van de Ven, N., Blanken, I., Zeelenberg, M. (2018) Temptation-based reasoning: When tempted, everything becomes a (better) reason to indulge. Journal of Marketing Behavior, 3, 185-209.
都合で読んだもの。セルフ・コントロール葛藤下での正当化の研究である。
著者らはオランダ・ティルブルフ大所属。google様曰く被引用件数6件。さみしい。
(イントロダクション)
セルフ・コントロール葛藤において、誘惑(長期的にはネガティブな帰結を持つけど強い衝動を感じること)の側を選択する際、人は正当化を行う。本研究は、無節制の誘惑の下で、人が同じ理由を良い理由だと思うということを提案する。
本研究は次の2つの研究の流れを受けている。
- Shafir, et al.(1993)のいう理由ベース選択。[説明。メモ省略]
- Kunda (1990)いうところの動機づけられた推論。[説明は省略するけど、研究例として以下を挙げている: Kivetz & Simonson (2002)のロイヤルティプログラムの例, Cheema & Soman (2006), Poyner & Haws (2009 JCR), De WItt Huberts et al.(2014 Front.Psych.)。2番目のは(たぶん3番目のも)心的会計の柔軟性についての研究として位置づけられることが多いと思う。ある研究がいろんな角度から解釈できるのは不思議ではないし、心的会計と動機づけられた推論では説明のレイヤが違うってことだと思うんだけど、この辺を整理したレビュー論文とかないんだろうか。心的会計と理由ベース選択についてはKivetz (1999)というのがあったけど…]
これらの研究は、一方の選択肢を支持するための既存の論拠の解釈や重みづけに焦点を当てている。いっぽう我々の予測は、全く同じ理由であっても、無節制の魅力次第で違った解釈がされるというものである。
我々はこう考える。誘惑が存在するとき、動機づけられた推論のプロセスが始まり、誘惑が強いほど、(理由の探索がなされるだけじゃなくて)ある理由の良さが強くなる。
実験1a. 勤務時間中にSNSをチェックする理由についての解釈
MTurkで実験。被験者はスマホ持ってる458人。誘惑高群と低群に分ける。
あなたの会社では勤務時間中に個人のスマホをチェックするのを禁止しています。こちらにスマホのスクリーンショットがあります。メッセージが来てたらそれは仕事は関係なメッセージです。と教示し、スクリーンショットを見せる。高群のほうでは、SMSや電話やメールやfacebookのアイコンの右肩に数字がついている(こっちの画像のほうが誘惑が強いというのは予備調査で確認済み)。で、チェックしたいかどうかを7件法評定。さらに、チェックする理由として「あなたは今日起きた出来事のせいでとてもイライラしています」「ここ数日とてもよく働きました」「今日あなたは善行を働きました」「今日は火曜の午後です」を列挙し、それぞれについて、それがスマホをチェックする良い理由かどうかを7件法評定。
結果。誘惑高群のほうが、チェックしたい度が高く、「イライラ」「火曜」の理由としての良さが高かった。
[…というような感じで計5つの実験をやっている。実験1bは設計はほぼ同じで、刺激をハンバーガーの写真に変えている(おいしそうなのとしょぼいの)。実験2aは、先行する善行がハンバーガーを食べる理由として良い理由かどうかを評価。実験2bは先行するフラストレーションについて評価。
実験3がちょっと面白い。いろいろ別の課題をやってもらったとで、ドーナツの実物をみせて(有名な店で買ってきた奴 or スーパーで買ってきた奴)、リンゴかドーナツかを選ばせる。で、ドーナツの魅力と、それまでいろいろ課題をやったということがドーナツを食べる理由になるかどうかを評定。ここにいたって、ドーナツの種類 → ドーナツの魅力 → 理由の良さ → 選択、という媒介分析をやっている]
一般的考察
本論文の知見は、動機付けられた推論の理論と理由ベース選択の理論に基づいている。人は選択肢を選ぶとき、選ぶ選択肢を理由をもって支持できることを求める。また、すでに一方の選択肢を選好していたらそれを支持する理由を探す。
本研究は、全く同じ理由であっても選択肢の魅力に応じてその良さを高く評価したり低く評価したりするということを示している。
インプリケーション。
まず自己許可について。自己許可のプロセスについてはいろんな理論があるけれど(Miller & Effron, 2010 Adv.Exp.Soc.Psych.; Blanken et al., 2015 PSPB, Effron & Conway, 2015 CurrentOpinionInPsych.)、先行する善行が行動に影響するプロセスとしての自己許可に焦点を当てている。Miller & Effron いわく、先行する善行がcredit(あとで取引につかえるなにか)を作るというプロセスと、credential(ポジティブな評判)を作るというプロセスがある。
先行研究はたいてい、善行→選択という逐次的行動の実験室実験で、自己許可のプロセスがその順番でないと働かないのかという点については明示的に調べていなかった。我々の研究は、逆向きに、誘惑が前項の評価を変えるという方向でも働くことを示した。[ううう… いささか苦しいセールストークではないでしょうか]
自己許可は多くの場合、無意識的プロセスと解釈されてきた。しかし我々の研究はもっと熟慮的なプロセスかもしれないと示唆している。また、過去の善行が自己イメージを変えなくても無節制を促進すると示唆している。
[…]
confort buying/eatingについて。ネガティブ気分の調整のための買い物するという研究があるけど、誘惑のせいでネガティブ気分が顕著になっているという可能性にも注目すべきでは。自尊心の復元や気分の改善ではそういう行動を止められず、むしろ誘惑に対する注意を阻害するような介入がよいのかも。
結論
[略]
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要するに、誘惑と長期目標の間のセルフ・コントロール葛藤において、誘惑側の選択を正当化する理由の探索がなされるということが先行研究では示されてきたが、この研究では実験者が与えた任意の理由に対する良さ評価も上がるということを示した、ということだと思う。
この研究の価値について考えてみると、大変失礼ながら、理論的な貢献というのは乏しいんじゃないかと思う次第である。だって、説明したい現象も、その説明も、先行研究と同じである。新しいのは目的変数の定義(探索された理由ではなくて与えられた理由に対する評価)だ。著者のいう「誘惑ベース推論」ってすごく魅力的なキーワードだけど、冷たくいえば、セルフ・コントロール葛藤下での推論バイアスという現象を、ちょっと別の観点から示しましたという話ではないかと。
こういう研究を、研究のための研究、実験のための実験、一種の知的ゲームではないかと忌避する人もいるだろうな、と思う。それもわかる。でも私個人としては、嫌いじゃないです、こういうの。理論的貢献も大事だけれど、私たちの世界理解にうまく接続しインパクトを与えることだって大事だろう。「今日は火曜の午後だ」といういささかナンセンスな理由さえ、誘惑の強さによっては無節制の良い理由になってしまう、という面白さにも価値があると思う次第である。うーん、これは私が部外者だからそう思うんですかね? よくわかんない。