Brennan, M.J., Persons, E., Priola, V. (2015) Brands at work: The search for meaning in mundane work. Organization Studies, 36(1), 29-53.
仕事の都合でコーポレート・ブランディングについて調べていて、実証とポエムとセールストークが奇妙に混淆した資料の山にほとほとうんざりしていたんだけど、たまたまこれをみつけ、あまりの面白さに読み耽ってしまった。こんなことをしている場合じゃないのに。
記録のために書いておくけど、久保田・阿久津・余田・杉谷(2019, マーケティング・ジャーナル)のなかで、阿久津聡さん(有名な先生ですね)が、経営組織論におけるコーポレート・ブランディング研究としてこの論文を例示していたのがきっかけである。ありがとうございます。
ひとことでいえばコールセンターの参与観察研究である。英国のとあるコールセンターが舞台。第一著者はここで1年以上フルタイムで働いて観察を積み重ねていく。
勤務初日、同僚は著者に言い放つ。「これは普遍的に認識されている真実なんだけど、コールセンターで働くってのはクソだよ。でも、ここはただのコールセンターじゃないんだ」実のところ、そこはコールセンターそのもの。いわく、仕事は定型的、常時監視におかれ、低賃金、昇進の見込みなし。多くの従業員は大学卒業後の足かけとして働いており、退職率は高い。しかし人々は、そこで働くことにある種の意味を見いだしている。なぜか。
その会社はとても有名な国際的ITコンサル企業なのである。その企業ブランドはプレステージと成功と高品質に結びついている。従業員のひとりはこう語る。「毎日きちんとした服装で出社すべきだ。いつでもクライアントとのミーティングに行けるように」(実際にはクライアントとのミーティングなどない)。別のひとりは著者にいう、「いいたいことはわかるわよ。みんなわかってないな、ここはただのコールセンターなのに、っていうんでしょ? わかってるわよ、コールセンターじゃなくてサービス・センターなのです、なんていうのは管理職だけよ。でもね、やっぱりもっと大局的にとらえないと… 私がここで働きたいと思っているのは、なんというか、閉まりかけたドアに足を挟んで止めているようなものよ」この有名企業で働いていたということが今後のキャリアを助けてくれると信じているのだ。
ここで働いている限り、あなた/わたしは「未来のコンサルタント」なのである。雇われる側も雇っている側も、厳しい現実から目を背け、日々の辛い仕事をこなしつづけるための鎮痛薬として、ブランドの価値を自発的に受け入れ、自己規律を生み出しているのだ。ここで企業ブランドは、アイデンティティ形成の道具であると同時に規律の道具でもある。
ブランドの意味は、従業員の主観性が自己規律的な形で作られていく際に中心的な役割を果たしている。そのパワーは、従業員がブランドの意味を自分自身のものとして自律的に受け入れているという点に現れている。こうして、自己実現は究極的には市場における成功へと方向づけられる。ブランドの規律的な力は未来の自己を動員することによって高められている。その未来はまだやってきていないし、やってくることもない。だからこそ、従業員は「なにものかになるという規律的な状態」に耐え続けるのである。
心の整理がついてないので情緒的な感想になっちゃうけど、正直なところ読んでて辛くて、なんだか涙がでそうになってしまった。「就活に失敗したからって有名企業にしがみついて、コールセンターのオペレータなのに未来のコンサル気分かよ、若い人はバカだなあ」と笑えますか? これは私自身の物語でもある。多くの人の物語でもあるだろう。