意図が弱いと差がない(プライムによってやや下がる)。
考察
正当化の使用は無節制と因果的に関連している。正当化使用のプライミングによって、健康に悪いものの摂取を制限しようとする意図が掘り崩される。
この効果について次のように説明できる。プライミング手続きは自己中心的な理由へのアクセス容易性を増す。被験者は自己中心的な理由を用いてチョコレート消費を合理化する。この研究ではプライムされた概念(正当化)は直接測れていないので、別の説明も可能だけど。
一般的考察
研究2の結果は、正当化が意図-行動関係をmoderateしているということを示唆している。研究3の結果は、正当化が事後的な合理化ではないということを示唆している。
本研究は正当化を操作して無節制への効果を調べた初の研究である。
本研究であきらかにした正当化のうちいくつかは先行研究と類似している。
- 「そうして当然」は、努力や目標進展や選好する節制・有徳による無節制正当化と整合している。
- 「代償的行動」は、無節制が後日補償されるという信念についての研究と整合している。
- 「好奇心」は、摂食への広告の効果の研究で指摘されていた (Harris, Bargh, & Brownell, 2009 HealthPsych.)
いっぽう新しい正当化もある。
- 「規範の例外」。その出来事をなにかしら非通常的なものだと捉えると、良い意図は脇に置かれるのではないか。それがどういうイベントで、そのラベリングに無節制欲求がどのくらい訊くのかは今後の研究課題。
- 「利用可能性」「抵抗不能」は、Wadden, Brownell,& Foster (2002 J.Consulting&ClinicalPsych.) いうところのtoxic environmentに近い。
これら新しい正当化は、食事介入の新しい目標を提供している。その場面を非通常的だと捉えないこと、利用可能性そのものが無節制を促進するのだと知ること。
さらに、今後の研究課題として、状況的手掛かりと正当化のリンクを断ち切る方法(非通常的だったり利用可能だったりしても無節制しなくなる方法)、正当化を促進・抑制する文脈要因(自我枯渇や剥奪感は促進要因、自己焦点や責任の促進は抑制要因だろう)がある。
最後に、本研究の限界と今後の課題。
- 研究1, 2は自己報告だった。
- 正当化の使用の基盤にあるメカニズムについては明示的に検討しなかった。先行研究では、無節制のあとにネガティブな心理的効果を経験する傾向が観察されている。今後の研究では、正当化の使用を促進する感情状態、正当化の使用が感情に与える効果の検討が求められる。
最後に、無節制のあとの正当化についても研究が求められる。云々。
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途中で混乱した点をメモしておく。不勉強を晒しているようで恥ずかしいんだけど。
スナックを食べまいという意図をX, スナックを食べる行動をY、正当化の使用をZとする。著者らが示している統計的事実は、研究2では、Zに対してXとYが交互作用を持っているということ(Xが高いとZとYが正の相関をもちXが低いと相関が消える)、ということである。これをどう説明するか。
ふたつの説明の方向がある。
- ZはX-Y関係のmediatorである。つまり、X → Y という負の因果関係とともに、X → Z → Y という正の因果関係がある。
- ZはX-Y関係のmoderatorである。つまり、X → Y という負の因果関係の強さが、Zの水準が高いときに低くなる。
私はてっきり前者だと思っていた。つまりこういうことだ。人は基本的に、スナックを食べまいと思っているとスナックを食べない(X → Y, 負の因果関係)。しかし人は、スナックを食べたいときほど正当化を使用する(X → Z)。かつ、正当化の使用によってスナック摂食が促進される(Z → Y)。つまり、Zはmediatorである。この観点から見ると、この論文はちょっと片手落ちである。スナックを食べたい時ほど正当化を使用する(X → Z)ということを支持する実験結果が明示されていないし、そうなるのはなぜかという議論も欠けているからである。勝手に解釈すると、スナックを食べたいという意図が強いほど、自己制御目標(ダイエット)に対する葛藤が強くなり、うっかり食べたときの後悔や罪悪感の予期が生じ、その予期を解決するために正当化理由を探す動機が高まる、ということだと思う。ちゃんとそう書いてよ先生。
と思ったんだけど… 研究2の末尾で著者らは、正当化は意図-行動関係をmoderateしている、といっている。えっ、そっちなの? たしかに、その観点から見れば、X → Zという主張はもともと含まれないので、チャートも議論もいらなくなる。なんというか、「ストレス因子と不適応の因果関係をストレス対処方略がmoderateする」というような研究で、ある人がそのストレス対処方略がなぜ持ちえたかとか、どうやって発動したのかは問わないのと似た感じであろう。