久保田荘(2021) 新型コロナウィルス危機のマクロ経済分析. 医療経済研究, 33(1), 1-18.
当面の仕事とはあんまり関係ないんだけど、面白そうなので「いつか読む」箱に放り込んであった論文。「いつか」じゃあきっと読まずに終わっちゃうだろうなと思い、仕事の気分転換に目を通した。
いわく。
疫学マクロモデル(感染症疫学モデルを取り込んだマクロ経済モデル)について概観する。2つに大別される。
- 非行動的SIRモデル。SIRモデルを直接使い、ロックダウンなどの行動制限と経済損失とを単純に相関させるモデル。合理的意思決定による自主的行動変化は考慮されない。実際には、非医学的介入をほぼ行わなかった国(スウェーデンとか)でも経済活動は落ち込んでいるのを説明できない、というのが難点。
- 行動SIRモデル。自主的な意思決定を考慮する。社会活動を具体的な消費・労働によって表し、取引や価格が市場均衡で決まるというタイプのモデルも多い(SIR Macroモデル)。
先行するレビューとして、疫学モデルについては数学セミナー2020/09月号, 疫学マクロモデルは田中(2020 経済セミナー), その他の展望論文として森川(2020 RIETIのwhite paper)などがある。
まず、コロナ危機をどういうショックとして捉えるべきか。
供給ショックとみることもできるし需要ショックとみることもできる。皆さん学部で習ったであろうAD-ASモデルでいうと[←知らんがな!]、需要ショックなら財政・金融政策を通じた総需要喚起が効果的だが仮に供給ショックだったらインフレを加速するだけになる。AD-ASモデルは使えない。
むしろ、感染リスクの高いセクター(サービス産業とか)の需要も供給も止まったと考えるのが自然。残ったセクターの需要と供給のバランスを考えることが必要になる。
さらに、仮にこの危機が需要ショックに該当する場合でも、財政政策の乗数効果は極めて小さくなるかもしれない(特別定額給付金を配っても、非サービス財の購入にあてられてしまう、とか)。
要するに、コロナ危機は通常の不況と根本的に異なる。
パンデミック可能性フロンティアという概念を導入しよう。
横軸に経済損失、縦軸に死者数をとる。ロックダウンなどの一律な介入を行った場合のトレードオフは右下がりの曲線になる(右下の端をA, 左上の端をBとする)。しかし全く何もしなかった場合は死者数が凄く多くて経済損失も多いので、この曲線は途中から右上がりになる(上端をCとする)。B-Cの範囲では介入が死者数も経済損失も減らせるわけだ。いっぽうA-Bの間でどこを目標にすべきかを決めるのは難しい(命の価値づけが必要になる)。
この曲線は、ターゲットを絞った介入ならもっと左下に動かせるかもしれない。
SIRモデルについて。
人口をS(未感染)、I(感染)、R(治癒)に分ける。累積死者をDとする。コロナ前の全人口を1とし、S,I,R,Dはその割合とする。
話を簡単にするため離散時間を考える。新規感染者を\(T_t\)、治癒の確率を\(\gamma_r\), 死亡の確率を\(\gamma_d\)として$$ S_{t+1} = S_t – T_t$$ として $$ I_{t+1} = I_t + T_t – (\gamma_r + \gamma_d) I_t$$ $$ R_{t+1} = R_t + \gamma_r I_t$$ $$ D_{t+1} = D_t + \gamma_d I_t$$ となりますね。なお感染して無症状という\(E_t\)を導入してもよい。
感染率を\(\beta\)とし、$$ T_t = \beta S_t I_t$$ を代入すると $$ \frac{I_{t+1} – I_t}{I_t} = \beta S_t – (\gamma_r + \gamma_d)$$ 感染初期の段階ではほぼ\(S_t = 1\)だから、\(R_0 = \frac{\beta}{\gamma_r + \gamma_d}\)として、\(R_0 > 1\)が感染拡大の初期条件である。ついでにいうと、すっかり有名になった実効再生産数という言葉には広い意味があるが、人口に膾炙したのは日々の再生産数 \(R_t = \frac{\beta S_t}{\gamma_t + \gamma_d}\)である。
いよいよ本題。
非行動的SIRモデルについて。
ロックダウンで人口のうち\(L_t\)の行動を止める(すべてのグループの行動が同率に止まるとする)。新規感染者数は$$ T_t = \beta [(1-L_t)S_t][(1-L_t)I_t]$$ で、GDB減少率は\(L_t\)と死亡者が人口に占める割合になるとする。
こうするとロックダウンによる経済損失と死者数減少がわかるわけで、最適なロックダウン率の設定によって感染拡大を先送りして耐えましょう、というのが非医学的介入政策の目標になる。
しかし、パンデミック可能性フロンティアのA-Bに落ちちゃった場合には最適解はわからなくなってしまう。そこで登場するのが統計的生命価値(VSL)という概念。これはある人の生命の価値を、その人が生き延びていたとしたら得られていたであろう将来の効用が、現在の消費をどれだけ諦めることにと等価になるかを計算することで金銭換算するものである[ひえええええ]。こういう概念を使って無理やり最適解を求めた研究では、ロックダウンを行う最適なタイミングは感染のピーク時だという結果が得られている。
経済学者たちがもっと注目したのは、グループ別の行動制限・隔離である。感染者の検査・追跡・隔離とか(感染はロックダウンと変わらないが経済損失がすごく小さくなる)。世代別の隔離とか産業別の隔離とか。もっとも、パラメータ設定やモデル定式化は難しい。感染初期には検査が感染可能性の高い人に限られたから感染率が過大に推計されているのではないかとか、モデルの定式化で誤差が生じる、などの指摘がある。最悪の事態を避けるロバスト制御に基づく政策を提案している人もいる[←なるほど…そういう発想があるのか。Barnett, Buchak, Yannelis(2020 NBER Working Paper)というのがreferされている]
行動的SIRモデルについて。
たとえば、新規感染者数の式をこう拡張する。$$ T_t = \beta S_t I_t + \beta^c (S_t C^s_t)(I_t C^I_t)$$ \(\beta^c\)が消費行動による感染度。\(C^s_t, C^I_t\)はそれぞれ\(S, I\)に属する人の1人当たり消費。第2項をみるとわかるように負の外部性が存在する(ある人の派手な消費は他の人への感染を広める)。
人々が現在の消費と将来の感染のトレードオフに基づき最適消費量を決めているとして、負の外部性があるということは均衡では社会経済活動は過剰になるから、何らかの政策介入による感染抑止が正当化される。[←恥ずかしながらこのロジックがよくわからない… これはピュアな知識不足であろう]
こういうモデルのインプリケーションとして、(1)非医学的政策介入がなくても感染者抑制と経済損失が生じる。(2)感染初期には社会経済活動の抑制により\(R_t\)が低下するが、時間がたつと1近辺で止まる。なおこれは実証データと合致している。
[この路線の研究紹介。メモは省略するけど… わたくし、2020年5月ごろに「ひょえー」などと奇声を上げながら非行動的SIRモデルの研究を眺めてたんだけど、すでに3月の終わりには行動的SIRモデルによる研究が出ていたのだそうだ。へえええ。経済学者っていっぱいいるから、競争が激しいんだろうな]
最後に日本の感染・経済についての研究について。
非行動的SIRモデルとしてはFujii & Nakata(2021)が, 行動的SIRモデルとしてはKubota(2021)がある。前者は国会でも取り上げられました[そうそう、ありましたね…]。政策的含意にはたいして差がなかった。
[具体的な研究紹介… メモ省略]
ほかにもHosono(2021)というのがあって、行動的SIRモデルで、緊急事態宣言を外出の心理的コストとして導入している。
疫学マクロモデルはコロナ危機収束後には忘れ去られていくだろうけど、マクロ経済学の柔軟さと俊敏さを示したという点で画期的であった。
云々。