読了:Borsboom (2005) “Measuring the Mind” 第1章

 自宅の本棚をみても会社の本棚をみても、これは絶対読むべきだと勢い込んで買い込み、しかし途中で挫折した本たちが、恨めしげな顔でこちらを見つめている。辛い。
 せめてもの言い訳として、一冊選んでノートを取りながら読むことにした。

 … というこの状況に及んで、なお仕事上の必読書を選ばず、こういう本を選んじゃうところが、私が成功しない理由なんだろうな…

 大学から足を洗って文字通り路頭に迷っていたら教育産業の会社に拾っていただき(いまでも足を向けて寝られない)、たいした仕事もないので勤務時間中にテスト理論の本を読みあさっていた頃、これは面白そうだと興奮して買い込んだ、思い出深い本である。
 全部で6章。以下、第1章のメモ。

1. イントロダクション

1.1 測定されたこころ
 心理測定は近代社会において重要な役割を果たしている。そうしたテストはほんとうはなにを測っている(いない)のか? 心理学的テストがある心理学的属性を測っているということは何を意味しているのか?
 この問いはテスト妥当性の問題と呼ばれてきた。本書の目的は、この問いに対してありうる答えについて検討し、それらがもたらす帰結を分析し、答えを選択することである。

1.2 測定モデル
 心理測定についての重要なモデルが3つある。

  1. 古典的テスト理論モデル。実務で最もよく使われる。その中心的概念は真の得点である。真の得点は観察された得点の期待値である。研究者の中心的課題は、典型的には、偶然誤差を最小することだということになる。その主な手段はさまざまなテストについての得点の累積である。
  2. 潜在変数モデル。計量心理のサークルでは人気[←ウケる…]。理論的属性を潜在変数ととして概念化する。研究者の課題は、典型的には、実質理論に基づく統計モデルを構築し、データへのモデルの適合度を検証することだと言うことになる。
  3. 表現的測定モデル(抽象的測定モデル、公理的測定モデル、根本的測定モデルともいう)。その中心的概念は尺度である。尺度とは、測定されている人々の間の実証的に観察可能な関係の数学的表現である。研究者の課題は、典型的には、これらの関係を実証的に構築し、それらが(あるレベルの独自性とともに)ある形式的構造によって表現できることを示し、この実証的に確立された関係と同型な数学的表現を与える関数をみつけることである。

測定モデル自体は検証可能でないし、科学理論でもない。測定モデルは科学理論(の一部)の青写真であり、科学理論について考える方法を示唆する。測定モデルのような概念的枠組みを評価する際、その適切な基盤は、その実証的示唆にではなく、その哲学的帰結にある。

1.3 科学哲学
 測定モデルは、ローカルな科学哲学だと捉えることができる。ローカルというのは、科学理論の目的・昨日という一般的な問いに関わるグローバルな科学哲学(ウィーン学派とかポパーの反証主義とか)ではなくて、科学というプロセスにおける測定というある特定の部分に関わる科学哲学、という意味である。測定モデルは、グローバルな科学哲学を測定という文脈にローカルに実装したものである。
 個々の測定モデルの背後にあるのはどんな哲学的観点か。グローバルな科学哲学は、科学理論の価値が理論的実体の存在に依存するかどうかと言う観点から、2つの陣営に分けられる。

  1. 実在主義。理論的概念は実在を直接に指示する。潜在変数モデルはこの立場の実装である。
  2. 反実在主義にはいろいろある。
    • 論理実証主義。科学理論は観察可能な部分と理論的部分に分かれる。[…中略…] 理論的属性は論理的構成物であり、カルナップの言う対応ルールによって、観察的語彙を通じて暗黙的に定義される。それは実在を指示しない。
    • 道具主義。理論とは未来を予測し環境を制御するための道具である。理論的属性は科学が与える予測機構の一部である。それは必ずしも世界の構造を指示しない。理論的属性が実在するかどうかなど、科学的にも哲学的にも重要でない。
    • 社会的構築主義。研究者は世界を能動的に構築する。現実も真実も構築されたものだ。理論的属性は研究者間のある種の説得や社会的交換から生じたものである。ただし、社会的構築主義者は構築なるものがどんなプロセスなのかを具体的にあきらかにしない傾向がある[Hackingをreferしている]。

    これらの論者は認識論的に反実在主義なだけではなくて、意味論的にも反実在主義である(たとえば、一般知能が存在するかどうかを確実に知ることができるという考えを拒否するだけでなく、一般知能の理論にとって一般知能が存在するかどうかが問題になるという考えも拒否する)。この立場を構築主義と呼ぼう。[えーっと、つまり、ガーゲンみたいな社会構築主義だけでなく、カルナップみたいな論理実証主義だろうがトゥールミンみたない道具主義だろうが、意味論的なレベルで反実在主義の立場を取るのをすべて構築主義と呼びますってことね]
     表現的測定モデルはこの立場の実装である。論理実証主義ドクトリンの再生と言ってもよい。

古典的テスト理論は実在主義とも構築主義ともとれるのだが、操作主義の意味論的ドクトリンと整合している。操作主義とは「理論的概念の意味はその測定手続きと同義だ」というとてもじゃないが維持できない立場である。つまり、心理学において最も強い力を持つ測定理論は、その哲学的基盤に欠陥があるわけだ。

1.4 本書のスコープとアウトライン
[略]

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この段階での感想: いやいやいや。潜在変数モデルの反実在論的な解釈ってのも、当然ありうるんじゃないの? Borsboomさん、ちょっと乱暴すぎやしませんか?