読了: Escalas (2007) 自己に結びつける広告メッセージであっても、それが物語的に処理される場合と分析的に処理される場合では効果が違う

Escalas, J.E. (2007) Self-referencing and persuasion: Narrative tranportation versus analytical elaboration. Journal of Consumer Research, 33(4), 421-429.

 ちょっと経緯があってざっと目を通したやつ。著者のEscalasさんは新製品のメンタル・シミュレーションについて調べていた時になんどか見かけた名前である。

 いわく、
 自己とか個人的経験に関係する情報を処理しているときに自己参照が生じる。心理学では、自己は高度に組織化された複雑な記憶構造なので、自己参照のせいで情報が精緻化され学習や再生が拡張するといわれている。
 消費者研究でも、自己参照は説得に影響するといわれている。Burnkrant & Unnava (1989 PSPB)いわく、自己参照は製品特徴とか広告メッセージの精緻化につながり、よって論拠や製品特徴が強いときにのみ説得を拡張する。また、自己参照による説得の拡張には限度があるともいわれている。あまりに精緻化しちゃうと批評的だったり無関係だったりする思考過程が生じて説得効果があがらなくなる(逆U字型になるわけね)。Burnkrant & Unnava (1995 JCR), Meyers-Levy & Peracchio(1996 JCR)をみよ。
 いっぽう、自己について考えるというのは注意を消費する課題なので、自己参照は注意を阻害し、論拠の強さによる説得効果の差はむしろ消えちゃうと論じている人もいる。Sujan, Bettman, Baumgartner(1993 JMR), Baumgartner, Sujan, & Bettman (1992 JCP)をみよ。

 この2陣営のどこが違うかというと、後者の陣営が自己参照を自伝的記憶の誘発で操作しているという点である。
 自伝的記憶ってのはふつう物語ないしナラティブの形をとっている。Fiske(1993 Ann.Rev.Psych.), Polkinghorne(1991 J.Narrative & Life Histroy)をみよ。[←そんなジャーナルがあるの!?]
 自伝的記憶というのはメンタル・シミュレーションの一部である。メンタル・シミュレーションとは、なんらかのイベント(の系列)の模倣的な心的表象で、ありそうな未来の出来事のリサーサルや、ありそうにない未来の出来事の想像や、過去の出来事の再経験や、過去の出来事と仮説的な要素を混ぜて再構成することを含む(Taylor & Schneider, 1989 SocCogをみよ)。私たちが出来事をシミュレートするとき、私たちは行動的シナリオを作り出すことで自分の行動について考えることが多い。行動的シナリオというのは自分を主人公にした物語に似ている。つまりメンタル・シミュレーションと自伝的記憶というのは物語的自己参照の一形式である。
 物語処理というのはを通じて説得に影響する。Green & Brock(2000 JPSP), Gerrig (1994 PSPB)をみよ。tranportationのもとではネガティブな認知反応が減り、経験のリアリズムが増し、感情的反応が直なる。つまり、論拠の強さは説得に効かなくなる。
 [いいねえいいねえ。クリアな議論だ]

 というわけで、本論文では、物語的自己参照と分析的自己参照を比べます。

  • H1. 論拠の強さにおける差がブランド評価に与える効果は、物語的自己参照条件に比べて分析的自己参照条件で強くなる(そして論拠の強さを問わず、物語的自己参照のほうが説得的である)。
  • H2A. 物語的自己参照の下では分析的自己参照の下でよりもtransportationが強くなる。この関係は論拠の強さでは調整されない。
  • H2B. 物語的自己参照の下では分析的自己参照の下でよりも広告・ブランドの評価が批評的でなくなる。
  • H3. 物語的自己参照を引き起こすことを意図した広告への反応において、広告への懐疑心はtransportationを排除し、よって分析的処理へとつながり、論拠の強さに敏感になる。

実験1.
 H1, H2を検証します。
 被験者は学部生252人。ランニングシューズの架空のカラー広告を見せる。その下の広告文を操作する。要因は2つ, 被験者間。

  • 自己参照レベル:
    • なし: “Introducing Westerly running shoes”
    • 分析的: “We’d like to introduce you to Westerly running shoes, designed with you in mind”
    • 物語的: “Imagine yoursef running throught this park … Westerly running shoes on your feet”
  • 論拠の強さ:
    • 弱: レースが強化されており防水です
    • 強: 軽量で進んだ安定システムを持っています

 その後、思ったことを書き出させる。あとでコーダーが読んで3項目を5件法評定する: (1)思考は目標到達のために行動する行為者を含んでいたか (2)思考はある登場人物の人生についての個人的評価や変化についての洞察を与えているか (3)思考は始まりと中間部の危機と終わりをに分かれるか? [ちょっとちょっと、この評定項目難しくない? コーダーにどんなトレーニングやったんだよ] 別のコーダーには、広告焦点(ポジティブ, 中立, ネガティブ), ブランド焦点(ポジティブ, 中立, ネガティブ), それ以外, に分類させた。
 次に、自分の感情の29項目評定。ブランド態度、使用意向、購入見込みを評定。transportationの程度を評定。

 結果。
 ブランド評価について2×3のANOVAをやったら、自己参照レベルの主効果あり、交互作用はぎりぎり有意でなかった。物語的自己参照・なしでは論拠の強さの効果がなくて分析的自己参照ではあった。H1を支持。
 [話の筋が見えてきたので中略…] H2A, H2Bも支持。

実験2.
 H2, H3を検証します。
 学部生97人。シャンプーの広告を見せる。広告文は”Imagine yourself using Saloncare shampoo…”で、物語的自己参照に相当。要因は2つ、被験者間。

  • 論拠の強さ。2水準。
  • 広告への懐疑心。2水準。実験群では、広告を見せる前に「これから広告を見てもらいます、批評家になったつもりで注意深く読んで評価してください」と教示。

 その後…[省略]

 結果: […中略…] H2,H3を支持。

結論
 自己参照にはタイプのちがいがある。物語的処理と分析的処理では論拠の評価が異なる。物語的自己参照は広告への懐疑のような要因で調整される。
 今後の課題: いろんな広告の物語的処理を調べる。
 実務的には、あんまり遠くまでtransportさせちゃうような広告があったらブランドと結びつかなくなるわけで、そういうことが起きるか、起きるとしたらどうやって避けるか、という問題がある。
 云々。
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 いやー、ちゃんと読んでないけど、面白かった! 仮説構築は明確、実験手続きはシンプル、分析のANOVAのみ。すべての実験論文がこうであってほしい。
 正直、こういう実験的知見というのは名人芸みたいなもので、外的妥当性はよくわからない。だいたいですね、「想像してみてください、この製品を使っているあなたを」という広告を見せたからといって、消費者はちゃんと想像してくれるもんですかね? みんなそこまでヒマじゃないでしょ。
 でも、同じように自己に関連付けたメッセージであっても、それが物語的に処理されている場合とそうでない場合では効果が異なるんだよ、という主張には意義があると思う。これ、むしろ新製品開発のための消費者テストにおいて、コンセプト評価が上振れ/下振れする要因として捉えたほうが面白いのではなかろうか。ともあれ、勉強になりましたです。