メイン > 心理・教育
2015年12月14日 (月)
学校の戦後史 (岩波新書)
[a]
木村 元 / 岩波書店 / 2015-03-21
2015年1月13日 (火)
Embodied Cognition[a]
Shapiro, L. / Routledge / 2010-8-9
そんなこんなで、ようやく読み終えた... いやー、ほっとした。
内容のメモをまとめておくと、標準的認知科学について説明した2章は省略して、
面白かったです。勉強にもなりました。でも、哲学者の書いた本は当分いいわ...
2014年7月28日 (月)
クレイジー・ライク・アメリカ: 心の病はいかに輸出されたか
[a]
イーサン ウォッターズ / 紀伊國屋書店 / 2013-07-04
著者はアメリカのジャーナリスト。アメリカ流精神医学の海外輸出に疑いを投げかけるノンフィクション。時間がないのでメモは書かないけど、大変に興味深い内容であった。圧巻は、グローバル製薬企業が日本をいかに抗うつ剤(SSRI)の巨大市場に仕立てたかという話。
話はちがうけど、この本の翻訳は実に緻密で、まあ原文と照らし合わせたわけじゃないから正確さの度合いはわからないけど、いちいち原資料に戻って補足修正する努力、誠に頭が下がる思いであった。奥付によればプロの研究者の方らしい。
2013年7月24日 (水)
幸せを科学する―心理学からわかったこと
[a]
大石 繁宏 / 新曜社 / 2009-06
著者は幸福についての研究で有名な心理学者 (PSPBの副編集長だそうだ)。どうやら、まだ若い方らしいのだが...。なんで今頃になって心理学の本読んでんのかわかんないけど、諸般の事情のせいで、大慌てでメモを取りながら読んだ。
前半は心理学分野の幸福感研究の概観といったところ。いくつかメモ:
- アメリカ文化では自分自身の選択が重要視され、アメリカ人は選択を通じて自分の独自性を確認することを好むといわれているが(MarkusとかIyengar & Lepperとか)、それは社会階層とも関係があって、労働者階級ではそうでもない、という報告もある由(Snibbe & Murkus, 2005, JPSP)。へー。
- 著者の研究(2002, PSPB)によれば、7日間毎日「今日の満足度」を評定させた後で、8日目に「過去一週間の満足度」を評定させると、アジア系では前者と後者はおなじだが、欧州系アメリカ人では後者のほうが全然高くなる由。全く、なんて人たちだ。
- 主観的幸福度研究に対するアンチテーゼとして、 まずRyffという人 (さっき読んだ論文で eudimoniac well-beingと呼ばれていたアプローチだ)、それからDeci らの自己決定理論の立場があるんだそうだ。(デシってまだ生きているんだ...)
- 幸福感の心理学尺度で一番使われているのは DienerらのSWLSである由。著者はそのお弟子さん筋にあたるらしい。日本での信頼性・妥当性研究もやっておられる由。SEMやIRTを使って。(やってんじゃん!!)
- 人生の満足度評価には検査再検査信頼性がないという批判も強いそうだが、著者は結構強気。妥当性もいちおうある由。回顧的自己報告に対するカーネマン流の批判は、この分野ではどうやら左派という感じらしい。
- 幸福度評定の認知過程についての実験研究もたくさんあるのだそうだ。へええ。紹介されていたのは、幸福度評定を事前課題でプライムするタイプの研究(長期記憶のアクセサビリティで説明する)。評定の速度の研究。カーネマンのピーク・エンドの話とそれへの批判。満足度の評定のプロセスは性格特性からのトップダウンか、経験からのボトムアップか (この話、めちゃくちゃ面白い... 顧客満足の問題と密接な関係があるのではなかろうか。Shimmackという人の論文を探せばいいらしい)。
後半は幸福感の規定因の話。
- 幸福感に対する具体的な出来事の影響はたいてい短期間にとどまる。極端な悲劇を別にすれば、大きな出来事でもせいぜい三か月、スポーツの試合に負けたくらいなら数日で元通り。
- 結婚生活への満足度と人生全般の満足度との関係についてはメタ分析があって(Heller, et al., 2004, PB), 潜在相関は0.51, 健康や仕事より高い。うーむ、これはさもありなんという気がする... 子どもの有無や数と結婚満足との関係についてのメタ分析もある由 (Twenge, et al., 2003, J. Marriage and Family)。いやはや、恐ろしい分野だ。
- 「感謝」概念をプライムすると、直後の人生の満足度評定の値が高くなるそうだ。過酷な労働現場の壁に「あらゆる人々に感謝せよ」というような張り紙が貼ってあるのを、つい思い浮かべてしまった。
- 幸福感の規定因じゃなくて、幸福感が影響を与える変数についての研究もあって、若いころの幸福感が寿命に与える影響を調べた研究もあるのだそうだ。さあ、いったいどうやって調べたのか? 修道女になる人は自伝を書くのだそうで、その中に出てくるポジティブな言葉の数と、その修道女の死亡年齢との関係を調べた由。あったまいいなあああ。Danner et al. (2001, JPSP)という研究だそうだ。
いやー、面白かった。大変勉強になりました。
ついつい、自分の仕事に引きつけて考えてしまうのだけれど。。。知能の研究では、知能そのものじゃなくて知能の素朴概念、つまり「世間の人々が知能についてどう考えているか」を調べるという分野があるけれど、幸福の素朴概念についての研究はないのだろうか。応用領域がすごく広いと思うのだが。
2013年4月17日 (水)
トラウマ (岩波新書)
[a]
宮地 尚子 / 岩波書店 / 2013-01-23
前半で、トラウマについて著者が提案する「環状島モデル」なるものが紹介される。そんなの言葉の遊びだろうと思いながらフガフガと読み進めたのだが、あとで考えてみると、これはとても深い話だ。。。
2013年1月 9日 (水)
戦後教育のなかの“国民”―乱反射するナショナリズム
[a]
小国 喜弘 / 吉川弘文館 / 2007-08
正月休みに読んだ本。著者は66年生まれの教育学者。旧教育基本法制定プロセスとその限界,戦後の日本史教育(国民的歴史学運動)における学生の実践の事例分析,50年代古墳発掘運動にみる歴史認識,60年代の地域史教育の事例分析,戦後の沖縄の国民化教育の分析,についての文章を収録。
ううむ。大昔の教育活動を掘り起こして批評するのは,難しそうだなあ,と感じた。記録文集に残されているのは建前だろうと思うし。。。
最終章にちらっと紹介されていた,70年代以降の歴史教育の潮流の話が興味深かった。歴史嫌いの子どもの増加という問題をきっかけに,「たのしくわかる授業」が主流となったのだが,その背景には,学習指導要領の拘束,受験を意識した保護者の要請,そして歴史教育研究者の側からの「歴史学とは異なる歴史教育固有の論理」といった主張があったのだそうだ。へえええ。歴史教育の歴史学からの自立って,いったいどういうことだろう。。。
2011年9月13日 (火)
身体醜形障害 なぜ美醜にとらわれてしまうのか (こころライブラリー)
[a]
鍋田 恭孝 / 講談社 / 2011-08-26
2011年4月11日 (月)
心の病と社会復帰 (岩波新書)
[a]
蜂矢 英彦 / 岩波書店 / 1993-04-20
精神科の地域リハビリテーションについての本。本棚の奥に眠っていたのを、整理の都合で再読。93年刊、SSRI などの薬が出る前の話だから、最新の状況はこの本とは変わっているかもしれない。。。
2011年4月 5日 (火)
日本の教育格差 (岩波新書)
[a]
橘木 俊詔 / 岩波書店 / 2010-07-22
教育における社会格差についての本。著者独自の意見は控えめに,これまでのさまざまな議論をコンパクトに概観した内容であった。
こどもの教育に家庭の文化資本が与える影響は,日本ではさほど大きくないというのが通説であったが,片瀬一男という方の研究ではもう少し複雑なことが示されていて,男子高校生では読書が,女子高校生では芸術への接触が,大学進学意欲に影響を与えているのだそうだ。面白いなあ。
2011年1月13日 (木)
どこからが心の病ですか? (ちくまプリマー新書)
[a]
岩波 明 / 筑摩書房 / 2011-01-07
主要な精神疾患についての一般向け啓蒙読み物であった。いやあ,良いタイトルだ。つい手に取ってしまった。
2009年12月30日 (水)
教育再生の迷走
[a]
苅谷 剛彦 / 筑摩書房 / 2008-11
2009年12月27日 (日)
「国語」入試の近現代史 (講談社選書メチエ)
[a]
石川 巧 / 講談社 / 2008-01-11
学校の国語の試験では,小説の一節に傍線が引いてあって,この部分での登場人物の気持ちを以下の選択肢から選べ。。。なんていうのがよくあった。ああ,もうああいう試験を受けなくて済むかと思うと嬉しい。
この本によると,文意を訳したり語意を答えたりするのではなく,上のように小説を小説として読ませるタイプの試験問題は,戦後の新制大学の入試問題からはじまったものなのだそうだ。面白いのは,選択式の設問こそがこの種の試験問題を可能にしている,という点。なるほど,記述式では収拾がつかなくなるもんね。
著者によれば,「入試現代文の定着と展開は,教育の場において,かくあるべき国民を育成していくための重要なプロジェクトであった」。我々は文章を与えられたとき,「そこに書かれている内容をありのままに把握するのではなく,誰かの問いかけに応答するようにして文章を読み進めている。あたかも,文章に目にみえない傍線が引かれ,空欄が設けられ,全体の要旨をまとめよという問いかけが準備されていて,それをクリアしなければ「読む」という行為を達成できないかのように考えながら文章に接している。」つまり,我々は「入試問題を解くようにしか文章を読めなくなっている」のである。
うーん。。。そうかもしれない。でも,いずれにしろ,教育は我々になんらかの読みのシステムを押しつけるものであり,我々は制度の内側にとどまるために,そのシステムを身につけざるを得ないのではなかろうか。問題は,そのシステムの相対的な良し悪し,そしてその制度からはみ出していく力とどのように相互作用していくか,なのではないかと思う。前者についていえば,<単一の正解が常に存在するという前提の下で文章を読む>という我々の「読みシステム」は,確かにとても偏狭なものではあるけれど,<国民精神を涵養するために文章を読む>という「読みシステム」や,<ひとりひとりの個性が開花する社会を目指すべく文章を読む>「読みシステム」に比べれば,ずいぶんましなほうではないだろうか。
2009年8月12日 (水)
若者たち-夜間定時制高校から視えるニッポン
[a]
瀬川正仁 / バジリコ / 2009-06-05
2009年7月13日 (月)
精神疾患はつくられる―DSM診断の罠
[a]
ハーブ カチンス,スチュワート・A. カーク / 日本評論社 / 2002-10
精神医学のバイブル・DSMについて,その策定を巡る政治的駆け引きの歴史を中心に,批判的に紹介した本。特に,DSM-IVでの採用を目指して挫折した診断名「マゾヒスティック・パーソナリティ」をめぐる熾烈な戦いの話が面白かった。
最終章での著者らの提案は,(1)DSMは診断基準をもっと厳しくすべきだ,(2)DSMの妥当性と信頼性はとても低いので,研究目的を超えた運用は避けるべきだ,(3)臨床家はDSMを正直につかうべきだ(保険の支払いを念頭に妥協してはならない),(4)医療以外の社会的援助システムを構築すべきだ,という4点。
書き方が非常に辛辣なので,ラディカルなDSM批判の本のようについ思えてしまうが,考えてみると著者らが云っているのは,DSMはその触れ込みほどには妥当性や信頼性を持ち合わせていないよ! その制定プロセスはむしろ政治の産物だよ! それをあたかも科学的システムのように運用しているせいでひどいことになっているよ!---という話だ。操作診断の必要性と可能性を否定しているわけではない。研究者はもっと「科学的」な操作診断システムを追求しよう,と主張しているようにも思える。素人の印象に過ぎないが,これは本質的には穏和で保守的なスタンスなのではないか?
2009年3月18日 (水)
学歴分断社会 (ちくま新書)
[a]
吉川 徹 / 筑摩書房 / 2009-03
「学歴と格差・不平等」という大変面白い本があったが,これはそれを一般向けに書き直したもの。易しく書きすぎたせいで,かえってピンぼけしているような印象を受けた。
前書には政策提言の要素がなかったのが(そこが好ましいと思っていたのだが),この本では最終章でいくつかの提言がなされている。地方公務員に高卒枠があるように,大企業でももっと高卒枠を設けてはどうか,とのこと。
2009年2月11日 (水)
百ます計算の真実 (学研新書)
[a]
陰山 英男 / 学習研究社 / 2009-01
この本を読むと,「百ます」で知られ基礎学力重視派の旗手と目された著者が,実は知的好奇心と主体的思考に重きを置いていることがわかる。
初等教育の話は論点が錯綜していて,全くわけがわからない。見取り図が欲しければ,視野を思いっ切り広く取る必要がありそうだ(たとえば教育史の勉強から始めるとか)。いや,俺は別に勉強する気はないけれど。
2009年1月31日 (土)
PTSD(心的外傷後ストレス障害) (こころのライブラリー)
[a]
金 吉晴,加藤 寛,広幡 小百合,小西 聖子,飛鳥井 望 / 星和書店 / 2004-02
休みの日にぼんやりしていて,ふと傍らの本棚をみたら,なぜかこんな本があった。いったいいつ買ったんだろう? さっぱり思い出せない。
せっかくなので読んでみた。「こころの臨床」という雑誌での連載をまとめたもので,業界の人向けの内容だが,俺のようなど素人にもそれはそれで面白い。
職場の事故で生じたトラウマの話が興味深かった。施設の来所者にいきなり殴られたケアマネの女性の症例では,精神科のお世話になること自体が本人にとっては屈辱的だったんだけど,労災を申請した際の労基署の職員がPTSDをよく理解していて,負担にならない事情聴取を行ったのが良かった,のだそうだ。「治療者の意図しないところでJ.L.ハーマンの回復の第二段階,外傷のストーリーを語る段階が行われていたことになる」とのこと。いかにも専門家の後付け的な説明ではあるけれど,そういうこともあるかもね。この世の中では,誰が誰を助けることになるのかわからない。
2008年11月 3日 (月)
学力問題のウソ
[a]
小笠原 喜康 / PHP研究所 / 2008-09-13
ゆとり派も基礎学力派も知識を外在的に捉えている点で誤っている由。じゃあどういう話になるのかと思ったら,状況論っていうんですか,そういう方向の落ちであった。ふうん。
毎回思うのだけれど,教育の話って議論が入り組みすぎていて,さっぱりわからない。この本は学習指導要領の大綱化を提唱しているが,新学力観の下で指導要領はもうとっくに大綱化していて,その象徴として総合的な学習があったんじゃなかったっけ?
というわけで,この本の内容をどう評価したらいいのかわからないのだが(わかるだけの能力もないが),教育というのは正統的周辺参加だから子どもの社会参加の機会を増やせ...という話の展開はドウヨ,と思った。教育を正統的周辺参加として捉え直すことができる,という話と,教育は実践共同体への参加であるべきだ,という話とは性質がちがうだろう。
まあ,新書だから意を尽くせていないのかもしれない。それに,実践家の理屈は往々にしてわかりにくいものだ。著者は博物館教育の研究をしているそうだから,そっちの本を読んだほうがいいのかもしれない。
2008年7月20日 (日)
「やめられない」心理学―不健康な習慣はなぜ心地よいのか (集英社新書 (0439))
[a]
島井 哲志 / 集英社 / 2008-04-17
格差社会と教育改革 (岩波ブックレット)
[a]
苅谷 剛彦,山口 二郎 / 岩波書店 / 2008-06-05
2007年11月28日 (水)
絶対弱者―孤立する若者たち
[a]
三浦 宏文,渋井 哲也 / 長崎出版 / 2007-11-23
著者はインド哲学研究者にして塾講師という人と(大変だなあ),売り出し中の若手ライター。コミュニケーション能力に欠けるタイプの若者がいて大変だぞ,という本。
それでも、ゆとり教育は間違っていない
[a]
寺脇 研 / 扶桑社 / 2007-09-27
ゆとり教育推進の旗手であった有名官僚の文章と対談を集めた,なんというか,ファンブックみたいな本。俺が大変お世話になった方が対談相手の一人なので,公平に読めていないかもしれないけれど,対談はどれも面白いと思った。いっぽう著者の主張そのものについては,賛否が分かれるところであろう。著者のいう「ゆとり教育」とは教育改革が目指した理念のことだが,批判者たちが問題にしているのは(というか,そのなかのまともな人たちが問題にしているのは),理念というよりもその運用のほうだと思う。
著者によれば,教育社会学者が教育に対して発言権を強めていることが混迷を招いているんだそうである(この部分,苅谷剛彦さんが念頭にあるんじゃないかと思う)。ああややこしい。。。どこかから機械仕掛けの神かなにかが降りてきて,かつて市川伸一先生が「学力低下論争」のなかでやっていたように,2007年時点のみんなの論点を整理してくれないかしらん。
2007年11月23日 (金)
誰のための「教育再生」か (岩波新書)
[a]
/ 岩波書店 / 2007-11-20
教育基本法改正反対陣営の研究者たちが書いた本。
一昨年,郵政民営化法案が参院で否決されたら,首相が衆院を解散してしまい,果たして民営化賛成派が馬鹿勝ちし,法案は衆院を通過して,もう一度参院で採決されることになった。もう反対票を投じても否決の見込みはないというこの場面で,解散前は反対派であった自民党の有力議員が(元首相の息子だっけ,そんな感じの人),郵政民営化の他にも喫緊の政治課題がある,だから今度は涙を飲んで賛成票を投じます,と述べていた。たしかに,いま反対しても党から処分されるだけだから,それはまあひとつの見識だよなあ,と思った。
さて,この政治家が信念を曲げてまで優先したいと考える,緊急を要する政治課題とはなんだろうか? 新聞で読んであっけにとられたのだが,なんと,教育基本法の改正だったのである。なぜ? 改正の是非は別にして,教育基本法が重要だと思うのはわかる。でも,教育基本法を変えるとなにかすぐに良いことがあるのか? 基本法を変えないと実現できない緊急の政策があったとも思えない。それとも,急いで基本法に「我が国と郷土を愛する」と書き込まないと,子どもが我が国と郷土を愛するようにならない,とか?
俺は教育そのものには特に興味がないのだが,人々が教育に向けるこの不思議な情熱,それを支えている摩訶不思議なファンタジーに強く関心を惹かれる。不謹慎な言い方だけど,なんだか面白くて仕方がない。どんな問題にだってなにかしら不思議なところがあるとは思うが,教育を巡る議論ほどに不合理さと思いこみに充ち満ちたものは,ほかにないんじゃないかしらん。
2007年8月 9日 (木)
教育と格差社会
[a]
佐々木 賢 / 青土社 / 2007-07
大筋では共感するところ多いのだが,論旨の荒さに辟易するところもあった。デジタル教材の充実やテストの外注化には,教員の負担を減らすという面もあるだろうし,教育行政に消費者視点が反映されることそれ自体は悪いことではないだろうし。うーん。
それにしても,いわゆる公立中高一貫校がどんどん設立されていくのは,たしかに不思議な現象である。たいていの子どもは中高一貫校に入れないわけだし,巡り巡って予算面で割を食うのはフツウの公立中高なんだから,親たちはもっと怒ってもよさそうなものだと思う。
2007年7月15日 (日)
なぜ、その子供は腕のない絵を描いたか
[a]
藤原 智美 / 祥伝社 / 2005-04
著者は小説家兼ノンフィクション作家。最近の幼児の描画が実に貧しい,いったい日本はどうなるんだ,という問題提起(というか恐怖喚起)があって,デスクリサーチでもって犯人捜しをする,という内容。犯人は過剰な密着的育児と早期教育なのだそうである。まあそうなのかもしれないけれど,でもいったいなにを根拠に。。。
2007年5月 4日 (金)
義務教育を問いなおす (ちくま新書 (543))
[a]
藤田 英典 / 筑摩書房 / 2005-07-06
新書とは思えない分厚い内容で,読み終えるのに時間がかかり,ちょっと適当に読み飛ばしてしまった。残念だが,仕方ない。
日本の義務教育は総体としてはうまくいっているのに,政治と社会がおかしな改革を叫ぶせいで危機に陥っている,という主旨。ゆとり教育の初期理念には賛同するが,運用に対して批判的。学校選択制にはとても批判的。学力調査の結果についてデータに基づいた議論をしているところが面白かった(きちんと読めてないけど)。
心理学からは足を洗ったし,教育系企業も辞めちゃったわけで,こういう本を読んでもいまいち真剣になれないのは道理なのである。しかし,それじゃマーケティングナントカだの消費ナントカだのという本を読む気になるかというと,それはそれでいまいち関心が持てない。あまり大きな声ではいえないが,「A社の製品が売れなくたって,かわりにB社の製品が売れるんだから,大勢に影響ないじゃん」,なんて,ついつい白けた気分になってしまう。困ったものだ。
高給&激務で知られた外資系有名コンサルで10年ほどバリバリ働き出世した末,すっぱり辞めて農家をはじめた人の話を,前にどこかで読んだか聞いたかしたことがある。格好いいねえ,というのが大方の反応だと思うけれども,個人的には,それはちょっと可哀想な話なんじゃないかなあと思った。せっかく築いた経験と蓄積を捨ててしまうだなんて,捨ててしまいたくなるような十年だなんて,いくら給料が良くたって,切ないよなあ,と思ったのだ。いま思うに,やっぱり俺が子供っぽいんだと思う。高給であろうがなかろうが,仕事というものは,本来つまらないもの,もともと切ないものなのであろう。
2007年2月12日 (月)
「個性」を煽られる子どもたち―親密圏の変容を考える (岩波ブックレット)
[a]
土井 隆義 / 岩波書店 / 2004-09-07
自己承認欲求の増大によって親密圏が肥大し対人関係がますます困難になっていく中,公共圏ではますます内発的衝動がそのまま表出されるようになっていく,云々。というような話であった。読んでから時間が経ったので忘れちゃったけど。
この本は学校教育についての本ではないのだが,最後にちらっと,「心のノート」が批判的に言及されている。「そこには『自分の心に向き合い,本当の私に出会いましょう』といった文言が盛り込まれています。『自分の心』とは,『私』が『向き合う』客体であって,『本当の私』とは,そこで『出会う』先験的な実在とみなされているのです。しかし,私たちは,そのおかしさに早く気づくべきです。人間の成長を期待するものが教育である以上,それは『個性を生かす』ものではなく,『個性を伸ばす』はずのものだからです。」
なるほどそりゃそうだね,と思う半面,仮に学校で配られる教科書に「個性とは社会化の過程において成立するものであって,他者を排除した『本当の私』など虚妄にすぎんのです」なんて書いてあったら,あらゆる同調圧力がそれによって正当化されるような気がして,それはそれでなんだか嫌な感じではある。要するに,どう書いてあったって,それなりに迷惑だ。
まあどうでもいいや。関係者の方々には申し訳ないけど,いずれにせよ道徳教育というものは,大人の側の夢と欲望を反映した不毛な代物にならざるを得ないのだろう。
2006年11月30日 (木)
学歴と格差・不平等―成熟する日本型学歴社会
[a]
吉川 徹 / 東京大学出版会 / 2006-09
社会構造の鍵になる変数,社会意識を規定している変数は,職業や年収じゃありません,学歴!学歴!学歴なのです!という,いっけん無理な主張を力ずくで展開している本。大変面白かった。論旨展開もクリアだし,文章は若々しいし(著者は66年生),なによりも,安易に政策論へと進まない禁欲性が好もしい。専門書はこうじゃなきゃ。
こういう本は,ほんとはもっと丁寧に読みたいのだが,なかなかままならない。面白かった点をメモしておくと,
- 階層論はふつう職業階層に焦点をあてる。ここで学歴は親の職業階層と子の職業階層の間にある媒介変数である。しかしいわゆるフリーター問題などをみるにつけ,こうした枠組みはもう役に立たない。いっぽう文化再生産論(ブルデューとか)は,職業階層と社会意識が子に影響するメカニズムに注目するが,モデルが複雑すぎて実証研究に乗らない。そこでルビンの壺よろしく図と地を入れ替え,こう考えよう:学歴が職業階層を決め,社会意識を決め,子の学歴を決めるのだ。
- その証拠に,SSM調査データを使い<父教育年数→父職業威信→息子教育年数→息子職業威信>の完全逐次パスモデルをつくると,父職業威信から息子職業威信への直接効果は案外小さくて(←面白いなあ),父教育年数から息子教育年数への直接効果が大きい。なお,これは尺度の信頼性によるアーティファクトではない由。
- 学歴に世代間関係が生じるのは,人が「親より学歴が下降する」ことを回避しようとするからだ(職業階層の下降リスクを避けるためではなく,とにかく学歴が下がるのがいやなのだ)。従って,仮に学歴選択が完全に自由であっても学歴の世代間関係は残る。
- その証拠に「ハマータウンの野郎ども」を読め。あるいは教育調査研究をみよ。教育調査での階層の指標はたいてい「親の学歴」だ。たとえば苅谷さんは階層がインセンティブの格差につながるというが(階層の代理変数として学歴を嫌々使っているに過ぎない),考えようによってはそれは親学歴そのものによる格差なのである。(←なるほど)
- なお,過去4回のSSMデータを使いコホート別に学歴の移動表分析をしてみると,団塊以降は学歴の閉鎖化が進んでいる。(ここで佐藤俊樹「不平等社会日本」についてのかなりテクニカルな批判があったけど,パス)
- 今度は社会意識について。いろんな項目について,年齢・学歴・職業階層・世帯収入で片っ端から重回帰すると,多くの項目に効いているのは,今も昔も年齢・学歴である。
- 階層帰属意識について。SSM調査の4時点それぞれで,<年齢→学歴→職業階層→世帯収入→生活満足度→階層帰属意識>の順の完全逐次パスモデルを組むと,階層帰属意識のR2はどんどん上がり,効いている変数は収入と学歴に集約されていく傾向にある。
- というわけで,今流行ってる下流社会とか二極化とか閉鎖化とか希望格差とかって,要するに学歴の境界をなぞっているだけかもしれない。(←もっと曖昧な書き方だったけど,要するにこういう主旨)
学歴下降回避の話,「親より職業階層が下がるのと学歴が下がるのとどっちが嫌か」という調査をしちゃえば決着がつくんじゃないかと思ったが,きっと誰かがもうやってるな。
2006年11月21日 (火)
日本を滅ぼす教育論議 (講談社現代新書)
[a]
岡本 薫 / 講談社 / 2006-01-19
教育関連本はもう買わないことにしたのだが,この著者ならば読まざるを得ない。かつて文部省が「ミレニアム・プロジェクトにより転機を迎えた学校教育の情報化」という文書を出して,そのあまりに身も蓋もない書きぶりが話題になったことがあったが,たしかこの人はその書き手だといわれた人だと思う。
あまりの明快さに一晩で一気読みしてしまった。「追加教育症候群」の馬鹿馬鹿しさ,ゆとり教育をめぐる議論の非論理性など,指摘されているのはすべてあたりまえの事柄ばかりで,退屈なまでに正当な内容である。話の進め方は粗っぽいし(「欧米ではこうだが日本ではこうだ」のオンパレード),個別のイシューに異論はありうると思うが,全体としてはここに書かれている内容がベースラインにならなければおかしいと思う。
とはいえ,そういう時代はいつまで待っても来ないだろうなあ,教育はながらく,良いオトナに許される夢のサンクチュアリであり続けたし,これからもそうあり続けるのだろうなあ,と思う次第である。そのおかげで合理的で建設的な議論ができないとしても,外交や経済政策が非論理的な幻想に支配される事態に比べれば,なんぼかましであろう。
2006年8月31日 (木)
ヴィゴーツキー心理学完全読本―「最近接発達の領域」と「内言」の概念を読み解く
[a]
中村 和夫 / 新読書社 / 2004-11
本棚に差しこまれているのを見つけて,なんとなくめくった。薄い本なのでそのまま読了。
ヴィゴツキーに依拠して発達を考える,という本ではなく,とにかくヴィゴツキー様がなにを考えておられたかについて誠心誠意考える,という本。
前半は「発達の最近接領域」概念についての議論。ヴィゴツキーが問題にしているのはあくまで学校教育における科学的知識の教授についてあった由。それを(M.コールのように)発達全般に一般化して捉えてしまっては,ヴィゴツキーの独創性が見失われてしまうのだそうだ。ふうん。
後半は「内言」についての議論で,読んでいてだんだん頭が混乱してきてしまった。
意味論の教科書には,「Ogden&Richardsの三角形」という図が出てくることがある。意味ということばの多義性を捉える枠組みとして,思考内容・記号・指示対象の三項からなる三角形を考える,という話だ。この図式に従っていえば,現代の言語学なり分析哲学なりでいうところの「意味」概念は,記号と指示対象を結ぶ辺に重心を移している,ということになると思う。ことばの意味とはそれが引き起こす思考内容そのものだ,なんて言い方は,たちまちウィトゲンシュタインの意味=心像説批判の前に躓いてしまうだろう。
いっぽうこの本では,正々堂々と「内言の意味とはすなわちイメージだ」なんて書いてあるわけで,ちょっとクラクラしてしまうのである。これは良し悪しの問題ではなくて,単に意味ということばの使われ方が違うだけなのだろうし,それはそれでいいんだけど,なんだかなあ,なにか別のことばを使ってくれるとわかりやすいのになあ,とも思う。
2006年7月24日 (月)
自閉症―これまでの見解に異議あり! (ちくま新書)
[a]
村瀬 学 / 筑摩書房 / 2006-07
自閉症者が示す特異な記憶力の「謎」は,実は我々の日常認知が持つ謎そのものである。遠くの日付を聞いただけでぴたりと曜日を言い当てる能力をただ珍しがるのではなく,カレンダーという偉大な道具,そして日付の認識のしくみにこそ焦点をあてるべきだ,云々。なるほどなあ。とても面白い本で,思わず一気読みしてしまったが,では自閉症者の認知メカニズムについての理論的特徴づけを与えてくれるのかというと,そういう本ではない(たとえば「心の理論」のコの字も出てこない)。ちょっとストレスがたまるのだが,そんなことを云ってると「ひととひととの関わりを無視している」って叱られちゃうんだろうな。自閉症者の認知の仕組みへの関心と,この先生の問題意識とは,別に対立する訳じゃないと思うのだけれど。
2006年1月 8日 (日)
教育を経済学で考える
[a]
小塩 隆士 / 日本評論社 / 2003-02
正月の新幹線で読んだ。面白かった。
教育経済学の啓蒙書。著者のあとがきによればポイントは以下の通り。(1)教育には投資という側面もあれば消費という側面もあるので,人的資本論には限界がある。(2)教育需要をもたらすのは不確実性であり,同時に不確実性は教育によって冷却されていく。(3)エリート育成には公平性の観点からの議論が必要だ。(4)公教育のスリム化は格差拡大を加速する。(5)個人ベースのデータがなく,実証分析ができなくて困る。教育統計を整備・開示してくれ。
面白かったのは(2)の点で,夢と勘違いが教育需要を支えているという指摘はなるほど腑に落ちる。教育支出をオプション取引の類推として捉えるところなど,学問の醍醐味を感じるのだが,そのいっぽうで,所詮合理的な行動モデルじゃないの,という疑念も消えず,服の上から背中を掻いているような気分である。去年,高橋秀実さんが週刊誌に中学受験のルポを連載していて,子どもが進学塾に通う最大の理由は「安心するから」だという主旨の文章を書いていた。もう目から鱗が落ちる気分だったのだが,そのへんは金融理論のアナロジーでは捉えきれないのではなかろうか。
著者はゆとり教育がよほど嫌いらしくて,さんざん罵倒しているのだが,その根拠は「ゆとり教育は教え惜しみだ」ということに尽きており,それはそれで一面的である。もっとも新学力観の側も,新しい学力概念を実証的な言葉で特徴づけることに失敗しているわけであって,なるほど,学力低下をめぐる議論は本質的に不毛なものだなあと思う。まあどうでもいいや。
また職探しせねばならんかもしれん今日この頃,教育関連本を読む気も失せてきたぞ。といって,就職対策本を手に取る気分にもなれない。当分は気楽な本ばかり読んでお茶を濁すことにしよう。
2005年11月26日 (土)
学力を育てる (岩波新書 新赤版 (978))
[a]
志水 宏吉 / 岩波書店 / 2005-11-18
知識重視的な学力観と態度重視的な学力観の振り子を乗り越えることが必要だ。学力は家庭の文化的環境に強く規定されている(データは岩波の「学力の社会学」の再利用。説明の引き合いに出すのはバーンスタインとブルデュー)。しかし格差を乗り越えるeffective schoolもある(ここでフィールド調査の紹介)。家庭と学校と地域がcollaborateするコミュニティが大事だ。
最初の一章が子ども時代の思い出話に割かれていて,ドウシヨウカと思ったが(個人的体験を引き合いに出すのはくだらない教育論の目印だと思う),さすがに一線の学者だけあって,内容はまともだった。「学力の社会学」はきちんと読みかえさないといかんなあ。
データ面では,定量調査とフィールド調査の両方を握っているのが強いところだ。大学の先生が観察先の現場の悪口を書くことは考えにくいわけで,そのへんは割り引いて考えるべきだと思うが,それにしてもちょっと面白そうだ。フィールドの話は岩波ブックレットになっている由。
ゆとり教育的な新学力観は否定しないが,基礎学力を重視する方向との止揚をはかるべきだという立場(なるほどそりゃそうですね)。初等教育の学力差が社会格差を再生産するという問題意識はあるが,親御さんの心配りでどうにかなると考えている節があって,その点オプティミスティックだ。
面白かったのは,学校選択制(金子郁容とかのいうところのコミュニティースクール)にはきわめて否定的であるところ。そっちは東京発の提案で,いっぽう大阪では学区ベースの教育コミュニティへの努力がなされている由(著者は阪大の先生)。どの業界にもそれぞれ事情があるものですね。
本は読み終えたらすぐにメモをとっとかねばいかんな。反省。
2005年11月10日 (木)
国語教科書の思想 (ちくま新書)
[a]
石原 千秋 / 筑摩書房 / 2005-10-04
小中学校の国語教科書に隠されたイデオロギーを暴き出す,という本。
雑な内容でがっくり。途中で投げ出すのも気持ち悪いので,心の中で突っ込みを入れながら読んでたら,大変疲れた。せっかくなので記録しておこう。
- 国語教育は多様な読みを許さない。それは見えないイデオロギー教育だ。見えないものは暴くべきだ。[教育が暗黙的な社会規範を支えているということは(1)誰でも知ってるし,(2)それ自体が悪だというためにはそれなりの論拠が必要だし,(3)そのイデオロギーを暴くこと自体が教育のために良いことだというのはちょっと傲慢だし,(4)多様な読みを許す国語教育ならイデオロギーから自由になれるのかどうかはすごく怪しい]
- ゆとり教育のキャッチフレーズは「みんなが満点を」だった。しかし学びにおいて大事なのは間違えることだ。故にゆとり教育は間違いだ。[(1)「みんなが満点を」なんていったい誰が云ったのか? (2)仮にそれに近いキャッチフレーズがあったとしても,素直に受け取ればそれは「みんなが満点を取りうるレベルにミニマム・スタンダードを設定してその実現に力を尽くそう」という話か,あるいは「間違いをそのままにせず,最終的にみんなが満点をとれるところまで到達できるような,ゆとりを持った教室をつくろう」という主旨だろう。それをわざわざ「みんながいきなり満点をとっちゃうから間違えることがなくなる」と捉えるのは揚げ足取りというものだ]
- PISAにおいて読解力の低下が示された。[まあ,ここは話の枕だからいいとして] しかしPISAでいう読解力とは批評的に読み能動的に表現する力だから,漢文の素読などによって身に付くものではない。[それはそうだろうなあ] で,これから大事なのは伝統的な国語の学力じゃなくて,PISAでいうところの読解力だ。なぜならそっちがグローバルスタンダードで,グローバルスタンダードには従わないといけないからだ。[ここんところ,情けなくて涙が出そうになった。結論の是非を別にすれば,これでは「日本人は日本人なんだから漢文を素読しろ」というのと同じレベルだ]
- そこで,まず正確な読みと表現を教えるリテラシー教育が重要だ。そこで教科書を調べてみると,光村図書の「中学国語」にはディベートやディスカッションが用意され,伝えあうことが重視されている。この年頃には内省が必要なのにこれではいけない。大事なのはバランスなのだ。[いったいどうしろというのか]
- <「読解力」のグローバルスタンダードとは,すなわち「個性」というところに落ち着きそうだ。個性こそが商品価値があるのだ> [ほんとにこう書いてある。しかも唐突に。多様性を尊重すれば読解力が向上するといいたいのか?] さて,個性を計量する道具としては文学が有効だ。その証拠に難関私立中学では小説の出題が増えているではないか。[もはや個性というのは多様性のことではなくて,一次元的に計量できて「商品価値」に収まり,中学入試で評価してもらえるような種類のユニークさのことを指しているらしい。それならそれでもいいけど,ことばの意味が柔軟に変化するから,ついていくのが大変だ]
- そこで,「文学」という科目をつくり,専門の教員を養成すべきだ。なぜなら文学こそが多様性を極限まで試すものだからだ。さしあたり二通りの読みを許容する小説教材を用意し,二通りの読みを教えるとよいだろう。[当否はさっぱりわからないが,説得力がないことだけは確かだ]
- 小学校の国語教科書には動物がたくさん出てくる。これは「自然との共生」という思想でくくることができる。しかし教材に登場するのはどれも,人間が自然を克服し利用する話だ。つまりここには欺瞞としての共生しかない。[「ここにトマトがたくさんある。これらは果物としてくくることができる。しかしよく考えてみるとトマトは野菜だ。つまりここには欺瞞としての果物しかない」 なにをどう呼ぼうが自由だけど,トマトは可哀想だなあ]
その分野では立派な学者だろうに,なんでこんな本を書いちゃったのだろうか。想像するに,かつて国語の中学入試問題を集めて分析したら面白い本が書けたし評判にもなった(入試問題のテーマは「自然に帰ろう」と「他者と出会おう」の二種類しかないんだそうだ。ふうん。そっちの本を読めばよかった)。そこで今度は国語教科書を集めて読んでみたんだけど,こっちは残念ながら,いまいちクリアな分析ができなかった。でもほら私って本業だけじゃなくて教育にも一家言あるヒトだから,PISAの話なんか織り交ぜて,これからの教育について論じちゃったりなんかしたら十分一冊になるわ。といういきさつだったのではないかと思う。うーん,それは正しい戦略だ。論理的でない議論も,証拠のない断言も,実現可能性のない提案も,教育問題ならば許される。たまに変な暇人がいて,丁寧に読んだ末に自分のブログでぐちぐちと文句を言ったりすることもあるが,そんな社会の屑は放っておけばよいのだ。
2005年11月 6日 (日)
〈傷つきやすい子ども〉という神話―トラウマを超えて (岩波現代文庫―社会)
[a]
ウルズラ・ヌーバー / 岩波書店 / 2005-07-15
トラウマ理論は科学的じゃないし有害だ。心理療法における個人への注目は脱政治化を招く。云々。
ドイツの科学ジャーナリストが書いた啓蒙書。とても読みやすい。批判されているのは「トラウマ療法」であって,ココロの問題はココロ問題専門家へ,という枠組みは崩していないので,業界の方にも安心なんじゃないかと思う。
2005年10月21日 (金)
教育不信と教育依存の時代
[a]
広田 照幸 / 紀伊國屋書店 / 2005-03
雑誌の寄稿や講演録を集めた本。もう数冊きちんと読む必要がありそうだ。
2005年10月16日 (日)
教育の社会学―「常識」の問い方、見直し方 (有斐閣アルマ)
[a]
苅谷 剛彦,木村 涼子,浜名 陽子,酒井 朗 / 有斐閣 / 2000-04
著者の名前に惹かれて,中身をよく確かめずに買ったのだが,大学教養向けの(かなり易しめの)教科書であった。ぱらぱらめくっただけだけど,読了にしちゃおう。
2005年9月20日 (火)
虐待―沈黙を破った母親たち (岩波現代文庫)
[a]
保坂 渉 / 岩波書店 / 2005-05-17
学会のあった日,時間つぶしに駅の本屋で買って,コーヒーショップで一気読み。著者は共同通信の人で,「かげろうの家」の著者であった。我が子を虐待する母親は,実は幼少期にこんな経験をしていて。。。説明,説明,説明。プラクティカルな観点からは,原因などどうでもよいと思うのだが。人は過去を説明しないと同情して貰えないものなんだろうか。
2005年5月25日 (水)
習熟度別指導の何が問題か (岩波ブックレット)
[a]
佐藤 学 / 岩波書店 / 2004-01-07
「能力別指導が欧米で姿を消しつつある」「心理学的にみても無効なのは明白」っていうの,ほんとかなあ。他の人の意見も聞いてみたいもんだと思って,ネットを漁ってみたのだが,手にはいるのは経済学の論文ばかりで,いまいちうまくいかなかった。Handbook of Research on Edu. Psy.の2000年版という書名だけ挙げられてるんだけど,webcatにもamazonにもない。うーん。なんだかなあ。
この話ちょっと調べてみようかと思ったんだけど,心評だか教心研だかにすでにレビューが載ってたりしたりしかねないなあ,なんて思うと,急速にやる気が萎える。難しい話は学者様に任せて,静かに暮らしたほうが気が利いてるか。
2005年4月20日 (水)
「心理テスト」はウソでした。 受けたみんなが馬鹿を見た
[a]
村上 宣寛 / 日経BP社 / 2005-03-30
読み物風に仕上げられていて,けらけらと笑いながら読了。えらい人が名指しでけなされていて,大学のセンセイっていいなあ,と思うことしきりである。
心理学者から社会に向けての発信として貴重だと思うんだけど(とくにYG批判のあたりとか),ロールシャッハに関しては相当異論があるだろうと思う。また,統計学的側面ではかなり怪しげな記述が多い。
2005年4月10日 (日)
「負けた」教の信者たち - ニート・ひきこもり社会論 (中公新書ラクレ)
[a]
斎藤 環 / 中央公論新社 / 2005-04-10
床屋に行った帰りに書原で買って,エクセルシオールで読了。
「中央公論」の連載時評をまとめた本なので,まとまりはないんだけど,面白いところもあった。ような気がする。30分前に読み終えたばかりなのに,忘れちゃったぞ。
bk1のリニューアルで,プラグインがうまく動かなくなった。ううう。
2005年3月30日 (水)
学力低下と新指導要領 (岩波ブックレット)
[a]
/ 岩波書店 / 2001-06-20
昨夜の酒のせいか,早朝に目が覚めてしまったので,朝風呂に浸かりつつ読了。
西村和雄・戸瀬伸之(経済学),上野健爾・浪川幸彦(数学),和田秀樹のそれぞれが持ち寄った短文の集成で,上からみた学力低下論のマニフェストみたいなもの。(1)とにかく学力が下がっているぞ,(2)新指導要領における内容削減をどうにかしろ,という非常にシンプルな主旨。
もう不思議で不思議でしょうがないのだが,学力が下がったのがゆとり教育のせいだという証拠はいったいどこにあるんだか。どうでもいいけど。
なんだか文章の質にばらつきがあるような気がするのだが,上野健爾という先生の書いた部分は面白い。この人は総合学習自体は評価していて,実現するだけのリソースが現場に与えられていないことのほうを批判している(そんなのは特攻隊精神である由。なるほど)。内容削減についても,それ自体を非難するというよりは,削減の非体系性とその決定プロセスの密室性を問題にしているようだ。筋が通っているなあ。
2005年3月28日 (月)
「学び」から逃走する子どもたち (岩波ブックレット)
[a]
佐藤 学 / 岩波書店 / 2000-12-20
南大沢行きの電車で一気読み。
子どもたちが勉強から逃走するのは東アジア型近代化が終焉したからだ。さらに,ゆとり教育における内容削減が学習の螺旋構造を崩している。勉強から学びへの転換が必要だ,そのためには(1)活動的 (2)協同的 (3)対話的な学びを実現せよ。
ブックレットなので改革案のほうはよくわからんのだが,高度な内容を削減すると基礎学習も駄目になる,というのは重要な指摘だと思った。さて,その証拠はあるのかしらん。難しい課題に取り組んだおかげで基礎がようやく身に付きました,というようなことはたしかにありそうだが,それは手に負えない課題に無理矢理取り組んだから起きることであって,その無理矢理さを可能にする諸条件の分析が大事だろう。とにかく内容削減すんな,というのはそれはそれで的はずれなのではないか。そこんところは心理学の出番だと思うのだけど,うーん,書いてるうちになんだかどうでもいいような気がしてきた。
2005年3月27日 (日)
子どもの危機をどう見るか (岩波新書)
[a]
尾木 直樹 / 岩波書店 / 2000-08-18
この著者は2冊目なので,ざっと目を通しただけ。
小一プロブレムに代表される教育の危機は,子どもと親の変化に学校が対応できないことに原因があり,一斉主義や内申書重視は害しかもたらさない。必要なのは(1)民主主義的教育理念の導入(チャータースクールとか),(2)総合学習の活用(基礎学習にも有効である由。ふうん),(3)学級王国の解体である。さらに子育ての社会化とかそういう感じのものも大事である,云々。
分析してるぶんには説得力があるのに,対策編になるととたんに絵空事っぽくなるのはなんでだろう(俺が旧来の学校イデオロギーに犯されているからかね)。よくわからんが,学級王国の解体を目指して縦割り行事や「楽しい授業」に励んでいると,陰山英男や和田秀樹の本を読んだお母さんたちの吊し上げを喰うほうに一万点。そのへんは2000年と現在のあいだで温度差があるかもしれない(考えてみると,ここんところの基礎学力ブームのほうが,むしろ一過性なのかもしれないな)。ともあれ,先生ってタイヘンデスネ。
2005年3月21日 (月)
学力低下論争 (ちくま新書)
[a]
市川 伸一 / 筑摩書房 / 2002-08
この3日間の朝の電車で読了(なんだか再読のような気がするんだけどなあ)。
2000年前後の学力低下論争の総括。前半は主要論者の位置づけと論争の要約。後半は著者の主張の紹介。学習の意義は可能自己の拡大にある,総合学習と教科学習の連携が大事だ,云々。
社会階層をめぐる論点は薄い,というかほとんど他人事だ。社会からの学習圧力が高くなれば格差は縮小する,というのはまあそうかもしれないが,階層の固定化は解消しないんじゃないですかね。
研究者としては尊敬してるけど,文教政策決定への関与という点ではちょっと御用学者っぽいなあという印象があった。著者自身もそのことに触れていきさつを説明しており,わかりやすくて正直なところがありがたいが,教育政策と社会思想との関連づけが欠けているところに,心理学畑固有の限界があるのではないかと思う。なあんてね,ははは。
それにしても,教育本にはいいかげんに飽きてきたぞ。。。
2005年3月18日 (金)
「学力低下」をどうみるか (NHKブックス)
[a]
尾木 直樹 / 日本放送出版協会 / 2002-11
新学力観のおかげで現場は混乱したけど,「ゆとり」「生きる力」路線自体は正しいし,PISA調査の結果も悪くないし,そうころころと路線変更されたらたまらない。大事なのは絶対評価を確立し総合学習を充実させることだ,という主旨。
中学生や東大生に作文させても,詰め込み教育への批判と学びの楽しさが語られているのです,というわけで,気に入った作文を延々と引用するあたり,誠にほほえましい。純粋な先生がガキの手玉に取られているのが目に浮かぶ。我々は教師の意に添った台詞を吐くトレーニングを積み重ねているのであって,仮に和田秀樹が先生だったら,そのときは詰め込み万歳という趣旨の作文を提出するだろう。
2005年3月17日 (木)
オレ様化する子どもたち (中公新書ラクレ)
[a]
諏訪 哲二 / 中央公論新社 / 2005-03
現場発信型の社会時評本(当たりはずれが大きいジャンルだ)。子どもはすでに他者となり教育システムは危機に瀕しているが,それは消費社会の到来のせいであって学校のせいではない。でもグローバリズムを批判しても詮無いことなので,教育に共同体性を取り戻し社会化を重視すべきだ,という主旨。
話は筋道立っていて明快だし,豊かな経験の裏打ちもあり,言葉遣いはちょっと独特だけど,その意見は傾聴に値する,ところがいったん他人と議論する段になると,なぜか全く話がかみ合わず,周囲を途方に暮れさせる。時々そういうタイプの人がいるものだが,この本もその一種であった。前半はまあ筋が通っているのだが,後半の知識人批判になると,アクロバティックなまでに論点をことごとく外しまくる,その様子はほとんど芸術的でさえある。
2005年3月14日 (月)
ベネッセが見た教育と学力
[a]
/ 日経BP社 / 2003-12-05
要するにベネッセの宣伝本なのだが,ちょっと興味深いところもあった。
2005年2月25日 (金)
「こころ」はだれが壊すのか (新書y)
[a]
滝川 一廣,佐藤 幹夫 / 洋泉社 / 2003-02
著者は医者。佐藤幹夫という人との対談本。
2005年2月23日 (水)
自分の子どもは自分で守れ―「学力」ってなんだろう日能研はこう考える (講談社文庫)
[a]
高木 幹夫,日能研 / 講談社 / 2002-01
納得できないところもあり,なるほどと思うところもあり。ひとつの立場を明快にあらわしていて,その意味では好書だと思った。あんまり変な本だったらどうしようかと心配していたので,ちょっと一安心。
学力論争とはなんだったのか
[a]
山内 乾史,原 清治 / ミネルヴァ書房 / 2005-01
これはつまらなかった。どの分野にも当たりはずれがあるものらしい。心理学系の本で,あまり極端な外れ本を読んだことがないのは,きっと手に取る前に,意識せずに取捨選択しているからなのだろう。
勉強力をつける―認識心理学からの発想 (ちくま新書)
[a]
梶田 正巳 / 筑摩書房 / 1998-07
よくまとまっている。課題図書に使えばよかった。
2005年2月14日 (月)
ゆとり教育から個性浪費社会へ
[a]
岩木 秀夫 / 筑摩書房 / 2004-01-10
「個性浪費社会」という概念はあまりピンとこないし,その説明になるとととたんに軽薄な事例に流れてしまい,なにかオヤジの世間話を聞いているような気がしてしまう。思うに,書いている方もあまり整理できていないんじゃなかろうか。いっぽう,前半の論点整理は大変勉強になった。
2005年2月 4日 (金)
希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く
[a]
山田 昌弘 / 筑摩書房 / 2004-11
いやいや。。。ちょっと冷静に読めない,切実な内容であった。俺のことじゃん!と叫んだくだりも数多い。
自殺未遂 (こころライブラリー)
[a]
高橋 祥友 / 講談社 / 2004-10-13
2004年12月23日 (木)
自ら逝ったあなた、遺された私―家族の自死と向きあう (朝日選書)
[a]
/ 朝日新聞社 / 2004-11
うつ病をなおす (講談社現代新書)
[a]
野村 総一郎 / 講談社 / 2004-11-19