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2015年1月28日 (水)

Hoeffler, S. (2003) Measuring preferences for really new products. Journal of Marketing Research, 40(4), 406-420.
 本当に新しい製品 (RNP) の消費者評価の正確性を上げる手法を考えました、という論文。資料作成の都合で読んだ。

 先日読んだZhao, Hoeffler, & Dahl (2012)と同じく、イントロの論理構成がつかみにくいのだけれど...
 いわく、製品学習の方法として、カテゴリ・ベース学習、アナロジー、心的シミュレーションがあるだろう[←ここの導入に唐突感があるんだよなあ...]。RNPの場合は後ろのふたつが効くだろう。
 また、RNPの使いやすさ評価の誤差源として、次の3つがあるだろう: (1)不確実性。(2)現在の消費行動に変化が生じる点。(3)意図されたベネフィットを実現されるベネフィットに翻訳する際に、過去経験も不偏な情報源もなく、ネットワーク外部性についてもわからないという点。[←3つある、と云いながら、3つめがやたらに盛りだくさんだ]

 というわけで(どんなわけだ)、研究を3つ。
 研究1. RNPの評価において不確実性は高いか。
 RNPとINP (漸進的新製品)のペアを4つ用意。たとえば「3Dカメラ」と「デジタルコンピュータカメラ」で一ペア。
 MBA学生30名。ひとりの被験者に4ペアからRNPを二個、INPを二個提示。それぞれについて、(1)製品の記述を読ませ、(2)ベネフィットを60秒間think aloud、その後、自分の評価の不確実性などを9件法で評定。(3)欠点を60秒間think aloudし、不確実性などを評定。(4)社会的含意を60秒間think aloudし、また評定。(5)最後に関心とかを評定。[←MBAの学生だから難しいことを尋ねても答えてくれるだろうけど、消費者行動論の研究としてどうなの?]
 結果。ベネフィット評価の不確実性、欠点評価の不確実性、社会的含意の不確実性、メーカーにベネフィットを実現する能力があるかどうかの不確実性、メーカーが欠点を克服できるかどうかの不確実性、メーカが社会的含意に影響を与えられるかどうかについての不確実性、の6項目についてのMANOVA。RNPのほうが不確実性が高い。云々。
 なおthink aloudのプロトコルをみると、RNPではたしかにアナロジーを使ってました、云々。
 [途中から読み飛ばした。論文の構成上必要であることはわかるけど、なんだかタメにする実験という感じで、正直付き合いきれない]

 研究2。ここから俄然面白くなってくる。消費者調査でいうところのホーム・ユース・テストをやるのだ。
 被験者は一般市民(完全に回答したのは44人)。P&GのDryelというRNPと(ドライヤーでドライクリーニングできるんだってさ)、Short WipesというINPを使用。

 実験計画は、心的シミュレーションの操作(4水準, 被験者間), 製品タイプ{INP, RNP}(被験者内), 測定のタイミングが試用{前, 後}(被験者内操作)。[←あれ? INPとRNPは被験者内操作なのか... じゃステージごとに2製品について考えたり聴取したりのかな... なにか読み落としているのかも]
 結果。被験者ごとに、20製品に対する評価の試用前後での相関を求め、これをシミュレーションの水準のなかで平均する。INPでは0.59から0.69, 有意差なし。RNPでは、単なるシミュレーションで0.72, 自由形式アナロジーで0.57, マーケター提供アナロジーで0.55, コントロールで0.61。対比をいろいろつくって検定してるんだけど、要するに試用前評価の予測的な正確さが単なるシミュレーションで上がりアナロジーの追加で下がる、ということであろう。購入意向の変化も調べているんだけど、INPで予測が正確、RNPで不正確、という感じ。
 考察するに、アナロジーが不適切だったんじゃないか。ソース-ターゲット間のマッピングがちゃんとできてなかったんじゃないか。できていたとしても転移ができてなかったんじゃないか。

 研究3.
 被験者はMBAの学生(完全に回答したのは55人)。INPはなしで、IBMのTransNoteというRNPを使う。ラップトップとスキャナが一緒になったようなものらしい。

 実験計画は、心的シミュレーション(2水準, 被験者間), 試用有無(2水準、被験者間), 測定のタイミングが{前, 後}(被験者内操作)。[←試用しない被験者のことをWOM条件とかっこよく表現していて、笑ってしまった。クチコミしてるとは限らないじゃんか]
 結果。面倒なので読み飛ばしたけど、心的シミュレーションによって事前評価の予測力は向上する。試用すると予測力は下がるんだけど、心的シミュレーションをやっているとそんなに下がんない。というような話らしい。
 
 。。。お世辞にも綺麗な結果とはいえない研究なんだけど、実在するRNPを借りてきたり、ホームユースをしたりする手間を考えたら、文句はいえない。論文の書き方がごちゃごちゃして好きじゃないけど、これも好みや慣れの問題であろう。ともあれ、頭が下がりますです。
 気持ち悪いのは、研究2の結果の表をよくみると、RNPの試用後購入意向が心的シミュレーション群で低い、という点。ひょっとして、試用前の心的シミュレーションの影響が6週間後も続いているのではないか。とすると、試用後評価を「正解」と見立てて試用前評価で予測する、という枠組みが疑わしいことになる...

 イントロの部分からメモ:

論文:マーケティング - 読了:Hoeffer (2003) 消費者に革新的新製品のコンセプトを評価してもらう際に使用場面を心的にシミュレーションしてもらったら評価が正確になる、といいなあ

2015年1月27日 (火)

今井未来, 水山元 (2014) 予測市場を応用した商品コンセプト評価システムの設計と検証. 人工知能学会全国大会.
 資料を探していて偶然見つけたもの。第一著者の方の卒論らしい。
 
 コンジョイント分析風に、製品コンセプトを属性の束として捉え、実験計画でコンセプトを用意して予測市場を走らせる。メカニズムはマーケットメーカ方式 (LMSR)。複数の予測市場を走らせ、それぞれの市場におけるコンセプトの終値の対数を従属変数として属性の部分効用を推定する(市場ごとに推定するのではない模様)。で、各コンセプトには全体効用の指数に比例したシェアを与え、これに比例したペイオフを与える。
 シミュレーション。一市場30人。製品の数はよくわからなかった。一回の取引あたりの売買上限は1枚 (空売買あり)、ある時点に誰が取引するかはランダムに決める。プレーヤーは次の3種類で、比率をいろいろ試す:

 結果として、複数市場を走らせたことで市場の精度が高くなった。云々。

 勉強になりました。面白いなあ...
 要するに、コンジョイント分析での対象者の課題を、自分の選好に基づく評定課題や選択課題ではなく取引課題、つまり(a)他者の選好を推測させる(b)誘因整合的な課題にした、ということだと思う。実験して、普通のコンジョイント分析と比べてみたいものだ。
 シミュレーションのレベルでは、選好に消費者間異質性があったときにどうなるか、という点に関心を惹かれる。消費財でコンジョイント分析を使う状況を考えると、いまどきはたいてい階層ベイズ法で個人レベルの部分効用を推定するので、選好に異質性があるときには、それが部分効用の個人差として顕在化するぶん普通のコンジョイント分析のほうが有利かも? いや待て、選好に異質性はあっても、他者の選好の推測には異質性がなかったりして...などなど、夢が広がる。

論文:予測市場 - 読了:今井・水山 (2014) コンジョイント分析の架空製品についての予測市場

水山元(2014) 予測市場とその周辺. 人工知能, 29(1), 34-40.
 どうやって手に入れようかしらんと考えていたら、人工知能学会誌「人工知能」の記事にはCiNiiで記事単位で買えるものがあることが判明。正確にいうと、CiNiiでは雑誌「人工知能」について、NDL(国会図書館)のOPACに由来するエントリとNII-ELS(先日クローズした国立情報学研究所の奴)に由来するエントリが二重登録されており、後者のエントリにのみPDF購入へのリンクがついているのだ。細かいことだけど、こういうことがあるので、CiNiiで調べものをするときは要注意である。

 恩ある先生だからいうわけじゃないけど、大変勉強になりました。 市場調査の分野で予測市場に関心をお持ちの方も、読まれるとよいと思います。

 いくつかメモ:

 HansonのLMSRについて全然理解できていなかったことが判明。ちょっとメモをとっておくと...
 ある人が出力した分布を表すベクトルを$r$, その$i$番目の要素を$r_i$とする。$r$の逐次的修正$r^{[0]}$→$r^{[1]}$→$r^{[2]}$→...に対してスコアリングルールを適用するのがMSR。特に対数スコアリングルール(実現値 $n$ の下で$r$へのスコアを $b \log (r_n) $とする) を適用するのがLMSR。たとえば $r^{[2]}$→$r^{[3]}$という修正があったとして、実現値が$n$だとわかってからスコア$b \log(r_n^{[3]}) - b \log(r_n^{[2]})$を渡す。これが直接的な実装。
 さて、これと等価なマーケット・メーカをつくりたい。出力分布$r$のかわりに、証券$1,\ldots, N$の価格のベクトル$\pi$を考える。市場の状態を発行枚数のベクトル$q$で捉える。たとえば発行枚数が$q^{[2]}$→$q^{[3]}$と変わったとき、価格分布を$\pi^{[2]}$→$\pi^{[3]}$と変えるとして、この変化によって生じる参加者全員の利得[←という理解でいいのだろうか?]が、あとで振り返ると$b \log(\pi_n^{[3]}) - b \log(\pi_n^{[2]})$になっていました、というようなしくみをつくりたいわけだ。
 [...生まれながらの文系なので、途中を端折って...] これを満たすのが以下の値付けなのだそうである:
 $\pi_n = \{\exp(q_n / b) \} / \{\sum_i^N (\exp(q_i / b)\}$
ええと、各証券の価格を、発行枚数をある単位で数えた値の指数に比例させるわけだ。
 ...いずれきちんと勉強しなきゃ。Chen & Pennock (2007, Conf)というのを読むとよいらしい。

論文:予測市場 - 読了:水山(2014) 予測市場とその周辺

2015年1月26日 (月)

Warton, D., & Hui, F.K.C. (2011) The arcsine is asinine: The analysis of proportions in ecology. Ecology, 92(1), 3-10.
 勤務先の仕事の都合でざっと目を通した(ほんとはいまそれどころじゃないんだけど...)。タイトルにあるarcsineとは逆正弦変換(角変換)のこと、asinineとはfoolishというような意味だそうで(ロバ ass から来ているそうだ)、語呂合わせになっているわけだが、日本語のうまい語呂合わせが思いつかない。「逆正弦変換はせーへんように」というのを考えたんだけど、「逆」がどこかに消えているし、突然関西弁になる理由があきらかでない。

 わたくしが院生のころはですね、なにかの割合$p$を従属変数にした分析の際には、角変換した変数$arcsine(sqrt(p))$を使いなさい、と習ったものである。岩原信九郎の有名な本(1965)にもそう書いてありました。70年安保粉砕に明け暮れた青春時代でした。嘘ですけど。
 でも最近は角変換ってあんまり使わないんだそうで、その理由を知りたくて手に取った。

 著者曰く。角変換が使われる場面はふたつある。(1)もともと二項変数で、データが「$n$個中$x$個」という形になっている場合。(2)もともと二項変数というわけではないんだけど、なにかの事情でデータが割合の形になっている場合。「窒素78%含有」とか。

 まず、もともと二項変数である場合。$y = x / n$の分散は$p(1-p)/n$で、等分散性がないから、線形モデルのためには変換が必要だ、というのは正しい。さて、角変換すると$var(arcsin(sqrt(y))) \approx 1/(4n)$となり、等分散性が得られ、かつ正規性も得られる、といわれてきた。しかし: (1)$p$が0か1に近いとき、この近似はあてはまらない。(2)$n$が違ってたら等分散にならない。(3)線形モデルは分散異質性には弱いが非正規性には頑健なんだから、正規性を変換の目標にするのはおかしい。
 むしろロジスティック回帰を使いなさい。なぜなら(1)logitリンク関数は割合を単調にマップしてくれる。(2)係数の解釈が容易だ [←それは先生、オッズというのが直感的に理解できる人ならばそうでしょうけどね]。(3)分散が $p(1-p)/n$ であることを正しくモデル化している。
 もっとも過分散 (overdispersion) という問題もある。検出する方法は...[略]。対処のためには正規ランダム切片項を加えた GLMMという手がある。Rのlme4::glmer()を使いなさい。$var(x) = \phi np (1-p)$という手もあるけど、あんまりよくない。
 
 もともと二項変数でない場合。変換しなきゃいけないというのは正しい。でもあんたらに訊きたいんだけど、角変換を選ぶ理由はどこにある? どこにもないじゃない[←あ、そういわれてみれば...]。解釈しやすい変換を使いなさい。かつ、できれば[0,1] を $(-\inf, \inf)$にマップする変換を使いなさい。logit変換$log(y / (1-y))$とかね。yが0ないし1のときに困っちゃうけど($-\inf, \inf$になるから)、分母と分子の両方に小さな値$\epsilon$を足せばよろしい。
 まあどんな変換でもいいけど、とにかく回帰診断を忘れないように。残差と予測値のプロットが大事。$n \lt 30$くらいだったら正規確率プロットも大事。

 後半は実数値例とシミュレーション。すいません、適当に読み流しました。
 ロジスティック回帰は小標本のときに辛いこともあるだろうけど、リサンプリングとかMCMCとか、なんか工夫しなさい。サンプルコードを公開してあげるから参考にしなさい。これから教科書書く奴、角変換の話なんて書くなよ、わかったか。云々。

 。。。二項変数の成功割合じゃなくて、もともと割合値を持っている変数の変換方法について知りたかったんだけど、云われてみれば、わざわざ角変換を選ぶ理由はどこにもないわね。その点は勉強になった。ロジット変換のほかにどういう変換がありえるか(変換しないという手もあると思う)、それらの得失は... という話が読みたかったんだけど、それはない物ねだりであろう。

論文:データ解析(2015-) - 読了: Warton & Hui (2011) 逆正弦変換はせーへんように (←いまいち)

2015年1月19日 (月)

Zhao, M., Hoeffler S., & Dahl, D.W. (2012) Imagination difficulty and new product evaluation. Journal of Product Innovation Management. 29, 76-90.
 身体化認知の原稿の都合で読んだ奴。
 仮説に至るロジックが入り組んでいてわかりにくかったのだが(私の知識不足のせいか、眠気のせいであろう)、要するに以下の仮説を検証する。
 H1. 本当に新しい製品(RNP)の消費者評価はイメージ化が困難なときに下がるが、インクリメンタルな新製品(INP)の評価では影響しない。
 H2. RNPにおけるイメージ困難性の効果は、関与が高いときにより大きくなる。

 実験1. 学生83人。(1)架空の製品の広告を見せる。その製品は実は{Thinkpad(INP条件), Sonyが開発中であったAudioPCという初代Kindleのデカいのみたいな奴(RNP条件)}。(2)製品について想像するように教示。手がかりとして使用場面のリストを渡す。たとえば「教室でノートを取ってそのままハンドアウトにコピペする」。リストは{1項目(イメージ化困難), 8項目(イメージ化容易)}。で、目を閉じて2分間考える。(3)質問紙に回答。製品評価9件法とか。要因は、製品の新しさ{INP, RNP}とイメージ化{困難, 容易}、ともに被験者間操作。
 結果: RNPではイメージ化容易な方が製品評価が高いが、INPでは差がない。OAの分析もやってるけど、省略。

 実験2. 今度はイメージ化容易性の操作を提示情報を変えずにやります。学生84人。実験1との違いは、使用場面リストを渡さず、使用場面を{1個(容易), 8個(困難)}考えさせる。
 結果: RNPではイメージ化容易なほうが製品評価が高いが、INPでは差がない。OAの分析は省略。

 実験3. 学生55人。実験2のRNP条件のみ。イメージ化の際の時間制約を外す。
 結果: イメージ化容易条件(1個考える)のほうが評価が高い。

 実験4. 学生113人。(1)架空のRNP製品の広告を見せる(google Glassみたいな自動翻訳機)。教示: {「近々この町で若者にテスト・マーケティングする予定ですので、あなたのご意見が重要です。抽選で5名の方にこの新製品か同等なギフト券をプレゼント」(高関与)、「近々西海岸で高年齢者にテスト・マーケティングする予定なんですが、今日時間が余ったのでついでにあなたたちにもお伺いします」(低関与)}。(2)使用場面を考えさせる: {1個(容易), 8個(困難)}。(3)質問紙に回答。製品評価9件法とか、この製品とギフト券のどっちがいいかとか。要因は、関与{高, 低}とイメージ化{困難, 容易}、ともに被験者間操作。[←おいおい... 高関与群のプレゼントはホントにあげたのかね]
 結果: 高関与条件では、イメージ化容易条件のほうが製品評価が高く、製品選択率も高い。低関与条件ではどちらも差がない。

 うーん、実験4の手続きはどうなの、これ...? 著者らは「低関与条件では差が出ない」という結果で勝負しているんだけど、製品への関与が下がってたからというより、単にいい加減に課題を行い適当に答えてたからなんじゃなかろうか。だって「あなたら向けの製品じゃないけどついでに訊きます」なんて言われたら、学生さんはやる気なくしますよ、ほんとに。この手続きは心理学の雑誌ではちょっと通らないのではなかろうか。←と思ってよく見たら、この操作はPetty, Cacioppo, & Schumann(1983JCR) に拠る由。精緻化見込みモデルのご本家だ。まじっすか...

 この論文の面白かったところは、題名にも入っている「イメージ化困難性」という概念が、ほんとにイメージ化しにくいかどうかではなく、実はイメージ化しにくい「ような気がする」かどうかというメタ認知的な概念だという点。
 身体化認知の文脈で考えると、(A)ある身体動作の容易性と、(B)ある身体動作の心的シミュレーションの容易性と、(C)ある身体動作の心的シミュレーションの容易性のメタ認知とは、ちょっとずつ違うんじゃないか、と思うわけである。製品評価への運動流暢性効果はふつう(B)の効果だと考えられていると思うんだけど、もしそれが実は(C)の効果であるならば、なにかメタ認知を狂わせるような状況を設計し、製品使用動作の流暢性のメタ認知を高めることで、製品評価を高めることができたりしないかしらん。たとえば、使いにくそうな脚立の棚の横で、ジャッキー・チェンの脚立を使ったアクション場面を映す、とか...?

 冒頭部分で、イメージ化とアクセス容易性と関与についてかなり執拗なレビューが行われているんだけど、イメージ化に関する先行研究だけメモしておく。

それにしても、イメージ化というのもそれはそれであいまいな概念ではあることよ。

論文:マーケティング - 読了:Zhao, Hoeffler, & Dahl (2012) 本当に新しい製品は、使っているところが想像しにくい「ような気がする」ときに評価が下がる

Bookcover 増補 ソクラテス (ちくま学芸文庫) [a]
岩田 靖夫 / 筑摩書房 / 2014-02-06
本というのは読んでみないとわからないもので、これは意外なおもしろ本であった。「ゴルギアス」の問答って、比較的最近になってから読んだのでなんとなく覚えているんだけど、そういう展開だったのか... ぼけーっと読んでいるとわからないものだ。
 特に後半で、ソクラテスの意外に神がかったというか、宗教的というか、超越的というか、そういう側面がクローズアップされるくだりが面白かった。

哲学・思想(2011-) - 読了:「ソクラテス」

Bookcover 近代秀歌 (岩波新書) [a]
永田 和宏 / 岩波書店 / 2013-01-23
先日たまたま読んだ「現代秀歌」が意外に面白かったので、遡って読んでみた。明治・大正期の百首を解説つきで紹介。
 読んでいてびっくりしたのは... 短歌なんてからきし疎いので、ほとんどの歌を知らないんだけど(斎藤茂吉と与謝野晶子くらいかなあ)、石川啄木だけはなぜかほとんど全部知っていた、という点。いったいどこで覚えたんだ。
 さらに、啄木の歌が非常にベタだという点。なんというか、ことわざか慣用句のようにして覚えていたので、全く気がつかなかったけど、ものすごく俗っぽい。「軽きに泣きて三歩あゆまず」ですよ。
 さらにさらに、目からウロコという気分だったのは、実は石川啄木さんという人は技術的に上手い、という点。「東海の小島の磯の」の解説は、その「カメラのズームインの仕方」が「端倪すべからざる技巧」であると評している。東海→小島→磯→白砂→我→蟹、である。なるほどねえー。
 そのほかに心に残った歌をメモしておくと... 同じ人のが重なっているなあ。やはり好みというのがあるようだ。

 かたわらに秋ぐさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな (若山牧水)
 白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり (若山牧水)
 白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ (若山牧水)
 めん鶏ら砂あび居たれひつそりと剃刀研人は過ぎ行きにけり (斎藤茂吉)
 大きなる手があらはれて昼深し上から卵をつかみけるかも (北原白秋)
 街をゆき子供の傍を通るとき蜜柑の香せり冬がまた来る (木下利玄)
 牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ (木下利玄) ←これ、面白いなあ...
 葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり (釈迢空)
 白埴の瓶こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くみにけり (長塚節)
 おりたちて今朝の寒さを驚きぬ露しとしとと柿の落葉深く (伊藤左千夫)
 鴨の脚蹴るかとみれば蹴りもせで蹴らじと思えば蹴りに蹴る鴨 (辰野隆) ←ははは

フィクション - 読了:「近代秀歌」

Bookcover イスラム国の正体 (朝日新書) [a]
国枝昌樹 / 朝日新聞出版 / 2015-01-13

Bookcover 抵抗の拠点から 朝日新聞「慰安婦報道」の核心 [a]
青木 理 / 講談社 / 2014-12-17
渦中の朝日新聞社関係者に取材した本。

Bookcover 未承認国家と覇権なき世界 (NHKブックス No.1220) [a]
廣瀬 陽子 / NHK出版 / 2014-08-21

Bookcover 国家と革命 (講談社学術文庫) [a]
レーニン / 講談社 / 2011-12-13

Bookcover 「みんなの意見」は案外正しい (角川文庫) [a]
ジェームズ・スロウィッキー / 角川書店(角川グループパブリッシング) / 2009-11-25
都合により再読。面白く、読みやすく、かつよくまとまっている。。。流石だ。

ノンフィクション(2011-) - 読了:「国家と革命」「未承認国家と覇権なき世界」「抵抗の拠点から」「イスラム国の正体」「『みんなの意見』は案外正しい」

Bookcover 富士山さんは思春期(3) (アクションコミックス) [a]
オジロ マコト / 双葉社 / 2014-01-28
Bookcover 富士山さんは思春期(4) (アクションコミックス) [a]
オジロ マコト / 双葉社 / 2014-07-28
Bookcover 富士山さんは思春期(5) (アクションコミックス) [a]
オジロ マコト / 双葉社 / 2014-12-27
中学生男女の健全かつ胸キュンなおつきあいを描く。死ね!おまえらみんな死ね!と心の中で叫びながら読んでいる。

Bookcover インド夫婦茶碗 (20) (ぶんか社コミックス) [a]
流水 りんこ / ぶんか社 / 2014-12-05
家族生活のエッセイマンガ、20巻目。ここまで忠実に読んでいると、もう面白いかどうかはどうでもよくなってきて(いや、面白いんだけど)、むしろ知人のご家庭からの季節のお便りという感じだ。

Bookcover 純潔のマリア exhibition (アフタヌーンKC) [a]
石川 雅之 / 講談社 / 2015-01-07

Bookcover 少女終末旅行 1 (BUNCH COMICS) [a]
つくみず / 新潮社 / 2014-11-08

コミックス(2015-) - 読了:「冨士山さんは思春期」「インド夫婦茶碗」「少女終末旅行」「純潔のマリアexhibition」

Tom, G., Pettersen, P., Lau, T., Burton, T., & Cook, J. (1991) The role of overt head movement in the formation of affect. Basic and Applied Social Psychology, 12(3), 281-289.
 うなずきの動作が選好判断に影響する、という論文。

 身体化認知の初期の実験研究に数えられるが、まだembodied cognitionという概念が流行していなかった頃に発表されているわけで、イントロ部分のロジックが興味深い。

 いわく。一般に、選好判断に先行して対象の認知的方向付け(cognitive orientation)が生じると考えられている(Fishbein&AjzenとかPetty&CacioppoとかBettmanとかを引用)。いっぽうZajoncは、選好が認知処理ぬきで自動的・非認知的に形成される場合があると論じている[←ほんとにnon-cognitiveって書いている。この頃の言葉遣いでは cognitive = conscious だったのかなあ]。たとえばWilson(1979)では、被験者に妨害課題をやらせながら音楽を聴かせた際、被験者は再認できないけど、前に接触したことがある刺激[←音楽のことかな]のほうが選好された。
 cognitive orientationとは感情(affect)の表象である。感情は認知的な要素と運動的(somatic)な要素を持っていて、両方活性化すると強い感情になるといわれている(Schacterとかを引用)。
 さて、反論は首の横振り運動とともに、好ましい思考は縦振り運動とともに学習されると考えられている。首の運動が説得に与える影響を示した実験もある(Wells & Petty, 1980 Basic & Applied Soc.Psych. なんと、80年に...)。本研究では選好に与える影響を調べます。

 。。。そうかー、認知活動の身体性がどうこうというより、単純接触効果みたいな、態度形成の自動的基盤という文脈で出てきた研究だったわけか。論文の末尾でも、本研究は表情研究と同様に態度における運動要素の重要性を示唆した、とあくまで態度研究の文脈でまとめている。なるほど、こうしてみると、この研究までさかのぼって身体化認知研究と呼ぶのは、ちょっとミスリーディングな感じだ。

 実験。ひとつしかやってない。この時代はよかったねえ...
 学生120人。スポーツ中のヘッドホンの使用テストですと教示(はっはっは)。音楽を聴きながら首を{縦に, 横に}振ってもらう。その間、目の前のテーブルの上に質問紙とペンを置いておく。で、質問紙に答えてもらい、回収してから、報酬にペンをあげます、どっちか選んでください、と二本示す。一方はさっきのペン(A)、他方は別のペン(B)。要因は首振りの方向、被験者間操作。
 結果: ペンAを選んだ人は、横の首振り群では59人中15人、縦の首振り群では61人中45人。なお、質問紙で訊いた音楽の評定とかヘッドホンの評定とか気分とかには差なし。

 考察。首の運動が態度を形成したとして、なぜそれがペンじゃなくて音楽やヘッドホンと結びつかなかったのか? ずっと目の前にあったからかも。あるいは、音楽ってのはもともとconditioned stimulusになりにくいのかも[←はっきりとは書いていないけど、やっぱり古典的条件付けの発想で考えているのだろう]。

論文:心理 - 読了:Tom, Pettersen, Lau, Burton, & Cook (1991) うなずいていると欲しくなる

2015年1月18日 (日)

次の仕事にさっさと移るべきなんだけど、目を通した奴はメモをとっとかないと忘れちゃうので、ダラダラとこんなことをしている...

Marin, A., Reiman, M., & Castano, R. (2013) Metaphors and creativity: Direct, moderating, and mediating effects. Journal of Consumer Psychology, 24(2), 290-297.
 この雑誌の2013年の身体化認知特集号に載ったが、通常の身体化認知実験とはちょっと方向性が違う論文。著者にご恵送いただきました、ありがとうございます。
 消費者の創造性をメタファの提示で高めようという研究。

 背景と仮説。
 まずBarsalouらを挙げて心的シミュレーション説、Lakoff&Johnsonを挙げて概念メタファの話。で創造性の話に移って、Friedman&Forsterを挙げて身体感覚運動で創造性を高めることができると説明。というわけで
  H1. 創造的にポジティブ(ネガティブ)なメタファを含むイメージを提示すると、消費者の創造的出力が増大(減少)する

メタファの理解は類推スキルと関係あるといわれている。つまり類推スキルはモデレータであろう。というわけで
  H2. 消費者の類推スキルが高いとメタファが創造的出力に与える影響は大きくなる

Amabile(1996, 書籍"Creativity in context")の創造性のcomponential理論によると、内発的動機づけが環境-創造性のメディエータになる[←え?モデレータじゃなくて?]。というわけで
  H3. 創造的意図はメタファと創造的出力の間の関係に寄与する

 実験を4つ。いずれもAmazon Mechanical Turkで実験。

 実験1. 289人。MednickらのRATという創造性課題を時間制約つきでやらせる(どんな課題だっけ... 単語を発見するんだっけ... 思い出せない...)。成績で報酬が変わると教示(ホントに変えたのかどうかはわからない)。要因は課題画面のヘッダとフッタの画像:{箱から脳みたいなのが出てきている絵(ポジティブ), 魚の絵(ニュートラル), 絵なし(コントロール)}。いったいポジティブ条件の変な絵はなにかというと、だってほら、英語で"I am thinking outside the box"っていうでしょ、という理屈である。いやぁ、正直、吹き出しちゃいました。
 結果: ポジティブ条件で正解が多い。

 実験2. 209人。課題は実験1とほぼ同じ。要因は{電球がいっぱいついている画像(ポジティブ)、割れた電球の画像(ネガティブ)、魚の絵(ニュートラル)、絵なし(コントロール)}。それぞれ"I just had a light go on", "I am burnt out"のメタファだそうです。今度は画面のヘッダに表示。さらに、課題遂行前に60秒間見てもらう(なんと教示したんだろう...)。
 結果: ネガティブ条件で正解が少ない。ポジティブ条件はちょっと多いみたいだけど、有意差はなかった模様。

 実験3. 160人。実験1とほぼ同じ。違いは、ポジティブ条件の画像を電球に変えたのと、別途WAISをやらせた点(WAISはいつやらせたんだろう...)。
 結果: ポジティブ条件で正解が多い。WAISがモデレータになっている(Hayes, 2009 "Beyond Baron and Kenny"を引用している)。

 実験4. ここでは意図がメディエータになっていることを示したいので、実験を2つにわける。こういう作戦のことをtwo randomized experiment strategyという由 (Stone-Romero & Rasopa, 2011 ORMを引用している)。
 実験4a. 129人。実験2とほぼ同じ。ちがいはRATの時間制約をなくしたところ。要因は{ポジティブ, ネガティブ}。結果: RATにかける時間はポジティブ条件で長い。
 実験4b. 126人。(1)文章を読む、(2)時間制約無しのRAT、(3)創造的意図を測る4項目。要因は文章: {創造性は良いものだね云々(ポジティブ), 創造性は悪いものだね云々(ネガティブ)}。結果: ポジティブ条件で正解が多い。

 
 気になって仕方がないのは、実験参加者が画面の上の訳のわからない絵についてどう思っていたか、という点。web画面に向かってクイズを解かされているとき、画面の上に意味不明な魚の絵や割れた電球の絵があったら、相当びびると思うんだけど... ムードが媒介変数になっていたりしないのかしらん。
 学部生の実習かというような素朴な研究なのだが、ビジネス的には案外に大まじめな話なのではないかと思う。写真を貼っとくだけで創造性が高まるってんなら、たとえ微細な効果量であっても悪い話ではない。謝辞のところにGoogleとWPPの資金援助を受けた旨書かれているのも、ちょっと気になる。

 先行研究概観からメモ:

Meier, Schnall, Schwarz, & Bargh(2012 TrendsCS)は、身体化認知研究を"the fascination of novel and surprising findings has often taken priority over the identification of theoretical boundary conditions and mediators"と批評しているのだそうだ。全くその通りですね。やはりそういう問題意識はあるのか。

論文:心理 - 読了:Marin, Reimann, Castano (2013) 調査参加者をメタファで創造的にする

2015年1月17日 (土)

Brooks, C. (2010) Embodied transcription: A creative method for using voice-recognition software. The Qualitative Report, 15(5), 1227-1241.
 このたび身体化認知について手当たり次第に資料を集めた中で、もっともヘンな発想の論文。著者については全く分からないが、所属はInstitute of Transpersonal Psychologyとあるので、そっち系の人なのであろう。掲載誌はたぶん紀要のようなもの。実証研究というより、私こんなことやってます、という内容。
 著者の提唱するEmbodied Transcriptionとは、要するに、インタビューの逐語録を起こす手順の話である(こんな風にまとめちゃったら著者の方は気を悪くなさるだろうか...)。その手順とは次の通り。(1)録音を聞きながら、パソコンの音声認識ソフトに向かって、対象者がいったことを復唱する。こうすることで、世界が自分の身体を通じて経験・解釈され、「それぞれの参加者の言葉を口にするたび、個々の物語の微妙なニュアンスが深まっていく」「私は参加者の感情に共感しはじめる」んだそうです。(2)パソコンの画面で細かいところを直す。(3)テキストを見ながら録音を聞きなおす。
 えーと、この方法はですね、著者が心理学のキャリアを始める前に受けたポストモダン理論とパフォーマンス・アートの教育をコアにしているのだそうです。
 へー。

論文:その他 - 読了:Brooks (2010) 身体化された逐語録起こし

2015年1月16日 (金)

Jostmann, N.B., Lakens, D., Schubert, T.W. (2009) Weight as an embodiment of importance. Psychological Science, 20(9), 1169-1174.
 対象者に持たせるクリップボードの重さが対象者の回答に影響する、という身体化認知の実験。著者所属は、Jostmannがアムステルダム大、Lakensがユトレヒト大、Schuberがポルトガルの難しくて読めないどこか。

 ほぼ同じアイデアの実験が、有名な2010年のScience論文の研究1と2になっている。そっちの著者はAckerman(MIT Sloan)、Nocera(Harvard), Bargh(Yale)。不思議に思ってAckermanのほうをよく見たら、注にいわく、Jostmannらとは独立に行っていた由。
 もっとも結果指標のほうはちょっと違っていて、Ackermanらが「この履歴書を書いた人の真剣さ」評価や「自分の評価の正確さ」評価をみているのに対して、この論文では判断の整合性とか評定の極化というあたりをみている。クリップボードが重いと判断の重要性の知覚が促進され、より精緻化した思考となるだろう、という理屈。

 全実験で、被験者は立ってクリップボードを持ち回答する。要因はクリップボードの重さ、被験者間操作。重いクリップボードは約1kg、軽いのは600g強、だそうです。Ackermanでは重いほうは2kgもあったから、こちらのほうが人道的な実験であるといえよう。
 実験1. 学生40名。6種類の通貨の金額についてユーロに換算させる質問(例, 100日本円は何ユーロでしょう?)。0ユーロから20ユーロまでの数直線に印をつけさせる。で、その額をもらったらどのくらい満足かを7件法で訊く(変な質問だなあ)。結果: 重いほうが評定額が高い。満足度は変わらない(つまりユーロを安く感じたわけではない)。
 実験2. カネは実体があるからいけねえや、もっと抽象的な奴でいきましょうぜ。というわけで、学生40名。短いシナリオを読ませる。海外留学のための奨学金の額について学生が意見をいう機会を大学の委員会が拒否したという話。で、委員会が学生の声を聴くのはどのくらい重要でしょうか、と7件法で聴取。結果: クリップボードが重いほうが評定値が高い。
 実験3. 学生48人。大学のある街(アムステルダム)の市長の経歴を読ませ、彼のいろんな属性について7件法回答。で、アムステルダムはどのくらいgreatな街か、どのくらいアムステルダム暮らしをエンジョイしているか、を7件法回答。結果: 市長の項目群と市の二項目をそれぞれ平均し合成指標をつくる。重いクリップボードでのみ、市長への態度が市への態度と相関する。
 実験4. 40名。いま工事中の地下鉄建設の是非についてのいろんな意見を提示して、それぞれに対して賛否を7件法回答。うち3つが強い論点、3つが弱い論点。で、自分の地下鉄への賛否についての確信度を7件法評定、最後に賛否を評定(賛成派とまだ決めてない人が多い)。結果: 強い論点のほうが賛成寄りなんだけど、交互作用があって、クリップボードが重いほうが差が大きくなる。また、クリップボードが重いほうが自分の賛否への確信度が高くなる。

 うううむ。。。市長への評価と市の評価の相関が上がったこと、論点への賛否評定が両極化したことをもって思考の精緻化の証拠とするのは、どうなのかしらん? ちょっと弱いような気がするんだけど。精緻化をもっと直接に示す指標がありそうなものだけどなあ。議論の説得性ではAckermanらのほうに軍配が上がると思う。
 著者らも最後に触れているけど、逆に重要性概念のプライミングが重さの知覚を引き起こす、という知見があれば強いと思う。なるほど、Krishna(2011)の言うとおりだ。

 年末からこの種の論文ばかり読み漁っているので、特にイントロの部分を読むのは飽きてきたのだけど、この論文でちょっと面白かったのは、weightとpotencyに言語的な関係があるというくだりで先行研究としてOsgood, Suci &Tannenbaum(1967)を挙げているところ。ああ懐かしのSD法。なんでもつながっているもんだなあ。

論文:心理 - 読了:Jostmann, Lakens, & Schubert (2009) クリップボードが重いと... (オランダ編)

2015年1月14日 (水)

Ackerman, J.M., Nocera, C., & Bargh, J.A. (2010) Incidental haptic sensations influence social judgments and decisions. Science. 328(5986), 1712-1715.
 身体化認知の実験としてものすごくよく引用される研究。
 説明としては概念発達におけるscaffoldingと概念メタファを持ち出している。だんだんわかってきたんだけど、「いっけん関係なさそうな身体感覚が思考・態度に効く」型実験研究は、数はあるけど理論のバリエーションが少ない。バックボーンはだいたい次の5派で、引用文献をみるだけで見当がつく。(1)概念メタファ。Lakoffを引用する。(2)概念メタファに加えてscaffolding。Barghを引用する。(3)シミュレーション。BarsalouのPSSの論文を引用する。(4)経験による連合。Cacioppoを引用する。(5)ものすっごい難しい理屈。他の人に「標準的」というラベルを貼って罵倒するのが特徴。Gibson、Thelen、Clarkのうち2人以上を引用してたら走って逃げたほうがよい。

 ええと、まずは"thinking about weighty matters"というようなメタファの実験。
 実験1. 通行人54人に、求職者の履歴書を見せ評価させる。要因は履歴書を挟んだクリップボードの重さ: {340g, 2040g}。結果: クリップボードが重いほうが、求職者がこの職に対して真剣だと評価する。でも職場に溶け込めるかどうか評価には差がない。自分の評価の正確さ評価も高くなる。でもどのくらい真剣に評価しましたか回答には差がない。[←美しい実験だ...]
 実験2. 通行人43人。「社会的行動調査」と称し、いろんな公共的問題に政府の資金をどのくらい投じるべきかを問う。要因はクリップボードの重さ。結果: 男性はクリップボードが重いほうが金を出すが、女性はどちらでも最高額。[←この実験はなにをやりたかったんだかちょっとわからない。単純にポジティブになるわけじゃないってことなんだろうけど]

 お次は、"having a rough day" "coarse language" 実験。
 実験3. 通行人64人に、まずパズルをやってもらう。次に、社会的関係についての文章を読ませ、協同的か、カジュアルか、といった評価を求める。要因: パズルのピースが{すべすべ, ざらざら}。結果: ざらざら条件のほうが協同性の評価が下がる。
 実験4. 被験者42人、まずパズルをやってもらい、次に最後通牒ゲーム。最後に社会的価値志向(SVO)尺度というのに回答。結果: ざらざらのパズルをやったほうが、最後通牒ゲームでより多くのオファーを出すが、個人主義的(opp. 向社会的)だと分類された人も多い。つまり、ざらざらの触感によって状況が非協同的でないと捉えられ、バーゲニングが促進された。

 最後は、"she is my rock" "hard-harted"実験。
 実験5. 通行人49人に、これから手品を見せます、ここに{毛布, 積み木}があります、ほかになにもありませんよね、と触って確かめてもらう。次に上司と部下が出てくる文章を読ませ、部下の性格を評定させる。おしまい(手品は見せない。ヒドイ)。結果: 積み木群のほうが、部下の性格を固いと評定する。
 実験6. 被験者86名。まず実験5みたいな印象形成課題。次に交渉課題: 値札16500ドルの新車を購入すると想像し、ディーラーに値段を提案してください、さらにそれが拒否された場合の次の値段を提案してください。要因は実験中に座っている椅子の硬さ。結果: 固い椅子のほうが部下を安定的、非感情的と評定。交渉課題の言い値には差がなかったが、硬い椅子だとひとつめの値段とふたつめの値段の差が小さくなる。つまり、態度が固くなる。

論文:心理 - 読了:Ackerman, Nocera, & Bargh (2010) クリップボードが重いと判断も重くなる、椅子が固いと態度も固くなる

Klein, A.M., Becker, E.S., & Rinck, M. (2011) Approach and avoidance tendencies in spider fearful children: The approach-avoidance task. Journal of Child and Family Studies, 20, 224-231.
 approach-avoidance task(AAT)という潜在態度測定手法があるけど、その使用例を読みたくてパラパラめくったやつ。子どもの{クモ, 蝶}の写真に対するAAT。研究の視野には不安障害としての蜘蛛恐怖症の診断があるのだけれど、実際に使っているのは普通の子どもであった(9-12歳)。
 写真が出たらすぐに消せという課題の反応時間に、確かにクモに対する回避が現れているんだけど、試行を反復しているとわりかし早く馴化しちゃうみたいだ。そりゃそうだろう。理論的には単純反応課題のほうが純粋であるのはわかるんだけど、ロバストな測定という観点からは、なにかしらの認知的なカバー課題にしたほうがいいのではなかろうか。。。
 しっかし、手続き上仕方ないとはいえ、クモの写真が画面でがががーっと広がるのを見せられるわけで、子どもらも可哀想にね。

論文:心理 - 読了:Klein, Becker, Rinck (2011) AATでクモ恐怖を測定

Schwarz, N. (2006) Feeling, fit, and funny effects: A situated cognition perspective. Journal of Marketing Research, 43(1), 20-23,
 ええと、この雑誌のこの号にはAvnet & Higgins, How regulatory fit affects value in consumer choices and opinions という論文が載っていて、読んでないけどアブストラクトによれば、制御適合があるときは(つまり、制御焦点が促進で目標追求方略がポジティブ追求のとき、ないし制御焦点が予防で目標追求方略がネガティブ回避のとき... という意味であろうか)、自分の選択の結果の価値がより良く評価される... というような話らしい。この論文に対するコメント。
 いちおう身体化認知関連の記事なので、義理で読んだんだけど、これがのっけから面白くって...

 冒頭にいわく。マーケティングやっているある同僚に訊かれました。「Fishbein-Ajzenの合理的行動理論ってあったじゃない。ああいうモデルって、いまどこにいっちゃったの? 最近の心理学の人の話って、『こんな小さなことが人の感覚や好みを変えちゃうんですよ、可笑しいですよね』ばっかりじゃない?」[←吹き出してしまった。まさにそのとおり!]

 situated cognitionというメタ理論的観点から見ると、認知は文脈、身体、世界に埋め込まれている。認知の文脈依存性にはなんらかの適応的機能がある。ところがその心的過程は、それが適応的機能を果たすための条件を欠いているような実験手続きの下では、びっくりするような可笑しな効果(funny effect)をもたらしてしまう。心理学者は直感に反するような例示が好きなので、結局、可笑しな心理学的現象が蔓延し、マーケティング分野の人を混乱させてしまう。
 感情(feeling)は人々を状況に適応させる鍵となっている。たとえば、物事がうまくいかなくなると気分はネガティブになり、体系的・ボトムアップ的な処理が促進され、うまくいかない原因の追究と新しい方法の探索につながる。制御焦点は感情と関連してるわけで、Higginsさんの制御焦点と思考の関係の研究はこの延長線上にある。
 制御焦点なり感情なりによる処理方略のちがいには状況に対する適応的価値があるんだけど、頭のいい心理学者は全然関係ない手続きでこの処理を操作しちゃうので、いっけん可笑しな効果が得られるわけだ。筋運動が思考に影響するとか(Friedman & Forster, 2000JPSP, 2002JEP)、文字の色が推論を変えるとか(Soldat et al, 1997Soc.Cog.)。
 [...中略...]
 Avnet&Higginsの研究は、促進焦点のほうが感情が判断に効きやすいこと、そして制御適合があるほうが自分の課題遂行に対する感情がポジティブになることを示した。状況化認知という視点から見ると、感情がポジティブになったのは、方略と課題要求との一致性のメタ認知的評価を反映している。課題要求の知覚は、ここではたまたま制御焦点で変わっているけど、他のいろんな要因によっても変わるものだ。
 Avnet&Higginsは、決定の方法という無関係な要因が選択に影響することを示した。でも、製品について注意深く調べ比較検討した人と、たんに製品評を読んだだけの人を比べたとき、全く同じ情報しか手に入れていないとしても、前者のほうが支払意思額が高くなるのは、別にfunny effectではないのでは?

 というわけで、もとの論文を読んでないのでわからないけど、制御焦点とか目標追求方略といった概念を状況への適応という観点から捉えなおせば、この結果はあたりまえだよね... という前向きなコメントだと思う。

論文:心理 - 読了:Schwarz (2006) 博士の状況化された認知、または如何にして私はただ面白がるのを止めてそこに適応的価値を見出すようになったか

原稿の都合で読んで、記録してなかった論文を総ざらえ。

Barsalou, L.W. (2008) Grounded Cogntion. Annual Review of Psychology, 59, 617-645.
 認知心理学の巨頭 Barsalou さんがお送りするレビュー。ガチの心理学の話なので敬遠したかったのだが、原稿の都合で無理やり読んだ。18頁に内容が詰め込まれており、レビューというよりレファレンスという感じなので、途中からメモも簡略化。

1. grounded cognitionとはなにか?
認知の標準的理論によれば知識表象はアモーダルである。これに対してgrounded cognition(以下GC)は、いろいろあるけど、アモーダル表象を否定するか、モーダル表象と共働すると考える。また、身体の役割を重視したり、シミュレーションの役割を重視したり(心的イメージを含む)、situated actionや社会的相互作用や環境を重視したりする。こういうのをひっくるめて「身体化認知」と呼ぶのはよくない(身体はgroundのひとつにすぎないから)。
1.1 grounded cognitionの源流: [歴史の話。略] 近年GCは認知革命に挑戦している。論点は(1)アモーダル表象の存在を支持する証拠は弱い。(2)知覚・認知・行為の間のインターフェイスをうまく説明できない。(3)アモーダル表象の神経基盤がわからない。
1.2 grounded cogntionに対するよくある誤解: (1)経験主義・反生得主義だ。(2)ただのイメージ記録システムであってイメージを解釈できない。(3)感覚運動表象だけをつかって知識を表象しようとするから抽象概念を表象できない。(4)シミュレーションで経験を完全に再現できると思っている。以上、全部誤解だ。

2. grounded cognitionの諸理論
2.1. 認知言語学。: [Lakoff&JohnsonとかLangackerとかとかとか。略]
2.2. situated actionの諸理論。: [Andy Clark, Thelen, Brooksなど。ロボティクスとかダイナミック・システムとか。略]
2.3. 認知的シミュレーションの諸理論。: (1)Barsalouの知覚シンボルシステム(PSS)。シンボル機能を維持するが、概念とタイプのかわりにシミュレーションシステムを置く。高次知覚、潜在記憶、作業記憶、などなど様々な認知機能は、マルチモーダルな状態を捉えたりシミュレートしたりするメカニズムの違いとして統一的に説明される。云々。(2)Glenberg, Rubinの記憶理論 [略]。
2.4. 社会的シミュレーションの諸理論。: [ミラーニューロンがどうのこうの。略]

3. 実証的証拠
3.1. 知覚と行為: (1)知覚的推論。過去の知覚経験のシミュレーションに基づき知覚的推論が生じる。(2)知覚-運動協応。[ここ、短いけど、運動流暢性効果などの研究がずらずらっと挙げられている。おおお。あとでチェックしよう] (3)空間の知覚。身体によって構成されている。
3.2. 記憶: (1)潜在記憶。その中心は知覚記憶のシミュレーションである[研究がずらっと。略] (2)顕在記憶。エピソード再生においては過去経験のシミュレーションが、未来の構築においてもシミュレーションがはたらいている。モダリティは単一でも記憶は脳に分散している。などなど。(4)作業記憶。視覚的イメージ、運動イメージ etc. 図形の心的回転にもそれを動かす運動のシミュレーションが関与している [へー]。
3.3. 知識と概念的処理: この分野でシミュレーションの役割を指摘する研究は比較的に新しい。(1)行動的な証拠。(2)脳損傷からの証拠。(3)ニューロイメージングからの証拠。
3.4. 言語理解: (1)状況モデル。(2)知覚的シミュレーション。(3)運動シミュレーション。(4)情緒的シミュレーション。(5)ジェスチャー。
3.5. 思考: (1)物理的推論。(2)抽象的推論。Boroditskyのmoved foward two daysの実験とか。
3.6. 社会的認知: (1)身体化の効果。elderを活性化すると歩くのが遅くなるとか。腕で感情をプライムするとか。Smith&Semin(2004,Adv.Exp.Soc.Psych.)というレビューがある由。(2)社会的ミラーリング。
3.7. 発達: 乳児のミラーリングとか、いろいろ。

4. 理論・実証上の諸問題。これから以下の点が課題になる。

5. 方法論的諸問題
5.1. 計算理論と形式理論。grounded cogntionを示すのはもういいかげんにして、計算理論をつくんなきゃ。
5.2. 説明の原理とレベルの統合: 神経科学との統合。知覚、行為、内省の統合。認知、社会、発達の統合。ロボティクスとの統合。
5.3. 古典的研究パラダイムのgrounding: たとえば、再認記憶とか、プロダクション・システムとか。

論文:心理 - 読了:Barsalou (2008) Grounded Cogntion レビュー

Chen, M. & Bargh, J.A. (1999) Consequences of automatic evaluation: Immediate behavioral predispositions to approach or avoid the stimulus. Personality and Social Psychology Bulletin, 25(2), 215-224.
 潜在態度測定のひとつにapproach-avoidance test (AAT)っていうのがある。誰も指摘していないから不安になるんだけど、あれって身体化認知そのものだと思うのである。というわけで、AATの元の研究を探しているのだけど、いまいちはっきりしない。たぶんこれだと思うんだけど...

 態度-行動の関係についての研究は山ほどあるが、行動の側は意識的に選択されていると想定してきた点で共通している[←そうなんですか...?]。本研究は非意識的な態度が非意識的な行動に影響すると提案する。
 対象を与えるだけで態度が自動的に活性化されることはすでに指摘されている。puppyをプライムにして形容語へのgood判断を速くする、とか。自動的態度活性化が弱い態度でも生じるかという点については議論があって、私らは意識的関与が低い課題なら弱い態度でも生じると考えておる[略... Barghという人はもともとこういう研究をしていたらしい。へー]。思うに、自動的態度活性化というのは刺激の評価が意識的に処理されていないときの適応的バックアップなのではないか。
 さて、自動的評価が影響するものといえばなんでしょう。そう、接近回避傾向ですよね[←そういわれても...]。昔は態度ってのは行動傾性だといわれたものです[...と、古い話が延々続く。略]。というわけで、自動的態度が接近回避傾向に影響すると考えるのは筋が通ってます。
 先行研究として、腕の運動が刺激への態度に影響するという実験はある(Cacioppo, Priester, & Berntson, 1993JPSP; Forster & Strack, 1996JPSP)。本研究はその逆です。また、大昔にOsgoodの弟子のSolarzという人が、単語が好きかどうかの判断をレバー操作でやると、好き反応は引く操作、嫌い反応は押す操作で速い、と報告している[←へええええ! Solarz(1960JEP)]。本研究はその追試からはじめます。

 実験1. 学生42名。画面にモノの名前を提示し、good/badをレバーでなるべく速く答えさせる。92試行。要因はレバー押しの方向:good-badが{pull-push(一致), push-pull(不一致)}、被験者間操作。結果:不一致のほうが遅い (270msくらい差がある)。態度の強度(刺激を事前に分類してある)との交互作用はない。
 実験2. こんどは評価の側を非意識的にする。学生50名。とにかく単語が出たらバーを倒させる[非単語を入れたりはしてないらしい。ちゃんと読んでくれているんだろうか]。92試行。要因はレバー押しの方向:{pull,push}、被験者内操作(前半と後半で切り替える)。結果: positive刺激はpull, negative刺激はpushで速い。刺激強度との交互作用はない[←図をみるとすごく交互作用がありそうなんだけど、強度が弱い方で一致性の効果が大きいので、強度に媒介されているわけではない]。

 論文を通して、態度と運動の一致性の効果を態度の強度が媒介しているかどうかと云う論点に何度も触れている。この話がどういう意味を持つのかいまいちよく理解できていない。研究上のいきさつがある模様。

論文:心理 - 読了:Chen & Bargh (1999) あなたの態度は腕に出る

2015年1月13日 (火)

Bookcover 経験価値マーケティング―消費者が「何か」を感じるプラスαの魅力 [a]
バーンド・H. シュミット / ダイヤモンド社 / 2000-12
原稿の都合で再読。本棚に見当たらず、新刊の入手もできないので、汐留の広告図書館に籠もって目を通した。我ながら物好きなり。

マーケティング - 読了:「経験価値マーケティング」

Bookcover 角川短歌ライブラリー 体あたり現代短歌 [a]
河野 裕子 / 角川学芸出版 / 2012-08-24

ノンフィクション(2011-) - 読了:「体あたり現代短歌」

Bookcover 水色の部屋<上> [a]
ゴトウ ユキコ / 太田出版 / 2014-12-04
高校生の主人公には、むやみに色っぽい母親と、蛇のような目をした同級生がいて... という業の深ーいマンガ。
 いやあ、怖いよー...なんで世の中には女と男がいるんでしょうかね。なんで人類は無性生殖できないんでしょうね。

Bookcover 鋼鉄奇士シュヴァリオン 3 (ビームコミックス) [a]
嵐田 佐和子 / KADOKAWA/エンターブレイン / 2014-11-15
悪の組織を滅ぼした後の戦隊ヒーローが市民社会に復帰する、そのなかなか厳しい日々を描くコメディ。

コミックス(2015-) - 読了:「鋼鉄奇士シュバリオン」「水色の部屋」

Bookcover Embodied Cognition[a]
Shapiro, L. / Routledge / 2010-8-9
そんなこんなで、ようやく読み終えた... いやー、ほっとした。

 内容のメモをまとめておくと、標準的認知科学について説明した2章は省略して、

 面白かったです。勉強にもなりました。でも、哲学者の書いた本は当分いいわ...

心理・教育 - 読了:"Embodied Cognition"

 メモをとりつつコリコリと読んでいた Shapiro (2011)、ついに最後の章。「心は脳と身体と世界でできているんだよ」派(構成仮説)への批判である。勝手に忖度しますけど、著者にとってたぶんもっともどうでもよい章だと思う。概念化仮説批判の章に比べると、熱意もちょっと下がっている感じ(私の熱意が下がったからそう思うだけだろうか...)。

[6.1] 標準的認知科学は心が脳の中にあると考えるのに対して、構成主義仮説は身体が心の構成要素だと考える。さらには世界も心を構成していると主張する人もいる (extended cognition)。
 なにかが認知過程を「構成している」というのは、単に「因果的な影響を与えている」のではなく、それがなくなったらその認知過程じたいが存在しなくなってしまう、ということである。結局、構成仮説の是非は、「認知」とはなにを意味しているのかという問いである。
[6.2] 脳を水槽につけてコンピュータにつなぎ、あたかも身体があるかのように入出力信号を処理したとしよう。(1)もし脳の外側の過程が認知の構成要素ならば、脳だけでは認知には十分でない。(2)水槽の脳は認知している。(3)ゆえに、脳の外側の過程は認知の構成要素でない。... この議論に対してClarkは、じゃあ視覚野なりどこなりを切除してコンピュータに置き換えたと考えてくださいよ、と反論するけれど... 云々[略]。
 これに対して構成仮説の支持者は (2)を否定する。
[6.3] 心理学者O'Regan, 哲学者Noeの知覚経験の理論について(O'Reagan & Noe, 2001 BBS)。[...説明省略...] Gibsonと同様に知覚を不変項の観点から説明し、さらに視覚経験を感覚運動随伴性の過去経験についての知識に基づいて説明する。[...わけわかんなくなってきたので省略 ...] これに対してAizawa らの反論もあって... [略]
[6.4] [さらにAizawaという人の批判が延々続く。略]
[6.5] ジェスチャーは単なるコミュニケーション手段ではなく、思考と深く関わっている。ではジェスチャーは思考の構成要素か、それとも因果的に貢献しているだけか。
[6.7] Clarkによれば、そこには要素のcouplingがあるから構成要素だ。これに対してAizawaは、子供「なぜ鉛筆は2+2=4だと考えるの?」Clark「それはね、鉛筆が数学者とcouplingしてるからだよ」ということになるじゃんと批判する。いっぽうClarkは [... めんどくさい。省略!!!]

 こんな感じで延々と議論が続く。後半はClark & Chalmersのparityという議論とか(もしガチョウのようにあるきガチョウのように鳴きガチョウのように飛ぶものがいたらそれはガチョウか、ってことは手帳は記憶か)、計算主義を維持しながら構成仮説を採用する立場とか、さらに過激なextended cognition説とか。いちおう目は通したけど、メモを取る気力は尽きた...

雑記:心理 - 身体化認知の「構成仮説」批判 by Shapiro先生

せっかくなので、最後までメモをとっておくことにする。Shapiro (2011) の第5章、身体化認知に関する置換仮説について。具体的には、ダイナミカルシステム理論と反表象主義ロボティクスについて。

[5.1] 置換仮説は認知についての計算論的説明を拒否し、表象の必要性も疑問視する。主にダイナミカル・システム理論(DST)と自律ロボット研究に由来している。

[5.2] DSTは、まずダイナミカルシステムの行動を記述し、部分が変化する可能な方法をすべてmap outする(これを状態空間という)。[... 以下、用語の説明が続く。略] たいていのシステムはダイナミカルシステムである。
[5.3] van Gelder(1998,BSS)のダイナミカル仮説 (DH) によれば、(1)認知エージェントの本質を特徴付けるのはダイナミカルシステムであり(2)認知はダイナミカルなものとして理解しなければならない。
[5.4] ワットの遠心式調速機(centrifugal governor) について [... 説明略]。これはDSTで上手く記述できる。van Gelderにいわせれば、計算論的には説明できない。なぜなら(1)ステップの系列ではないから。(2)表象がないから。ただし、あらゆるダイナミカル・システムの説明に表象の必要がないとは限らない。
[5.5] さて、DSTが認知に対して適切だ(DH)と主張される根拠は何か。(1)認知システムの要素が時間とともに連続的に変化するから。(2)脳、身体、環境がダイナミカルに相互作用するから。ここでembodimentとは脳ー身体相互作用、situatedとは身体-環境相互作用を指す。(3)行動が自己組織化しているから。(4)脳と身体と環境を同じ言語で統一的に説明できるから。
[5.6] Randy Beerのカテゴリ知覚研究について [... 説明略。上から落ちてくる図形を見分けて捕まえたりよけたりする自律エージェントを再帰NNでつくるという話。カラー図版までつけて真剣に説明してくださっているが、難しくっていまいちよくわからない。2003, Adaptive Behavior]
[5.7] そもそも説明とはなにか。[...略] 遠心式調速機について説明する際には、部分と部分間のつながりについて述べる手と、DSTみたいに差分方程式を並べる手がある。後者に対してはただの記述ではないかという声もあるだろうが [...云々云々とちょっと哲学的な話が続く。このくだり、話の筋を見失ってしまったので省略]

[5.8] 60年代末のsense-model-plan-act型ロボットShakeyは失敗した。そこでBrooksはサブサンプション・アーキテクチャを持つ行動ベースのロボットAllen, Herbertを開発した。[... 云々。要はサブサンプション・アーキテクチャについて説明する節である。] BrookはDST以上に反表象主義である。
[5.9] そもそも表象とはなにか。それははなにか別のものの"stand-in"であり、かつ、stand-inとして使われているものである。ドレツキは次のように考えた。脳状態Bが特性Fを表象するのは、BのトークンがFのトークンと相関しているときである。このときBはFのインディケータである。カエルがハエをみたときの脳状態はハエのインディケータである。それはハエを表す生物学的機能として進化的に獲得されたものだ。だからたとえばカエルがうっかりボールベアリングに飛びついたとしても、そのときの脳状態はやはりハエのインディケータだ。この議論を人間の視覚システムに拡張するのはいろいろ工夫が必要だけど。
 遠心式調速機に表象は存在するか? van Gelderによれば存在しない。別のものとの相関を持つ部分はあるけど、表象として使われているものはないから。いっぽう哲学者Bechtel、Prinz, 心理学者Barsalouらは表象が存在すると考えている。エンジンの速度が上がるとフライボールが上に上がる、つまりエンジンの速度と相関しているだけでなく速度の表象として用いられているじゃん、という説明。いやしかし[... と、すごく細かい話に突入していく。わかんなくなっちゃったのでスキップ。著者は遠心式調速機に表象がないという考え方を支持している模様]
 では、認知システムに表象は不要だといえるか。van GelderやBeerの議論はこうなっている。(1)表象は実際の事物のstand-inだ。(2)エージェントは相互作用すべき事物と連続的に接触している。(3)もし(2)であれば、エージェントはそれら事物とのstand-inを必要としない。ゆえに、エージェントは実際の事物のstand-inとなる表象状態を必要としない。... (3)が怪しい。連続的に接触していているだけではだめで、そこから得られる情報にアクセスする手段が必要である。いやしかし[... また話の筋を見失っちゃったので省略。というか、だんだんどうでもよくなってきたぞ]
 BeerとBrooksはさらに、表象のvehicle (意味的内容を担う物理状態のトークン) をシステム内に同定することができないと考えている。しかしそれはたいした問題じゃない。コネクショニズムをみよ。云々云々。

 7節と9節の曲がりくねった議論について行けずあきらめちゃったけど、このたびの仕事には不要な箇所なので、ま、気にしないことにしよう。この本と一緒に無人島にでも漂着したらゆっくり読みます。
 要するに著者は、ダイナミカルシステム理論や「表象なき知能」アプローチがこれまで表象計算主義で説明されてきた事柄の一部をもっとうまく説明できるという点には同意するが、全部説明できるとは思わない、という意見である模様。

雑記:心理 - 身体化認知の「置換仮説」批判 by Shapiro先生

2015年1月11日 (日)

 ひつこくShapiro(2011)のメモ。本に書き込みしただけだとすぐに忘れちゃって、せっかく読んだのがもったいないので。
 4章、身体化認知アプローチによる標準的認知科学批判のうち、Shapiroのいう概念化仮説(ある生体が獲得できる概念はその生体の身体の諸特性によって制約されているという仮説) についての章。Rosch, Lakoff&Johnson, Barsalou, Glenberg ら斯界の大物に、哲学者の誇りを賭けて(?) 片っ端から喧嘩を売るという、この本のなかで一番論争的な章である。

 まず、議論の前置き。
 [4.1] 本章では生体が持つ身体とその生体が持つ概念との関係についての研究について検討する。人間が抱く世界を抱くためには人間のような身体が必要だ、というのは本当か。
 [4.2] かつてウォーフは、言語は思考を決定すると述べた(言語決定論)。Broditskyは、 時間の概念化(conception)が母語によって異なることを示し [2001, Cog.Psy.]、 英語の名詞の概念化が母語におけるその名詞の文法上の性によって異なることを示した[2003, 論文集]。言語決定論についての一般的問いのかわりに、検証可能な部分的仮説について検証したわけである。なお、言語決定論は言語が非言語的な思考を変えるという主張である点に注意(この点がわかっていない人が多い)。
 [4.3] ここで概念(concept)と概念化(conception)を分けて考えないといけない。bachelorについての考え方(conception)は人によって異なるが、それが未婚の人だという点(concept)は誰もが同意する。Boroditskyの実験は言語によるconceptionの違いを示しているだけで、conceptの違いを示しているとはいえない。conceptを必要十分条件で表現できるかどうかは怪しい(cf. Smith&Medin, クワイン, ウィトゲンシュタイン)。conceptとはなにかという理論なしには言語決定論をどこまで支持できるかわからない。身体化認知における概念化仮説も同様である。conceptというconceptの検討にもっと時間をかけるべきだ。
 [4.4] 最後にもうひとつ。仮説というのは検証可能なものだ。検証可能というのは、単に実証研究が必要だということではなくて、観察が競合する仮説にそれぞれの尤度を与えるという意味だ。だから検証可能性というのは仮説間の関係のことだ。

 ここから本題。
 [4.5] Varela, Thompson & Rosch (VTR) は、色の経験があるユニークな種類のembodied couplingを通じて創造されている、と考えている(色の概念化)。couplingってなんのことかはっきりしないんだけど、ある単一の色(たとえば緑)の経験と相関する単一の物理的特性が存在しないということ、色の経験の構造が三種類の錐体細胞の相互作用に依存しているということ、色の視覚システムが照度のコントラストと変化に反応するということ、を指していっている。彼らによれば、色はpregivenでもrepresentedでもなく、むしろexperientialかつenactedな認知領域である。

 なお、問題点1と2は無関係である。標準的認知科学が色の視覚を説明できるかどうかと、世界に色が存在するかどうかとは関係ない。

 [4.6] Lakoff & Johnson (LJ)は、身体の諸特性が概念化・カテゴリ化の可能性を決めている、と考えている。その証拠は、まず概念発達におけるメタファの重要性である。LJによれば、メタファによらずに学習できる「基礎概念」が直接の身体経験から引き出され、他の概念は基礎概念に基づくメタファによって獲得される。
 LJは概念における類似性が身体における類似性を必要とすると考えているが、これは強すぎる主張だ。

というわけで、LJの仮説は確かめるのが難しい。
 細かいところにいろいろ問題はあれど、LJによる身体の重視は第二世代認知科学の幕開けだ、と信じている人もいる。Lakoffによれば、第一世代認知科学は(1)心は記号的で認知過程はアルゴリズムだ、(2)思考はdisembodiedで抽象的だ、(3)心はconscious awarenessに限定されている、(4)思考は字義的かつ整合的であり論理によるモデリングが適している、と考えていた。いっぽう第二世代は(1')心は記号的じゃなくて生物学的・神経学的だ、(2')思考はembodiedだ、(3')心のほとんどはunconsciousだ、(4')抽象的思考の大部分はメタファ的であり、身体と同じように感覚運動システムを使っている、と考える。
 標準的認知科学が認知における身体の役割を軽視してきたのは事実だけど、LJの主張は維持できない。

 [4.7] 心理学者はSymbol Grounding 問題の解決のためにembodimentという概念に注目してきた (Glenberg, Barsalou ら)。Symbol Grounding問題とは思考がどうやって意味を獲得するのかという問題である。
 Glenbergらいわく、サールの「中国語の部屋」が示すように、記号の意味は他の記号との関係だけでは獲得できない。ここでは意味と理解が混同されている。中国語の部屋の中の人が操作しているシンボルは有意味か。Glenbergたちは意味がないとと思っているようだが、もちろん有意味である(部屋の外にいる中国人のみなさんをみよ)。ゆえに、中国語の部屋の話は「記号の意味は他の記号との関係だけでは獲得できない」という結論を導かない。さらにいえば、「シンボルがどうやって意味を持つか」という問いに対しては計算理論のの観点からでもいろんな哲学的説明が可能だし、それらはたいてい記号間の関連だけから意味が生じるとは主張してない(つまり中国語の部屋の内側から意味が生じるとは主張していない)。
 たいていの心理学者が関心を持っているのは、実は、シンボルのユーザがシンボルの意味がどのように理解するのか、という問題だ。これは記号の意味の成立とは別の問題である。

 [4.8] Glenbergはこう主張している(indexical仮説)。意味の理解は3つの段階からなる。(1)語の知覚シンボルへのマッピング。知覚シンボルとはオリジナルの知覚的符号化において出現した形で再構築されたモーダルな表象である。(2)知覚シンボルからアフォーダンスを導出。アフォーダンスとは、生体にとって問題となる環境の諸特性のこと。Gibsonは生体がアフォーダンスを直接知覚すると論じた(あまりに論争的な主張なので脇に置いておく)。(3)アフォーダンスがmeshされ、言語的シンボルの理解を与える。たとえば、掃除機はコート掛けとして使えるか。人は掃除機の知覚シンボルとコートの知覚シンボルから、掃除機がコートを掛けることをアフォードしていること、コートが掃除機に掛けることをアフォードしていることを引き出す。このとき2つのアフォーダンスがmeshしているという。(ここ、わかりにくいので全訳)

 さらに次の場面について考えよう。ある人が「コートを掃除機に掛けろ」という文の有意味性(sensibility)について評価するよう求められたとする。この課題の要求について考えると、結局はsymbol grounding問題についての議論に行き着く。symbol grounding問題に対して心理学者が与えた解釈は、この問いは意味の理解についての問いだ、というものである(記号はいかにしてその意味を最初に獲得するか、ではなく)。Glenbergらは、Searleの中国語の部屋を、シンボルをどう結びつけるかについての教示に従っているだけでは、その人にとって言語的記号は有意味にならない、ということを示す例として受け取っている。従って、Glenbergによれば、理解はなんらかのかたちでgroundedでなければならない。適切なgroundingが奪われた状態では、人は「コート」「掃除機」を理解できず、「コートを掃除機に掛けろ」という文がsensibleかどうかを判断することもできないだろう。Glenbergにいわせれば、indexical仮説は、理解がいかにgroundedになるか、そして文がいかに理解されるかを説明してくれる。理解が可能になるのは、言語的思考に含まれているシンボルが「モーダルであり非恣意的であるからだ。それらは指示対象の知覚の基盤にある脳状態に基づいている(Glenberg & Kaschak, 2002)。Glenbergが考えるところでは、知覚シンボルのモダリティによってアフォーダンスの導出が可能になる。「恣意的シンボルの場合と異なり、知覚シンボルからはアフォーダンスを導出することができる。なぜなら、知覚シンボルとその指示対象との関連は恣意的なものではないからだ」。

Glenbergはindexical仮説の証拠として行為-文整合性効果を挙げている。

 [4.9] indexical仮説は維持できるか。
 ひとつめ、indexical仮説は計算主義と整合しないのか。GlenbergやBarsalouらは、アモーダルなシンボルはプロセッサにとってすでに有意味で、その理解の獲得についてなんらかの説明が必要だが、モーダルなシンボルの理解については説明がいらない、なぜならそれは神経状態においてgroundedだから、と考えているようだ。でも、

 ふたつめ、行為-文整合性課題で用いられているsensibility判断について。Glenbergによれば、たとえば「コートを掃除機に掛けろ」はsensibleだけど「鉛筆を登れ」という文はsensibleでないことになる。でも被験者は後者の意味を理解することはできているし、だからこそ「そんなの無理だよ」と答えるわけである。文-行為整合課題での被験者の課題は、文の意味の理解だけじゃなくて、ある行為(鉛筆を登る、とか)が自分に可能かどうかの判断を含んでいる。そこで被験者は知覚シンボルからアフォーダンスを引き出しているかもしれない。でもそれが意味の理解において生じているかどうかはわからない。Glenbergらが、車いすの人は「階段を登れ」という文を理解することさえできない、ということを示したら降参するけど、彼らが示しているのはそれじゃない。
 みっつめ、上の問題点は別にして、行為-文整合性効果について。単に、(行為とは無関係に成立した)文の理解が、ある種の運動反応をプライムし、それが課題遂行のための運動反応に干渉しただけなんとちがうか。
 
 [4.10] 多くの研究者が、前運動野における標準ニューロンとミラーニューロンの発見を、知覚と行為に共通のコードがあるのだ、対象の認識の一部は身体と対象との相互作用という観点からなされているのだ、という主張の証拠として挙げている。テニス・ボールはsphere-graspable-with-myu-whole-handとして知覚され、バナナに腕を伸ばす他者はreaching for として知覚される、とか。
 この説明が正しいとすると、「身体の大きさが異なる霊長類は同じサイズのモノを異なった形で知覚する」ことがわかればLJを支持する証拠になるかもしれないし、「文理解じたいに伴ってミラーニューロンが活性化しそれが課題に干渉する」ことがわかればGlenbergを支持する証拠になるかもしれない。もっとも、ニューロンの活性化が行為の観察と相関しているからといって、行為の理解にそのニューロンが寄与しているかどうかはわからないんだけど。

 ...こうしてみると、哲学者Shapiroさんにとって、embodied cognitionの実験をやっているたいていの研究者は embodied cognitionの研究者ではなく、標準的認知科学の枠組み(表象主義・計算主義)の内側にいることになるのではないかと思う。たとえば、上腕筋の屈伸運動が動機づけと連合しているという研究はたくさんあって、それらの多くは身体化認知研究を名乗り、BarsalouやLakoff&Johnsonを引き合いに出す。でも実験結果については、高次認知の計算過程で知覚運動表象が利用されているんですね、と解釈するだけであって、身体が概念を制約するとか(概念化仮説)、表象が要らないとか(置換仮説)、身体が認知を構成しているとか(構成仮説)といった主張は全然含意していない。embodied cognitionという言葉に込めるニュアンスは人によってずいぶん違い、Shapiroさんの議論はかなりな空中戦なのだと思う。

雑記:心理 - 身体化認知の「概念化仮説」批判 by Shapiroさん

2015年1月 8日 (木)

Nelson, L.D. & Simmons, J.P. (2009) On southbound ease and northbound fees: Literal consequences of the metaphoric link between vertical position and cardinal direction. Journal of Marketing Research, 46(6), 715-724.
 南北は上下とメタファ的に連合しているので、人は北に移動するのは大変だと感じる、よって南のお店に行きたがる。という研究。
 原稿の準備で目を通した奴。いちおうはマーケティングの話になっているのだが、別にマーケティングの話にしなくてもよかろうに...

 説明の段取りは次の通り。

PSSを説明原理としているが、simulationという言葉は出てこない。ここでPSSはあくまで知識表象の構造の話であって、空間課題遂行時に垂直運動の心的シミュレーションが起こるという主張ではないわけだ。うーむ、この分野は理論的説明が錯綜していて難しいぜ。

 実験は7つ。
 実験1: 説明文を読ませ、二地点間を飛ぶ鳥の飛距離を推定させる。飛ぶ方向を操作: {北, 南}。結果: 北に飛ぶ方が長く評定される。
 実験2: 架空の都市間で、荷物運送料が一番高いペアを選ばせる。要因: {都市名をUSの地図上に南北に配置して提示, 都市名を並べて提示}。結果: 北向きペア, 地図なしペア, 南向きペアの順に運送料が高い。
 こんな感じの実験が続く。面倒なのでメモ省略。

論文:マーケティング - 読了:Nelson & Simmons (2009) 南下より北上のほうが大変だという気がする

 このたびembodied cognitionについて調べていて、大いに助けになった資料のひとつがShapiro(2011)なんだけど、しかしこの本は幸か不幸か表層的な概観ではなく(本音を言うと、もっと上っ面を舐めたようなのが読みたかったんですけどね)、かなり意外な批判的主張を含んでいる。文章は平易なのに、いつのまにか思ってもみなかった結論へと連れて行かれてしまうのである。さすがは哲学者。
 あれこれ考えていたら混乱してきちゃったので、頭を冷やすために、空き時間にメモを取った。序章と7章の要約。

 Shapiroさんにいわせれば、embodied cognitionには3つの主要テーマがある。
 ひとつめ、概念化仮説。

ある生体が獲得できる概念は、その生体の身体の諸特性によって制限ないし制約されている。つまり、生体が自分をとりまく世界を理解する際に依拠する諸概念は、その生体が持っている身体の種類によって決まる。そのため、身体において異なる生体は、世界の理解の仕方もまた異なる。

具体的には、後期のRoschとか、Lakoff & Johnsonとか、Glenbergとか。
 彼らの解釈は標準的認知科学(表象計算主義のこと。以下「主流派」)による解釈と競合している。主流派に軍配が上がる。理由:

 ふたつめ、置換仮説。

これまでは表象過程が認知の核だと考えられてきたが、環境と相互作用する身体があれば、表象過程はもういらない。つまり、認知はシンボリック表象を扱うアルゴリズム的過程に依存しているのではない。認知は表象状態を持たないシステムにおいて発生しうるし、計算過程なり表象状態なりに訴えなくても説明できる。

具体的には、Esther Thelenとか、Randy Beerという人とか、ルンバの父Rodney Brooksとか。
 彼らは自分たちが主流派と競合すると思っている。彼らが扱っているいくつかの現象については彼らの勝ちである(幼児の固執行動とか、ロボットのナビゲーションとか)。でも主流派は絶望しなくてよい。認知科学者の道具箱に新しい説明ツールが追加されただけだ。

 みっつめ、構成仮説。

身体ないし世界は、認知処理において単に因果的役割を演じるというだけでなく、構成的役割を演じている。酸素は爆発の原因であるいっぽう、水を構成している。同様に、身体ないし世界は認知に因果的影響を及ぼすだけでなく、認知そのものを構成している。

具体的には、Alva Noeという人とか、Andy ClarkとかRobert Wilsonとか。
 みんな驚くと思うけど、構成仮説は主流派と競合していない。構成仮説の批判者たちは、彼らが認知過程を脳の外側に拡張しようとしていると思っているけど、そうじゃなくて、彼らは認知過程の構成要素を脳の外側に拡張しようとしているだけだ。主流派にとっては、認知過程の構成要素が脳の内側だろうが外側だろうがどうでもよいことだ。構成仮説は別に新しくない。

 というわけで、embodied cognitionにおける各チームの戦績は以下の通り。概念化仮説は負け。置換仮説は勝ったり負けたり。構成仮説はそもそも戦ってない。とはいえ、神経科学が概念化仮説に勝機をもたらすかも。コネクショニズムが置換仮説をもっと強力にするかも。構成仮説の形而上学的主張はこれから負けが込むかも。戦いはまだ始まったばかりだ! [←とは書いてないけどだいたいそういう意味]

雑記:心理 - 身体化認知における各チームの勝敗(試合解説はShapiroさん)

2015年1月 5日 (月)

外川拓、八島明朗 (2014) 解釈レベル理論を用いた消費者行動研究の系譜と課題. 消費者行動研究, 20(2), 65-94.
 消費者行動論の学会で発表を拝聴していると、二、三本に一本くらいの割合で解釈レベルという概念が登場し、これはいったいなんだろうと呆れていた。火元は社会心理、JPSPの論文である(Liberman & Trope, 1998)。
 正直言ってあまり関心が持てなかったのだが(私が院生の頃にもそういう流行概念があったような気がします)、勉強のつもりで日本の研究者による最近のレビューを読んでみたら、これが意外に面白くって... とても勉強になりましたです。

 いくつかメモ:

論文:心理 - 読了:外川・八島 (2014) 消費者行動論における解釈レベル理論レビュー

2015年1月 4日 (日)

Zhong, C. & Liljenquist, K. (2006) Washing away your sins: Threatend morality and phisical cleansing. Science, 313(5792), 1451-1452.
 手洗いと道徳性の関係を示し、身体化認知研究の例として非常によく引用される論文。引用文献のなかに聖書や「マクベス」がある... はっはっは...

 実験1. 被験者60名。過去の自分の{倫理的/非倫理的}行動を思い出させた後、単語完成課題。たとえばw__hというような刺激を与え、cleansing関連語(wish)を生成する割合を調べる。結果: 非倫理的行動を想起したほうがcleasing関連語を生成しやすい。
 実験2. 被験者27名。物語文章を読ませたのち、製品名(Doveのシャワーソープ, SonyのCDケース, etc.)を提示して望ましさ評定。要因は物語文章: {同僚を助ける/同僚を妨害する}。結果: 非倫理的文章群でcleansing関連製品の望ましさが高くなる。
 実験3. 被験者32名。実験1の想起手続きのあとで、報酬として滅菌タオルか鉛筆かを選ばせる。結果: 非倫理的行動を想起したほうが滅菌タオルを選びやすい。
 と、ここまでは、道徳的純粋性への脅威が物理的cleansingを活性化する(マクベス効果)という話であった。では、物理的cleasingは罪を洗い流すか?
 というわけで、もっとも有名な実験4。被験者45名。実験1の想起手続きの後、滅菌タオルで手を{拭く/拭かない}。で、感情状態についての項目について回答。さらに、いまやばい状態に陥っている院生がいるんだけど、無報酬でボランティアやってあげてくれない? と尋ねる。結果: 非倫理的行動を想起した条件で、手を拭くと道徳的感情が下がり、ボランティアへの協力率も下がる。

 いったいどういう理屈付けをするんだろうか、概念メタファ説を持ち出すのだろうか... と期待していたのだが、心的機序についての説明はなかった。さっすがScience。態度でかいな。

論文:心理 - 読了:Zhong & Liljenuist (2006) 手洗いで罪を洗い流すことができる

Krishna, A. (2011) An integrative review of sensory marketing: Engaging the senses to affect perceptin, judgment and behavior. Journal of Consumer Psychology, 22(3), 332–351.
 題名通り、sensory marketing関連研究のレビュー。まじめにメモを取りつつ読みはじめたんだけど...

感覚知覚の応用としてのセンサリー・マーケティング
 センサリー・マーケティングとは、消費者の感覚に関与し、その知覚・判断・行動に影響を与えるマーケティングのこと。実務的観点からいえば、製品の概念についての消費者の知覚を形成する意識下のトリガーをつくる手段、また知覚品質を変化させる手段を提供する。研究の観点からいえば、消費者行動に関わる感覚・知覚についての理解を提供する。
 消費者行動研究における感覚の研究を数えた人によれば(Peck&Childers, 2008, Handbook of CP), 81本のうち1/3以上が過去5年以内だった由。量的に言えば成長分野だ。

sensory marketingとはなにか
 感覚の研究は昔からあったんだけど、散発的で体系がなかった。2008年に研究者を集めた会議をやって、sensory marketingという傘ブランドをつくった。
 センサリー・マーケティングの概念図式を示す。まず五感の要素があり、これをまとめてsensationと呼ぶ。sensationはperceptionを形成する。perceptionはcognitionと相互作用し(grounded cogntion), またemotionとも相互作用する(grounded emotion)。以上のシステムが、態度、学習・記憶、行動と相互作用する。[←うむむむ。長期記憶を外側においたシステムのなかでperceptionとcognitionを概念的に区別することが可能だろうか? ちょっと曖昧すぎて途方に暮れる面があるが、そこがいいんでしょうね]

sensationとperception
 sensationは生化学的現象で、perceptionはセンサリー情報についての意識・理解だ。たとえばRとLは違う音だが(sensation)、日本人には区別できない(perception)。
 sensationとperceptionのちがいは、マーケティング分野では視覚バイアスという問題として扱われてきた。レビューとしてKrishna(2006 JCR)がある。

触覚
 触覚は重要だ [...Harlowの猿の話...]。

[...と、こんな感じで、以下「匂い」「聴覚」「味」の順に研究概観が続くのだけど (視覚はほぼ省略されている)、どれもいまちょっと関心がないので斜め読み。メモは省略。]

知覚の認知への影響: grounded cognition
 標準的な認知理論では思考はアモーダルであるが、近年ではgrounded cognitionの支持者が増えてきた。たとえばBarsolou(2008 Ann.Rev.Psych.), Hung & Labroo (2011 JCR), Labroo & Nielsen (2010 JCR), Mazar & Zhong (2009 Psych.Sci.), Williams & Bargh (2008 Sci.)。
 マーケティング研究のなかにも、名乗ってはいないけどgrounded cognitionの理論に基づくものが増えている。たとえばCacioppo, Priester, & Berntson (1993 JPSP), Tavassoli & Fitzsimons (2006 JCR)。
 そもそもgrounded cognitionとはなにか。Barsalouらは正確な定義を提出していない。私の理解では、

 grounded cognition 小史。思い切り遡ればJames-Lange説とか、ダーウィンの感情についての説明とかに行き着く。態度にソマティック表象が含まれるというのはZajonc & Markus (1982)だって云っている。最近復活したのは神経科学のせいだ。
 grounded cognitionのなかでも最近人気がある下位領域が、sensorially-richなメタファだ。例, コーヒーカップの温かさが対人関係の暖かさを促進する (Williams & Bargh, 2008 Sci.)。レビューとしてIsanki & West (2010 APSの会報), Landeau, Meier, & Keefer (2010 Psych.Bull.)をみよ。[←ありがとう先生!Isanki&Westって知らなかった!!]
 この手の研究の厳密さはいろいろだ。たとえばLee & Schwarz (2011, Conf.)は、魚のにおいが疑惑を喚起することを示しているが、同時に疑惑が魚のにおいの同定を促進することも示している。こうやって双方向リンクを示さなきゃね。寒さと孤独の双方向リンクを示した研究もある (Ijzerman & Semin, 2009 Psych.Sci.; Zhong & Leonardelli, 2008 Psych.Sci.)。[←これはWilliams & Barghをディスっているのだろうか...]

今後の研究課題。主な課題を5つ挙げる。
 ひとつめ、感覚の相互作用。

 ふたつめ、感覚的イメージ。例, 匂いは視覚的イメージを促進するが視覚は匂いのイメージを促進しない(Lwin, Morrin, & Krishna, 2010 JCP)。
 みっつめ、感覚負荷。例, 利き手でクランプを握ると心的シミュレーションが阻害され購入意向が変わる。こういう操作は感覚と課題の因果関係を調べるためにも役に立つ。
 よっつめ、grounded emotion. たとえばペンを咥える実験がそうだ。心理学では先行研究があるが[略]、商社行動論の文脈ではない。
 いつつめ、アモーダル情報の感覚への影響。たとえばブランド名が味に影響するというのがそうなんだけど、他の感覚ではまだまだ研究が少ない。ブランド名称と実物の違いというのも興味深い。解釈レベル理論でいえば前者は抽象的になるはず。単に実物に触るだけで所有感が上がるという話もある(Peck & Shu, 2009)。
 そのほか: 知覚や能力の個人差 (need-for-smellとか、need-to-speakとか)。自分の感覚についての認識とか。例, 人は自分の感覚は正しいが他の人のはバイアスを受けていると思っている(Gilbert & Gill, 2000 Psych.Sci.)。感覚喚起の個人差。などなど、課題はいっぱいある。

 ...とかなんとか。列挙的なレビューだが、勉強になりましたです。

論文:心理 - 読了:Krishna (2011) センサリー・マーケティング・レビュー

Larson, J.S. & Billeter, D.M. (2013) Consumer behavior in "equilibrium": How experiencing physical balance increases compromise choice. Journal of Marketing Research. 50(4), 535-547.
 ネットで買い物するときに、ディスプレイの前で椅子を後ろに倒して二本足でバランスを取ると、バランスのとれたお買い物ができるでしょう、という論文。
 こういうの、身体化認知研究の典型的パラダイムのひとつだ(身体経験Xを与えることでそれと対応する一見無関係な高次認知X'が促進されました、ザッツ・オール。突き詰めて云えばプライミングの事例報告である)。次第に飽きてきたんですけど...

 身体経験と高次認知の関係を説明する手はいくつかあるが、この論文の著者らはLakoff&Johnson流の概念メタファ説を採っている。身体経験的概念(ソース)を活性化すると、対応する抽象概念(ターゲット)が活性化する、という説明である。引用をメモしておくと:

なぜ「身体のバランス」に目を付けたのか、という点については明確な説明がない。だって balancing a checkbook っていうじゃないですか、という程度の説明である。
 この論文のちょっと面白い点は、<概念メタファ説 vs. 身体化シミュレーション説>という対立軸を設定し、実験で前者を支持しようとするところ。身体化シミュレーション説では身体運動感覚が活性化しないとターゲット概念が活性化しないはず、いっぽう概念メタファ説では意味的刺激によるプライミングでもターゲット概念が活性化するはず ... というロジックである。申し訳ないけど、このロジックには納得がいかない。Barsalouのいう知覚シンボルシステムは、感覚情報がないと活性化しないんだっけ? 運動抜きの身体化認知という論点はMargaret Wilsonいうところの身体化認知研究の一般的主張その6であって(Off-line cognition is body based)、シミュレーション説とも矛盾しないのではないか。さらにいえば、概念メタファ説とシミュレーション説が対立するのかどうかもよくわからない。前者は仕組みのなりたちの話、後者は仕組みのオンライン的挙動の話ではないのかしらん? まあ面白いからいいけどさ。
 
 実験は6個。(JMRの実験論文は、こんな風に実験を突っ込みすぎの奴が多くて、読むのが辛い...)
 実験の本課題は、「車が三台あります。加速性能は順に低中高、最大速度は順に高中低、さあどれにします?」というような選択課題。中-中の選択肢(妥協選択)の割合を調べる。
 実験1: 椅子を後ろに倒し2本足でバランスをとりながら回答させると、妥協選択率が高くなった。
 実験2: 任天堂Wii Fitのゲームをやりながら回答。ペンギン・スライド・ゲームとヨーガ・ゲーム(両方とも身体のバランスを取る必要がある)をやってた群は、ジョギング・ゲームをやってた群よりも妥協選択率が高くなった。はははは。
 実験3: 片足で立ちながら回答させると妥協回答率が高くなった。選択理由を口頭で尋ねると、"equal"とか"middle"といった語が多くなっており、これが選択への効果を媒介していた(mplusで分析しておられる...)。いっぽう「片足で立っていると妥協選択が起きる」という仮説を事前に伝えると妥協選択率は下がった。
 実験4: 平行棒を歩いているところを想像させてから回答させると妥協選択率が高くなった。
 実験5: 古典的な意味プライミング実験。単語リストを与えて文を作らせた後、課題に回答。単語リストを操作する。balance群(単語リストにstable, balanced, etc.が含まれる)、imbalance群(unbalanced, wobbly, etc.)、parity群(same, symmetric, etc.)、control群(green, tall, etc.)を比較。どの実験群でも妥協選択率が高くなった。つまり、「バランスの回復」という目標の活性化が効いているわけじゃない。
 実験6: 生活の中で"out of balance"と感じた経験について書かせた後に課題に回答させると、妥協選択率が高くなった。つまり、parityという概念を活性化させるのではなく、balanceをメタファ的に使用させてもやはり効く。

 考察でいわく、全米で800万人の人が慢性のバランス障害を抱え、さらに240万人の人が慢性のめまいを抱えている。この人たちはふだんバランスのことを考えているから、妥協選択肢を選びやすいんじゃないかしらんとのこと。さすがだ、風呂敷はこのくらい広くなくっちゃ。

論文:心理 - 読了:Larson & Billeter (2013) : 片足立ちでネットショッピング

Ealen, J., Dewitte, S., & Warlop, L. (2013) Situated embodied cognition: Monitoring orientation cues affects product evaluation and choice. Journal of Consumer Psychology, 23(4), 424-433.
 たとえば洗剤のボトルの取り手は、ラベルを正面にして右側についている。たいていの人は右利きで、右利きの人は向かって右側に取っ手がついているほうが使いやすいと感じるからだ(運動流暢性効果)。この効果はなぜ生じるのか、という論文。要するに、運動流暢性効果のモデレータとなる変数を示しましょうという研究である。第一著者の博論である由。

 実験1では、実は運動流暢性効果はとことん右利きの人(rigid right-handers)ではなく、場合によっては左手も使うような中途半端な右利きの人(flexible right-hanbers)のほうで強い、ということを示す。実験2では、中途半端な右利きさんに課題の反応キーを左手で押させると、取っ手が左側についている製品のほうが好きになっちゃう、ということを示す。つまり、運動流暢性効果はそんなに自動的過程ではなく、その場その場での製品使用動作の心的シミュレーションから生じているんじゃないかという話だ。
 この研究の白眉は実験3で、並行して数字列の記名課題をやらせると、中途半端な右利きさんの運動流暢性効果がやはり消失する。つまり、彼らが取っ手が右についているボトルのほうを好むのは、それなりに認知資源を費やして取っ手の向きを監視しているからなのだ。いやあ、これは面白いなあ。
 もっとも著者は自動的過程の存在を否定しているわけではなくて、実験3で出ているちょっと説明しにくい結果 (とことん右利きの人は並行課題条件で逆に運動流暢性効果が出る)について、もしかすると彼らはふだん別の製品特徴(色とか)で選好を形成していて、そのプロセスが阻害されると過去の使用経験が自動的に活性化するのかも... なんてことを云うておられる。このへんはちょっとわかりにくいスペキュレーションだけど、ま、自動的過程も制御的過程も効いている、というのがホントのとこなんでしょうね。

 仕事の都合でバババーッとめくったなかの一本なんだけど、面白い研究であった。マーケティングの文脈でこういう研究している方、日本にはいないのかしらん。

論文:心理 - 読了:Ealen, Dewitte, & Warlop (2013) 洗剤のボトルの取っ手が右側についているほうが使いやすそうに見えるのはなぜだ

Bookcover 現代秀歌 (岩波新書) [a]
永田 和宏 / 岩波書店 / 2014-10-22
「1970年までの生まれで、主に昭和の時代に本格的な活動をはじめた歌人たち」の歌の、百人一首形式のアンソロジー。
 短歌とか俳句とか、どうにも読み方がわからなくて、普段は散文のなかに埋め込まれていてもそこだけ読み飛ばしてしまうくらいなのだが、この本は面白かった。はじめての経験である。著者はかの世界の超偉い人だと思うが、解説が控えめで理知的なので、読みやすいのだと思う。

 これはいいなあ、と思った歌をメモしておく。予備知識ゼロのど素人の感想なので、もしかすると一定の傾向が現れているかもしれない(わかりやすい歌とか、共感しやすい歌とか)。
 ほんとは「いいなあ」と思う確率と発表年度や作者生年との関係を調べてチャートにしてみようかと思ったのだが、さすがに現実逃避も度が過ぎるので、いずれまた暇なときに...

曼珠沙華のするどき象(かたち)夢にみしうちくだかれて秋ゆきぬべき (坪野哲久, 昭15)
秋分の日の電車にて床にさす光もともに運ばれていく (佐藤佐太郎, 昭27)
水中より一尾の魚跳ねいでてたちまち水のおもて合はさりき (葛原妙子, 昭38)
先に死ぬしあはせなどを語りあひ遊びに似つる去年までの日よ (清水房雄, 昭38)
すさまじくひと木の桜ふぶくゆゑ身はひえびえとなりて立ちをり (岡野弘彦, 昭47)
さくら花幾春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり (馬場あき子, 昭52)
次々に走り過ぎ行く自動車の運転する人みな前を向く (奥村晃作, 昭54)
なべてものの生まるるときのなまぐささに月はのぼりくる麦畑のうへ (真鍋美恵子, 昭56)
この世より滅びてゆかむ蜩(かなかな)が最後の<かな>を鳴くときあらむ (柏崎驍二, 平6)
そこに出てゐるごはんをたべよというこゑすゆふべの闇のふかき奥より (小池光, 平7)
彼の日彼が指しし黄河を訪ひ得たり戦なき世のエアコンバスにて (宮英子, 平7)
洪水はある日海より至るべし断崖(きりぎし)に立つ電話ボックス (内藤明, 平成8)
大根を探しにゆけば大根は夜の電柱に立てかけてあり (花山多佳子, 平18)

フィクション - 読了:「現代秀歌」

2015年1月 2日 (金)

Aggarwal, P., Zhao, M. (forthcoming) Seeing the big picture: The effect of height on the level of construal. Journal of Marketing Research.
 先に読んだ van Kerckhove et al. と同じく、身体化認知と解釈レベルを合わせた研究。著者らはトロント大。
 van Kerckhoveらは<見上げる/見下ろす動作→対象との距離の知覚→解釈レベル>というメカニズムを想定しているが、こちらは<高さ概念→知覚処理スタイル→解釈レベル>というメカニズムを想定している。

 まず解釈レベルについての説明があって... (解釈レベルの先行研究のひとつにRosch(1975JEP)が挙がっているが、これはさすがに牽強付会ではないのか...そんなことないんですかね...) 本研究では、距離じゃなくて物理的な高さという概念が解釈レベルに影響することを示します。

 で、メタファ的連合について。ここはきちんとメモを取ると:
 抽象的心的概念の多くは物理的感覚経験とメタファ的に結びついている(Lakoff&Johnson)。実証研究: 温度と社会関係(Williams&Bargh, 2008 Sci.), 重さと重要性(Zhang&Li, 2012JCR), 手洗いと罪悪感(Lee&Schwarz, 2010 Sci.)。
 物理的高さも抽象的概念と結びついている。上はポジティブで(Meier & Robinson, 2004 Psych.Sci.), パワフルで(Meier & Dionne, 2009 Soc.Cog.), 道徳的で(Meier, Sellbom, & Wygant, 2007 Personality & Individual Diff.), 能力が高い(Sun, Wang, & Li, 2011 PLoS One)。
 さて、なぜ高さが解釈レベルと結びつくと考えるのか。
 人は発達を通じて、直接的経験に基づく物理的概念に基づき、抽象的で複雑な知識構造を次第に構築していく(scaffolding)。だから物理概念の活性化は抽象的概念を自動的に活性化させるのだ (Bargh, 2006 Euro.J.Soc.Psych.; Williams, Huang, Bargh, 2009 Euro.J.Soc.Psych.)。身体化認知の研究者も、物理経験を想像するだけで態度や行動が変わると云うてはる (Barsalou 2008 Ann.Rev.Psych., Elder & Krishna 2012 JCR)。さて、物理的に高いところに位置すると視野が広くなる。この経験を積み重ねることで、高さと知覚処理(global/local)が連合しませんかね。でもって、知覚処理のglobal/localは、解釈レベルのglobal/localと連合しているといわれているじゃないですか。
 というわけで、
 仮説1. 消費者は、自分が物理的に高い(低い)と感じるとき、高い(低い)解釈レベルを採用し、その解釈レベルに整合した製品選択を行う。
 仮説2. 知覚された高さが消費者選好に与える効果は、その基底にある、global/localな知覚処理による知覚的解釈の違いに媒介されている。

 実験は5つ。疲れるなあ...

実験1
 学生46人。「就職説明会が行われています。そのビルにいってみたら、会場はビルの{上の階, 地下の階}だったので、階段で{上がりました, 降りました}」とイラスト付きで説明。「あなたは2つのポジションに関心を惹かれました。AはBusiness Implementation Manager, プロジェクト管理能力と詳細な指揮が必要。BはBusiness Planning Manager, プロジェクト開発能力と大局的な指揮が必要。会社は同じ、給料とか要件とかも同じ。どっちがいいですか?どっちに応募しますか?」ともに両極11件法で回答。要因は会場が{上のフロア, 下のフロア}、被験者間操作。
 結果: 2問の合成得点を指標にする。上の階のほうがAの得点が高い。(←まじか...)
 この実験だと、上の階のほうが心理的に遠いんじゃないかとか、上の階であることがパワーの感覚と連合してたんじゃないかといった反論が可能である。ここから潰しにかかります。

実験2
 学生64人。椅子に座って机に向かう。街の鳥瞰写真を見せ、好きな数の地域に分けさせる。で、椅子の快適さとか権力感とかの項目に回答。要因は、椅子と机が{高い, 低い} x 窓のブラインドが{開いている, 閉まっている}。被験者間操作。写真で笑ってしまったのだが、低条件の椅子は風呂の椅子なみに低い。なお、窓からは遠くが見える。
 結果: 椅子と机が高いほうが分割数が多くなる。ブラインドの開閉は効かない(つまり遠くがみえることは分割数に効かないし、高さの効果とも交互作用しない)。快適さも権力感も差なし。
 ブラインド開けてても窓の外をみていなかったんじゃないかって? よかろう、潰してやろう。

実験3
 学生107人。教室のスクリーンのスライドショーを双眼鏡でみてもらう。で、解釈レベルの尺度(BIF)に回答。要因はふたつ。(1)双眼鏡を{「遠くのものが近くに見える」ように持つか(near)、逆に「知覚のものが遠くに見える」ように持つか(far)}。(2)スライドショーに含まれているモノの写真(マグカップとか)が{上からみているか(high), 下からみているか(low)}。2x2で4セル、被験者間操作。
 結果: BIFには距離も高さも効く。farのほうが高レベル、highのほうが高レベル。交互作用は有意じゃないけど、farのほうがhigh/lowの差が小さい。先行研究でも異なる次元の影響はsub-additiveだといわれているので、筋が通っている由。

実験4。指標を製品選好にします。さらに、仮説2の検証のために知覚的解釈レベル(global/local)を測る。Navon文字同定課題というのを使う。ええと、たとえばFという小さな字を並べてHという大きな字をつくる。こういう文字を8つ並べて、たとえば「大きなH」をみつけるよう求めると、反応時間はlocal処理のときに遅くなる。ここではこの課題を、解釈レベルの操作ではなく測定のために用いている。へー。
 学生105人。ディスプレイで、モノの写真(マグカップとか)を提示、次に文字同定課題。これを繰り返す。で、製品選好課題:あなたは机を買おうとしています、Aは品質3点で組み立て済み(feasibility寄り), Bは品質4点でいろいろ機能がついてて要組み立て作業(desirability寄り)。値段は同じ。どっちが好きですか? 両極10件法で評定。要因はひとつで、モノの写真が{上からみたもの(high), 下から見たもの(low), なし(control)}。被験者間操作。
 結果: 文字同定課題では、大きな文字の同定時間は条件間の差がないが、小さな文字の同定はhighのみ遅くなる。なお、先行研究でも大きな文字の同定では差が出ていない由(速すぎて天井になってるから)。というわけで、デフォルトの解釈レベルは低く、モノを上から見ると解釈レベルが高くなる。
 選好課題は性差が大きいので(そりゃそうか)、要因x性差のANOVA。highのみdesirability寄りになる。で、媒介効果の分析によれば(やはり Preacher & Hayes (2008, BRM)というのが引用されている)、この効果は文字同定課題で測った解釈レベルに媒介されている。

実験5。駄目押しという感じの実験である。主旨は2点:(1)こんどは高さを概念的にプライミングする。Nelson & Simmons (2009, JMR)によれば、南北という概念は高さ概念と連合しているのだ。(2)選好じゃなくて行動を使う(←と仰っているが、要するに選択課題に切り替えただけである)。手続きの元ネタはMaglio, Trope & Liberman (2013JEP:G)である由。
 学生59人。教示は以下の通り。この実験の最後にくじを引いて頂きます。1/100の確率で50ドルもらえます。賞金を差し上げる際にはDistance 18 FundSourceという会社を通します。これはPayPalみたいな電子取引の会社でして、こちらに口座を作っていただきます。FundSourceの中央銀行は2500km離れたところにあるエチュカという小さい街にあります(←架空の地名)。この北米の地図をご覧下さい、我々はいまココ、エチュカはココです(←ここに操作が入っている)。2つの街をつなぐ線を引いていただけますか? どうもありがとう。
 さて、もしくじが当たったら、50ドルすぐにお渡ししてもいいですし(Smaller Sooner, 略してSS)、3ヶ月後に65ドルお渡しすることもできますよ(Larger Leter, LL)。どっちがいいですか? 選択と選好評定(両極10件法)。
 ところで、エチュカの役所はいま観光振興のスローガンをつくっているところで、案がふたつあるんです。(A) "Come to Echuca! Explore a new world to fulfill your dream!" (desirability寄り)、(B) "Come to Echuca! An easy way to explore a new world!" (feasibility寄り)。それぞれの好意度と魅力度を評定してください。10件法。
 要因はひとつ: 地図上でのエチュカの位置が{真北, 真南}。被験者間操作。
 結果。くじ選択・選好では、真北条件のほうがLLを選びやすい。スローガン評定では、真北条件で案A (desirability寄り)の評価が上がる。というわけで、真北をプライムしただけで、解釈レベルが高くなり、くじではLarger Laterが選ばれるようになり選好はdesirability寄りになる。

考察。理論的考察のほうからひとつメモしておくと:

さらに我々は、grounded-cognitionとscaffoldingにおける近年の知見に新しい例を追加することができた。すなわち、新たな人々の選好と選択に対する効果は、直接的な身体的・物理的経験を必ず必要とするわけではなく、むしろ心的シミュレーションによって達成されうるという知見である。高さとglobal/local知覚処理との間には、scaffoldingを通じて獲得された強い連合が存在する。これに基づき我々は、条件間で実際の高さを変えなくても、高い/低いというただの概念を活性化するだけで、解釈の差をもたらすことができると示唆する。

ああそうか、それで実験5を入れているのか。でも、「身体化認知の実験は直接的な身体的経験の操作がないと駄目だ」と言っている人が、はたしているのだろうか。ちょっと藁人形論法っぽい感じもする。
 この雑誌の論文は最後にManagerial Implicationsを書かないといけないようで、皆さん苦労されているようだが(いつもニヤニヤしながら読んでます、すいません)、この論文では...

 。。。いやー、こんな緩い操作で綺麗な効果が出ちゃってて(特に実験5!)、正直、眉に唾つけたいような気分だ。社会的プライミングの研究って怖い。ご研究にけちをつけるつもりは毛頭ないですけど、マーケティングという観点からいえば、果たして実質的な効果量があるのかどうか、慎重に読まないといけないなあ、という感想である。
 途中に出てくるscaffoldingって、元はヴィゴツキーかしらん。きっとBarghという人の論文を読むとわかるのだろう。読まないけど。
 よく昼飯に行く近所のパスタ屋さんは夜はカウンターバーなので、スツールとカウンターがかなり高いんだけど、あそこで飯食ってても、物の見方が大局的になった気はしないんですけどね。あ、でもあまり値段を気にしないで、好きなセットを頼んじゃってるかも。ははは。

論文:心理 - 読了:Aggarwal & Zhao (forthcoming) 高さのせいでものの見方が大局的になる

2015年1月 1日 (木)

仕事の都合でShapiro (2011)をコリコリと読んでいるんだけど、身体化認知(embodied cognition)という概念を持ち出した過去の論者に対する月旦評が面白かったので、ここだけ先にメモしておく(3章)。

まず Varela, Thompson & Rosch (1991)。たしか私が学部生のときに翻訳が出て、数ページでわけわかんなくなって放り出した本だ。

Esther Thelen。認知発達の研究者(恥ずかしながら存じませんでした)。主に Thelen, Schoner, Scheier & Smith (2001, BBS) に拠って論じている。

Andy Clark。有名な哲学者っすね。翻訳も出ている。

雑記:心理 - 「身体化認知」という概念はどう捉えられてきたか

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