Xu, J., Schwarz, N. (2009) Do We Really Need a Reason to Indulge? Journal of Marketing Research, 46(1), 25-36.
調べ物の一環で読んだやつ。てっきりぜいたく消費の正当化の論文かと思ったんだけど(題名からはそう思いますわね)、ちょっと毛色の変わった問題設定で… 途中から面白さに気づきメモを取った。
あとで気が付いたんだけど、第二著者は調査法研究のシュワルツじゃん! そうか、本業は感情の認知的研究の人だもんね。マーケティング領域でも身体化認知の論文とか書いてたし。
(イントロダクション)
必需品じゃなくてぜいたく品を買うときって、自分の個人的価値との葛藤が起きますね。なぜならそれはwastefulであり、マズローの欲求階層の下のほうにあり、アメリカ文化のプロテスタント倫理に反する。そのためぜいたく品購入は、決定の前でも後でも、罪悪感と予期的後悔をもたらす。そこで消費者は決定を正当化する理由を探す。良い正当化ができれば無節制はより生じやすくなる。
いっぽう快楽的無節制は、必需品では満たせない心理学的・生理学的ニーズを満たしてくれる。消費者は結果的に生じる葛藤と罪悪感を軽減してくれるようなやりかたで自分に無節制を許す機会を探すように動機づけられる。その方法のひとつが無節制の正当化である。
[Kivetz & Simonson (2002 JMR)のロイヤルティプログラムの実験、Starahilevitz & Myers (1998 JCR)の寄付の研究、Kivetz & Simonson (2002 JCR)の事前コミットメント研究、Kivetz & Zheng (2002 JEP:G)の努力と金銭の交換可能性の話を紹介。ようやく、このトピックでどのへんが重要研究なのかという土地勘が身についてきた…]
こういう研究はすべて、消費者の選好の予測か、消費者の選好の報告か、消費者の購買行動そのものに基づいていた。消費者が無節制するときに実際に感じている感情についての評価が欠けていた。
選好と購買決定というのは、消費者の快楽的な予測に基づくはずである。人の期待というのは必ずしも当たらない[Novemsky & Ratner (2003 JCR) というのを挙げている]。さらに、正当化のための良い理由がないせいで罪悪感を感じちゃったときには十分に喜べないかもしれない。
本研究では次の問いに答えます。消費者の直観は正しいか? 良い理由があるときよりないときのほうが、消費者の罪悪感は大きく喜びは小さいか?
本研究での推測は次の通り。
消費者は良い理由があろうがなかろうが無節制を楽しむ。消費の際には消費の側面に注意が向けられるからだ。いっぽう決定の際には一般的な知識や信念に基づいて判断する。快楽経験の詳細にアクセスすることができないから。
[ここから先の内容紹介。メモ省略]
快楽経験についての誤った予測と記憶
先行研究によれば、消費者は自分の快楽経験をうまく予測できない。理由はいくつかある。レビューとしてHsee & Hastie (2006 Trends in CogSci) をみよ。
- 人は予測の際に焦点的特徴に注目して他の情報を無視しちゃうので、焦点的情報のインパクトが過大評価される。Schkade & Kahneman (1998 Psych.Sci.), Kahneman et al.(2006 Science)をみよ。[そうか、ここでKahnemanさんたちの幸せ研究とつながるのか…]
- 人は自分の感情的反応を予測する際に自分の適応能力を無視しがちで、感情反応の持続を過大評価しすぎる。Gilbert et al.(1998 JPSP)をみよ。[そういう研究もあるのか…]
- 人は明確に表現できない属性を無視しがち。Wilson & Schooler (1991 JPSP)をみよ。[自分の選好を分析し過ぎちゃうとどうなるかって話ね。なるほど]
- 予測ってのはいくつかの選択肢の比較に基づくことが多いが、実際にはひとつの選択肢しか経験しないし、経験しなかった奴には注意を払わない。Hsee & Zhang (2004 JPSP)をみよ。
- 予測の時点と経験の時点では感情が違うので、cold-hot共感ギャップが起きる。Lowenstein & Schkade (1999 Chap.)をみよ。
- これから述べるけど、自分がどう感じるかということについての一般的信念は往々にして誤っている。
先行研究によれば、過去経験の記憶もたくさんの誤りを含む。Ross (1989 Psych.Rev.), Schwarz (2007 Chap.)をみよ。
[メモは省略するけど、日記法を使った研究と、広告による過去経験の書き換えの研究が挙げられている。あれですね、さっきから心理学者にタックルされ、心理学が得意とする問題領域に引きずり込まれてマウントポジションを取られぼこぼこに殴られているような感じである。こういう話題に気安く近づいてはいかんと痛感する]
概念枠組み
今度は感情経験(現在, 過去)の報告について。
Robinson & Clore (2002 Psych.Bull.)のアクセス容易性モデルが役に立つ。このモデルによれば、感情経験ってのは所与の瞬間の注意対象の関数である。たとえば無節制の場合、注意対象とは消費エピソードの諸特性とその結果としての快楽的喜び。
- もし現在の感情経験の報告なら、その感情自体にアクセスできるから、わりかし正確に報告できる。
- 過去の感情経験の報告の場合には、その感情はもう消えちゃっているから、エピソード情報と意味情報からの復元となる。エピソード記憶が残っていれば復元はある程度正確である。
- 問題は未来の感情の予測とか、意味的知識に基づく過去感情の回顧報告である。両者はよく一致する(どちらも一般的知識に基づくから)。そして実際の感情経験を当てられない。
まとめよう。
- (1)感情経験は注意対象の関数である。なお、ぜいたく消費の場合、そのぜいたくに良い理由があるかどうかは注意の対象でない。
- (2a)現在の感情経験の報告は感情経験の関数。
- (2b)過去経験のエピソード報告もその過去経験の関数。
- いっぽう、(3a)感情経験の予測は一般的知識の関数。
- (3b)感情経験のグローバルな報告も一般的知識の関数。(3a), (3b)ではぜいたくに良い理由があるかどうかといった情報も考慮される可能性がある。
- 豪華なディナーの際に「待て、お前にはその価値があるのか」と尋ねて喜びを台無しにすることができるかもしれない。つまり、(4a)一般的知識は感情経験に影響しうる。製品経験における期待の役割の研究をみよ。Levin & Geath (1988 JCR)、Shiv, Carmon, & Ariely (2005 JMR)とか。
- 逆に、うまく促せば、(4b)意味的知識が実際の感情経験によって更新されるかもしれない。
本研究
[以降のあらすじ。メモは省略。論旨がクリアなので楽しい]
研究1
- 方法: 被験者は学部生178人。[要するに、実験計画としては被験者間の1要因(3水準)計画なんだけど、分析時には被験者間の2要因(2×2)計画としてみるという話だと思う]
- 理由つき予測群は、期末試験のあとで自分への報酬を探しているという状況で、高級レストランでのディナーなどの消費活動のなかからひとつを提示し、そのときの感情を評定(18項目、7件法)。
- 理由なし予測群は、消費活動のなかからひとつを提示し、そのときの感情を評定。
- エピソード再生群は、自分にnice treatを与えた直近の経験を詳細に想起させ、その時の感情を報告させる。理由があったかどうかも聴取。
- 結果。(予測,再生) x (理由あり,なし)の4群を比べる。感情評定は、ポジティブ感情、ネガティブ感情ともに交互作用あり。予測では理由ありのほうが感情がポジティブだけど、再生では差がない。特に罪悪感で明確。云々。
- 限界: 予測では理由の有無を操作してんだけど再生ではできてない。再生ではエピソードからの時間経過が長い。
研究2
こんどはチョコレート・トリュフを食べるときの感情とその予測を調べる。
Shafir, Simonson, & Tversky (1993) に倣い、自分への報酬という理由と自分への慰めという理由を与えてみる。すると、ちょっと話がややこしくなる。気分誘導の研究では、成功は良い気分、失敗は悲しい気分を引き起こす。将来の喜びについて予測する際、被験者はそのときの気分も考慮するかもしれない。その場合、理由として成功を与えたほうが、トリュフの喜びはより大きいと予測されるはずである。いっぽう、人はネガティブな気分の修復のためにチョコレートみたいな食べ物を求めるという研究もある。ある種の食べ物が気分を上げてくれるわけだ。ってことは、理由として失敗を与えたほうが、トリュフの喜びは大きいと予測されるかもしれない。[要は、どっちに転んでもそれなりの説明はつくってことね。著者らの仮説はどっちにも転ばないなんだけど]
- 方法: 被験者は学部生147人。要因は2つ(どちらも被験者間): 報告タイプ(予測vs.経験), 理由(報酬vs.慰め)。
- GMATの数学の問題をやらせる。報酬条件では「これ難しい問題けど試しに解いてみて」という。
- チョコレート・トリュフと歯磨き粉のどっちかを選ばせる。
- トリュフを選んだ人について、予測条件は食べてる場面を予測させて感情評定。経験条件は実際に食べさせて感情評定。
- 結果:
- 報酬でも慰めでも82%がトリュフを選んだ。
- 予測条件では報酬のほうがポジティブだが、経験条件では差がない。
研究3
消費者はなぜ実経験とずれた予測をしつづけるのか。おそらく、予測の際に個別的なエピソード記憶ではなくてグローバル記憶を使っているからだろう[global memoriesってちょっと変わった言葉だなあ。なぜsemantic memoryといわないのだろうか]。この仮説を検証します。
- 方法: 被験者は学部生176人。要因は1つ、3水準(報酬としての無節制、慰めとしての無節制、理由なき無節制)、被験者間。
- {努力や達成の報酬として無節制した過去経験, 失敗の慰めのために無節制した過去経験, 特に理由なく無節制した過去経験}を思い出してもらう。
- そういうときにあなたが感じる感情について評定。
- もし具体的なオケージョンを思い出して答えていたら、その詳細を自由記述。
- 結果: 感情は、報酬、理由なし、慰めの順にポジティブ。
一般的考察
[…]
完全な世界では、被験者は(1)既存の信念に基づき仮説を形成し、(2)関連する証拠に接触し、(3)証拠をコーディングし、(4)証拠を一般的知識に統合するはずである。実際にはそうでない。
消費者の期待を更新させるためには、消費者に経験の詳細に焦点を当てさせ、経験からの学習を促進するように動機づけるべきであろう。ロレアルのキャッチコピーで”Because you are worth it”ってのがあるけれど、ああいうのが「理由なき消費は罪悪感のせいで楽しめない」という信念を強化しておるわけだ。現実の経験に近いスローガンはむしろ「なにかを愛することに理由なんかいらない」であろう。[はっはっは。著者の先生方は消費者をどうさせたいのか]
[ここからエクスキューズ。細かくメモしておく]
不幸なことに、消費者の誤った信念は消費者から多くの喜ばしい信念を剥奪している可能性がある。少なくとも、日常の小さく安価な無節制についていえば、予期される罪悪感・後悔は消費経験の一部にはならないようだ。いっぽう、無節制が多額の支出を含む場合、話は変わってくるだろう。正当化メカニズムは、高額なぜいたく品や嗜癖行動についてはなんらかの適用的機能を果たしている可能性がある。
我々の結果は先行研究と同じく、ぜいたく支出をする説得的な理由がなく罪悪感が予測される時、消費者はぜいたく支出への関与をためらうということを示している。さらに、大きな財政的関与を伴う無節制は、実際に消費者の即時的な喜びに影響するだろう(経験の最中にコストが想起される場合)。別の文脈でいうと、楽しいけれどリスキーな行動(アルコール消費など)における無節制を正当化する必要性があるおかげで、消費者はうまくセルフ・コントロールできるかもしれない。そうした行動から得られる即時的な感覚的歓びは、信念の影響を受けないかもしれないが、後に訪れる後悔や健康への害が、その即時的経験の効用を上回るのだろう。
今後の課題:
- 無節制の理由が頭をよぎるような場面ではどうなるか。無節制への関与が低いとか、無節制の正当化への関心へのアクセス可能性が高いとか、一緒に無節制している人がいらんことを云う場面とか[受ける…]。まあそういう場面でも、正当化の影響は実際の経験に対してよりも予測とグローバル記憶において大きいと思うけどね。
- 消費者が経験から学ぶための条件。
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なるほど、面白いっすね。購買決定時には消費経験を予測するわけだから、これこれの状況下で消費経験の予測はどうなるか、実際の消費経験はどうなるか、という両方の問いが重要になる。私は仕事柄前者にしか関心がなくて、調査回答を前者にいかに近づけるかという風に考えてメンタルシミュレーション課題の実験をやったりしてたんだけど、もちろん後者も大事だ。で、そもそも前者と後者は成り立ちがちがうので、そこを明示的にモデル化しよう、という話なわけだ。この研究では状況要因として「良い理由の(ある/ない)ぜいたく」に注目しているけれど、そこに本質的なコミットメントはないのだと思う(少なくとも論文の建てつけとしては)。その意味で、self-licensingのような一連の正当化研究とは少し毛色が違う。
著者も最後に触れているけれど、正直、実験の知見自体の外的妥当性は怪しいという気がする。だって、実験2の被験者が行う無節制ってチョコレート・トリュフを食べることですよ。たかが知れている。なにかの気の迷いで、さしたる理由もなく、ものすごい高いホテルに泊まっちゃったとしますね。あなたはそれを心から楽しめるでしょうか? 私は無理です。いくら楽しくても、数分に一度は「これ一晩でxxx円払ってんだよな… 滞在時間で割るとxxx円/h か…」って考えちゃう。将来の消費経験の予測だけでなく実際の消費経験においても、ぜいたくの理由の有無が感情に効くことはあるだろう。心理実験の主旨はそこじゃないからね。ある状況下で理論のデモンストレーションをしているわけだから。実験結果自体を真に受けすぎて一般化しちゃうのは良くない。