読了: Taylor et al.(1998) メンタル・シミュレーションはどう役に立つか

Taylor, S.E., Pham, L.B., Rivkin, I.D., Armor, D.A. (1998) Harnessing the Imagination: Mental Simulation, Self-Regulation, and Coping. American Psychologist, 53(4), 429-439.

 メンタル・シミュレーションの研究としてよく引用される論文だと思う。Google様いわく引用件数1110件。
 心理学の論文はあんまり読みたくないんだけど、このたび仕事の都合で再読していた竹内・星野(2017)で引用されているので、仕方ねえなと思って目を通した。

(イントロダクション)
 未来の出来事を予測する能力は心理学のほぼすべての領域における研究対象である。[…2段落にわたって例を開陳…]
 未来の出来事を予測するため、人は想像するわけだが、では想像とはなにか。ある場合は、想像という言葉は非常に漠然と、いまそこにない物事についてのイメージ・物語・投影を心に呼び起す能力を指す。別の場合には、想像という言葉は明確に、ああ、現在の時点と場所を離れ、(旅行とか論文執筆といった)なにかを成し遂げた後のある時点と場所に行きたいものだ、と人が望むときにその人が行う特定の心的活動を指す。この課題の基盤にあるのがメンタル・シミュレーションである。[以下MSと略記]
 MSは、なんらかの出来事(の系列)の模擬的な表象である[Taylor & Schneider(1989 Soc.Cog.)をreferしている。そっちを先に読むべきだったか…]。MSは、すでに起きた出来事の再現とか、架空のシナリオの認知的な構築とか、ファンタジーとか、現実の出来事と仮定の出来事の混交とかを含む。

MSの諸特性
 架空の出来事を想像すると、その出来事の蓋然性が高く知覚されるようになる[…実証研究…]。そうなる理由のひとつは、MSが現実の制約に従う傾向があるという点にある[Kahneman & Miller(1986 PR)をrefer]。
 MSは問題解決において生じ、出来事についての情報を提供する。
 専門家は問題解決におけるMSの重要性を昔から知っていた。[…事例…] MSは未知の状況にすばやく対処するための効果的な問題解決手法となる。
 MSの重要な帰結として、感情状態の喚起とその制御が挙げられる。心拍の変化のような生理的変化さえ引き起こしうる。
 MSは自己制御活動を引き起こすことによって行為とのリンクを生み出す。研究例その1,スポーツ心理学における心的練習の研究。その2,認知行動療法における依存再発防止テクニック。

MSのタイプ
 MSのなかには自己制御を妨害するものもある。成功の幻想のせいで目標への進歩が妨げられるとか。
 スポーツ心理学や認知行動療法における先行研究によれば、MSをうまく使うには、目標に到達するためのプロセスをシミュレートすることに重点を置くことが必要である。
 いっぽうセルフ・ヘルプの分野では、到達すべき結果に焦点を置くとよいといわれている。もっとも、なぜそれがよいのかを説明する形式的なプロセス・モデルは提示されていない。感情的制御と問題解決が異なるものだと仮定すれば、結果シミュレーションは目標に到達しようとする動機づけをかき集めるので、感情的反応への関与に効果的であろう。しかしこの動機付けを目標に照らして適切な具体的行動へと向ける計画がないとき、結果シミュレーションが役に立つかどうかは疑わしい。
 我々は、問題解決と感情的制御の区別に基づき、プロセス・シミュレーションは問題解決活動と感情状態制御の両方に取り組むので、結果シミュレーションより優れていると予測する。

試験の準備
 [Pham & Taylor (1999 PSPB)などの紹介。試験前の学生にプロセスシミュレーションないし結果シミュレーションをさせたら前者の得点が高かった、媒介変数は不安軽減と計画促進だった、を調べたらとかなんとか。メモ省略]

計画の誤謬
 [これも自分たちの実験の紹介。今後(レポートとか小論文といった)課題を抱えている学生にプロセスシミュレーションないし結果シミュレーションを訓練させた後、その課題の遂行前・遂行中・遂行後に質問紙調査する。計画の誤謬(課題遂行にかかる時間や労力について過小評価してしまう誤り)はプロセスシミュレーション群で改善した。従来云われていたような、タイムテーブルについてより現実的に考えさせる手続きではなくて、(当初は非現実的なタイムテーブルを持っていたとしてもそれに沿って)自分の行動を制御させる手続きであるというのがポイント。云々]

MSとコーピング
 [Taylor & Schneider(1989 Soc.Cog)の紹介。学生に、自分の現在のストレス源である出来事についてプロセスを想像、ないし乗り越えたあとの自分を想像させる。その一週後にその出来事についての感情的反応を質問紙で調べる。プロセスシミュレーション群はポジティブでした、とかなんとか。なんか関心が失せちゃって読み飛ばした]

結論
 [メモ省略]
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 …背中が痛いので畳に寝転がって読んでいたのだけれど、読み終えての感想は、なんだか古くさいな、というものであった。刊行後二十年以上が経っているとはいえ、このように概念枠組みを示す論文はそんなに簡単には古くならないはずだし、最近の心理学の趨勢に通じているわけでもないのに、なぜそんな風に感じたのか、自分でもよくわからない。単なる個人的な感傷かもしれない。

 著者らにいわせれば、「メンタルシミュレーションは未来への窓であり、それは人が課題を効率的に遂行する助けになる」ということになるが、果たして人は課題を遂行するべくして生きる生き物なのだろうか? 人は問題解決のために想像するのだろうか? そこのところが、もう私にはなんだかよくわからなくなっているのである。むしろ私たちは、望む望まざるを関わらず否応なしに未来を想像し、否応なしに夢をみるのではないだろうか。
 ある種のメンタルシミュレーションが、合理的な問題解決のための計画策定や感情制御を促進するという意味で有用だ、というのはわかる。でも、もしメンタルシミュレーションに適応的基盤があるのなら、それは問題解決よりももっと大きな文脈においてなのではないか、と思うのである。たとえば、現実から目を背けることで生き延びる、というような場面もあるじゃないですか。
 なにを考えるとその後どのように有利か、という話もそれはそれで大事だろうけど、もっと本質的なのは、人はどのようなときになにを考えてしまうのか、それはなぜか、という問いなんじゃないかしらん… と思うわけだけど、ま、私が考えてもしょうがないな。