Schwarzkopf, S. (2016). In Search of the Consumer: The History of Market Research from 1890 to 1960. In B. Jones, & M. Tadajewski (Eds.), “The Routledge Companion to Marketing History“.
仕事の都合で読んだ奴。
市場調査の歴史についての解説。入手方法を模索していたのだが、google booksでたまたま全部読めることに気が付いた。
いま調べていることと関係があるのでありがたいし、それを離れても面白いっちゃ面白い。しかし、途中で(俺はいったいなにを読んでいるんだ…)という気もしてきた。気持ちが萎えそうになったので、メモが少々細かめになっています。
1. 市場調査の歴史とはなにか、なんのために研究するのか
市場調査は消費者志向資本主義の勃興を理解するための鍵である。
マーケティング史・経営史の研究者たちは市場調査の発展を20世紀初頭の経営マーケティングと消費者志向の勃興と結びつけてきた。この視点からいえば、市場調査は企業の外部にある情報の提供を通じてマーケティング戦略立案を支援する。こういう概念化は本質的にみて実証主義的だが(消費者の選好が客観的に存在すると仮定している)、確かに初期の市場調査家の自己認識をとらえている。
本章は欧州・北米における市場調査の起源をたどり、20世紀中盤までの発展を描く。本章は実証主義的というより批判的なスタンスをとり、市場資本主義と消費社会のポリティクスをめぐるより広い議論のなかに市場調査を位置づけることを目指す。
2. 市場調査と社会科学におけるその起源
市場調査・消費者調査の勃興を用意したのは、社会調査研究者たちが開発した科学的手法だった。彼らが関心を持っていたのは、失業、貧困、家計支出、公衆衛生などであった。質問紙調査、世帯抽出法、フォーカス・インタビュー、これらはみな社会調査から生まれたもので、その研究テーマは、現代の社会生活・消費支出・メディア使用に都市化・大量失業・戦争が及ぼす影響であった。
社会調査法は英国にはじまる。その背景にあったのは、英国社会が1840年代からさらされていた産業化とマス都市化の副作用にあった。
こうしたサーヴェイ調査手法を市場調査に翻訳した中心人物は、LSE教授のArthur Lyon Bowleyである。彼はもともと世帯所得と貧困水準の統計的分析をやっていたのだが、のちには(特に世帯の)抽出手法の改善に関わり、第1次大戦後の市場調査・世論調査の基礎を築いた。1920年代末から1930年代にかけて、彼はLCES(London and Cambridge Economic Service)の共同創業者として多様な市場調査に関わった。なお彼はMRS(Market Research Soc.)の初代会長であった(1946)。英国の初期の市場調査組織のリーダーはほぼ全員がBowleyの教え子であった。
まず社会変革を志す人が社会調査手法のパイオニアになり、後に市場調査がそれを受容し作り直すというこの歴史的ロジックは、他の多くの国にもあてはまる。例外はフランスで、1940年代以後に鉱山技師のFrederic Le Playが社会調査をやっているが、ビジネスへの適用にはつながらなかった。
USでは、Charles Booth, Webbs/Seebohm Rowntreeらの社会調査が活動家-調査者の世代を生み出した。そのなかのひとりであった若手研究者にRobert Staughton Lyndがいた。彼はマーケティングにはとても批判的だったのだが、学術的社会調査と商用的市場調査の橋渡し役となる。彼のMiddletown研究(1929)が、ウィーンで労働者階級の地域への長期大量失業の効果を調べていたPaul Felix Lazarsfeldを刺激し、いわゆるMarienthal研究につながる(1933)。それに基づきLyndはMiddletown研究の続きを行う(1937)。LyndはLazarsfeldのメンターとなり、Lazarsfeldをコロンビア大に訪問研究者として呼び、さらにロックフェラーが支援するPrinceton Radio Reserach Projectのディレクターに据える。このプロジェクトが、Herta Herzog[Lazarsfeldの2番目の奥さんね!]、Ernest Dichter, Hans Zeiselらのスプリングボードとなる。
Lazarsfeldはコロンビア大のBASR(Bureau of Applied Social Research)を拠点として社会調査と市場調査を結ぶ重要人物となる。彼はFord MotorやChryslerやCBSやGeneral Mills(Betty Crokerね)やLifeマガジンやBBDOのような広告代理店のための市場調査を手掛ける。
Lazarsfeldの研究グループは、以前彼が教えていたウィーン大とつながっていたので、ドイツ、オーストリア、スイスでも市場調査をやった。オーストリアのラジオ局のためにやった大規模調査にはアドルノとホルクハイマーのようなドイツからの亡命組も参加した。[この辺の話にはちょっと関心があるので、引用文献のうち戦後のものをメモしておくと、Barton(1984 書籍), Converse (1987 書籍), Fleck (1998 Chap.), Hyman (1991 書籍)。どれも滅茶苦茶面白そう…]
Lazarsfeldのような物語は珍しくない。広告調査の歴史をみてみよう。
そのはじまりは広告の認知・記憶の研究で、心理学者Gale(1895-1897)、Scott(1901-1904)が挙げられる。その後KintonとHollinworthの広告理解・注意・記銘の研究があった。
大学を辞めてビジネスに転じた人もいる。Butler(1917年にUS Rubberに移り後にGeneral Foodsの広告ディレクターとなった)、かの有名なWatson(1920年から代理店J. Walter Thompson)、Cherington(1922年にJWTのリサーチディレクター)。ハーバードのStarchは自分の会社を作って1926年にそちら専業となりStarchテスト(広告閲読テスト)を作った。GallupはGallup and Robinsonを通じて自分が開発した広告閲読調査サービスを売る[Gallupって大学辞めたのだろうか]。Weldは1926年にMaCann Eriksonのディレクターになる。
大学は辞めずに市場調査に貢献した人としては、Nystrom (カテゴリ特定的流通チャネルという概念を作った人)、Stephan(統計手法の開発で有名)がいる[知らんかったけど、IPF法の元論文Deming & Stephan(1940)のStephanらしい]。
戦後になるとシカゴ大が消費者調査の人材を輩出する。人類学者Gardner, 臨床心理学者Henry, 社会学者WarnerはリサーチコンサルのSRIをつくりGardnerとLevyがブランドの象徴性の人類学的研究を始める[全然知らんかった… 引用文献はKassarjian & Goodstein(2010 in “SAGE Handbook of Marketing Theory”), Kassarjian(1994 in “Research Traditions in Marketing”), Levy & Belk(2006 in “Handbook of Qualitative Methods in Consumer Research”)]。
ドイツでは、NurembergビジネススクールからGfKが生まれる(1934)。Cologne大のSeyffertがAdvertising Research Institute(1922), Institute of Retail Research(1928)をつくる。広告調査では心理学者Lysinski, Moedeの影響が大きい。広告調査でタキストスコープを使ったのは彼らである(1920年代中盤)。[へええええ!]
市場調査の形成において社会調査と訓練された研究者は重要な役割を果たした。その理由のひとつは、多くの実務家が標本抽出という概念に対して抵抗感を持っていたという点にある。彼らは小標本に疑いを持ち、クオータ抽出とstabilization法(分布が変わらなくなるまで標本を追加し続ける)に依存した。そのため標本サイズは少なくとも10000とかだった。確率抽出が市場調査に導入されたのは1940年代以降である。なお確率抽出の理論が完成したのは1950年代初頭。
3. 市場調査とマーケティング計画
欧米の社会科学者たちの苦闘をよそに、マーケティング実務家の多くはより直観的で記述的な方法に依存していた。
市場調査の実践は19世紀末にまでさかのぼる。1879年、広告代理店N.W.Ayerは全米の州当局者と出版社から穀物生産の情報を集め、農業設備メーカーNichols-Shepard社のための広告計画の提案に用いた。これが企業がクライアントにビジネス戦略についてアドバイスするためにリサーチ・データを作った最初の例である。
マーケティング・コミュニケーション・キャンペーンを効率化するために定量的データを用いるのは1890年から標準的実践となった[まじか…]。この年、The Century Dictionaly end Encyclopediaの広告マネージャーR.Tiltonは”keying”広告という手法を開発した。特定の時点で特定の出版物に広告を載せ、そこにユニークなコードをつけたギフト・クーポンをつける。製品に関心を持つ消費者の名簿を作れるし広告の評価もできる。市場調査によるROI測定という概念の誕生である。[19世紀に!? へええええ!]
初期のリサーチャーは消費パターンのデータをいろんなやりかたでつくった。[1902年シカゴの調査の話。面白いけどメモ省略…] もちろんこの調査の標本選択や調査票のワーディングには商売の都合による偏りがあった。
しかし、この種の調査は多くの点で創造的でもあった。たとえば… [McClure’s Magazineの購読者リストの話、1904年Butterick社の雑誌の購読者リストには詳細な調査回答が付いていたという話、Ladies Worldという雑誌では購読者の家の写真を集めて広告主に示していたという話。最後の例は消費者調査における視覚的エスノグラフィーの先駆けとみることができるとのこと]
3.1 1911年: サービスセクターの成立
市場調査の発展を促進したのは広告の聴衆について知りたい小売・メーカーであった。コピーライター出身のJ. Geouge FrederickはNYでThe Business Brouseを設立(1911)。これが世界最初の独立市場調査会社である。妻のChristine Frederickは調査を著書Selling Mrs.Consumerにまとめ(1922)、女性の消費の理解における市場調査の役割を示した。
1911年にはほかも、Kelloggの広告マネージャーR.O.Eastomanが独立してEastman Research Bureauを作ったり、Harvard Business SchoolにCherington率いるBureau of Business Researchができたり(小売調査をやった)、Curtis Publishing CompanyにCharles Coolidge Parlin率いるCommercial Research Divisionができたりした。
Parlinが果たした役割は大きい。はじめて産業まるごとの大規模調査をやった。カンサス州Sabethaという小さな町に調査員を大量に投入しオープンエンド質問とカメラでもって商店街をまるごと徹底調査した人(1920)。多くの企業が市場調査部門をつくるようになった立役者ともいえる。Parlinの部署は後に後継者によって独立する(1943)。これがNational Analystsである[現在のNaxion]。
市場調査のマニュアルと教科書ができたのも1920年ごろ。戦間期[1919-1939ね]は市場調査の変革期でもあった。1905-1915は耐久財、繊維、農業機械が中心だったのに対し、FMCGとメディア調査が増えた。方法論的には、パネル調査、フォーカス・グループ、味覚テスト、買い物環境シミュレーション、テストマーケティングが出現する。
3.2 パネル
1930年代初頭に小売パネル・消費者パネルが出現する。
- 最初の小売パネルはA.C.NielsenのFood and Drug Index (1933)。小売業者の代表標本への月次センサスであった。メーカーははじめて市場シェアを知った。このパネルはNielsenエリアという下位地域に分かれていて、ラジオ・印刷広告の効果を知ることができた[おおお、スプリット・テストの登場だ]。このシステムは英国では1939年、西ドイツでは1954年にはじまる。
- 消費者・世帯パネルの始まりは1934年。Pauline ArnoldがNBCのために全国日記調査を始める[後のMRCAであろう。Paulineさんも面白い人なんだよね… Beville(1988 書籍)というのが引用されている]。
- [1935年からのGeneral Foodsの消費者パネル, 1937年からのBBCの消費者パネル, 1938年からのLazarsfeldのラジオ聴取者パネル, 1440年からのCBSのラジオ聴取者パネル。メモ省略]
- 消費者パネルは世帯パネルへと変化する。1942年、Samuel BartonのIndustrial Surveys IncがNational Consumer Panelを始める。2500世帯の週次の購買日記調査である。[おおお! 経済学者モルゲンシュテルンがISIを創業したのが1941年らしいが、早い時期からBartonに社長を譲っていたのだろう。なおPauline Arnoldの夫Percival Whiteが実の娘と揉めた末にMRCAをBartonに売り、ISIがMRCAに社名変更するのが1951年]
- 同じく1942年、A.C.NielsenがNielsen Radio Index (NRI) を始める。ラジオパネルだけど1946年には世帯パネルと合体する。1940年代には代理店J. Walter ThomsonもUSとUKで世帯パネルを作っていた[へー]。
というわけで、1950年代までには、消費者パネル・世帯パネルは標準的手法となっていた。1960年にはドイツのGfK、フランスのTNSが一緒にパネルを作った [GfKとTNSが協業してたのか。へぇー]。Attwood Statisticsという会社も欧州で世帯パネルを作っていた。
3.3 フォーカス・グループ
パネル調査の始まりは、特定の人々が製品への特定の態度をなぜ形成するのかを深く知りたいというリサーチャーの願望と結びついていた。こういう願望は態度形成の理由を直接に調べるという方向にも向かう。
LazarsfeldのOffice of Radio Researchでは、ラジオ番組・映画への聴衆の反応を測定・理解する手順を開発した。フィルムを観ながらダイヤルを操作させ(Lazarsfeld-Stanto Program Analyzerという)、その後別室でフォーカスグループをやる。チームの他のメンバーはRobert Merton, Herta Herzog, Marjorie Fiske [社会心理学者だが社会的認知のSusan Fiskeとは別人]。この方法はGallupのAudience Reserch Institute(ARI)で1940年から、Leo HandelのMotion Picture Research Bureau(MPRB)で1942年から採用された。[このLeo Handelって映画プロデューサーみたいだ… へええ…]
実は1920-30年代には社会学者Karl Mannheim[マンハイムね], Emory Bogardus[シカゴ学派の人らしい]、心理療法家Jacob Moreno[サイコドラマのモレノだ!!]らは態度形成と変化を集団のセッティングで研究していた。しかしいわゆるフォーカス・グループが通常的に用いられるようになるのは1940年頃で、まずコミュニケーション研究、次に市場調査であった。MertonやLazarsfeldたちの研究は態度研究の社会・心理学的手法から着想を得ていたが、いっぽうフロイトとかモレノとかの心理療法が、1950年代以降のモチベーション・リサーチにおいてデプス・インタビューやフォーカス・グループに影響を与えることになる。
[なるほどね。やはりフォーカス・グループの始祖としてLazarsfeld系とモチベーションリサーチ系の2つを考えないといけないわけだ。挙げられている引用文献のうちMertonとかDichterとかを除いて新しい奴をメモしておくと、Morrison(1998 “The Search for a Method”)(Lazarsfeldのフォーカス・グループについての本らしい), Stewart et al.(2007 “Focus Group”), Fullerton(2013 J.Hist.Res.Mktg), Schwarzkopf & Gries(eds.)(2010 “Ernest Dichter andd Motivation Research”)]
3.4 市場シミュレーション
1930年代以降の市場調査の特徴として仮想環境を作ろうという試みがあげられる。
まずは実験室での製品テスト。大戦中には軍隊の糧食の設計にも用いられた。
戦後になるとスーパーマーケット実験店舗による仮想買い物環境が作られるようになる。Mark AbramのResearch Serviceがロンドンでスーパーを作り、購買の瞬間を撮影した。
より大きなものとしてはテストマーケティング法。はじめたのはLazarsfeldのBureau of Applied Social Researchで,1957-1958,Ford Edselであった[まじか…]。1970年代には社会人口学的構成が代表的であるような街に固定的なテストマーケットを作っちゃうというアイデアが出てきた。ニューヨーク州アルバニー、オハイオ州コロンバスが知られている。ドイツではHasslockという小さな町でGfKが継続的フィールド実験をやっていた。
3.5 広告代理店
20世紀中盤になると[時代が飛びますね]、市場調査産業を促進するアクターが多様化する。そのひとつが広告代理店である。すでに1911年以前にN.W.AyerやLoard & ThomasがResearch and Information Departmentを作っていた。1916年にはJ. Walter Thompsonが調査部門を作り、USにおける市場調査のハブになった。JWTではPaul Cheringtonが世帯のABCD分類を作った(史上初のソシオ・デモグラフィックなセグメンテーションツール)。1933年、JWTのロンドン支社がBritish Market Research Bureau (BMBR)をつくり、戦後欧州の市場調査の発展において重要な役割を果たす。JWTはNYとロンドンでスタジオキッチンもつくった。
広告代理店の競争はメーカーの競争と対応していた。JWTはUnileverとRowntree[かつてのキットカットのメーカーだそうな]、ComptonはP&G, Benton & BowlesはGeneral Foodsの代理店で、この3社が市場調査における初期のイノベータである。
他の重要なプレイヤーとしては:
- Marion Harper傘下のMaCann Erickson。調査部門を率いていたのはLouis Weldという人で、1943年にHerta HarzogとHans Zeiselを雇う[えええええ! 知らなかった!! 二人は上述のNational Analystsにいたと聞いたことがあるのだが…]。戦後はザイゼルがリサーチディレクターに、Leo Bogart[この人も社会学者]がアソシエイトディレクターになった。1959年、マッキャンはリサーチ会社MarPlanをつくる。トップはHerzog。
[まじか。Herzogは1945年にLazarsfeldと離婚し1954年に別の社会学者と再婚したらしいので、その後の話ですね。いつまでMarPlanにいたんだろうか、あとで調べてみよう。ところで手元の資料によれば、日本では1960年にマッキャンエリクソン博報堂ができて、調査部は1963年から活動し、1967年にマープラン・ジャパンとして独立(JMRAの資料では1970年となっているがたぶんこっちが正しい)。マッキャンエリクソン博報堂と共にインターパブリック博報堂の傘下企業となった(インターパブリックとはマッキャンの親会社、2024年にオムニコムに買われた)。本社は一ツ橋の小学館ビルにあったようだ。独立時の総支配人はR.W.オースチンという人だがこの人は豪州のユニリーバの出身でUSのマープランから来た人ではない。ほかに代表者としてJ.P.ファーレイという名前がみられるがUSのマープランとの関係はわからない。マープラン・ジャパンっていつまで存在したのだろうか] - Youg & Rubicam。調査部門は1932年にGeorge Gallupが作った[えええ? Gallupの履歴がわかりにくい… 大学の先生じゃなかったの?]
- London Press Exchange (LPE)。代理店が調査部門を作ったのは欧州ではここが最初で、1934年、リーダーはMark Alexander Abramsという人。戦後にResearch Serviceとして独立する(上述)。
3.5 調査会社
代理店の調査部門は独立系調査会社と競合した。独立系調査会社としては、Business BourseとEastman’s Research Bureau (上述)ののちに…
- 1923: Percival Whiteの会社, Arthur C. Nielsenの会社, リサーチコンサルDaniel Starch and Staffができる。
- 1926: Crossley Inc (最初に全米ラジオ聴取測定サービスを始めた)、Pauline ArnoldのArnold Research Serviceができる。
- 1933: JWTをやめたCeringtonとElmo RoperがCherington, Wood and Roperをつくる。
- 1934: Percival Whiteの会社とPauline Arnoldの会社が合併してMarket Rearch Corporation of Americaとなる。Starchの会社を辞めたClaude HooperがClark Hooper Inc.をつくる(ラジオ聴取測定のシンジケートサービスで、いわゆるHooper Ratingsをつくる)。
- 1935: GallupがInstitute of Public Opinionをつくる。
- 1937: Charles MadgeとTom HarrisonがMass Observationをつくる。Malinowskiら人類学者が手伝った[へえええ]。1949年に商用市場調査会社になる。ライフスタイル調査や消費者エスノグラフィーを始めたのはここ。
- 1943: Alfred Politzの会社ができる[Alfred Politz Research Inc. Politzは市場調査の初期の重要人物らしい。1982年の訃報記事によれば1967年に会社を売ったようだ。その後どうなったのだろうか]。Curtis Publishingの調査部門が独立してNational Analystsになる(上述)。
- 1946: DichterがInstitute for Motivational Researchをつくる(1956年からErnest Dichter Associates International)。
- 1948: Gallupが消費者調査に参入、広告調査のGallup & Robinsonをつくる。
なお欧州では1922年にLondon Research & Information Bureau, 1928年にSales Research Serviceができている。
3.6 インハウスの調査部門
上述のCurtis Publishingののち、1925年には精肉メーカーSwift&Company, ならびにProcter & Gamblesに調査部門ができる。1932年にGeneral Motors, 1935年にCBS, 1936年にBBC。
戦後、General ElectricがMarPlanからHerbert Krugmanを引き抜いてCorporate Public Relationsをつくる。TV CMを見せながらEEGを測ったのはここが最初。
英国では、Unileverの消費者調査が1926年から始まる。調査部門は1962年に独立しResearch Internationalとなった。
3.7 大学の部門
- 市場調査に関わった初期の研究者として心理学者James McKeen Cattelがいる。1921年にPsychological Corporationを設立。学者を産業界に貸し出す会社であった。[キャッテルってそんなことしてたんだ、知らなかった]。この会社には1930年に市場調査部門ができて、1932年から四半期調査”Psychological Brand Barometer”を始める。
- 1941年、シカゴ大がNational Opinion Research Centerをつくる。
- 1944年、LazarsfeldのOffice of Radio ResearchがBureau of Applied Social Researchに衣替え。1960年代まで市場調査を続ける。
- 1946年、George Katona、Rensis Likert[もちろんあのリッカート]らがミシガン大Survey Research Centerをつくる。KatonaのConsumer Sentiment Indexはここでつくられた。
- 1950-60年代、シカゴ大社会学部のスピンオフ Social Research Inc.(SRI)がブランド理解の定量調査をやっていた。
- 1970年代、Stanford Research Institute (ここもSRIだが上記とは無関係)がライフスタイル調査を始めた。のちのVALSとなる。[そうそう、そういえば、いまVALSのライセンスってどうなってんだろうか? 日本でJapan VALSの商標を持っていたStrategic Business Insightsは、webページによれば2024年に営業停止したようなのだが…]
4. 国際交流と専門化
1960年までの市場調査は定量手法と定性手法が常に結合していた。また、意外かもしれないけど、イノベーションが生じたのは必ずしもUSではなかった。欧州の影響はとても大きい。イノベーションがアメリカのマーケティング・シーンに到達したのはヨーロッパの多くの社会科学者が追放されたからであり、ユダヤ人亡命者の役割が大きい。
- フロイド・アドラーの精神分析を持ち込んだのはLazarsfeld, Herzog, Dichterらオーストリアからの亡命者だった。Lazarsfeldの母はアドラー派の分析者だった。1950年代のモチベーションリサーチのリサーチャー、たとえばPierre Martineuらが発展させたのも、本質的にはヨーロッパの方法であった。
- Katonaはハンガリーからの亡命者。
- 消費心理学者Louis Cheskinはウクライナから逃げてきた人で、1945年シカゴでColor Research Instituteを設立、パッケージやロゴへの心理的反応を調べた。
- 上述のLeo Bogartもウクライナ出身。上述のAlfred Plitzはユダヤ人じゃないけどベルリンから逃げてきた人だった。
このように、現代の市場調査はヨーロッパ由来の社会探索的「精神」と、アメリカ由来の官僚主義的・商業主義的に成功した調査組織という「鉄の檻」のハイブリッドである[はっはっは。ウェーバーのパロディだね]。精神が檻に留まることはなく、よって市場調査も発展を続ける。
1930年代、アメリカの調査会社がヨーロッパに進出した(Gallup, A.C.Nielsen)。1970年代以降、今度はヨーロッパの会社がアメリカの会社を買収している(TNS, Ipsos, GfK)。グローバル調査会社トップテンにはNielsen, IMSとKantar, Ipsos, GfKが両方はいっている。
市場調査の専門化・組織化を理解するには大西洋を越えた交流というフレームワークが必要である。[雑誌と学会の略史。メモ省略]
5. 新たな歴史研究のアジェンダ
- ここまでに述べてきた市場調査の歴史から、読者のみなさんはきっと、市場調査というのは社会科学が溶け込んだビジネス活動で、それを発展させてきたのは主に白人の男性で、自由主義的市場民主主義というおなじみの文脈における企業のリサーチャーたちだったんだなあという印象を受けるだろう。市場調査というのは結局は企業を能動的で消費者を受動的とみなす経営パラダイムの内側にあって、消費者というのはリサーチャーに回答してくれるだけの存在なんだなと思うかもしれない。確かに、市場調査の歴史についての多くの二次史料は、こうした男性・経営者優位の市場中心的視点に偏っている。しかあし! こうした西欧的・経営主義的視点は、マーケティング史・経営史における最近の批評的視点への移動によって挑戦を受けているのであーる。[最後の最後に言い訳されてもねえ…]
- 単一の市場・ブランド・産業・企業だけみていると回顧的な合理化に陥ってしまう、むしろ、マネージャーが権威とか象徴的資源とかを防衛するために市場調査情報を誤用しちゃう場面に注目することが必要[うける…]。最近の「ビッグ・データ」ハイプを通じて、リサーチャーがデータを過剰供給しちゃう理由を理解するのも重要。
- 西欧と北米の文脈から出ること。インド、アフリカ、アジア、南米のリサーチャーは、「合理的個人の核家族が購買主体」という西側モデルに当てはまらない社会文化的文脈にどう適応してきたのか。
- 資本主義的市場の外に出ること。市場調査・消費者調査は共産圏でも行われていた。東ドイツとかユーゴスラビアとかブルガリアとかソ連とか。
- 消費者自身は、そして市民社会は、市場調査への参加から何を学んだのか。LazarsfeldのRadio Research ProjectやBBCの記録におけるオープンエンド回答から、ラジオ聴取者がCBSやBBCになにをフィードバックしようとしたかを調べることができるだろう。[そうそう! 現代の市場調査について考えるためにすごく大事な視点だと思う]
- 技術が果たした役割。ライフスタイルとかサイコグラフィクスとかは多変量解析やSEMがなければ、つまりコンピュータがなければ成立しなかったはずだ。[コンピュータの影響についての話が続く。メモ省略]
- 女性の役割。市場調査産業の構造は社会的変化の影響を受けていて、たとえば、社会科学を学んだ女性たちの参入が増えた。市場調査というのは女性が上のポジションにつきやすいことで知られてきた。オーストリアの最初の独立系市場調査会社は1936にSylvia Rose Ashbyによって設立された。オーストリアにおける市場調査サービスの初期の需要を作り出したのは彼女である。USにはPauline Arnold, Herta Herzogがいますね。アメリカの臨床心理学者Elizabeth Nelson は1951年にUSからロンドンにやってきて、まず代理店Benton & Bowlesのリサーチマネージャーをやり、Mass Observationに移って、1965年にTNSの共同創業者となる。とはいえ、こういう個人に焦点を当てるんじゃなくて、社会学・心理学からやってきた女性のリサーチャーが戦後のデータ収集・知識生成の性質をどう変えたかを問わないといけない。
- 市場調査・世論調査産業は中立的な産業的サービスセクターではなく、それ自体が権力形成の一部である。初期のリサーチャーは政治的検閲や独裁という問題に巻き込まれた。Dichter, Samulel Stouffer, Lazarsfeldらは共産主義者へのシンパシーを疑われてFBIにスパイされていた。西ドイツの市場調査・世論調査産業を再形成したのはかつてのナチ支持者であった。西ドイツの市場調査の初期の三大企業は、GfK, Institute for Demoscopy, Emnid Instituteだったが、1935-1955にGfKの会長だったWilhelm MannはNSDAPのメンバーにしてナチ運動のリーダー、強制収容所の毒ガスを製造したIG Farbenの社長でもあり、アウシュビッツのメンゲレを財政的に支援していた。Demoscopyの創立者はElisabeth Noell-Neumann[何も書いてないけど、ナチ体制への協力をめぐって論争がある人ですね]。Emnidの創業者Georg von Stackelbergは戦時中は軍のプロパガンダ機関のジャーナリストであった。
云々。
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欧米の話ばかりを追っていてもしようがないので、日本の話も知りたいんだけど、これがびっくりするくらいに資料に乏しい。戦後日本の市場調査会社のなかで特に注目すべきだと思うのは、心理学者・南博が率いた社会行動研究所の役割、そして新聞社の市場調査部門という(おそらく日本に独特な)歴史だと思うのだけれど、どちらも資料が見当たらない。どなたか、日本の市場調査産業の歴史について調べておられる方はいらっしゃらないのでしょうか。