読了:Kivetz (1999) 心的会計と理由ベース選択のこれまでとこれから in 1999

Kivetz, R. (1999) Advances in Research on Mental Accounting and Reason-Based Choice. Marketing Letters, 10(3), 249-266.

 仕事の都合で読んだ奴。Google様的には被引用件数239。
 いま調べたところ、1999年にフランスで開かれた Choice Symposium というのが元になった特集号の論文の一本。他のも面白そうだ。でもなあ、24年前だしなあ…

イントロダクション
 本論文では心的会計と理由ベース選択についてレビューする。
 心的会計とは、人が資源を扱うときにそのやり方が資源のラベリングとグループ化によって変わってしまうような心的過程のことをいう。そのせいで、代替可能性という規範的な経済学的原理が損なわれてしまう。
 心的会計には3つの要素がある。(1)帰結のフレーミング。(2)心的会計への活動の割り振り。(3)心的会計の評価頻度と定義上の広さ。
 購入決定に説明が必要だと考える人ほど通常の収入をより保守的に支出するだろう。しかしぜいたく品の購入は説明困難である。ここで選択と理由の相互作用が生まれ、理由と原理が選択の先件となったり後件となったり、選択そのものの対象となったりする(ベストの選択肢より擁護しやすい選択肢を選ぶとか)。というわけで、理由ベース選択と心的会計は共に働いている。

1. 快楽的消費の制御装置としての心的会計と理由ベース選択
 Prelec & Loewenstein (1998 Mktg.Sci.) いわく、消費者は購買の際に即時的な「支払痛」を感じる。支払痛は消費の喜びを弱めたり消費を阻害したりする。支払痛は自己コントロール上の役割を持っている。
 支払痛はぜいたく品への支出に際して特に鋭くなるだろう(正当化できないから)。この命題は理由ベース選択という概念によって支持される。この枠組みでは、選択について考える際の理由が決定に及ぼす影響に注目する。その影響は決定者が認識していないこともある(その意味でimplicitな推論である)。

[今後の研究課題みたいな話に前置きなく突入]

  • 次のようなことがいえそうだ: 正当化が必要な時、選択は不真面目なものから必要なものへとシフトする。消費者の選択がimplicitな理由に基づいているときほど、快楽的な選択肢は不利になる。特に、内的な精緻化と(自分自身に提供された)「沈黙の」理由に基づいて決定しやすい消費者ほど、必要品を選びやすくなる。なぜなら、ぜいたく品(無駄と感じられるかもしれないもの)を買う時より、必要品(単に必要なもの)を買うことのほうが、より説得的な理由を持つからである。implicitな推論は必要品の消費を増やすというこの考え方を、今後実証的に検証できるかもしれない。
  • 消費者は本当にぜいたく品購入の正当化を難しく感じているのかどうかを、対象者の説明回避と反応潜時を記録することで検証できるかもしれない。
  • explicitな推論(自分の選択を他者に対して説明すること)は、implicitな推論とは異なる方向へと働くかもしれない。つまり、自分の購入の理由を文章や言葉にすることでexplicitに擁護する機会が与えられると、消費者はぜいたく品を選びやすくなるかもしれない。ぜいたく品の購入は批判され正当化を求められるのだから、消費者は選択をexplicitに説明する機会がない限りそうした製品を買わなくなるだろう。
  • 心的会計・心的予算の研究では、すでに快楽財の消費が自己コントロールによって抑制されることを示している。しかし、消費者はやがて快楽財がQOLを高めると思うようになるかもしれないし、資源のバランスをうまくとれない自分について予期できるようになるかもしれない。このとき、消費者は心的会計の原理をつかって支払痛を緩和し快楽的消費を増大させるようになるのか、という点に関心がもたれる。[著者自身のworking paperをreferしている。あとで調べてみよう]

1.1 支払いと消費のデカップリング
 Shafir & Thaler (1999, Working Paper) は、ワインのコレクターが、もともと20ドルで買ったけどいまはオークションで75ドルで売れるワインをいま飲むとして、コストはかからないと思ったり、それどころかむしろお金を節約したように思うということを示している。最初の20ドルは投資とみなされ支払痛をもたらさないのだろう。
 彼らはまた、取引コストは損失ではなくビジネスのコストとみなされることがあると指摘している。よく似た現象として、ぜいたく品の購入は消費でなく投資とみなしたほうが支持しやすいだろう。

 ワイン・コレクターの例は支払いと消費のデカップリングであると思われる。初期の支払いは軽視され機会費用は無視される。ここでも、理由は消費を支持するという魅惑的な役割を持つ。
 Prelec & Loewenstein (1998) はデカップリングの規定因をあげている: 事前支払い、支払い方法(クレジットカードなど)、支払いと消費が一対一対応でないこと、個人特性。
 デカップリング現象は、報酬が心的会計の動的な異時点間分析から収穫されることを示している[難しい言い方だなあ]。
 今後の研究課題:

  • 会計が精算される時間間隔と、出来事のデカップリングとの関係。[図を描いて説明している。メモ省略]

 関連する現象に支払い軽視がある。支払いの絶対的な大きさを\(|P_i|\), 支払時点を\(t(P_i)\), 消費時点を\(t(C_j)\), 特定の形式の支払い・消費が持つパラメータを\(k_n\)として、サンクコストの心理的インパクトは$$ \Psi_{ijn} = \frac{k_n |P_i|}{t(C_j)-t(P_i)}$$と表せるだろう。つまり、(1)支払から消費までの時間に伴い消失し、(2)その減少速度は最初が早くて徐々に遅くなり、(3)消費と支払が同時である時には無限大となる(それを避けたかったら\(t(C_j) \geq t(P_i) + 1\)と制約するとよい)。
 今後の研究課題:

  • 上の式の実証的検討。特に、報酬の記憶の時間的性質、製品によるちがい。

1.2 心的会計と快楽的自己制御
 Leclerc & Thaler(1999)は、消費者が「オーシャンスプレーを買うとき1ドル引き」のクーポンより「オーシャンスプレーを一緒にお買い上げの場合は店内の品物ひとつをどれでも1ドル引き」のクーポンを好むことを示している。
 今後の研究課題:

  • 解釈がふたつありうる。(1)クーポンはギフトとして捉えられており、後者のクーポンは正当化が必要な購入(ぜいたく品とか)への助成金とみなされている。(2)消費者は後者のクーポンからLangerいうところのコントロールの錯覚を得ている。どっちが正しいか。
  • 個人内で葛藤を引き起こす散財のタイプ。快楽財より効用財のほうが高価格帯にスイッチしにくいのではないか。
  • 消費者は多くの場合、快楽的自己コントロールを自発的に行い、必需品の支出を減らして快楽消費をおこなうのでないか。現金とそれより安い快楽財のどちらかを選ばせる実験では、後者を選ぶ人が一定割合いる。理由を書かせると、快楽消費に事前にコミットしたのだと述べることが多い。つまり、現金では一般会計になってしまいぜいたく消費ができないから、という説明である。理由と心的会計の交互作用が生じている。

1.3 心的会計のスコープの拡張: ファイナンスへの適用
 近年では、心的会計からの予測を個人・企業の投資行動に適用しようという研究がおこなわれている。
 たとえば、投資家は負けてる株より勝ってる株を売りやすい(disposition効果)。負けているとき、同じ株をもらうか現金をもらうかを選ばせると前者を選んで損失をタイにしようとする。しかし同じリスクを持つ他の株と現金なら現金を選ぶ。これは心的会計を狭く定義していることを示している。
 disposition効果は理由ベース選択によるのかもしれない。たとえば、キャピタル・ロスが起きるとその理由の説明が必要になるので売らない、とか。
 詳しくはThaler(1999 “Mental Accounting Matters”)を読め。

2. 理由と選択の相互作用
 多くの場合、選択は最良の理由によって支持される選択肢を探すことである。特に難しい決定においてそうである。
 決定の理由を考えるときとそうでないときとでは決定も変わってくる。顕著でもっともらしくて言語化しやすい理由というものがあって、理由を考える状況下ではより重視されるだろう。さらに、理由は消費経験よりも選択過程でより重要になるだろう。

2.1 理由選択 vs. 製品消費
 [ちょっと集中力が切れてきたのでほぼ逐語訳]
 Hsee & Shafir(1999)は次のように理論化している。人は決定を行うときには理由、客観的ルール、そして「根拠」に関心を持つが、消費のフェイズでは感覚・主観経験に焦点をあてる。実際、人は選択肢を価値づける際にあたかも2つのスケールを使っているかのようにみえる。ひとつはプレ・ホックなスケールで、選択に用いられる。もうひとつはポスト・ホックなスケールで、経験をその時点で評価する、ないし振り返って評価する際に用いられる。ここから「決定/消費不整合性」が生まれる。
 この個人内の不整合性は、行動意思決定理論が扱う2つのタイプの現象と関わっている。ひとつは予測誤差である。たとえば、意思決定時には消費時の嗜好の変化について誤って推論してしまう。Lowenstein(1996 OBHDP)のいう共感ギャップも予測誤差の実現としてみることができる。共感ギャップにはcold-hot(意思決定時はcoldな推論を行い消費時はhotな感覚に影響される)とhot-coldがあるが、どちらにせよ選択時には理由に焦点があたり、従って将来の活動・消費に対しては適切でなくなる可能性がある。そのせいで、起きられもしない時間に目覚ましをセットしたり、あとで捨てる食べ物を買ったりしてしまう。

 決定と消費の不一致と関連している、行動意思決定理論のもうひとつの知見群として、課題と文脈の効果が挙げられる。
 たとえば、消費者はどの製品を買うかを決定する際に、implicitな決定ルール、たとえば「極端な製品を避けて擁護しやすい妥協的な製品を選ぶ」というような決定ルールを用いる。この「極端回避」推論によって、中間の選択肢が選ばれやすくなる。ここでは選ばれなかった選択肢も選択に関わる(しかし消費には関わらない)。ここで決定/消費の不一致性が生じる。
 今後の課題:

  • 決定が消費時の満足と整合するのはどんな条件のもとでか。たとえば、局所的な文脈から離れてグローバルに考えさせることで不一致は消えるかもしれない。そのひとつの方法として、具体的な課題と選択肢集合について考える前に、カテゴリにおいてガイドとなる根拠を選ばせ、トレードオフ[←?]させることだろう。また、消費のフェイズで選択に影響を及ぼした理由について想起させるという方法もあるかもしれない。

 決定/消費の不一致というフレームワークは、意思決定者と消費者では心的なちがいがあるのだということを示唆している。意思決定者の課題は彼の決定が他者ないしのちの自分自身に挑戦されることを知りつつ選択肢を受け入れたり拒否したりすることである。いっぽう消費者は批判には関わらない。彼の課題は単に、選ばれた選択肢を消費し経験することである。
 理由がより関わるのは消費前の決定のフェイズである。なぜなら理由は選択の入力かつ選択の正当化だからである。選好は多くの場合、記憶からの検索でなく、オン・ザ・フライで構築される。理由は選好の形成と正当化に用いられる。さらに、理由は意思決定者を選好の不確実さから守る保険として働く。つまり、リスキーな決定を行う際、明確な理由を構築しておくことが、その後の結果と共に生きていくうえでの助けになるのである。その意味で、人は往々にして、選択肢ではなくて理由を選んでいる。いいかえると、選択肢を好むか拒否するかについてはあまり熟慮せず、むしろ将来の感覚を最適化してくれる理由について熟慮するのである。

2.2 理由としての製品の諸次元
 次元的処理(属性内での処理)も、選択肢ではなく理由を選択するという例として解釈できる。
 ヒトは製品の情報をブランド別ないし選択肢別に処理するのではなく、属性別に処理することが多い。その結果、消費者は決定位置いてどの属性にもっとも重みを置くべきかを決めるのに認知的労力を費やし、その属性において最良である選択肢を自動的に選んでしまう。こうしたメタ戦略の下では、属性重みづけスキーマは現実の製品選択を完全に決定できる。製品属性を理由とみなし得る限り、次元的処理における重みの配分は理由の選択と結びつけることができる。
 人はしばしば、選択においてもっとも目立った理由として働く属性を重視する。特に、製品情報が不完全な時、消費者はすべての製品間で完全に比較できる属性を重視する。完全な属性は理由・正当化を提供するからであろう。[事例紹介…]
 このような欠損情報の使い方は、選択の理由としての支配構造の探索として捉えることができる。つまり、決定者は選んだ選択肢が他の選択肢を支配していることを求めている(すべての選択肢で優れてなくてもよい)。
 [欠損を中央値で埋めると選択が変わるという実験。略]
 今後の課題:

  • 理由ベース選択と選択肢ベース選択のバランスに影響するモデレータ。製品カテゴリ、社会的条件(アカウンタビリティ)、個人差(認知欲求とか)、時間、タスク変数など。

2.3 非慣用的理由と選択のinterplay
 Simonson & Nowlis(1999 Working paper)いわく、批判を気にしていない決定者は非慣用的な理由を好み非慣用的決定を行いやすい。逆に説明が求められていると妥協案を選びにくくなり、広告で選好を変えにくくなる。
 非慣用的選択を起こしにくくする理由として以下が挙げられる: あとで選択が評価されると知らせる、他者の選好情報を知らせる[←!!!]、以前の選択にネガティブなフィードバックを与える。
 理由の分析・提供は、非慣用的・快楽的選択に影響するだけでなく、感情的要素が大きい決定にも影響するだろう。Wilson & Schooler(1991, JPSP)をみよ。[←これ再現性的に大丈夫なんだっけ…?]

3. 要約と今後の方向
 心的会計にも理由ベース選択にも未解決の問題は多い。特に:

  • 心的会計のカップリング・デカップリングのモデレータと帰結。たとえば動機づけによる戦略的カップリング・デカップリング。[…研究紹介…] 新技術により支払いと消費のリンクはよりファジーになり、心的カップリング・デカップリング操作は促進されるだろう。
  • 心的会計の構築と関連付けにおける理由の貢献。

 選択はしばしば、人がしなければならないこと(長期的利益)と、人がしたいこととのあいだの時点間闘争を含む。自己コントロール問題の分析であきらかになったように、心的会計と理由ベース選択は個人内の葛藤を解決すべく相互作用することがある。どちらも、近視眼的傾向との戦いにおける重要な要素として扱われてきた。健全性ルール・原理のような道徳的推論は、短期的誘惑に抗するための自己制御の形式として議論されている。実際、人がすべきことについて考えることは理由付けのプロセスに似ている。心的会計もまた、長期的利益を促進する自己コントロール装置の分析において適用されている。さらに、心的会計と理由は、道徳にかなった事前関与装置の構築において共同して働く。
 いっぽう本論文は理由と心的会計が快楽的ウォンツの実現をも助けると論じてきた。[…中略]

 本論文ではひとくくりに理由と呼んできたが、そこには階層があるだろう。原理とか、規則とか、例外とか、ヒューリスティックとか。
 ある種の選択においては理由の量と理由の質のトレードオフも起きるだろう。
 云々。
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 論文というよりエッセイという感じで、大変メモをとりづらかった。困るなあ。
 忘れちゃいそうなので、特に面白かった点をメモしておくと、(1)結局、心的会計と理由ベース選択で快楽消費が促進される場合も抑制される場合も考えられてしまうわけだ。(2)「オーシャンスプレー」クーポンの事例の説明として、「ぜいたく品購入の理由づけ」説と「コントロールの錯覚」説がありうる由。(3)決定/消費不整合を解消する手続きがあるかもしれないという指摘。(4)解釈レベルのカの字も出てこなかった。いまだったらちょっとちがうだろうな。